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Crown or Clown 06


「アーサー、調子どうだー?」
「もう治った」

「早ええな…」

ベッドの上で剣の手入れをしているアーサーに、カーフェイは感心して傍にあった椅子に腰掛ける。
昨夜彼が倒れたと聞いて、朝食の後すぐに様子を見に来たのだが、黙々と刃を磨くアーサーの顔色を見る限り、健康そのものにしか見えなかった。
自然治癒力だけでは納得出来ない回復力である。


「夜中に親父が来て、毒みたいな薬湯飲まされたからな…」
「あ、あの…臭くて苦くて渋くて酸っぱいやつ?!」

「ああ。抵抗したが押さえつけられて、口に突っ込まれた」
「ロベルトは助けてくれなかったのか?」

「いない時を見計らって来やがったんだ」
「……そっか…」


毒みたいな薬湯と聞いた瞬間、カーフェイの顔が苦々しく歪んだ。

それは、アーサーの父が作る特製の風邪薬。
効果は勿論、人生の苦渋を凝縮しているとまで言われる味が、興味と恐れを誘い、組織の中では密かに有名だった。
以前、カーフェイも一度だけ、アーサーが飲んだものと同じ薬を飲まされた…というか、喉に流し込まれた事がある。
確かに身体はすぐ良くなったが、当時の事を思い出すだけで、口の中が変になりそうだった。

労わるような視線を向けるカーフェイに、アーサーは小さく溜息をついて剣を鞘に入れる。
ベッドの脇に剣を置いた彼は、床の上にある水滴に、緑で覆われた窓を見た。

騒がしい雨音は、蔦の葉が雨を受け止めているからだろう。
葉から、枝から伝った雨が、時折吹き込む湿った風に揺られ、小さな音を立てて床に染みを作っていた。


「カーフェイ、見たか?」
「ん?ああ。朝飯食った後、ロベルトに剣の手合わせしようって、連れて行かれた。玄関ホールでも使ってんじゃね?」

「……連れて…?」
「え…?…あ、ううう、うん、そう。一緒に、頑張りに…な、うん!」

「……」
「さ、最近、のやつスッゲェ頑張ってるよな〜!」


連れて行かれたという言葉に、アーサーの眉がピクリと動く。
ハッとして視線を逸らしたカーフェイは、空笑いをしながら話を逸らそうとするが、アーサーの怪訝な表情は変わらなかった。


昨日、ロベルトとが一緒にいただけで、カーフェイは大騒ぎしていた。
なのに、それが嘘のように落ち着いた態度は何なのか。
何でもない事のように言ったカーフェイに、アーサーは眉間の皺を深くした。

「お、おおおお俺達も、見習わないとな!…な、アーサー?」
「………」

「………」
「………」

「…そ、そうだ!暇ならトレーニングしに行かねえ?部屋に篭ってたら、気が滅入っちまうだろ!」
「………」


無言で睨みつけるアーサーに、カーフェイは妙な汗をかいた。
昨日からだが、どうして自分がこんな八つ当たりばかり受けなければならないのか。
誰か助けてと願ってみても、そう運良く助け舟がくるはずもない。


「行くぞ」


アーサーがボソリと呟き、部屋を出ようとする。
彼の手に剣があるのを見て、カーフェイは誘うんじゃなかったと後悔した。
が、アーサーをそのまま放っておく気にもなれず、大人しくついていく。


「アーサー、行くって、何処行くんだ?」
「玄関ホール」

はいいぃぃぃ!?

言うんじゃなかった。本当に言うんじゃなかった…。

アーサーは、ロベルトとの邪魔をしに行くつもりなのだろうか。
遂に重い腰を上げてくれるのかと安堵する傍ら、そこで起こるかもしれない騒動に、ちょっとだけ恐くなってくる。
結局はロベルトとアーサー、そしての問題でしかないのだが、その場にいるとなると幾らかの飛び火は被るだろう。
数秒前の自分を憎らしく思いながら、自ら逃走コマンドを封じた自分に、カーフェイは心の中で涙を流した。







「…やってるな」


近づくにつれて、剣がぶつかり合う音が大きくなる。
音を聞きつけて集まる仲間達の中、アーサーとカーフェイも玄関ホールへと出た。
玄関扉の正面方向から、吹き抜けになった2階へかかる大階段には、既に何人かの見物人が腰を下ろしている。
それらを横目に、二人は廊下に点在する雨漏り用のバケツを避けつつ、2階からホールの中央を眺めた。

