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食後、入れなおした珈琲を見つめながら考え込んでしまったセフィロスに、はどうするべきか悩みながら一人で片づけを済ませる。 洗っていたシーツの事を思い出し、慌てて取りに向かうと、2階へ干しに行こうとしたところでセフィロスも後をついてきた。 2階を見てみたいという彼に、好きに見てくるよう言うと、彼は部屋の扉を開けるより先に景色が見える窓へ向かう。 廊下の突き当たりにある窓から見えた北の大空洞に、此処がどこか理解したらしい彼は、その後も色々な部屋の窓から外の景色を眺めていた。 Illusion sand ある未来の物語 89 暫く景色を見て落ち着いた彼は、が1階へ戻ると暫くしてから降りてきた。 板で塞がれた1階の窓を見やり、後で外に連れて行ってあげようと考えたは、冷めた珈琲のカップを手に向かいのソファに腰を下ろしたセフィロスを見る。 「確かに、ここはアイシクルエリアのようだな。……お前が言う、蘇りも、何十年と経っているという話も受け入れきれないが、俺が忘れている時間があることは納得した」 「多少でも理解をしていただけたようで、安心しました。ですが、どうか無理はなさらず。すぐに全てを受け入れるのは、いくら私の話だとしても、難しいでしょう?」 「……そうだな」 「昔の写真や映像は、2階の部屋にある貴方の昔のパソコンで見られるようです。気になるのであれば、後で見てきてください」 間違いなく自分との筆跡で書かれた料理のノートを見た事が駄目押しとなり、セフィロスはようやく目の前にいるへの疑いを消した。 朝起きた時は混乱して気づかなかったが、昨日一緒にいたと今日目の前にいるは、頬の輪郭も体の線も違っている。 昨日までの彼女は迂闊に触れたら折れそうなほど細い腕や肩をしていたが、今の彼女は必用な筋肉と脂肪をしっかりとつけた戦う人間の体だ。 胸の大きさだって全く違う。 彼女の剣の重さに対して、今の筋肉量は少々心もとない気がするが、正直、今のの体型くらいが一番セフィロスの好みだった。 体型の違いが、偽物疑惑の一番の原因だったのだが、髪の乾燥や回復魔法を重ねられては、もはや疑う余地などない。 何処か雑さが見えるようになった彼女の態度や、距離の近さにはまだ慣れないが、10年近く一緒にいると言われれば多少は理解できた。 疑問や疑惑は尽きず、気を抜けばいつまでも頭を抱えてため息をつきそうな心境だが、一先ずという安心要素を確保しなければ心が持たないことは分かる。 諦観だろうか、と脳裏で呟きながら、違ったなら後で正せば良いだけだと結論を出すと、セフィロスはようやく今日初めて珈琲に口をつけた。 「写真は、後で確認する。俺が記憶を失っている事も理解しよう」 「ありがとうございます」 「、何故俺が記憶を失う事になったか、心当たりはあるか?」 「確信はありませんが、それでもよろしければ」 「構わん。今は情報がほしい」 「わかりました」 いつもは隣か膝の上に座るか、膝の上に頭を乗せられているせいか、机を挟んだ程度の距離を少し遠く感じながら、は自分の命日前に起きるのセフィロスの不調について教える。 昨日は朝から、時折セフィロスの魔力が乱れており、就寝後に一度激しく魔力が乱れた事と、今朝から今までも、時折魔力に乱れがある事。 記憶が無くなったのは、それが原因の可能性だとは考えており、もしそうであれば、命日が過ぎれば魔力の乱れも収まり記憶も戻ると考えている事。 これまでセフィロスの記憶が無くなるような事は無かったが、別人のように感情的になったり、情緒が不安定になったりする事はあったので、正直慣れていると言うと、セフィロスはここで初めて申し訳なさそうな顔になった。 「俺は……お前にそんなに迷惑をかけていたのか」 「迷惑だと思った事はありませんよ。いつもの貴方は、とても頼りになりますし、私の方が甘やかされていますからね。今の時期は、年に一度だけ貴方が何も考えず私に甘えてくださっているのだと思っているんです。