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To dear friends - 9





はアーサーが送っていけ!』

気鬼迫るような剣幕で言ったジョヴァンニにより、はアーサーと共に寮への道を歩いていた。

ジョヴァンニのそれは、多分花火の時に全くそれっぽい雰囲気を作れる状況ではなかったからだろう。
だからと言って少しストレートすぎないかと考えてしまったものの、アーサーは予想外に二つ返事で引き受けた。

どうして、と、少し期待してしまいそうになったが、了承した途端後片付けを途中で帰り始めた彼に、は落胆しながら納得する。
無理矢理彼を引きとめ、後片付けを最後までと言いかけたを止めたのはまたもジョヴァンニだ。

カーフェイが便所から帰ってくるまでに行けと。

なるほど。確かにカーフェイがいたら一緒に送っていくと行って、最終的には全員に送られる事になるだろう。
申し訳ないと思いつつ、はアーサーと共に帰宅する事にした。

しかし、歩く二人の間にあるのは、重いのかそうでないのか分からない沈黙。
前に一緒に歩いた時は、ガイのジュースや実習旅行についての会話があったが、今は見当たる話題が無い。
散々騒いだ後なので、また花火の事について話すのも少し精神的に疲れる気がした。
夜も更けているためか、週末でもない通りは車通りも少なく、勿論通行人もいない。

元々口数が多いとは言えないアーサーだ。
この沈黙は、やはり自分が何とかした方が良いのだろうかと、はちらりと彼を覗き見る。


「どうした?」
「あ、いや、何でもないよ」

「・・・そうか」
「うん・・・」


あ、今何か喋るべきだった・・・?

そっけなくはないが、たった二言で終ってしまった会話に、はマズったかと思いながらまた前を見た。
ジョヴァンニには告白しろだの何だの言われたが、正直それはちょっと時期尚早すぎる気がする。
いくらもうすぐジュノンに行くとはいえ、好きになったのだと分ってから、まだ3日も経っていないのだ。
そういう事は時間ではないのかもしれないとあの時は思ったが、今彼に気持ちを伝えたところで一緒にいられるのはジュノンへ発つまでの数日間。
その上彼は最近離婚する・・・もうしたのだろうか?とにかくそんな事で、暫く恋愛はしたくないかもしれない。
こんな算段をする事が良いのか悪いのかはわからないが、とにかく時期が悪すぎる気がした。
『恋に時間は関係ない』なんて嘘っぱちだ。そんなものは場合によって変わるし、現に今は思いっきり関係あるじゃないか。

そもそも、には彼に思いを伝えたいという気がそれ程あるわけではない。ただ、好きだと思うだけなのだ。
確かに一緒にいられれば嬉しいし、今こうして一緒に歩いている事は幸せなのだが、その先に進みたいという思いはあまり大きくない。
『友達以上』から『好きな人』の中をフラフラしているような状態で、下手をすればそのまま『親友』の位置に落ち着く可能性だって無くは無かった。
赤面したり、ドキドキしたり、これだけ恋する乙女状態になっていて今更かもしれないが、時が経てばどうなるかわからない。


?」
「ん?何?」

「何考え込んでる?」
「・・・何で分かったの?」

「・・・滅茶苦茶考え込んでる顔してる・・・気がした」
「嘘!?」

「本当」
「ア・・・アハハハハ」


そんなに分かりやすいのだろうかと考えながら、はアーサーに乾いた笑いを返した。
照れたように視線を逸らした彼女を見下ろしながら、彼は当たりだったのか・・・と、小さく漏らす。
笑っているはそれが聞こえていないようで、アーサーは暫くそんな彼女を見つめる。

此処から寮までの道と距離を考えながら、こんな夜中に、女性と二人で歩くのは暫くぶりだと考える。
もう二度と他の誰かとは歩かないと思っていた過去に、少しだけ懐かしさを感じた。

あの頃は、離婚するだの、別の男の子供を孕まれるだの、そんな事は思っても見なかった。
子供過ぎた自分の若さとも言えるが、人生を焦りすぎていたのだと今になって思う。
それはそれで、その頃の自分が考えて選んだ道なのだが、よもやたった2年で離婚とは、はっきり言って予想外だった。
そして、隣にいる彼女の存在もまた、士官学校に入った頃からは勿論、昨日一昨日の近い過去から考えても予想外だ。