戦っていたのは、予想通りとロベルト。
細剣1本で戦うロベルトに対し、は二本の刀を使っているが、実力差のせいか優勢とは言い難い様子だ。


「おー、、結構頑張ってんじゃん」
「でも、武器が合ってない」

「それは言ってやるなって。本人は結構気に入ってんだから…」
「気に入る・気に入らないじゃない。合うか合わないかだ。だから何時まで経っても…」

「まーまー。剣つったって結構高いし、仕方ねえじゃん。だったらアーサーのお古とかやればいいだろ?」
「もう言った。…断られたんだ」

「え…」
「その後、敵から奪ったアレ使い始めた…。やめろって言ってんのに聞く耳持たない」

「あー…でも、1ヶ月であれだけ使えれば結構イイんじゃね?」
「掌マメだらけにしといて使えないんじゃ世話ないからな」


呆れた顔でを見るアーサーに、カーフェイは内心溜息をつく。
最近がアーサーと稽古しないと思っていたが、どうやら原因はこれらしい。
確かに、こんな言い方されれば他の人と稽古したいと思うだろう。

だが、アーサーがそういいたくなる気持ちも、分からない訳ではなかった。
確かに二刀流は攻撃力が上がるが、その分防御力が落ちる。
慣れないうちでは嫌でも隙が多くなるし、この時期に武器を変えてしまうという判断も賢明ではない。
自分がアーサーでも、慣れない武器を使わせるより自分の予備の武器を渡そうと思うだろう。

ただ、カーフェイの剣は普通より大きく、重いので、男でも扱える者は少ない。
アーサーでさえ手が馬鹿になると言って嫌がるものを、女性にあげる気にはならなかった。

マイラが剣を扱っていれば、彼女の予備を貰う事も出来ただろう。
だが、残念ながら彼女が使っているのは、鋭利な棘で覆われた鉄球がついた、鋼鉄製の鞭だ。
下手をすれば、敵に隙を突かれるどころか、自滅してそのまま戦闘不能になる。
それに、そんな物を扱っているの姿は……想像したくない。


さあ、ロベルトの剣の予備貰えばいいんじゃね?」
「ロベルトは今1本しか持ってない。この間の任務で折れたらしい」

「ふーん。俺の剣、折れた事ねえからわかんねえなぁ」
「お前の場合、剣が折れたら、体も真っ二つだろ」


「確かに」と笑うカーフェイを横目で見ると、アーサーは達に視線を戻す。
間合いをとった二人に、どう動くだろうと見ていると、防御の体制を取ったロベルトがちらりとこちらを見た。

油断しているとも言えるが、それをするだけの余裕はあるという事だろう。
現に、彼の視線がそれた瞬間、は間合いを詰めて刃を振り下ろしたが、難なく避けられてしまった。

全て見ずとも、勝負は分ってしまっている。
それでも立ち向かうを無謀だとは思わないが、他人の助言を聞こうとしない姿でコレでは……。


「アーサー、何処行くんだよ?」
「下だ」


階段へ向かったアーサーに、カーフェイは少し迷い、そのままその場に留まった。
彼の姿を目で追うと、反対の廊下から見慣れた黒髪の女性が歩いてくる。

おお…裏ボス様登場だ…。

この組織誕生の一番の理由と言ってもいい、元鬼教官様の姿に、カーフェイは珍しい事もあるものだと眺める。
最初のころは彼女も頻繁に戦場に出ていたが、最近ではアジトの中ですら滅多に姿を見る事は無い。
理由は、敵の目的の一つが彼女の捕獲だからだ。
故に、名を出される事も稀なら、姿を見る事は更に稀。いる事を知ってはいても、多言は控えるべき存在になっていた。

だが、だからと言って、カーフェイ達が彼女の名を一切口にしないわけでもない。
適当な渾名をつけようかという話も出たが、昔つけた「鬼神」という名は、本人に知られた場合説教される可能性があった。
というか、現にガイが1度そう呼んで、物凄く嫌そうな顔をされたらしい。

ボスが社長息子様なのは周知の事。名だたる英雄様方はその番人様。
では彼女は何者なのかと考えた結果、ボスや番人様方がヤバくなった時に出てくる、『裏ボス様』と呼ばれる事になったのだ。
我が子の危機に突撃してくる『親猪』という意見も出たが、女性に対する渾名としては酷すぎるので却下された。
今となっては、その『裏ボス様』という渾名も、結構定着している。…ただし、カーフェイ達の間だけでだが…。

そんな裏ボス様がやってきて、何をするのかと見ていれば、彼女はアーサーと挨拶すると、一緒に階段を降り始めた。
珍しい人の登場に、他の仲間も顔を上げて彼女を見ると、頭を下げて挨拶して、再びホールの中央へ視線を戻す。
とロベルトも、ちらりとそちらを見たようだが、すぐにお互いに意識を集中した。


「うーん…やっぱイイっすねぇ〜」


久しぶりに見た裏ボス様の姿に、カーフェイはだらしなく顔を緩める。
裏ボス様単品であれば、ここまで鼻の下を伸ばしたりしないが、彼の視界にはその周りにいる女性陣も入っていた。
その上、タイミングによってはロベルトと戦っているまでその中に加わる。

やっぱり女の子はイイ…。
下着姿とか贅沢は言わない。
でも、全員ミニスカートとか、胸が強調された服だったら……最高デス!!

