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Crown or Clown 03


汗が滲む肌の上を、草の香りを纏った冷たい風が撫ぜる。
窓を覆う蔦から、僅かな日の光が入るだけの暗い室内。
殺風景な部屋の寝台で、部屋の主であるロベルトは、自分の下でしきりに体を動かす彼女を見下ろしていた。


「…っは…ロベ…ト…、もうっ…私…」
「まだ大丈夫でしょ」

「そんっ…、…無理っ…だよ…っ…」
「弱音を吐くなんて許さないよ?ほら、頑張って」


うつ伏せの状態で、は首を捻ってロベルトに許しを求める。
だが、ロベルトは笑みを浮かべたまま、容赦なく彼女を急かした。

涙が滲んだ目で、恨みがまし気に見られても、彼は全く動じない。
いつもの笑みを浮かべたまま、ただその先を促すだけだ。

始めは乾いていたはずのシーツは、行為に伴う汗で大分湿っている。
どれだけ続けば終るのか。
逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、は止めていた動きを再開した。

一時間以上も続けているせいで、乾いた喉が水を欲しがっている。
酷使した体は、先ほどからしきりに限界を訴えて、黙っていても筋肉がピキピキいっていた。
それでも、一度背を反らせると、体はすぐに運動に集中する。


「背筋…千切っ…れる…」
「287。今20秒ぐらい休憩したじゃないか」

「お…鬼…っ…」
「288。酷いな。まだ優しくしてる方なのに」

「悪っ…魔…」
「289。悪魔みたいなメニューがいいの?」

「ひ〜〜!」
「290。あと10回だよ、頑張って」


の足を跨いで押さえるロベルトは、悲鳴を上げるを楽しそうに見下ろす。
午後から始めたメニューは、腹筋500回、走りこみ80本、腕立て伏せ150回、反復横飛び200回、背筋300回。
普通に剣の指南をしてほしいと思っていたはずなのに、何故こんなスポーツマンのような事をしているのか。
彼をトレーニングに誘った事を深く後悔しながら、は残る背筋運動に必死で集中した。



「私…も…二度と…ロベルトに、…メニュー…頼ま…ない…」

漸く全てのメニューを終えたは、寝台の上で力尽きながら、ロベルトをじろりと睨む。
終始笑顔で鞭を振るう彼は、彼女の言葉にも全く悪びれる様子が無い。

こんなのを続けていたら、ジョヴァンニのようなマッスルボディーになってしまう…。

そんな自分を想像し、嫌々と首を横に振っていると、ロベルトが荷物の中を漁り始めた。

「ぬるいけど、飲むでしょ?」
「癒しの水…!」

「ただのポーションだよ」
「何でもいいよ。恵みの1滴プリーズ!」


嬉しそうに手を伸ばす彼女が、オヤツをねだる仔犬に見える。
餌付けするのはこういう気分なんだろうかと思いながら、ロベルトは中身が半分のポーションを彼女に手渡した。

「うわ〜い、ポーションポーショ…って、ぬる!生ぬる!」
「嫌なら返してよ」

「ごめん。でも本っ当ぬるいよ。不味くなるのに適温なぬるさだよ。ロベルト君、ちょっと飲んでみなされ」
「………」

そこまで言わなくても…。

せっかくの好意をボロクソに言われ、ロベルトは心中複雑になりながら、ポーションを受け取る。
口をつけてみると、確かにそれは微妙な温度をしていて、正直不味いとしか思えなかった。

