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To dear friends - 4


校長室を出ると、ロベルトはの顔をそっと覗き込んだ。
腰を少し曲げただけだったので、表情を見る事は出来なかったが、握ったままの拳が、彼女の心中を語っていた。

校長室の中での会話で、何とはなしに彼女の気持ちを予感し、彼は微かに目を伏せる。
想うだけ無駄だと言い聞かせ、何を想うのだと自問しながら、しかし今はそれを考えるべきではないと、再び彼女に視線を戻した。


人気の無い校長室の廊下は、授業中になった事もあり、遠くの廊下を歩く誰かの足音さえ聞こえない。
次の授業は選択教科なので、体術を取っているは、演習場に行かなくてはならなかった。


行けば、同じ選択の体術をとっているアーサーがいる。
会いたくない、顔を合わせたくないと思うが、授業を受けない訳にはいかないし、サボリなんて、傍に居るロベルトは絶対に止めるだろう。

戦う為、生き残る為に学んでいるのだから、個人的な感情のせいで休むわけにはいかない。
諦めという小さな決意をすると、は重い足を進める。
隣を歩くロベルトに、歩いている最中泣いたら嫌だと思いながら角を曲がろうとすると、ロベルトが軽く腕を引いてそれを止めた。


「ど…したの?」


意に反して震えてしまった声に、は口を引き結んでロベルトから視線を逸らした。
声が出た事で、じわりと滲んだ視界に、奥歯をぐっと噛んで耐えようとする。


「のど、渇いちゃって。ジュース買いに行くの、つきあってくれないかな?」
「……」

「行こう」
「っ…」


口を開いたら関を切ったように感情を出してしまいそうで、は彼に返事も出来なかった。
だが、ロベルトはそれが分っているようで、彼女の返事を聞かず教室とは別の方向へ彼女の腕を引いていく。

泣きそうな自分に意地を張りながら、ずっと頭の中にあるアーサーへの疑問に、はそれ以上何かを考えるのが面倒になってロベルトについていった。
職員室近くの自販機で、堂々と飲み物を二つ買ったロベルトは、そのまま近くの階段へ向かう。
だが、丁度下からの階段の前を歩いていた二人は、下から走って上がってきた人物と目が合ってしまった。


「ロベルト?も…授業どうした?」
「あ…」


マクスウェルと共に体術を担当する、講師のレナードに、ロベルトはを背に隠しながら言い訳を考える。
既に彼女も姿を見られているのだが、レナードは俯いたにハッとし、数秒の後に何故か深く何度も頷いた。


「レナード先生、あの…」
「いい、ロベルト。俺はわかっている」

「は?」
「何も言うな、少年少女よ。俺は理解ある大人だ」

「…いや…?」
「学校で淫らな行為はいかん。だが、恋愛は大いに結構」

「ちょ、違…」
「ロベルト、いいんだ。わかってるから。泣いてる女の子を一人にさせるなんて、男じゃない。そうだろ?」

「え…あぁ…はぁ…」
「ハンカチもってるな?」

「はい…」
「ならヨシ!でも淫らな行為はぜぇったいにいかんぞ?そういうのは本の中だけにしなさい。いいね?」

「み、淫…そんな事しませんよ!」
「…うん。その反応なら、大丈夫だな。先生達には俺から適当に言っておくから、心置きなく青春を謳歌してこい。じゃぁな」


ロベルトの言葉など聞いちゃいない講師レナードは、ニカッと笑うと職員室へ向かう。
カーフェイも少しロベルトの初心さを見習えば…等とブツブツ言っているが、とりあえず今回は見逃してもらえるようだ。

ちらりとの顔を見てみると、今ので涙は引いてしまったようで、ロベルトは少し安心すると、また彼女の手を引く。
少し階段を登ってから、そういえばレナード先生は何故此処に来たのだろうと考えていると、出欠簿を手にした彼が階段を駆け下りて行った。

マクスウェル教官の使いっパシリかと納得し、ロベルトはまた階段を登り始める。
4階の上、屋上へと続く扉の前に来ると、彼はポケットから出した針金で器用に鍵を開け、普段は閉鎖されている屋上へと出た。