ですから、セフィロス、どうか気に病まないで、貴方が思うままになさってください」 「……ありがたいが、甘やかしすぎだ」 「その言葉、貴方は毎年言っていますよ」 口元を抑えてクスクス笑いながら言うに、セフィロスは恥ずかしさを大きなため息で誤魔化し、同時に、その懐の広さが昨日までの彼女と同じで安堵する。 任せるとか、好きにしていいとか、本音とはいえ無防備に口にしているところも同じで、朝にあの状態だったのはそのせいなのだろうと想像できた。 昨日までの初心で無垢な相手であれば、悩んだ挙げ句我慢していたが、一緒になって10年も経っているなら、これ幸いにと自分は一切妥協しないかもしれない。 いや、しかし思い返すと、あの噛み跡の数は明らかにやりすぎだ。 正直なところ、の肌に口付けたいと思った事は何度もあるし、それが叶うなら吸い付くよりも歯を立てたいと思っている自分がいるが、あそこまでではない。 普通は途中で痛がって拒否されるか、跡をつける側が気になって止めるだろう。 そう考えると、昨夜寝室で起きたらしい事も、今回の異常の一つではないかと思えてくる。 昼間から魔力が乱れていたというなら、その可能性はあるだろう。 「、その……今朝お前の体にあった、歯の跡は……」 「……ああ、あれは、昨夜は多めでしたが、いつもの事ですから、気にしなくて大丈夫ですよ」 「は!?」 「え?」 「……いつも?……いつもだと!?待て、、お前は本当に同意して俺に抱かれているのか!?」 「当たり前じゃないですか。でなければ今頃貴方は故人ですよ?」 「それは……そうだが……」 「セフィロス、大丈夫ですか?何をそんなに驚いているんです?」 「驚かずにいられるか!お前……、お前……お前は……」 「とりあえず、少し落ち着いてください。ほら、珈琲を飲んで」 無体をしたのではと、少し心配して問うたセフィロスは、穏やかな笑みで想像の天井をブチ抜いてきたによって冷静さを粉砕された。 信じられない気持ちで問いただすも、当たり前の事を問われたかのように不思議そうな顔を返されて、背中におかしな汗が噴き出してくる。 差し出された珈琲を反射気に受け取って一気に飲み干したものの、突如浮上したの変態説に思考も理性もついていかない。 自分は何かとんでもない思い違いをしていて、会話が噛み合ていないだけなのではと考えてみたが、何と言って確認するべきか上手く脳内で言葉がつかめなかった。 「もう随分昔ですが、貴方が魔力に異常をきたして、生存本能が強くなり子孫を残そうという本能が強くなったことがあるんです。3〜4年前は、魔物討伐の仕事が忙しくて何日も顔を合わせられない日が続いた年で、禁欲せざるを得なくて、この時期にそのツケが回ってきましてね、少し大変でした。その二つの時期に比べれば、昨夜はたまにある日と変わりませんから、大丈夫……あれ?セフィロス、顔色が悪いですよ?」 返答で予想の天井を破壊したかと思えば、フォローのつもりで驚愕の底を踏み抜いてくるに、セフィロスは段々と気が遠くなってきた。 彼女が言う事の内容を理解しつつも、許容限界を超えた情報は思考として留まることなく、そのまま耳から抜けていく。 好きなだけ甘えて良いと言いながら、甘えられない状況を作って追いつめられているのだろうかと疑いたくなったが、こちらを見つめるに偽りは見えない。 即ち、彼女は自分にとって普通となった事実をそのまま言っているだけであり、それを普通にさせたのは一緒にいる自分だという事だ。 顔色ぐらい悪くなる。 「俺は……どうしてお前に捨てられていないんだ……?」 「逆ならわかりますが、何故私が貴方を捨てる心配を……?」 「…………」 「はい」 「……相手の体に噛み跡をつけるのは、普通じゃない」 「…………あ、はい。流石にもう、知ってます」 「…………知っ……」 「あの……驚かれるかもしれませんが、双方合意の上ですから、噛む事は、気に病まなくても大丈夫ですよ?」 「………………」 「驚かれましたよね。でも……色々ありましたから、何があっても、恐がらなくて大丈夫ですからね」 今まさにこの状況と会話内容が恐いとは言えず、セフィロスは空になったカップの底を見つめながら口を閉ざすしかない。 