「………美味しくないね」
「でしょ?でもまだ飲みたいからおくれ〜」

「不味いんじゃなかったの?」
「私は今、非常に乾いてるのです!」


そう言うわりに元気な彼女に、ロベルトは小さく笑みを零してポーションを返す。
不平を零していたのに、勢いよく飲む彼女を眺めながら、ロベルトは柔く目を細める。

手を伸ばし、彼女の頬に張りついた髪を指先でそっと払う。
目をぱちくりさせてこちらを見るに、彼はニッコリ笑ってみせた。


「間接キス?」
「んぶっ!グッ…ゲフッ!ゴホッ!」


予想外の一言には一瞬ポーションを噴出しかける。
何とか堪えたものの、慌てて飲み込んだ液体が気管に入り、彼女は大きく咽てしまった。

咳き込むに、ロベルトは立ち上がってタオルを探す。
だが、運悪く自分のものは洗濯中で、彼は同室であるアーサーの荷物から借りる事にした。

、大丈夫?」
「ゲホッ…うん…っ…ケホッ」

涙目でタオルを受け取った彼女は、それを顔に押し付ける。
瞬間、香ってきたアーサーの匂いに、は慌ててタオルを顔から離した。

「ロベルト、これ…」
「ああ。アーサーから借りたんだ」

「ア…」
「………」

運動とは別の作用で、頬が熱くなっていく。
呆然とアーサーのタオルを見るに、ロベルトは微かに目を伏せると、彼女の手からそれを取った。

「え…?」
「ごめん。やっぱり、こっちを使ってくれない?」

そう言って渡されたのは、畳んだままのロベルトのシャツだった。
大凡汗を拭うようなものではないそれに、は意味がわからず彼を見る。
だが、ロベルトは彼女の視線など気にせず、アーサーのタオルを洗濯物の中に突っ込んだ。

「どう…したの?」
「…………」

振り向いた彼からは笑みが消えていて、は急に不安になる。
怒らせる事をしただろうかと考えても、ロベルトが怒るだけの事は、思い当たらなかった。

数秒の沈黙に、視線を反らしたのは彼だった。

「…嫉妬…かな」
「…え…?」

があんまり喜んでるからさ…」
「………」

「意地悪…してみたくなったんだ」
「…え…っと…?」


それって……


つまり………




…………どういう意味?


訳がわからないという顔で首をかしげたに、ロベルトは呆れた笑みを浮かべる。

どうせこちらが着目して欲しかった言葉より、別の方向に思考を巡らせたのだろう。
やっぱり…と、彼は小さく溜息をついて、彼女の隣に腰を下ろした。


「アーサーの物に喜ぶのと同じぐらい、僕の物にも喜んで欲しい」
「え?普通に嬉しいよ?」

「うん、そうじゃなくてね……」


お願いだから飛んでいかないで…。

予想していたとはいえ、は見事に論点を斜め上へ飛ばしてくれた。
彼女はきっと、ロベルトが自分のシャツを不服だと思われていると、勘違いしたのだろう。
頼むから、少しぐらいは、その前の言葉も踏まえた上で返答してくれまいか…。

項垂れたくなるのを押さえ、ロベルトは再び口を開く。

が…


「やだなぁロベルト。そんなに気にしなくていいのに。ただ、まだ着てないシャツだったから、悪いかな〜って思っただけだよ。嫌だなんて全然思ってないし、普通に嬉しいからさ!」
「…………」

そんな事を言いたかったんじゃないよ…。

もう何と言ったら良いのかわからず、ロベルトは力なく寝台の上に倒れる。
が肝心な時にボケるのは分っていたが、実際にやられると本当に効く。

これぐらいで諦めるつもりは無いが、ちょっとだけアーサーが鈍足になるのが分かった気がした。


「アーサーは…凄いね」
「え?いきなりどうしたの?」

「本当…凄いよ、アーサーは」
「うん、確かに…アーサーは凄いよねえ…」

「僕も、本気で頑張らなきゃダメかな…」
「何が?」

「………」
「……ロベルト?」

『何でもない』と呟きながら、ロベルトは目を閉じる。
会話する相手が無くなったは、暫くロベルトの顔を見たり、部屋の中を見回し始めた。
だが、それに飽きてしまいうと、彼女は少し考えて、汗を流してこようと立ち上がる。