「少し寒いね。、平気?」
「…うん。あの、ロベルト…?」

「ごめんね、勝手に連れてきちゃって」
「…ううん」


まだ手を離さない彼に引かれ、階段の扉の裏側へ行くと、日陰になったそこへ二人は腰を下ろす。
手渡された炭酸のジュースに、講師レナードのお陰で一瞬忘れていた昨日の事を思い出した。


「ごめ…ロベルト、そっちがいい」
「え…?…うん、はい」


また震えた声を出し、視線を落とすに、ロベルトは少し驚きながら、何も言わず缶を交換する。
自分の状態を知りながら、何も聞いてこない彼に、は甘えていると思いながら、受け取った紅茶を両手で包んだ。


「サボらせてごめんね」
「あ…いいよ。気に…しないで。わたっ…も…」


語尾が詰まって、サッと俯いた彼女に、ロベルトは微かに目を細める。
きっと彼女は誰かが見ている所では、泣こうとはしないのだろう。
誰の為に、何の為にと、確信になる予感への愚問に、何故か胸がざわついた。
避けろと考えているのに思い浮かんでしまった名に、出そうになる溜息を飲み込むと、ロベルトはの頭に手を乗せる。


「僕、眠いから…少し寝てるね」
「っ…!」


触れたことで、何故か凪ぎいでいく胸の内に不思議な感覚がしながら、彼は指先で彼女の髪を梳く。
だが、その途端目を見開いて顔を上げた彼女と、頬を伝った一滴の雫に、ロベルトは目を見開いた。

何か言いたそうに口を開き、しかしすぐに俯いたに、彼は手を引いて視線を空へ向ける。
風に乗って演習場から届く生徒達の声を聞きながら、高く広がる空を行く雲に、手が届かないのは同じだと考える。
何を重ねているのだと、囁く自分の声に答えは見つからず、それらから目を背けるように視線を落とした。

おやすみと言いながら、目を閉じたロベルトに、は彼に聞こえない程小さな声でありがとうと言う。
変わらない彼の呼吸に、瞼を閉じているだけだとは分っているが、それに甘える事にした。
彼からもらった紅茶を、半分程まで一気に飲み干し、空を仰ぎ見る。
野外演習場から届く声の中に、アーサーの声を探している事に気付き、自嘲の笑みを零した途端目の前が一気に霞んだ。


「昨日ね、公園でガイにジュース驕ってもらったの。そしたらさ、それ炭酸で、ガイの奴振り回したのかな。噴水みたいになってビシャビシャになったんだよねー」


明るく言いながら、は返事を返さないロベルトをちらりと見る。
完全に無視か、それとも本当に寝てしまったのかと一瞬考えたが、彼の表情が何処か不機嫌そうで、少し笑みが零れた。
彼の心を読むなら「何やってるんだよガイは!」という辺りだろう。


「ガイってば、私がジュース空ける前に逃げて帰ちゃっててさ。怒るに怒れなくて…そしたらね、アーサーに会ったの」


彼の事を思い出した瞬間、一気に沈んだ自分の声に、は紅茶を一口飲み込む。
数秒呼吸を整え、一度大きく息を吐き出すと、彼女はまた言葉を続けた。


「意外だけどさ、アーサーって子供大好きなんだよね。学校じゃ見せないような、すっごい楽しそうな顔してて、別人みたいだった。でも私の姿見て呆れた顔してさ。子供と大人じゃ態度違うんだよ。豹変って感じ。ちょっと大丈夫かと思ちゃったよ」
「………………」

「アーサーの家、近くてさ。お風呂借りて、晩ご飯食べさせてもらったの。焼きうどん。焼きうどんだよ?あのアーサーが、ウサギさんエプロンつけて焼きうどん作ってんの。想像できるロベルト?」
「…ッ……ンブ…ッ……………」

「…見たり教えてもらったり。昨日だけで、アーサーの事、色々知ったの。私が知ってもいいのかな?って事まで、アーサー教えてくれて・・・・何でかな…」
「…………」

「アーサーさ、変な事言うんだよ?俺が……ううん。これは…いいや」
「…………」

「実習旅行、行くなって言われた。皆行かせたくないって。変だよね?だってただの実習だよ?実戦だけど、訓練なんだよ?ガイも…理由は違うみたいだけど、同じ事言ってた」
「…………」