偶然にもその中にいるアーサーが羨ましく、しかしこの女性だらけのビジョンも捨て難い。
1人怪しい顔をする自分を、通りかかる仲間が避けて通っているのも知らず、カーフェイは1人悦に浸っていた。
こちらの視線に気づいた女性が、カーフェイの顔を見て『うぇっ…』と声が聞こえそうな顔をする。
それに反応して、周りの女性達が振り向いたが、その時には彼の顔はキリッと締まったイイ男の顔になっていた。
ロベルトばりに穏やかで爽やかな笑みを浮かべ、軽く手を振ってみせると、彼女達は少し頬を染めて小さく手を振り返す。

イエイ最高!!

拳を突き上げて喜びたくなるのを押さえて、彼は可愛い子を探して女性達の顔をよく見てみる。

………あ…、……並…かな…。

愛嬌を振り撒いておきながら、失礼にも程がある感想である。
だが、普段見ている自分の顔が基準になってしまうせいか、それとも彼女達より綺麗なアレンという男がいるせいか。
どうしても欲を張ってしまう目は、どうしようもなかった。

これならマイラの方が可愛いかもしれない……。
なんて、本人に聞かれたら「何様よ」と蹴られそうな事を考えながら、カーフェイは手を下ろして視線を逸らす。
呆れた顔をするアーサーと裏ボス様の視線には、気づかない事にした。


「やっぱが一番かな〜…って、ん?」


打ち合いを続ける二人に目を戻したカーフェイは、動きがぎこちなくなったに気が付いた。
慣れない武器で疲れが出たようでもない。
集中力が乱れているような彼女に、カーフェイは彼女の視線を辿ってみた。

彼女の目は、一瞬たりとも逸らす事無く、まっすぐにロベルトを見つめている。
だが、意識の方は時折何処かに飛んでいるようで、ロベルトも少しやり難そうにしていた。
此処でその隙を突かないのが、ロベルトらしいと思いながら、カーフェイは階段に佇む二人を見る。

腕を組んで話し合うアーサーと裏ボス様は、声を抑えているせいか、顔を寄せ合っての会話をしていた。
染み付いた上下関係のせいか、アーサーの方が若干腰を低く構えているが、知らない人間が見れば、仲睦まじく見えなくも無い。
の注意が乱れているのはそのせいだろうか。

裏ボス様には、最も有名な英雄様というお相手がいるのだが、もしかしたらはそれを知らないのかもしれない。
というか、彼女は裏ボス様とはあまり顔を合わせる事が無いので、会っていたとしても綺麗サッパリ忘れているだろう。

の気持ちを代弁するなら、
『アーサーが、知らない女の人と仲良さそうにしてる。あの人誰?何でアーサーはあんなに打ち解けてるの?どういう関係?』
と言ったところだろうか。

そろそろ、人の顔と名を覚えられない癖を何とかした方がよいかも…。
その考えでないとすれば、単にアーサーがいる事に動揺しているか、昨日倒れたばかりなのにピンピンしている事が信じられないか。

その場合のの気持を推測すると、
『アーサー、ピンピンしてる。何で一晩で治ってるの?もしかして、生霊?それとも、アーサーに良く似たジョヴァンニ?』
…とか?

いや、待て俺。アーサーに良く似たジョヴァンニって、どんなんだ?


一瞬頭に浮かびそうになった、アーサーとジョヴァンニの混ぜ物に、カーフェイは苦笑しながら頭を振った。
これは想像してはいけないものだと自分に言い聞かせると、彼は意識をとロベルトに向ける。

と、その時、ロベルトの剣がの刀の1本を弾き飛ばした。
はすぐに残った刀でロベルトに向かっていくが、飛んで行った刀はアーサーの方に向かっている。

真っ直ぐ向かってくる剣に、階段に座っていた女性達は小さく悲鳴を上げ、アーサーが素早く自分の剣を抜く。
裏ボス様は裏ボス様で、いつの間にか傍に立掛けてあった補強用の板を手にとって構えていた。

この場合は、板で刀を受けようとする裏ボス様の判断が正しいだろう。
そう思って眺めていたカーフェイだったが、裏ボス様は刀を受けるどころか、板を盾にするようにその場にしゃがんでしまった。

「えぇ?!」


ぼ、防御しちゃうの?