「まだ…」
「え?」


振り向くと同時に、掌を包まれる。
驚く彼女の視線の先には、少しだけ寂しそうな目をしたロベルトがいた。


「もう少し…此処にいて」


言いながら、絡められていく指が、熱くなった気がした。
手放そうと思わない自分を不思議に思いながら、は彼に手を引かれるまま、大人しく腰を下ろす。

冷え始めたからに、温かく握られた手から、彼の温もりが伝わってくるようだった。
どうしてこうなっているのか。
そう考える傍らで、嬉しそうに微笑んだ彼に、頬が急に熱くなる。


「っ…」


慌てて顔を逸らし、は間向かいにあるアーサーの寝台を見つめた。
彼の存在を思い出させてくれるそれが、自分を冷静にさせてくれる気がする。
なのに、強く握りしめるロベルトの手が、覚束無い足元を掬い上げていくように思える。

この手がアーサーのものだったら…。

そんな事を一瞬考えた自分が、何故かどうしようもなく情けなく思える。
どうしてだろう。ロベルトの手を意識するほど、無性にアーサーに会いたいと思った。







「おかえり、アーサー」
「お、お邪魔してます…」
「…………」

自室の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた奇妙な光景に、アーサーは僅かに固まる。
アーサーのベッドに腰掛けているアレンと、ロベルトのベッドに座っている。そして、彼女の後ろで寝息を立てているロベルト。

珍しい組み合わせに、暢気でいられたのは一瞬。
彼の視線は、しっかり繋がれているとロベルトの手に止った。


「あ、あのね、これ、解けないの。ロベルトが、そのまま寝ちゃって…」
「別に聞………仕方ないだろ」

聞いてない。と言いそうになり、アーサーは内心焦りながら誤魔化す。
一瞬表情を曇らせたに胸が痛んだが、今弁解しようとしても上手く出来る自信は無かった。

何をしていたのだと聞きたいのに、それを口にするのは情けない気がする。
彼女が誰と何をしようと、自分には怒る権利など無い。
そう言い聞かせても靄つく心に、アーサーは大きく溜息をついて視線を逸らした。


「アレンは、何でここに?」
「…アーサーに会いに来たんだけど、いなかったから待ってたんだ」

「そうか」
「そしたらが、ロベルトの手が解けないって言うから手伝ったんだけどね…」

「……」
「狸寝入りかと思っても、ロベルト熟睡してるし。仕方ないから、ずっと話してたんだ」

「ロベルトを起せば済む話だろ」
「そうだけどさ…」


ってか…外れないわけないだろ。

本当にアレンの力でも離れないなら、の手はとっくに骨折している。
端から嘘だと決め付けたくは無いが、不自然すぎる良い訳に、アーサーは眉を潜めた。

何なんだとロベルトを見るが、彼は気持ち良さそうに寝息を立てるだけ。
は少し困ったような顔をしているが、別段気にしている様子は無かった。


「………………」
「アーサー、これ、外せない?」


繋がれた手を上げて見せるに、アーサーは何ともいえない気持ちになる。
助けを求められているのは分かるのだが、どうにも手を繋いでいる事を強調されているように見えて仕方が無い。

あからさまに嫉妬を見せたくはないが、今二人の傍に行けばロベルトを文字通り叩き起こしてしまいそうだ。
もし本当にそれをやってしまったら、どう弁明すればいいのか。

「………」
「アーサー?」

「…アレンが無理だったんだ。無理に外したら、どっちかが怪我するだろ」
「…あ…、そう…だね…」


優しく言うつもりだったのに、感情を押さえ込んだせいで、出てきた声はかなり低かった。
即行で自己嫌悪するが、既に後の祭り。

素っ気無い態度に、は無理矢理笑顔を作り、寂しそうに視線を落とた。


誤解されたくないけど、少しぐらい何があったか聞いてほしい。
聞かなくても、ちょっとだけでいいから気にかけてほしい。
それすらしないぐらい、どうでも良と思ってるなら、せめて冷たくしないでほしい。