ガイの名に、ロベルトは薄く目を開けて横目で彼女を見る。
だが、上を見上げたままのは彼の視線に気付かず、目尻から涙を伝わせていた。


「さっきの校長先生の話だっておかしいでしょ?もっとずっと前に言ってもいいのに、急にさ?しかもやっぱり実習旅行の前だし、私より、アレンとかジョヴァンニとかいっぱいいるのに…なのに…何で私なの…?」
「…………」

「アーサーね……私……私ね、アーサーが好きかもしれないって、思ったの。昨日、急にだったけど、思ったの。キ…キキキキキキスしそうになって…」
「!?」

キスという言葉に、ロベルトはグワッと目を見開いて、勢いよく振り向いた。
急に反応した彼に、はビクッと飛び上がり、同じように目を見開いたが、彼は数秒固まると、静かに姿勢を元に戻し目を閉じる。


「ね…寝惚けちゃった」
「あ、うん…」


先程普通に噴出したくせに、今更誤魔化すロベルトに、は小さく笑みを零して、また視線を空に向ける。

落ち着きが無くなっていると自覚しながら、意地のように寝たフリを続けようとする自分に、ロベルトは内心苦笑いを浮かべた。
ざわつく胸の内と、脳裏に思い浮かぶアーサーの顔がムカつく事に首を捻る。
だが、それを何故と思う気持ちは、考えるなと言う自分に止められ、すぐに有耶無耶のまま置き去りにされた。


「雰囲気に流されたのかな…って思ったりもしたんだ。今日起きたら、全然普通かもしれないって。でも…変わってなかったの。だから参っちゃった。こっちは、どうなんだろう、どうしようって考えてるのに、アーサーは全然普通なんだよ?全然いつもと変わんなくて…」
「………」

「でも、全然違ってるの。いつもと全然違うんだよアーサー。目も合わせないし、私の存在なんか無いみたいに、見てもくれなくて、話しかければいいかもしれないけど、どう反応されるか考えると恐くなってそれも出来なくて。私、一人で何やってるんだろうって思って…」
「…………」

「昨日の今日だよ?段々腹立っちゃってさ、何なのアイツとか思ったりしたけど、でも、もう知らない・・・とか、思えないんだぁ…」
「………」


膝を抱えた彼女の気配に、ロベルトはゆっくり瞼を開ける。
相変わらず長閑な景色には、先程のような思いは生まれず、それより自分の心を引くへと視線を向けた。
膝に顔を埋めて、小さく肩を震わせる彼女が、何故かはわからないが羨ましいと思った。


「実習旅行…出るなとか、それ…いなくなれって意味だったのかな?ジュノンの推薦とか、私…必要無いって意味なのかな…?…嫌っ…わっ…」


声を震わせても言葉を止めない彼女を眺めながら、風に靡いたその髪を目で追う。
さらさらと揺れる髪は、風に弄ばれて艶の位置を変え、ずっと眺めていたいと思わせた。
何を考えているのだと、また一人歩きしそうな思いを引きとめ、ロベルトは彼女に意識を戻す。
もしも…と、全ての答えを引きずり出す考えに足を踏み入れそうになり、慌ててそれを振り払うが、白くなるほど握り締めた彼女の拳から目を離すことは出来なかった。


「別にさ、好かれっ…たいっとかっ…思って…じゃ、無い…っだよ?でもっ…こんな…嫌われ…た……私…嫌わっ…たく…ない…」


視界に映る自分の手に、ロベルトは微かに眉を寄せる。
やめろと言う自分の声を無視して触れたの手は、思っていたよりずっと温かかった。

ゆっくり顔を上げた彼女は、頬にまだ涙を伝わせていたが、その顔は悲しみから驚きに変わっている。
少しだけ緩んだ彼女の拳を、腫れ物を触るように包むと、彼の顔には自然と笑みが、胸の内には憂いが生まれた。





「好きだ」






「君が好きだよ」



目を開いて呆然とする彼女に、ロベルトは言い聞かせるように言葉を繰り返す。
ああ、もう終わりだ。と、崩れ落ちた自分を胸の中に取り残し、だがまだ全てが終ったのではないと言い聞かせる。
茶番じゃないかと吐き捨てる自分に答えを返さず、この先を決めてしまうと、最後の慈悲を得るように彼女の指に自分のそれを絡めた。