ちょっとカッコ悪いと思った刹那、アーサーの剣が刀を弾き飛ばす。
垂直に跳ね上げられた刀は、宙で回りながら再び落ちて来たが、それは裏ボス様が持っていた板で受け止められた。
刀を手に取った裏ボス様は、何事もなかったかのような顔で、板を元の場所に置くとホールへ視線を戻す。

その時、再びロベルト達の方から金属がぶつかり合う音が聞こえた。
1本の刀に集中する事になったは、先ほどよりも随分動きがよくなっているようで、目に見えるほど余裕が出来たようだ。
だが、競り合いとなると力の差が歴然となり、すぐに彼女の体は弾き飛ばされた。

背中から床に叩きつけられ、一瞬咳き込んだにロベルトが覆いかぶさる。
すぐに防御しようとしただったが、ロベルトの手が彼女の手首を捉える方が早かった。
抵抗するに、彼は片手で彼女の両手首を掴み、頭の上に押さえつける。
蹴り上げようとした脚も、彼の膝で押さえられ、は完全にロベルトに……組み敷かれていた。

身を捩って抵抗するの姿が、その光景を妙にいやらしく感じさせる。
鍛錬なのだと分ってはいるのだが、まるでこれから二人が何か…子供には見せられないニャンニャンを始めるように見えなくも無い。
というか、見える。
ロベルトがを襲っているように見える。

実際、確かに襲っていると言えるのだが、ウンウン唸りながら抵抗するの姿が、変な方向へ見方を変えそうだ。
何をするでもなく、クスクス笑いながら彼女を見下ろすロベルトの姿が、それに拍車をかける。

これはアーサーが怒るのでは…。

そう思いながら、カーフェイは恐る恐る彼の様子を見たが、アーサーは普通の表情で二人を見ているだけだった。
彼氏なのだから、少しぐらい動揺するなり苛立ってもいいだろうに、無表情の彼には感情の欠片すら見えない。
裏ボス様が傍にいるせいかとも考えたりしたが、それにしてもアーサーは無反応すぎた。

まさか、既に本気で堪忍袋の緒が切れているのだろうか?
いや、それならとっくにロベルトをから剥ぎ取って、ぶん殴っているだろう。


「うりゃあ!!」
「ぐっ」


の叫び声の直後、ゴッという鈍い音と、ロベルトの呻き声が響いた。
何だと思って見てみると、ロベルトは自分の顔を抑え、次の瞬間腹を蹴られて彼女から離れる。

…頭突きか。

額ではなく顔を抑えているロベルトに、カーフェイは鼻に食らったのだろうかと暢気に考えていた。
束縛が消え、すぐに体勢を立て直したは、再び刀を構えてロベルトに向かって行こうとする。


「そこまでだ!」


制止を叫んだアーサーに、は出鼻を挫かれ、周りの視線も一斉に彼へ集まる。
ロベルトがを組み敷いた辺りから特に視線を集めていた彼だったが、今は完全に注目の的だ。

だが、アーサーはそんな視線など気にした様子もなく、とロベルトの前に歩み出ると、腰に下げていた剣を抜く。
目をぱちくりさせるとは対照に、ロベルトは微かに笑みを浮かべ、アーサーを見つめていた。


「ロベルト…相手してもらえるか?」
「…僕は、かまわないよ」
「え、わ、私は?」

は下が…裏ボス様が呼んでる」


アーサーに顎で指さされ、はその方角を見る。
そこには、先程アーサーと仲良さそうに話をしていた、見慣れない黒髪の女性がいた。
何処かで見た覚えがある気がするが、誰かまでは思い出せない。
『裏ボス様』というよくわからない名に首をかしげながら、は見つめ合う男二人に目をやった。


「…ごめんね、アーサー」


いきなり謝ってきたに、アーサーはちらりと目をやる。
何が、と言葉には出さないものの、僅かに眉間に皺が寄った彼に、彼女は気まずそうに視線を泳がせた。
漂わせた視線の先には、何処か冷ややかに自分達を見るロベルトがいた。

その瞳に、は一瞬ビクリとして身を硬くするる。
だが、次の瞬間ロベルトはいつもの笑顔になり、表情を凍らせている彼女に向かって柔らかく目を細めた。
温かな優しさが滲むその瞳に、は少し混乱しながらホッとする。
確かに見たはずの彼の冷たい瞳は、持ち前の楽観的思考ゆえか、彼女の中で気のせいとして処理された。


「アーサー、本当はロベルトの事誘いたかったんだね。凄いやる気だし…、私、もういいから、二人とも頑張って」
、危ないから、早く下がっておけ」
「……ちゃんと見てるんだよ」