アーサーが言った通り、ロベルトを起せば、手は離してもらえた。
それをしなかったのは、眠っていても離そうとしない彼の手が、何処か必死なように思えたから。
けれど、それはただの想像でしかない。それを分っていても、手放せなかったのだ。

ロベルトと手を繋ぎながら、ずっとアーサーの事ばかり考えていた。
でも、今更そんな事を言ったって、取って付けた誤魔化しにしかならない。

ふと視線を上げれば、心配そうな顔をするアレンと目が合う。
慌てて大丈夫だと笑おうとしただったが、上手に笑えていないのが自分でも分かった。

その姿は、アレンの傍にいたアーサーにも当然見えていた。
前髪で隠れたの顔は見えないが、どんな表情でいるかは想像がつく。
けれど、フォローしようと焦るほど、言葉が頭から飛んでいく。
横からくるアレンの視線に、どうしようもなくなったアーサーは、痛くなってきた頭を押さえた。


「…ん…」

その時、それまで寝息を立てていたロベルトが、小さく身じろぎした。
ゆっくりと目を開けた彼は、ぼんやりとした顔で、傍にいたの顔を見る。


「………?」


寝惚けているのか、ボーっとしている彼は、周りをゆっくり見回した。
睨むような目をするアーサーと、彼のベッドに腰掛けるアレンの姿を確認すると、ロベルトはのそりと身を起す。


「おはよう、ロベルト」
「………うん…」

「寝惚けてる?」
「ううん、大丈夫だよ、。…おはよう」

少しトローンとした目でを見た彼は、幼い子供のようにニッコリ笑う。
ゆらゆらと視線を彷徨わせる彼に、は笑いを堪えながら、繋いだままの手を見た。


「ロベルト、あの…、そろそろ、離してほしいなー…」
「え?」


言われて漸く気づいたロベルトは、繋いだままの手を見る。
見つめる事数秒。眠る前の事を思い出した彼は、照れ笑いと同時に彼女の手を離した。


「ごめん、すっかり寝ちゃってたね」
「ううん。ロベルト疲れてるの知ってたし、無理言って付き合ってもらったのは私だから、気にしないで」

「ありがとう。でも、ずっといてくれるとは思わなかった」
「だ、だって、離そうにもロベルトガッチリ掴んでて、離してくれないんだもん」

「え?そうなの?」
「うん。アレンにも手伝ってもらったけど、ダメだったの。ロベルトは熟睡してて起きてくれないしさ」

「そっか、ごめんね。でも、何か凄くよく眠れたよ」
「あ、気にしないで。ちゃんと休めたんなら、それでいいから」


仲良く会話する二人に、アレンはちらりとアーサーを見る。
邪魔するでもなく、黙って見つめる彼の表情は、いつの間にか無表情になっていた。
傍から見ればいつも通りのアーサーなのだが、付き合いが長いアレンには、彼が相当苛立っている事がわかる。


嫌なら邪魔するとか、何か言うとかすればいいのに…。
なるほどね。ロベルトって、いっつもこんな気持ちだったんだ…。


あえて悪役を買って出たロベルトの心意気に、アレンは胸が少しだけ温かくなった。
とはいえ、そこで手放しに感動してみせるほど、アレンは馬鹿でも直情でもない。
同じ空間に傍にアーサーがいるのだから、今の状況は何もしなくても結構危険だ。

ロベルトを応援してやりたい気持ちはある。
だが、修羅場になる前にトンズラしたいのが、アレンの本音だった。
なにせ、これはアーサーと、そしてロベルトの問題だ。アレンはあんまり関係ない。

それにしても、微妙なタイミングで起きてくれたものだと、アレンはロベルトを見る。
寝惚けていた彼も、今は完全に目が覚めたようで、の顔を見ながらアーサーの様子を伺っていた。