完全に機能を放棄した思考に、もうこの話題はやめるべきという事だけ理解し、縋るように次の話題を探し出す。 「、俺以外のソルジャー達がどうなったか、わかるか?」 「え?ええ、まぁ……ザックスと貴方の御友人くらいしか分かりませんが……」 「教えてくれ」 「ザックスは、貴方が亡くなった時に重傷を負って、5年ほどしてから亡くなりましたよ」 「……俺が魔晄炉に落ちただけではなかったのか?」 「ええ。それと、同僚だった黒髪のソルジャーの方は、それより少し前に亡くなりました。茶色い髪で赤いコートの方は、任務中に行方を眩ませて……その後かなり揉め事を起こした後、消息不明だったかと」 「ジェネシス……。……そうか、皆、死んだのか」 「……ザックスと、黒髪の同僚の方は、ライフストリームの中でも、たまに貴方の様子を見に来ていらっしゃいましたよ。貴方は、臍を曲げて無視していたようですが……」 「臍……」 「ええ。黒髪の方なんて、何度も貴方に話しかけていたんですから。なのに貴方は、返事もしないで誰も来られないような奥の隅へ引っ込んでしまって……」 「…………」 「あちらも怒ってはいませんでしたが、もし会う事があったら、ちゃんとお話しなさった方が良いですよ?」 話題を変えたはずなのに、結局聞きたくない話になってしまってセフィロスは目と口をきつく閉じる。 記憶が欠落している状態で呑気と言われるかもしれないが、胸も頭も痛すぎて、もっと平穏で楽しい話が聞きたいと願ってしまった。 静かに立ち上がったをじろりと見つめていると、彼女は台所で別のお茶を入れている。 確かに、ちょっと珈琲の気分ではなくなったと思いながらゆっくり回るシーリングファンを見上げて待っていると、お茶の準備を終えたはリビングではなくダイニングへと足を向けていた。 テーブルの上にトレーを置いた彼女は、壁にあるドアを開けると、外に向かってエアロを放つ。 扉の間から落ち葉が舞っているのが見えて、その明るさにセフィロスは自然とソファから立ち上がった。 「少し外の空気を吸いましょう。ウッドデッキを綺麗にしましたから、そこのお盆を持ってきてください」 否応なしに閉塞感に苛まれる室内でこれ以上話すのは良くないと思ったのだろう。 柔らかな声色で呼ぶに、セフィロスは小さく頷くと、言われるままテーブルの上のトレーを手に外へ出た。 秋の空は遠く薄い雲を纏うが見渡す限り青く雨の気配はない。 眼前には収穫を終えて土だけになった広い畑と、その向こうで家を囲い込むように広がる森、それを覆う山々があった。 森の上を滑る風は木々がない家の周りへ来ると地面に降り、その冷たさで容赦なく肌を撫でていく。 山々の頂にある冬の先駆けと遊んできたのか、過ぎ去っていった風には確かに雪の匂いがした。 「セフィロス、庭用のテーブルは物置の奥にあるので、このまま腰を下ろしましょう」 「……ああ。今行く」 の声にゆるりと意識を眼前に戻した彼は、静かに頷くと彼女の隣へと腰を下ろす。 2人の間に置いたトレーにはウータイの緑茶と、黒い蓋がされた容器、それと2膳の箸があった。 「、この中身はなんだ?」 「お茶請けの漬物です。貴方が漬けた糠漬けと、私が作った沢庵を入れました」 「……漬物……」 「お茶、少し熱いので、気を付けてくださいね」 時が経っても体や味覚は若いはずだが、趣向はかわるという事か。 昨日までお茶の時間は焼き菓子やチョコレートが定番だったセフィロスは、身に覚えのない手作り漬物を前に一瞬固まった。 これでお茶請けになるのだろうかと内心首を傾げたが、蓋を開けると同時に箸を伸ばしたにつられ、恐る恐る自作らしい糠漬けに箸を伸ばす。 「……少し、塩気が強いな」 「そこは、人参の端の部分ですからね。お茶を飲むと、丁度良くなりますよ」 そういうものか……と思いながら、セフィロスは渋いお茶を口にすると、今度はの沢庵に箸を伸ばす。 こちらは逆に塩気が少ないが、パリパリとした食感が丁度良かった。 「セフィロス、この蕪、美味しいです」 「どれだ?」 