男たちの気持ちなど全く分っていないは、予想通り斜め上を逆走するような言葉を出した。
普段ならそこで脱力して戦意を失うところだが、今のアーサーとロベルトは余計な事は自動的に聞こえない仕様になっている。
それぞれ言葉をかけながら、アーサーはの頭を撫で、ロベルトは彼女の肩を軽く叩いた。
その時点ですら、二人は早くもビシバシ殺気を飛ばし合い、今にも殺し合わんばかりに睨みあっている。

流石に様子がおかしいと思ったは、見た事も無い目つきをしている二人に、頬を引きつらせた。
数秒前まで笑顔を向けてくれたロベルトも、普段感情を出さないアーサーも、何かのスイッチが入ったかのように静かに威嚇しあっている。
彼らとはそれなりに長い付き合いだが、ここまで険悪な二人は見た事が無かった。

何故こんなにやる気が漲っているのか。
理由はわからないが、とりあえず、早く下がった方が良い事だけはわかった。


「あ、あんまり本気になり過ぎちゃダメだよ?怪我とか…しないでね?」
「心配するな。ちゃんと手加減はする」
「急所はちゃんと外すから、大丈夫だよ」


…物凄く心配だよ…。

止めた方が良いかもしれないと思うものの、二人からは早く行けというオーラが出ている。
人目があるのだから、きっと間違いは起きないだろう。
そう、自分に言い聞かせると、は駆け足で二人から離れた。

見物人の間を通り、はアーサーが裏ボス様と言った女性の傍まで行く。
すると彼女は、無言で自分の隣を指差してみせる。
人形とまでは行かないが、至極無表情な裏ボス様は、の目から見ても変わっていた。
ガイとは種類が違うが、この人も変な人だと思いながら、は大人しく裏ボス様の隣に立った。


「やっと来たか…。、君が今使っている武器だが…」
「ごめんなさい、後にしてください!」


裏ボス様が差し出した自分の刀を受け取ると、は素早くそれを鞘に収め、アーサー達の方を向く。
話を遮った彼女に、裏ボス様は僅かに目を開いて驚いたが、咎める事無くの視線の先を辿る。


「アーサーとロベルトは放っておいても問題ないと思うが…」
「そんな、何かあったらどうするんですか?!」


落ち着いているが、何処か暢気な裏ボス様の声に、は驚いて振り向いた。

普段なら、彼女の言葉に賛同して気にしないかもしれない。
彼らは相手に大怪我を負わせるほど、加減が出来ない人間じゃない。
でも、いつもより明らかに殺気立っている彼らを見て、心配せずにはいられなかった。
二人の事は信じている。
けれど、今の彼らには、万が一という事態も有り得る気がしたのだ。

だからには、何処か楽観的な裏ボス様の言葉が、酷く非情なものに聞こえた。
不安が怒りを呼び、はつい感情のままに声を上げる。

だが、対する裏ボス様は僅かな驚きも見せず、静かな瞳で彼女を横目に見るだけ。
その様子が、更にに苛立ちを与えるが、彼女はそれすら知りながら気にしていないようだった。


「その前に、止めれば良いだけの事だろう」
「だ、誰があの二人を止めれるって言うんですか!」

「…私…だろうな」
「何軽々しく…そんな事できるんですか!?っていうか、その前に貴方誰なんですか?!」

「!?」
「アーサーは裏ボス様とか言ってたけど、初対面なのにいきなり私の事呼び捨てにして…何か、アーサーとも仲良さそうだし…」


誰ですかと言われた瞬間、裏ボス様は目に分かる程の驚いた顔をして振り向いた。
次いで、の口から出た『初対面』の言葉に数秒固まり、やがて少しだけ寂しそうな顔になった。

「………………」
「…とにかく、話は後にしてください!」


漸く表情が出た裏ボス様に、は僅かばかり興味を引かれたが、今はアーサー達の方が大事だった。
構っていられないと言わんばかりに彼らの方を向く彼女を、裏ボス様は半ば呆然としながら見つめる。

この後言われるだろう、記念すべき10回目の『初めまして』。
ロベルトが10回以上自己紹介されたとは聞いていたが、まさか自分もそうなるとは思わなかった。

何とも言えない気持ちで、数秒を見つめていた裏ボス様だが、やがて諦めたように小さく溜息をつく。
見物人達の同情する視線に、ちょっと悲しくなりながら、彼女もまたアーサー達へ目をやった。






「アーサー、本気で手加減するつもり?」
「お前こそ、本気で急所外すのか?」


何処か冷淡な笑みを浮かべるロベルトに、アーサーは無表情のまま容赦ない殺気と言葉を返す。
その反応に、ロベルトは微かに口の端を上げながら、今にも喉笛を食い千切ってきそうな彼の瞳を見つめた。
一瞬、感情的になっているのかと思ったが、流石はアーサーと言ったところか、彼の瞳にはまだ冷静の色がある。
しかし、それにしても随分分かりやすい敵意を向けてくるものだとは思った。