「ロベルト」
「何、アーサー?」


普段通りの声色だが、ピリピリした雰囲気で見合う二人に、アレンは密かに驚く。
まさか今もめるのかと目をキョロキョロさせていると、同じように視線を泳がせていると目が合った。
『どうなってるの』と目で訴えてくる彼女に、アレンは自分が止めるしかないと腰を上げる。
だが、アレンが口を開くより先に、アーサーはロベルト達に背を向けた。


「晩飯もう出来てる。早く行かないと、無くなるぞ」
「もうそんな時間なのかい?ありがとう、じゃぁ行こうか、
「え?…あ…私は…」


立ち上がったロベルトに手を引かれ、は戸惑いながらアーサーを見る。
だが、背を向けたままの彼は、ちらりと目をやったものの、何も言わず視線を反らした。


「早く行こう。昼間かなり運動したから、お腹すいてるよね?」
「う…うん…。あ、アレンも行こう?ずっと此処にいたし…」
「アレンは残れ」
「え…?…わ、わかったよ…」


はロベルトと二人きりになるのを、避けようと思ったのだろう。
呼ばれたアレンは、これに便乗して逃げようと思っていたが、アーサーに止められておずおずと腰を下ろした。
まさか彼が、自分からとロベルトを二人きりにさせるとは…。

元々アーサーに用があって来たのだから、アレンが残されても不自然ではない。
しかし、状況が状況だけに、アレンは凄く嫌な予感がしていた。


…何で僕が……。


アーサーの事だから、自分に八つ当たりなどしないとは分っている。
だが、彼が感情を抑えて話すのは、今も昔も結構恐いのだ。
まるで自分が事の元凶のようじゃないかと、アレンは恨めしげな目でロベルトを睨んだ。

「じゃあ、僕らは行くね。アレンの分は、残しておくように言っておくから」
「あの、アーサー!アーサーの分、残しておいてもらう?」
「…俺は食わないからいい」
「僕も、今日はいらない…」


少し申し訳なさそうな目をするロベルトに、アレンは小さく溜息をつく。
またも素っ気無く答えたアーサーに、は少し元気をなくしたが、すぐにロベルトが連れて行ってしまった。


閉じた扉を遠い目で眺めながら、アレンは横から聞こえた大きな溜息にゆっくりと振り向く。
見れば、アーサーは眉間に皺を寄せて、ロベルトのベッドを睨んでいた。


「アレン」
「何?」

「俺に用って、何だ?」
「アーサーのお父さんが、明日の昼の見回り代わってって。晩御飯用の魚釣りに行くんだってさ」

「あの親父…。わかった」


交代の理由に呆れた顔をしたアーサーは、髪をかき上げてボロボロの棚を漁り始める。
普段の雰囲気に戻った彼に、アレンは密かに安堵した。


「見回り、カーフェイと一緒だってさ」
「カーフェイ?ガイとコレルに行ってるんじゃなかったのか?」

「今日の昼に帰ってきたんだ。今、部屋で寝てるらしいよ」
「怪我でもしたのか?」

「ううん。疲れてるだけだって」
「そっか。ならいい」

友の無事に少し頬を緩めながら、アーサーは折り畳まれたシーツを出す。
グシャグシャになっているロベルトのベッドに行くと、彼は皺だらけのシーツを剥がした。

ほんの数分前まで睨み合っていた相手のベッドを、アーサーは嫌な顔一つせず整えていく。
普通は放っておくだろうに、何でも割り切って考える彼だから、つい納得してしまう。
汗の匂いがついたシーツを洗濯籠に入れると、彼はアレンの隣に腰を下ろした。