右手に湯のみを持ったまま、セフィロスはが言った蕪の糠漬けに箸をのばす。 口にすれば、なるほど、確かにさっき食べた人参と沢庵の丁度間の塩気で、程よい香りも癖になる。 全て目の前の畑で取れた野菜だと言われて、感心するのも束の間。 口の中が空になってお茶を飲み込めば、自然と箸が次の漬物に伸びていく。 定番の胡瓜にうんうんと頷き、隅にひっそりとある南瓜に驚きながら初めての味にまた頷く。 青空の下、ひたすらポリポリと漬物を食べていたセフィロスは、がお茶のお代わりを持ってきたところで、ようやく我に返った。 漬物を食べるためだけに外へ出たような時間を過ごしてしまったが、は脳がパンクしそうになっていたセフィロスを落ち着かせるために連れ出したのだろう。 確かにさきほどよりずっと落ち着きはしたが、かなり不思議な落ち着かせられ方をした気がする。 セフィロスが箸を置くと、は漬物の容器に蓋をして、ゆっくりとお茶を飲む。 彼女から溢れるのんびりとした空気に、セフィロスの方からは自然と力が抜け、もう少しこうして休憩しても良いかとも思い始めた。 の向こうに見える、遠くの空に浮かんだ青い大岩を見るまでは。 「、あれはなんだ?!」 「どれですか?」 「あの空に浮かんでいる青い岩だ」 「ああ、あれですか。あれは、ミッドガルに向かって落ちてるメテオですよ。……そうか、その説明を忘れていたな……」 あれをどうやったら忘れるのかと視線で問うセフィロスに、は少し恥ずかしそうに笑うと、自分が知る今の星と人類の状況を説明する。 色々と大丈夫なのかと問う彼に、人類の問題は人類で解決させるべきで、自分たちの出番は彼らが完全に敗北してからだと応えると、彼はますます困惑した顔になった。 確かに、彼が認識している昔の自分なら、今の生活を守るためにと、人ならざる存在と知られる可能性があっても立ち向かおうとしただろう。 だが、今と昔では状況も立場も違うし、ここで手を貸してはわざわざ危機を起こした星の狙いを潰すことになり、何度も同じ事が繰り返される。 だからこうして僻地でのんびりと暮らし、そして今は友人の手伝いでミディールに行っているのだと説明すると、セフィロスは腑に落ちない顔をしながら納得してくれた。 「ルーファウスは友人ですし、とてもお世話になっていますから、助けます。けれどそれ以外は……己で己を救える者に、手出しは無用かと」 「結果、星が困ることになっても……か?」 「それこそ自業自得ですね。私達が手を貸してやる義理は、もうありません」 「…………そうか」 人として生きる事を望み、それが叶うこの世界を好いていたはずの彼女が、どちらにも一線を引くどころか大きな壁を作っている事に、セフィロスは少なからずショックを受ける。 今自分が忘れている長い時間の中で、彼女がそれだけ多くを捨てなければならなかったのだと理解して、彼女が語らない過去があるのだと勘づいた。 は数日で治るだろうと言っているが、もし、このまま記憶が戻らなかったら、その時彼女は隠した過去を教えてくれるのだろうか。 「お前は……随分沢山捨てたんだな……」 「時は待ってはくれません。生きていると……いえ、死んでいても、否応なく諦めなければならない事は、意外と多いのですよ」 「……だが、諦める癖をつけると、大切なものまで気づかず失う……か」 「……ええ、そうですね。その通りです」 長い時が経ったと言っても、目の奥にある諦観が消えないのはそのせいか、と、セフィロスは密かにため息をつく。 目が合うとこそばゆくなるほど情が露わな瞳で見つめてくれるのに、いつか失う何かとして見られている心地が変わらない理由にようやく気が付いて、同時に脳裏でパズルのピースがはまるような感覚がした。 「お前は、いつか俺の事も諦めるのか?」 「…………ん?」 「もし俺が、お前から離れようとしたら……お前は悩んだ挙げ句、俺のためにと手を離すような気がする」 「やめてくださいな。冗談でも死んでしまいます。…………冗談…………冗談でも…………許せぬものがあるぞ」 不思議そうな顔から一転、この世の終わりのような顔で声を震わせてそう漏らしたに、セフィロスは驚いて目を丸くする。 