「ロ、ロベル…」
「僕は君が好きだ、



最初で最後だと、どうしようもない自分に言い訳をして、夢にすら成り得ないこの一瞬と、の温かさをロベルトは掌に刻む。
それだけで、生き残る気も、自分の役目も、どうでも良いとさえ思えた。
だが、どう自分が思ったところで、終わりに近づいた道から逃げる事など出来ず、彼はいつもの人受けの良い笑みを作る。



「……」
「僕だけじゃない。カーフェイも、ジョヴァンニも、ガイも…皆君が好きだよ」

「………え?」
「…えって…え?」

「あ、いや、なんでもないよ?うん」
「そう?…とにかくさ、アーサーはどうか分らないけど、の事嫌ってはいと思うよ」


予想通り、ポカンとした顔をするに、ロベルトは分っていないフリをして返す。
恥かしさに顔を赤らめ、誤魔化す彼女に気付かないフリをして、彼はいつもの自分を取り繕った。

完全に涙が引いてしまったは、早速アーサーが自分を嫌ってはいないという言葉に意識を取られている。
こんなに簡単に彼女の注意を奪ってしまう彼に、羨ましさと、彼女を泣かせる怒りが募った。
だが、これ以上足を踏み入れるべきではないと、今しがた足を引いた自分に従い、ロベルトはその先を考えないようにする。


「嫌なら、家に上げたり、自分の事話したり、まして、ご飯つくったりなんかしないんじゃない?」
「あー…あぁ…」

「それに、実習旅行に来るなって言ったのは、だけじゃないんだよね?アーサーは危険だと思ってやめろって言ったんじゃないの?実習旅行に行かせたくないから、ジュノンに行かせようとした。僕はそう思うよ」
「…………」

「一番いいのは、アーサーに直接聞くことだけどね」
「……うん」


それが出来る勇気があれば苦悩はしないのだが…。
そう思いながらも、実際はロベルトの言うとおりアーサーに聞けばよい事で、は小さく返事をする。
濡れたままの自分の頬を袖で拭おうとすると、その前にロベルトからハンカチを差し出された。
情けない所を見せてしまったと思うものの、彼は別段気にしていないように、自分のジュースに口をつけていた。

少し切れ長がちだが、パッチリとした二重瞼が彼の印象を柔らかいものにし、すっと通った鼻筋がその上に綺麗な印象を与える。
顔がこれで、身長も高く、性格が良いのだから、男女問わず人気があるのも当然だろう。
昨日のアーサーとの事がなければ、今頃自分は彼に少しだけ胸を高鳴らせていたかもしれない。

否。数分前、唐突に彼から好きだと言われた瞬間、の思いは大きく揺れたのだ。
落ち込んでいるときの女は惚れやすくなると言うが、まさにその通りだ。
彼が言う「好き」が、自分が思っていた「好き」ではないと分った瞬間は、このまま屋上から飛び降りたくなるぐらい恥かしかったが…。

思い出すと顔が熱くなりそうで、は残っていた紅茶を一気に飲み干す。
ちらりとこちらに目を向けたロベルトと目が合って、小さく笑い合うと、は缶を置いて立ち上がった。

解決したわけでは無いが、泣いた事で少しスッキリしたのは事実だ。
心の中は格段に落ち着きを取り戻しているし、少しずつだが、これからの事を考え始めている自分もいる。


、あまり立ち上がらないほうがいいよ?」
「そう?」

「演習場から見えるし…それに……その…スカートが…」
「…ゴメンナサイ」


微かに頬を染めて顔を背けたロベルトに、も視線を逸らしながらスカートを抑え、腰を下ろした。

ふと、昨日堂々パンツを覗いてくれたガイの事を思い出し、恥かしさが増すと同時に怒りが生まれる。
今朝普通に挨拶をしてきて、ジュースの事どころか、一緒に公園に行った事まで綺麗に忘れて首を傾げていた彼を思い出し、更に怒りがぶり返してきた。
彼が、時々記憶喪失にでもなったのかと思うぐらい、前日の事を綺麗サッパリ忘れる時があるのは、も慣れていた。
だが、あれだけの暴挙をして逃走しながら、全く覚えていないとはどういう事か。
覚えていて欲しいわけではないが、彼にとって自分のパンツは綺麗に記憶から削除されるぐらい、どうでもよいものなのだろうか。