暫く色恋沙汰は勘弁してほしいと思っていたのに、今自分の胸にある感情は何だろう。
本当に、人生は何がどうなるかわからないものだ。


「アーサー、どうしたの?」
「何が?」

「・・・なんか、しみじみした顔で頷いてたけど」
「・・・・・・・・何でもない」


俺、爺くさくなったか?
いや、そんなまさか・・・俺はまだ若い。ピチピチの21歳だ。・・・バツ1だが。

無意識にしていた仕草に内心狼狽しながら、アーサーは平静を装いつつ自分に言い聞かせる。
同時に、物思いに更けて自分の感情を肯定してしまっていた事に、微かに目を伏せる。

彼女に何かする気はないが、共に過ごせる夜を喜んでいる自分に、何を浮かれているのだと冷たく言い放った。
これは偶然で事故だと言い聞かせ、まだ、もう少しと考える自分の思いを引き止める。

今更往生際が悪い自分に、元妻の時の諦めの良さは何処にいったのかと呆れたくなった。
子供がどうという事ではなく、感情の事でだ。
既に冷えていたからと頭で考えていても、初めて他の男の跡を見つけたときから妊娠の話をされるまで、愛情が無かったわけじゃない。
心底惚れていたからこそ、好きなようにさせていたのもある。
多分、自分じゃなくても、他の男の傍で幸せならそれでいいと考えていたのだろう。

そこで考えると、も同じだ。
これからの事を考えれば、自分でない他の誰かの傍にいてもいいだろう。
だからこそ、を好いていて、彼女も友としての好意を持っているロベルトに、『頼む』などと、何様だと思える言葉をかけた。
はロベルトにそんな感情は無いようだが、彼は結構いい男なので、そのうち惚れる事があってもおかしくはないだろう。

少し脆い部分もあるが、軟弱なように見えて結構芯が強いのがロベルトだ。

昨日は嫌いだと言われたが、本当に心底嫌いなら、わざわざ突っかかったりしないだろう。
そこに気付かないのがロベルトの幼さだが、そんな時の彼はまるで可愛い弟が出来たように思えて、悪い気はしない。
本人に言ったら、確実にリミットブレイクされるので、絶対口にはしないが。


「ア・・・アーサー?」
「何だ?」

「何・・・一人で笑ってるの?」
「・・・・別に笑ってない」

「いや、笑ってたよ。怪しいよ」
「笑ってない。・・・暗いのによく見えるな」

「・・・ん、まぁ・・・ね」
「・・・・・・・」


俺笑ってた?
おいおい年寄りの次は変態かよ・・・って、だから俺は爺くさくねぇ。若い。若いから。

少し頬を染めて視線を逸らしたを、アーサーは何とも言えない気持ちになりながら見つめる。
また胸にぶりかえしはじめた感情に、何をやっているんだと自分を叱咤していると、ようやく家々の間から、の寮が見えてきた。


後に残したくないと言いながら、もう十分思い出という形を残しているじゃないかと、今更自分の望みの浅はかさに気が付く。
無理矢理早めたとの別れと、その先に待つ実習旅行。
彼女だけを弾き出し、何も言わず友を死地に向かわせる自分を、憎んでくれるならそれでいいと思った。
もし生きて帰れたならという希望は、あまりに儚すぎて、いつからか夢見る事さえしなくなったのだ。

父に頭を下げ、非情で身勝手な頼みを聞き入れさせた。
彼女が断れない形で、生きて欲しいという自分のエゴを押し付けたのだ。
皆が生きて、幸せであればいいと望む裏で、ただ一人を救い、その他の友を犠牲にするかもしれない事に目を瞑る自分は、何と醜い生き物だろう。

