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見間違いか、記憶違いか。
どちらでもなさそうだと囁く心を無視して、セフィロスは眉間に皺を寄せながらカレンダーを凝視する。
もはや祈るような心地だが、願ったところで叶いはしないと何処かで気づいている自分もいて、それでも希望を捨てて目を逸らすことが出来ない。

どうか、これ以上わけが分からない事態になってほしくない。
それもきっと、叶わぬ儚い願いだと気づいていた彼には、がリビングの扉を開ける音が、現実逃避の終わりを知らせる音のように聞こえた。



Illusion sand ある未来の物語 88




紅茶用のティーセットを持ってソファへやってきたは、不安に揺れるセフィロスの瞳に、困ったように眉を下げる。
テーブルの上にトレーを置きながら、何処に腰掛けるべきか一瞬迷ったが、その足は自然とセフィロスの傍へ向かい、彼の足元へ膝をついた。

冷めかけた珈琲と、白くなるほど握りしめられた彼の拳に視線をやると、は様子を窺いながら彼の手を両手で包む。
触れた瞬間、微かに震えた彼の手は、彼女から分け与えられる暖かさに徐々に緩み、やがて柔く握り返された。


「セフィロス、まず、体調はいかがですか?何処か苦しかったり、痛みがあったりなどは?」
「……起きた時から、腰が痛い」

「でしょうね……あ、いえ、では、回復しても良いですか?痛みがあったままでは、話に集中しきれないでしょう?」
「……ああ。頼む」


腰の痛みを訴えた瞬間、から向けられた呆れた目に、セフィロスは驚いて目を瞬かせる。
その反応に、ハッとした顔になった彼女は、気を取り直したように表情を改めると、すぐに彼へ回復魔法をかけた。
腰の不調と共に全身にあった倦怠感も消えて、セフィロスは少しだけ驚きながら軽く肩を回す。
の魔法は確かに特殊だったが、こんな芸当までできただろうかと彼は首を傾げ、しかし彼女と暮らし始めてからそこまで自分が疲れて帰ってくることは無かったので、判断ができなかった。


「楽になった。感謝する」
「お気になさらず。では、このまま話をしてもよろしいですか?」

「ああ。……、お前は、今何が起きているのか分かっているのか?」
「どうでしょうか。私に分かるのは、貴方の様子がいつもと違い、酷く混乱しているという事です。よければ、貴方が何に対して混乱しているのか、一つずつ教えていただけますか?」

「……混乱……そうだな、俺を混乱させるのは、今ある全てだ。この状況も。目に映るものも。、お前も……」
「おや……思ったより重症ですね。ですがセフィロス、大丈夫です。ここに在るものは何も、貴方を害したりはしません。私が、それを許しません。だから、大丈夫です」

ともすれば頭を抱えてしまいそうな彼に、は例年の様子を思い出しながら落ち着くよう言葉をかける。
だが、ついつい零れてしまう言葉に反応した彼は、じっとの瞳を見つめていて、その後の言葉が聞こえていないようだった。

「……やはり俺が知るお前とは違う……」
「そこも含めて、話をしましょう。そうしなければ、始まりませんから。ね?」

そりゃぁ何十年も認識されず、更に10年近く一緒に過ごしていれば、対応の仕方だって徐々に変わっていくだろう。
気を抜けば殻に閉じこもりそうなセフィロスに、はつい事務的に対応したくなるのを抑えて、柔らかな声で語りかける。
暫く彼女を見つめていたセフィロスは、やがて静かに息を吐くと、ぽつりぽつりと己を混乱させるものを口にしていった。

ここは何処なのか。
どうして起きたら2人とも裸で一緒に寝ていたのか。
を抱いた痕跡はあるのに、記憶が全くない。
左手にある指輪にも覚えがない。
何故、カレンダーが何十年も先の年になっているのか。
今目の前にいるの表情、態度、距離感、何もかもが、昨日と違う。
仕事はどうなっているのか。


「セフィロス、貴方のお話に私も少し混乱しそうですが、大体は把握できました」
……」

「……っ……セフィロス、さぞ不安だったでしょう?ですが……その顔はいけません。貴方の混乱を無視して抱きしめたくなります。顔を直してください」
「…………」


最近では滅多に見なくなった、何処か幼さが見える不安な彼の目に、はグッと歯を食いしばって手を伸ばしたくなるのを抑える。
ここで誘惑に負けては昨夜のセフィロスと同じではないかと己を叱咤し、目を閉じて深呼吸する事で心を落ち着けた彼女は、顔を上げた瞬間目に入った彼の怪訝な顔に思わず目を逸らした。

「お前は……本当になのか?」
「残念ながら間違いありません。本当にすみません」

彼の中のイメージに自分が皹を入れているのがありありと分かって、はいたたまれなさに身を小さくする。
今年は今までにないパターンだと少し呑気に構えていたはずが、今では穴があったら入りたい気分だ。
セフィロスが、どんな小さな望みでも口にする事を望み、許してくれていたおかげで、今のは昔より遥かに口が滑りやすい。
だが今は深く反省している場合ではないと気を引き締めると、はカレンダーの年がおかしいというセフィロスに直近の記憶を訪ねた。