「許可は貰った。本気で来い」
「…………」


階段に立つ裏ボス様をチラリと見て、ロベルトは静かに納得する。
いざという時、止めてくれる人間がいるなら、確かに自分達が本気でやりあっても問題無いかもしれない。

だが、の前で…と考えると、ロベルトは素直に剣を振る気になれなかった。
裏ボス様の隣に行かせたのは、彼女の安全への配慮だろう。
その面に関しては安心できるのだが、自分達が本気で戦う姿を、今のに見せて良いものか。

自分が危惧する事を…の事なら尚更、アーサーが考えないはずがない。


「……アーサー、君、まさか…」
「行くぞ」


言うと同時に、アーサーの顔が目の前に迫る。
一瞬で詰められた間合いに、ロベルトが慌てて後方へ飛ぶと、突き出された刃が服の襟を裂いた。

首筋を掠ったアーサーの剣の先が、肌の上に小さな痛みを与える。
出遅れた事に内心小さく舌打ちし、ロベルトは息つく暇も無く振り下ろされたアーサーの剣を細剣で弾いた。

本気で戦う自分達の力を前に、が何を思うか。
否応無しに分かる力の差は、彼女にとって、どうしようもない距離感になってしまうだろう。

いつかが自然とそれを知る事になるだろう。
だから、それまでは触れずにおこうとロベルトは考えていたのだが、アーサーは全て理解しながら、あえて此処でその壁を彼女に突き出す事を選んだらしい。

単なる手合わせかと思いきや、まんまと協力させられてしまったようだ。



「本当…仕方がない人だね、君は」


溜息交じりに呟くと、ロベルトは苦笑いを浮かべて、自分の剣を真上に放り投げた。
戦闘放棄か?と、アーサーが怪訝な顔で動きを止めた瞬間、彼は脇腹に大きな衝撃を受けた。
鈍い痛みを与えたロベルトの蹴りに、アーサーが小さく呻いて僅かに体勢を崩す。

不意打ちのような攻撃と、無駄に長い彼の足に、アーサーは顔を顰める。
だが、攻撃に移ろうとした足を払われて、彼の体はいとも簡単に床の上に転がった
起き上がろうとしたアーサーに、ロベルトは落ちてきた剣を取ると、彼の顔面目掛けてそれを投げつける。

風を切る音と共に迫る刃は、咄嗟に身を避けたアーサーの頬と耳に赤い線を作った。
小さな痛みを感じると同時に、細剣がコンクリートの床に突き刺さる音が耳元で響く。

すぐに間合いを詰めてきたロベルトが、起き上がろうとしたアーサーの首を掴み、勢いのまま床に押し付けと、一瞬彼の呼吸と動きが止まった。
その僅かな間に、ロベルトはグッと顔を近づけると、嘲笑の混じる目でアーサーの顔を見つめた。


「そんなだから…僕が入り込む隙が出来るんだよ」
「ぐっ…っ…!」

ロベルトの言葉に、アーサーの目付きが変わる。
冷静さを残す冷たい瞳とは一転。牙を剥いた獣の目に変わった彼は、爪を立てるようにロベルトの首に手を伸ばした。
対するロベルトも、その瞳に残っていた柔和な色を消し、無機物を見るかのような目に変わる。
伸ばされたアーサーの手を避けたロベルトは、彼の上から飛び退くと同時に、床に刺さる自分の剣を引き抜いて構えた。

すぐに起き上がって向かって来きた彼に、ロベルトが懐に忍ばせていたナイフを放つ。
だが、それらはアーサーに当たるより先に、彼の剣によって全て叩き落された。

飛び道具が消えると同時に、アーサーが一瞬でロベルトの懐に入り込む。

風を切る音を立て、アーサーの剣がロベルトの胴体に向かう。
一切の迷いも無く、肉を突き刺さんとするその刃に、ロベルトは僅かに身をずらしてそれを避けた。

アーサーが次の攻撃へ移るまでの僅かな隙。
それを縫うように出したロベルトの蹴りが、アーサーの脇腹を掠める。
だが、アーサーはすぐさまロベルトの脚を掴んで動きを封じると、彼の腹部目掛けて剣を突き出した。

瞬間、捉えていた脚が引き抜かれ、同時に刃の先にあった的が消える。
視界を探ると、振り上げられたロベルトの細剣が、耳に刺さるような音を立ててアーサーの剣を弾いた。

しかし、アーサーはその反動を上手く受け流すと、力の流れに身を乗せて剣を振り下ろした
細剣に受け止められたアーサーの刃は、悲鳴のような金属音と火花を散らして、銀色の刀身の上を滑った。
その間にアーサーの首を掴んだロベルトは、彼の体を床に叩きつけようと振りかぶるが、下から肘を殴られて手を離す。