「アーサー、いっつもロベルトのベッド直してるの?」
「ロベルトもやってくれるからな。ジョヴァンニはやらないのか?」

「大体、二人で一緒にやってるから」
「そうか」


アーサーが面倒見が良いのは知っていたが、此処に来てもまだそうだとは、アレンは知らなかった。
ロベルトと仲が良いのは知っているが、何だか自分だけの兄を取られたようで、少し面白くない。


「アーサーと一緒の部屋になるんだった…」
「お前、即行でジョヴァンニと相部屋選んだろ」

「じゃあ、ジョヴァンニがいない時、泊まりに来ていい?」
「ロベルトがいない時ならな」


流石に、170cmを越えてしまったアレンとは、同じベッドで寝れない。
今の彼と、窮屈な思いをして同じ布団に入る様子を想像し、アーサーは苦笑いを零した。

久しぶりに甘えてきたアレンに、自分から離れようとしなかった小さな女装少年が懐かしくなる。
同時に、互いの父親が仕組んだ盛大な悪戯と、失ってしまった初恋に、微妙な気分になった。
一度思い出すと、あの頃は幸せだった…今となってはあまり思い出したくない記憶が次々蘇ってくる。

つい思い出話をしたくなったが、昔の記憶が一部欠落しているアレンに、アーサーは話すのをやめた。
面白くはあるが、彼の性格を考えると、忘れていた方が良いのかもしれない。
特に、ファーストキスがお互いだという事や、結婚の約束をしてしまった事は。

思い出の切なさと、親父への恨みを噛み締めながら、アーサーは気を取り直す。
目の前にあるロベルトの寝台には、もうがいた形跡が無い。

一昨日代えたばかりのシーツについた汗の匂い。
如何わしい事は無いにしろ、一体何をしていたのだろうと思いながら、アーサーはアレンを見た。


「アレン」
「何?」

「ロベルトの手、外せただろ」
「…………」


不意打ちで出された言葉に、アレンの表情が固まる。
やはり…と思うアーサーに、アレンは少し目を伏せ、二人がいたベッドに目をやった。


「何でだ?」
「…さあ」

「とぼけるな」
「僕は、知らないよ…何も」

「………」
「僕は、アーサーに会いに、此処に来ただけだから」

「それは理由になってない」
「…………」

口を閉ざすアレンに、アーサーはもう一度彼の名を呼ぶ。
小さく息をついたアレンは、スッと立ち上がると、真っ直ぐ見つめるアーサーと視線を合わせた。


「アーサーが…しっかりしないからだよ」
「……それが、何でロベルトの手を外さない理由になる?俺を…焦らせたいとでも思ったのか?」

「…違う」
「じゃあ何だ?」


何で僕が…。

影で小細工されるのが大嫌いなアーサーだ。平静で言葉をかけているが、内心は相当怒っているに違いない。
ロベルトと約束したとはいえ、どうして早々にこんな貧乏くじをひかなければならないのか。
多少予想していたとはいえ、納得しきれない部分もある。
心の中でロベルトへの恨み言を言いながら、アレンは溜息をついてアーサーから顔を背けた。


「この方が、のため…だからだよ」
「………」


言葉の意味が理解できず、アーサーは呆然とアレンを見つめる。
何がどうしての為になるのか。
分るはずなのに、混乱する思考が答えを出してくれない。


「じゃあね」
「アレン、待て!」


踵を反し、部屋を出ようとするアレンに、アーサーは慌てて立ち上がる。
だが、引き止める彼に対し、アレンはこれ以上いう事は無いと言って部屋を出て行った。

音を立てて閉じた扉を前に、アーサーは暫くそのまま立ち尽くす。
アレンの言葉を反芻し、漸く結び付いた答えに、彼は力なくベッドに腰を下ろした。
同時に、何故他人に無頓着なアレンが、そんな事を言うのかという疑問も浮かぶ。


「…どういう事だ…」


呟きに答えてくれる者はいない。
疑念に思考を呑まれながら、彼は焦燥を押し留めるように拳を握り締めた。




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