驚愕、絶望、悲しみ、焦り、怒り、恋情。 様々な感情を映しながらその奥に僅かな濁りが見え隠れする彼女の瞳に、セフィロスは呆けたように捕らわれ、気づけば震える彼女の手に腕……かと思いきや襟首を掴まれた。 あれ?と思っている間にの片手が二人の間にあった茶器を避け、彼女からふわりと魔力の風が吹いたかと思った刹那、ウッドデッキの上にそっと押し倒される。 抜けるような青空が綺麗で、馬乗りになって見下ろしてくるも綺麗で、一瞬今何をしていたんだろうと現実逃避したが、強風のように辺りに吹き荒れる彼女の魔力がセフィロスを呆けさせてくれない。 「私が、その程度の覚悟で貴方を蘇らせたと思うか?安易な考えで事を起こすとでも?記憶の有無など関係ない。侮り侮辱するなら受けて立ってやろう!」 「ま、待て」 「断る!誰が簡単に手放すつもりで死者を蘇らせたりなどするか!憎まれる事を覚悟しながら己が忌み疎んじた人ならざる者として呼び戻すか!それを知りながら、よく手放すやもなどと言えたな!?」 「俺が悪……」 「私が人である事にどれほど執着していたか知っているだろう?それを捨てて貴方と生きることを選んだ覚悟を、何故軽んじる?欲のために捨てたなら、手放すのも容易かろうとでも思ったか?!舐め腐るなよ!私は、貴方と生きるためでなければ、化け物である事を喜んで受け入れたりはしない!離れる事は許さん!誰が手放してなどやるものか!分からないと言うのなら、二度とそのような考えをしないよう示さねばならんぞ!」 「…………」 魔力の炎を轟々と滾らせ、魔王もかくやというほど怒り狂っているに、セフィロスはなすすべなく頷くしかなかった。 召喚獣に『人間じゃない』とか『元の世界に帰れ』とか言われた時の怒りなど比ではない。 今にも剣を抜くか決闘でも申し込んできそうだった。 が、何でも許してくれるような、穏やかな空気でいてくれたので、セフィロスは彼女にも逆鱗と言うものがあることを失念していた。 謝って簡単に許される雰囲気ではないが、可能な限り早く頭を下げなければマズイ事になるのはわかる。 彼女が怒りを露わにする間、脳裏には次々とパズルがはまる感覚がして、同時に忘れていただろう記憶が溢れるように蘇ってくる。 良かった、彼女は自分を手放さないでいてくれる。 数日前の記憶が蘇り、脳裏でそう安堵するが、今はそれどころじゃない。 昨夜の乱れた姿も良いが、今の怒りに燃えるも良い。 昨日の記憶が蘇り、初めて見る彼女の顔を堪能したくなるが、それより昨日の記憶の方が気になる。いや、今はそれどころじゃない。でも気になる。いや、しかし……。 「セフィロス、聞いているのか?」 「悪かった。聞いている。今、記憶が戻って、少し混乱している」 「ほう……」 「嘘じゃない。、昨日食べたものも言える」 「だからどうした?」 「……俺が悪かった。お前が俺を大事にしているのは理解しているが、大事にしすぎて、お前が自分を蔑ろにする気がしていた。それが……それで、いつか俺のために、と俺を手放すかもしれない。そう考えて、俺はそれが恐かった」 「馬鹿なのか?」 「そうだ。本当に悪かった。お前の覚悟ももう分かった。もう二度と言わないし、考えない。だから……魔力を抑えろ。息が苦しい」 謝っても怒りが収まる様子がないに、セフィロスは全身に冷や汗をかきながら襟首を掴む彼女の手に触れる。 抑えることをやめた彼女の魔力は濃密な膜のように全身に覆いかぶさり、喉笛と心臓を同時に掴みあげられているような感覚がした。 襟首を掴んでいた彼女の手が緩み、代わりに彼の手をそっと握る。 許されたかと思い、しかし変わる様子がない彼女の魔力は徐々にセフィロスの体から自由を奪っていった。 上手く力が入らない腕を持ち上げられ、ともすれば閉じそうな瞼に力を開けて見つめれば、彼女は彼の小指にそっと唇を寄せる。 微かに温もりを感じるだけの口付けは、唇の柔らかさを感じる事もできず、セフィロスは苦しさの中にいながら物足りなさを感じた。 「……」 ライらが何をしようとしているのか、少しだけ恐くなりながらも、変わることない魔力の圧にセフィロスは彼女を呼ぶ。 