「酷いな…折れたらどうするんだよ…」
「遊んでるからそうなる。お前こそ、さっき俺の首が折れてたらどうする」

「ははっ。じゃあ、責任を持って……を貰おうかな」
「…ロベルト…!」


ロベルトの言葉に、アーサーの顔が目に見える程の怒りに染まる。
押し殺したようなその声に、ロベルトは微かに目を細めながら、感情の無い笑みのままアーサーを見下ろした。


「そういうの、にもちゃんと見せてあげればいいのに…」
「黙れ」


アーサーの言葉と同時に、ぞくりとしたものが背中を這い上がる。
考えるより先に反応した体が、振り下ろされた刃を剣で受け止めると同時に、眼前を銀の線が走った。
耳を劈くような音を立ててぶつかった剣が、衝撃と共にロベルトの腕を痺れさせる。

押し返そうとする手に力が入らず、揺れる刀身の上をアーサーの剣に滑らせようとしたが、それより先にアーサーの剣が離れた。
再び刃を振り下ろさんとするアーサーに、ロベルトが素早く後方へ飛んで逃げる。
だが、僅かな隙も許さず向かって来るアーサーの剣が、上手く握れていなかったロベルトの剣を弾いた。


宙を舞った剣は、まっすぐ達がいる方へ飛んでいく。
慌てて逃げる見物人の中、彼女は剣を弾こうと、咄嗟に刀に手を伸ばす。
だが刃を抜くより先に、裏ボス様がの腕を掴んだ。

驚き戸惑うも一瞬。
次の瞬間、飛んできた細剣は、裏ボス様の傍を掠め、階段の手すりに刃を食い込ませて止った。
目を丸くする達の視線を気にした風でもなく、裏ボス様はアーサー達を見つめながら、ロベルトの剣を取る。


「目を逸らすな」


言いながら、裏ボス様は細剣を自分の足元。階段の一段下の床に突き刺す。
彼女の言葉に、すぐにアーサー達へ視線を戻しただったが、その心は灰色の雲に覆われたようだった。

アーサーとロベルトが剣を合わせてから、まだ5分も経っていないだろう。
剣を失ったロベルトは、剣を取り戻すでも、諦めるでもなく、アーサーに向かっていっている。
それどころか、彼が得意な体術に集中できるせいか、二人の戦いはより苛烈なものへ変わっている気がした。
目の前で見せられる戦いと、彼らが出し合う殺気は、の体を自然と震えさせる程だった。


いつの間に、彼らはこんなにも強くなったのだろう。


ともすれば見逃してしまいそうな速さは、目で追うのがやっとで、否応無しに自分との差を思い知らせた。
思っていた以上に開いてしまった実力の差が、二人の存在を遠く感じさせる。

だからだろうか。
彼らが向けてくれた笑みも、触れていたはずの温かさも、ほんの数分前には確かに傍にあったはずのものが、全てが夢だったように思えた。



「アーサーは、君に、自分と同じだけの強さを求めているわけではない」


不意にかけられた言葉に、はゆっくりと隣を見る。
相変わらずの無表情な裏ボス様は、僅かに震えている彼女の姿を横目で見ると、再びアーサー達へ視線を戻す。


「彼は……」


言葉が途切れたと思った瞬間、視界の端から飛んでくるものを見つけ、は驚いて振り向く。
剣を手にこちらへ向かって来るアーサーの殺気に、ビクリ身を硬くした瞬間、足元に何か大きなものがぶつかってきた。

衝撃に足元が揺れ、床板が割れる音と見物人が上げた悲鳴の中に、小さな呻き声が混じる。
ハッと下を見たの視線の先には、痛みに顔を歪めながら、傍に落ちていた自分の剣に手を伸ばすロベルトがいた。


「…っ…」
「ロベルト!?」
「待て」
「下がってろ!」


ロベルトの服は所々は切れ、その中には肌から流れる赤い色が見えた。
血が滲んだ手でもって尚、剣を持とうとするロベルトに、は慌てて手を差し出そうとする。
だが、腕を掴んだ裏ボス様の手と、次いで出されたアーサーの怒鳴り声に、彼女の動きは止められた。

一瞬で追いついたアーサーの剣が、ロベルトに向かって振り下ろされる。
目を閉じる間も、悲鳴も上げる間もない一瞬。
剣が下ろされた先にある光景と、心の臓さえ凍りつくようなアーサーの冷たい瞳に、の血の気は一気に引いた。