「ねぇ、ロベルト…」
「何?」

「私のパンツってさぁ…忘れっぽい?」
「………は?」

「いや、だからパンツ忘れやすい?」
、落ち着いて自分の言葉を繰り返してごらん」

「だからね、私のパンツって記憶の欠片にすら残らないぐらい忘れやすいの?それとも、もしかしてパンツっぽくないの?」
「ごめん、僕には君が何を求めているのかわからないよ」

「ガイが昨日私のパンツ見た事を綺麗サッパリ忘れてやがったの。私のパンツってそんなに忘れやすい、どうでもいい物なの?」
「ああ、そういう事か…まぁ、ガイだからさ…そんな事があっても不思議じゃないよ」


漸く理解できるようになった彼女の質問に、ロベルトは苦笑いしながら答える。
それはガイがガイであるからだと思いながら、彼は大概の者が納得してしまう台詞を吐いた。
この学校に入る前から用意されていた、この言葉を言うのは何度目か。
しかし、それも別に嘘を言っているわけではなく、彼は最初から変人だったので、状況がどうあってもロベルトはそう答えただろう。
誰の目から見ても、やっぱりガイは変人だった。

しかし、はその答えでは納得し切れなかったらしく、口を尖らせてうんうん唸っている。
女としての自尊心に関わる事なのだから、当然といえば当然だが、そんな話題を出されるロベルトは結構反応に困るものだった。


「ねぇロベルト、さっき見た私のパンツ明日も覚えていれる?それとも忘れる?」
「見てないから。僕のパンツは見てないから」

「そうなの?…え、見たくも無いとかいう意味じゃないよね?」
「そんなわけないだろ!って、そういう意味じゃなくて、いや、そういう意味だけど…えーっと、見てないけど、見たくないなんて思ってないし、だ、だからって見せてほしいなんて思ってないけど…かと言って見たくないとは……あぁ、もう!何て事聞くんだよ!!」


耳まで真っ赤になって、大きな体を小さくするロベルトに、は今更ながら申し訳無くなった。
考えてみれば、確かに男としては返答に困る質問だろう。
カーフェイならば二の句も無く見たいとハッキリ言うかもしれないが…いや、彼は偶然見えてしまうようなアクシデントの方が好きだった。
わざと見せられるのはロマンが無いと、以前にしみじみボヤいていた。

小さくロベルトに謝ると、は足を伸ばして、ロベルトのそれと比べてみる。
男女の身長差だと考えても、あまりにも違いすぎるその長さに、彼女は彼の足の付け根からつま先までをまじまじと見た。


「ロベルト…股下いくつ?」
「さぁ。あんまり計ったりはしないけど……90cmちょっと…かな」

「きゅっ…私の身長の半分以上ですか」
「女の子なんだから、気にしなくてもいいと思うよ?」

「今時の女子は気にするのー」
「だからって、足の長さを男と比べるのは無謀だよ。それに、男はそんな細かい所一々チェックしないから」

「やっぱパッチリ二重とか、小さな顔とか、クリンとした目とかさぁ…」
「憧れか。でも、そんな事気にしなくても、は可愛いと思うよ?」

「……サラッと言うね兄さん」
「…あぁ…うん、何かそれ良く言われるよ」


分ってないのかこの人は。

柔らかで控え目な笑顔をしながら、ストレートに言葉を出すロベルトに、は恥かしくなって少し顔を伏せる。
自分がカッコいい事を自覚していない訳ではなさそうだが、気にしなさすぎるのも問題だと思った。
天然王子と言ったところか。彼に好意を持つ女子に、大人しい子が多いのが納得できる。

だが、納得できないのは彼の女性関係だ。
成績だけではなく、異性からの人気も、彼はアーサーと並ぶ。
奇妙な事に、二人とも入学してから半年以上経っても、一向に浮いた噂など無いのだ。

アーサーがそうである理由については、は昨日知ったので納得したが、よもやロベルトまで結婚しているなどという訳があるまい。
好意を寄せる女子達に、目に分る一線を作るアーサーとは違って、ロベルトは誰にでも寛容だ。
それでも、彼女が出来たとも、他にいるとも聞かないのは不思議で仕方が無い。
好きな子がいるという噂は一時期少しだけ流れたが、デマだったのか相手の名前は出ず、そのうち消えてしまった。