出来るなら、にだけは、そんな自分の醜さに気付かないでいてほしいと思う。
そして、いつか忘れてくれればいい。時と共に薄れる幼い頃の記憶のように。


「アーサー」
「ん?」

「・・・何で・・・泣きそうな顔してるの?」
「そんな風に見えるのか?」

「うん」
「・・・・そっか」


でも多分、この頬に涙が伝う事は一生無いだろう。

泣けるだけの強さが無いのではなく、泣きたくないのだと、彼は誰に問われた訳でもなく、心の中で小さく呟く。
実習旅行で何が起きるか知っていて、何も知らない友を、何も言わず連れてゆくのだ。そんな人間が泣く資格などあるだろうか。


「何があったか知らないけど、泣きたいなら泣けばいいじゃん・・・って、もしかして私のせい?」
「いや、は悪くない」

「・・・聞いてもいい?」
「ダメ。・・・いつかわかる」

「・・・何それ?」
「さぁな」

「最近そんな感じばっかだよね」
「お前が無理に聞かないの、知ってるからな」

「・・・複雑」
「褒めてんだよ。それに、救われてる」

「よくわかんないよ?ってか、アーサーの答えが理解出来ないよ?」
「それでいいんだよ」

「・・・納得できない」
「そのうちできる」

「そのうちとか、いつかとか・・・それ、いつなわけ?具体的に」
「・・・ジュノンが寒くなる頃・・・かな」

「・・・微妙に抽象的だよ」
「そうかもな」


口を尖らせたを、アーサーは笑みを零しながら見下ろす。
目が合った途端見る見る赤みがさしていく頬を、可愛いと思いながら、それに触れたがる自分を抑えた。
これ以上踏み込めば、この思い出が、例え小さくとも傷になる事を、アーサーは知っている。

だから彼女をロベルトに託し、彼に生き残って欲しいと思うのだ。
出来るなら、彼だけではなく、他の皆も。


「アーサー先生ー、わかんなぁーい」
「随分デカイ園児が現れたもんだな」

「そんなに大きくないし」
「胸とかな」

「ム・・・!?よ、余計なお世話だ!ってか、普通だし!小さくないし!」
「ああ、重要なのは感度だしな」

「セクハラ!変態!エロ親父!」
「年そんなにかわんねぇだろ」

「・・・アーサー、私の年知ってたっけ?」
「いや」

「・・・・・・・・・・」
「・・・・何だよ黙って」


そういえばは幾つだろうと、アーサーは今更彼女の年を知らない事にきがついた。
見たところ年下とも言い難く、大体同じぐらいだと思って話していたのだが、違うのだろうか。
黙ったは、暫くじっと彼を見つめると、顎に手をやって考え始めた。


「ふーん・・・そっか、知らないんだー。へぇー・・・アーサーは21だもんね」
「だから何だよ・・・、幾つだ?」

「ウフフフ。女に年齢をきくものじゃないわ」
「な・・・」

「まだまだね、ボウヤ」
「お前、捨ててくぞ」

「いーやー!ゴメンナサイ許して下さい!こんな暗い道に放置していかないでアーサー様ー!」
「二度とボウヤとか言うなよ」

「はい、しません!二度と言いません!」
「よし、許してやらなくもない」


言葉から察するに、どうやらはアーサーより年上らしい。
性格を考えると、もしかしたらハッタリかもしれないが、どちらにしろ彼女の態度に悔しくなった事に変わりは無い。
少しからかって、ニヤリと口の端を上げて見下ろしてやると、は悔しそうな顔をして見上げてくる。


「かっ・・・・・・・・・可愛くねぇ・・・」
「あ?」

「いえ、何でも・・・」
「・・・・・・・・」


「可愛くない」という言葉に、そんな「可愛い」「可愛くない」で見られていたのかと、アーサーはつい低い声を出してしまった。
すぐに頭を下げる彼女に、少々の優越感を感じながら、自分の言動を振り返った彼は、やっぱり自分は子供なんじゃないか思ってしまう。

若いのはいいが、子供扱いは嫌だ。

そうムキになって考えている時点で、まだ少し子供なのだが、残念な事に彼はそれに気付いていない。

いつの間にか彼女のペースに乗せられ、後ろ向きだった思考が浮上している事に、アーサーは小さく苦笑いを零す。
初めての実技で組になった時も、彼女はこんな風だったと思い出すが、きっとは覚えていないだろう。