ギギギィッと、一際大きな金属音がホールに響く。
振り下ろされたアーサーの剣は、間一髪で構えたロベルトの剣の上を滑り、そのまま腐った床板を切り裂いた。

瞬時に横に避け、体勢を立て直そうとしたロベルトに、アーサーは息つく暇も与えず殺気と刃を向ける。
多くの傷を受けながら対峙するロベルトも、同じだけの殺気を返し、獲物を狩る獣のような目でアーサーを見ていた。
ロベルトが体勢を立て直すと同時に、アーサーの冷たい瞳は一転。ロベルトと同じ目になる。

静まり返るホールに、再び金属音が響き始め、薄暗いそこに時折小さな火花が舞う。
いつ相手の首を切り裂いてもおかしくないほど、殺し合いに似た戦いをする二人を、は半ば呆然としながら見つめていた。


殺気でギラつく瞳は、まるで獣のよう。
今にも肉を噛み千切られそうな目は、見つめられただけで足が竦みそうだった。
情の欠片も捨てた瞳は、目にするのも恐ろしく、自分に向けられたらと考えるだけで震えそうになる。

目の前にいるのは…
この、良く知る人と同じ姿の…けれど、恐ろしい目で刃を振るうこの人は、一体誰だろう…。


普段自分に向けてくれるものとは違いすぎる眼に、は初めてアーサーが恐いと思った。
共に戦場に出る時ですら、彼は自分の事を見ていてくれて、何時だって温かかった。

こんな、眼前の敵を屠る事だけが全てのような眼で…こんな顔で戦うアーサーなんて知らない。



「恐れるな」


静かな声で紡がれた、心の奥を突く言葉に、はビクリと身を揺らす。
ゆっくりと声の主に振り向けば、彼女はに顔を向けるでもなく、静かにアーサー達の姿を見ていた。


「共に生きたいと願うなら、彼がどんな姿になろうと、目を逸らしてはならない」
「…………」

「すぐには受け入れ難くとも、拒絶だけはしてやるな。…それが、一時の迷い故であろうとな」
「…分ってる」


まっすぐに前を見つめたままの裏ボス様は、相変わらずの無表情で、静かに言葉を続ける。
大きく息を吐きながら、自身に言い聞かせるように答えたに、裏ボス様はちらりと目を向けた。
そこには、震える体を必死で押さえ、ひたすらまっすぐに前を向こうとするがいる。


『いつかは越えなきゃならない事だだから…』

そう言ったアーサーに、この戦いを許可し、を引き受けたのは自分だ。
だが、今目の前にいるを見ると、アーサーは時期を早まったのでは?と考えてしまう。
このままでは、彼女は崩れていってしまうかもしれない。

差し伸べる手が、支える腕が必要なのだと思う。
本来なら、アーサーがその役目にあるはずだが、彼女の恐れの対象になっているのもアーサーだ。
それぐらい予想せずに戦うほど、アーサーは馬鹿じゃない。
全て考えた上でこの現実と言うのなら、アーサーは結構酷な所があるのだろう。
それとも、が必ず越えてくれるという信頼故の行動なのだろうか。

危うい賭けだと思った。
けれど、震える体を押さえつけ、恐れる心を奮い立たせながら、は必死に自分の足で立とうとしている。
まっすぐにアーサーを見つめる瞳に、先が分かった気がして、裏ボス様は憂いとも安堵ともつかない瞳で目を伏せた。


「目の前の現実を知り、その現実を乗り越えろ。…それが、アーサーが君に求めるものだ」
「……」

「彼は、君を置き去りにはしない。求めれば、手を引いてもくれるだろう」


付け加えられた甘えの許しに、は微かに表情を曇らせる。
裏ボス様が言う通り、もし自分が無理だと言ったら、アーサーは怒りも落胆もせず背に庇って守ってくれるだろう。

それは、とても居心地が良いのかもしれない。
けれど、ただ彼に甘えるだけの存在として、傍にいるのは嫌だった。

守られるだけの存在になりたいんじゃない。
自分にも、何処かで彼を守る場所が欲しい。
何が出来るか、どれだけの事が出来るか。考えても、答えはすぐに出てくれないが、諦める事だけはしたくなかった。

伝えられたアーサーの願いを頭の中で反芻しながら、は未だ戦い続けるアーサーへ視線を戻す。
僅かな間でも、アーサーを恐れた自分を恥じながら、は拳を強く握り締める。

一緒に戦っているのだ、と。守られるだけじゃないと言った自分に、彼はまず現実と戦う事を望んだのだろう。
乗り越えろと…道を示してくれた彼に、その望みの中にある信頼に、答えたいと思った。


「私は…負けない。絶対」


抑えきれない体の震えが、その声を微かに震わせる。
けれど、決意が見える言葉と声に、裏ボス様はちらりと振り向き、無表情だったその顔に微かな笑みを浮かべた。




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