年頃の男の子なのだから、恋の一つや二つしても良いものだが、勿体無いとは常々思っていた。


「ロベルト、彼女作んないの?」
「…いきなりだね」

「うん。でもさ、好きな子とかいないの?あと半年で卒業だよ?」
「好きな子…か」

「お、その反応、何かありますな?」
「興味深深だね。でも、残念ながら」


目を輝かせるに、ロベルトは小さく笑みを返しながら肩をすくめる。
身を乗り出した彼女は、彼の答えに「なぁーんだ」と言うと、肩を落として姿勢を戻した。

初夏に気付いた恋はたった今終ったんだよと、心の中で呟きながら、妙に晴れ晴れしている切り替えが早い自分に苦笑いした。
芽吹いた感情に水を与えず、日の光も届かないよう影に追いやり、それでも蕾をつけてしまったそれを、自ら手折ったからだろうか。


「恋とかさー。青春の思い出みたいなのとかさー?あ、友情に生きるとかいう方?」
「…後に残る物は…作りたくないんだ」


それは死んだと思っていた花の根か、知らぬ間に広がっていた緑か、それとも、知らぬ野に運ばれてしまった種か。
どれを残しても、全てが終わり、自分に生があった時、足に絡み付いて、動けなくなりそうだった。

自分の弱さを思い知りながら、ロベルトは眉間に皺を寄せるを見る。
納得していないのだろうと、分りやす過ぎる彼女を微笑ましく思いながら、急に掌に思い出した感触を、気のせいだという事にした。


「それ…何か寂しいよ」


まるで自分の存在そのものを無かった事にしょうとしている言葉だと思いながら、は微かに驚いた顔をするロベルトを見る。
驚くのはこちらの方だと考えながら、彼の言葉を再び頭の中で繰り返してみるが、そこから読み取る答えは変わってくれなかった。
拒絶されているわけでは無いが、生きる場所を隔てられたようで、まだ途切れてはいない繋がりを手放すなと感情が言う。
何故そんな風に思うのかという漠然とする問いは、暫くの間の後に柔らかく笑った彼によって、すんなり答えへと辿り着いた。

それは、遠い決別を決めたような、死を受け入れる最後の笑みのようだった。
ロベルトの中にあのが、何に対しての覚悟かは、にはわからない。
だが、それを決めたから、何も残したくないのだと彼が言っているようで、何処か嬉しそうな彼の瞳から目を逸らしてはいけないのだと思った。


「後に…残らない物なんかあるの?」
「……」

「形にはならなくても、思い出とか残るんじゃないの?」
「…………」

「何かそれ、ロベルトの事忘れろって言ってるのと同じだよ?嫌だよそれ。違う言い方してよ」
「………誤算だな…」

「え?」
「君は、本当に…」


俯いて、泣きそうな顔をしながら笑う彼を、はどう手を差し伸べてよいのかわからず見つめる。
演習場から届いていた声が突然騒がしくなり、彼女は柵の向こうへ視線を移そうとするが、それは急に腕を引き寄せてきたロベルトによって叶わなかった。

驚く間もなく彼の腕に閉じ込められ、飲みかけだった彼のジュースがコンクリートの上に広がる。
途端に騒ぎ出した心臓の音すら閉じ込めるように、きつく抱き寄せる彼の腕の中で、は半ば呆然としながら視線を彷徨わせた。
胸にロベルトの心臓の音を感じながら、初めて知った彼の腕の感触に頭が真っ白になる。

鼻腔を擽る、サッパリしていて後に引かない香りは、先の彼の言葉そのもののようだった。
カーフェイとも、アーサーとも違うロベルトの匂いに、彼も男の人なのだと、は漠然とする思考の中で考える。
ロベルトの腕の中にいながら、昨日のアーサーを思い出し、それでも、その腕を振り解けない自分が分らなかった。



「一つだけ…お願いがあるんだ」
「……何…?」



震える肩が縋っているようで、強く抱きしめる腕が救いを求めるようだったからだろうか。
その声は、咎人の懺悔のように僅かな躊躇いを見せ、だがそれで救われるとでも言うかのようだった。
何が起きているのだと、冷静になり始めた自分に気付きながら、はその気になれば振り払う事が出来る腕を受け入れ続ける。



「無理にとは言わない。でも、もし・・・『また』とか『今度』って言えなくなるようになったら・・・・・・・・・ほんの少しでいいから・・・・祈ってくれないか」








2007.11.10 Rika
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