何しろ、入学2ヶ月目までクラスの人間の顔と名前が一致しなかった人間だ。
彼女に3回近く『初めまして』と自己紹介された人間が、自分を含めてクラスには5人いる。
悲しい事に、その中にはさっき花火をしたカーフェイとアレンも含まれているのだ。
噂によると、ロベルトなんてクラスが違うから10回近く名前を聞かれたらしい。
だからこそ皆彼女の名をすぐに覚え、仲がよくなったのかもしれないが、当時は顔を合わせる度、また自己紹介するのだろうかと考えていた。


本当に、自分もロベルトも、よくそんな女に惚れたものだ。

この分なら、きっと自分の事もすぐに忘れるだろうと、アーサーは少し残酷な希望に安心していた。
その忘れ方がちょっと切ない気もするが、あまり我侭な事を願うのも忍びない。


「アーサー、また笑ってる」
「ああ」

「今度は自覚あるんだ」
「そりゃぁな」

「さっきは怪しかったよ」
「・・・そっか」


自分がいなくなっても、彼女はこうしていてくれるだろうかと、彼は穏やかになって行く心の隅で考える。
他の誰もがそうであれば良いと、そんな事は無理だと知っていても、時が経った後にそうである事を願った。
その時、彼女には、数日前に漏れ零して見せてしまった自分の恋慕の情も忘れていて欲しい。


「アーサー」
「ん?」

「また泣きたいような顔してる」
「してないだろ」

「・・・そんな目してる」
「・・・・・・・そっか」


鈍感なくせに、なんでこんな所は目ざといのか。
それとも自分がわかりやすいのかと思いながら、アーサーは彼女の頭を撫でた。

花火の煙で少しパサついた髪を少しだけ指に絡め、初めて触れた時の濡れ髪を思い出す。
その感触も、この想いも、連れて逝けるなら、それだけで幸せな気がした。
それを恋や愛だと認めて、否定する事をやめてしまえば、その幸せが消える気さえして、彼はその感情をただ、『想い』だと言い聞かせる。


「何考えてるの?」
「別に。・・・皆が・・・幸せになればいいな・・・ってな」


冗談めかす口調で言う彼に、は僅かばかりの距離を感じる。
感情を見せながら答えをくれなくても、『いつか分かる』という彼の言葉は、ただの日常的な言葉より近い気がしていた。

ようやく全体が見えた寮の玄関まで、数十メートル。
子ども扱いと言うには愛しそうに、何となくと言うには慈しむように、の髪を撫でていたアーサーの手がそっと離れる。
だが、彼女はその手を繋ぎとめるように握ると、足を止めて彼を見上げた。


「・・・違うよ」


マメが潰れて、少し皮が厚い大きな手に、彼女は小さな手で温もりを分け与える。
五月蝿く鳴る自分の心臓の音を感じながら、は少し呆けたように自分を見下ろすアーサーを見つめた。


「皆が幸せになるんじゃない、皆で・・・幸せになるんだよ」


残暑が去り、秋の気配がしはじめた季節。
ミッドガル独特の、年中変わらない、深海のような青緑色の夜空の下でも、真夜中の空気は冷える。

それなのに、指先に与えられる温かさは何だろうか。
胸の内から溢れる、春風のように穏やかな温かさは何だろうか。

の言葉が語る意味に、アーサーは言葉を返すより先に彼女の手を握り返す。
その温かさと、彼女の言葉は、身に余るほどの感情となって彼を包み、彼は泣き笑いのような微笑を浮かべた。


「俺は・・・もう幸せだから・・・」


言いながら、繋いだ手の指を絡めた彼は、彼女の肩に顔を埋める。
戸惑うの手を離し、その身を引き寄せると、小さな体は簡単に彼の腕の中に納まった。

不可触の女神に触れたような冒涜と、過ぎた洗礼を受けるような至高の幸福を感じながら、それを連れて逝ける事に、何一つの恐れも無くなった気さえする。


それでも彼は、後に残すものが出来てしまった事と、彼女の望む未来を叶えられない事に、心の中で懺悔した。












2007.11.16 Rika
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