けれど、ちらりと向けられた彼女の目は冷ややかで、その瞳には未だ収まらない怒りが見えた。 どんな仕返しをするつもりか。少しだけ恐れを抱きながら見つめ合っていると、やがて彼女は表情を変えないまま薄く口を開き、赤い舌で彼の小指を這う。 湿った舌の感触と暖かさに彼が驚いている間に、彼女は2度、3度と彼の小指を舌でなぞり、そしてがぶりと歯を立てた。 「痛っ!?」 自分が彼女の肌に跡をつける時よりも強く、思いっきり噛みつかれたセフィロスは、油断と驚きで悲鳴を上げる。 けれど、それを見下ろすの表情は変わらず、彼の指にできた赤い跡を確認すると、もう一度歯を立てて跡を濃くした。 「、何を……」 「跡が消える頃に帰る」 「は?」 「暫く留守にする。今年は一人で何とかしろ」 「待……っ!?」 待て、と言い終える前に、の体は一瞬で砂になって崩れ落ち、魔力の突風に運ばれて空へと飛び去ってしまう。 いつもはセフィロスに配慮し、彼女が身を砂に変える様子は決して見せなかった。 その配慮を投げ捨てるくらいに怒っていたのだと理解しながら、しかしそのせいで数十年ぶりに彼女の最期を鮮明に思い出してしまったセフィロスは、真っ青な顔で彼女が去った空を見つめる。 しっかりと『帰る』『留守にする』と宣言されたおかげで、叫び出す事こそ抑えられたが、体には先ほどまでとは違う汗が噴き出し、心臓は胸が痛いくらい鳴っている。 体を押さえつけていたの魔力が消えて、呼吸が楽になったはずなのに、喉に何かが引っ掛かったように息がしづらかった。 ぐらりと揺れた視界に慌てて床に片手を突き、支えを求めて探ったはずの手は、彼女が残していった衣服を無意識に掴んでいる。 帰るとはいつか、暫くとはどれくらいか。 狭まる思考の中で考えている間にも、自分の魔力が大きく乱れ、心がそれに飲まれそうだった。 このまま黙って待っているなど出来る気がしなくて、セフィロスはどうやったらを呼び戻せるか、追いかけられるのか考える。 いつもなら、はセフィロスに異変があれば本人より早く気づき、駆けつけてくれるのに、これだけ魔力を乱してもは戻ってきてくれない。 それほどの怒りだ。 きっと、命を落としそうにでもならなければ、戻ってきてくれない。 そう考えた瞬間、セフィロスは無意識にかつて星をへ落した魔法を発動しようと魔力を練り上げる。 昔使った魔法と、に教えてもらった彼女の世界の時空魔法。 思考などままならないまま、2つの魔法をくみ上げ、絡ませ、いつか落とした星より大きな力を、彼女が怒りを忘れて現れるほどの、この身を飲み込んでしまうくらいの災厄を求める。 一つの星では、きっとたりない。 より大きく、より多く。 その先など知る余裕もなく、セフィロスは天の彼方に漂う数多の星の雨を求めて空を見上げ……数十センチ上から落ちてきたの剣の柄を顔面で受け止めた。 「ぅぐっ!」 柄の飾りに鼻を押しつぶされたセフィロスは、痛みと衝撃、そして剣の重さで、その場にしりもちをつく。 同時にガランッと大きな音を立てて剣がウッドデッキに転がり、予想外の衝撃にセフィロスが練り上げていた魔力は霧散した。 「……っ……」 金属の塊を食らった衝撃は大きく、強打した鼻と柄の石が当たった額の痛みに、セフィロスの目には生理的な涙が浮かぶ。 姿は見えないが、一応こちらを気にかけてくれてはいる。 彼女が剣を預ける意味を思い出せば、怒っていてもその信頼が変わらない事も、必ず帰ってくる事も理解できる。 慰めになるか不明なそれを一応理解するが、消費した魔力の大きさと、顔面に4桁のダメージを食らったせいで、セフィロスは顔を抑えたまま暫く動けなかった。 |
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Q なぜ箸休めの小話的なはずが、思いっきり喧嘩になっているのでしょうか? A 書いてる本人もよくわかりません。 2023.10.27 |
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