そして告げられた数十年前の日付に、今度はが頭を抱えたくなる。
実習旅行から帰ってきた翌日と言われたが、一瞬何のことかわからずに首を傾げると、勤めていた士官学校の実習だと言われて何となく思い出したくらいだ。
ミディールの出来事ははっきりと覚えているし、何故そこへ行ったのかも覚えているが、流石に学校行事の名前までは覚えていなかった。

だが、おかげで彼が目覚めてから混乱し続けていた理由が分かって、は少しだけ安堵しながら彼の手を握ったままその隣へ腰を下ろす。
膝がわずかに触れ合う距離感も、昔の記憶の彼には近く感じるらしく、その瞳は終始疑うようにを見ていた。

多分今の彼は、一次的な記憶喪失なのだろう。
それが命日前の不調による影響か、それとも別に原因があるかは分からないが、一先ずは年1回の不調として対応する事に決めた。
もし命日が過ぎてもこのままだったら、手に余ると判断してルーファウスへ相談だ。

大まかな方針を決めると、はセフィロスに一次的な記憶の欠落の恐れを告げる。
予想通り、セフィロスはすんなり受け入れることができず、眉間に皺を寄せて不審げな目を向けてくる。

更なる説明を考え、まずはこれまでの事を話すべきだと考えたは、どこまで詳しく説明するべきか少し悩む。
だが今の彼の精神状態を考えると、一先ず自分の死因とセフィロスがニブルヘイムで起こした事件には触れない事にした。

先にが、仕事で訪れた魔晄炉で高濃度の魔晄に飲まれその日の夜に死んだ事を告げると、セフィロスは当然驚き、そして怪訝な顔で目の前のを見てくる。
次いで、数か月後にセフィロスが仕事で行った魔晄炉に落ちて亡くなったと言えば、彼はますます混乱した顔で自分の手や体を確認する。


「死んだと言っても私の場合は……やはり、普通の人間とも、この世界の命とも少々事情が違いましたが、それは今は割愛します。結果、今の私は召喚獣のような存在になり、昔より大分自由がきくようになりましたよ。貴方は……その意志の強さで、ライフストリームに帰らず貴方のまま留まっていました」
「…………」

「私は肉体を失ってからもずっと貴方の傍にいたのですが、貴方が亡くなりライフストリームの中にあっても、私の力と貴方の力が反発してしまい、貴方は私の事を認識する事はできなかったのです。ですが…………すみません、私は我慢ができなくて、貴方ともっと生きたいと……それを叶えたいと願って、悪あがきをして……今から10年ほど前に2人で蘇ったのです。」
「…………」

「納得できないというお顔ですね」
「……、お前は……俺が知るお前は、死者が蘇る事を許さない。命への冒涜だと、むしろ……」

「……嘘ではありません。ですが……ええ、貴方を蘇らせた理由はもう一つ。この先起こる星の危機で、ライフストリームにいる貴方の身は危険に晒される事になります。そのままでは、守ることが難しそうでしたから、このように、蘇る事に。勿論、貴方の同意を得た上で、ですよ?」
「……俺は、本当に……どう言って同意した?」

「私を放っておくと、何を仕出かすかわからず、起こした騒ぎで妙な輩を引き付けて狙われそうだから、目を離すと不安で気が気じゃなくなる。それを理解しながら、自分の事だけ考えてライフストリームで好きにしている事はできないと思った……と」
「ああ……それは理解できる」


散々人の説明に不審げな顔をしながら、そこだけはすんなりと納得したセフィロスに、はちょっとだけ遠い目になる。
蘇ってからはおかしな騒動は起こしていないはずだと思うのだが、それでも定期的にセフィロスが目を離せないと思うような失態を晒しているので、はっきりと否定できない。
自分だって色々しているくせに、と言い返したくなるのを堪えながら、少しだけ顔色が良くなった彼に、はこの蘇ってから昨日までの事を簡単に説明した。
結婚のくだりで指輪を確認してまた納得し、ルーファウスと仲良くなったと聞いて考え込んでいた彼は、最近2人でタークスに入ったと聞くと再び疑わし気な目をに向ける。
今のルーファウス付きのタークスの仕事は、鉱山や飲食店経営の手伝いぐらいだと言ったが、それらとルーファウス、神羅が結びつかなかったようで全く信じる様子がない。
これはルーファウスに助けを求めるべきかと考えたところで、セフィロスのお腹が大きな音で空腹を知らせてきたので、は話を中断することにした。


「朝食の準備をしてきます。セフィロス、貴方はどうしますか?そのままお休みになられていても、一緒に食事をつくるでも、私はどちらでもかまいませんが」
「……俺も作る。何を作る予定だ?」

「買ってきた食材で適当に……と考えていました。準備するのは時間がかかりますから……以前ウータイの南方の村から買ってきたお米の乾麺でスープにしようかと思うのですが、どうでしょうか?」
「……使った事がない。レシピはあるのか?」

「台所の棚に、貴方が作ったノートがありますよ。行きましょう」
「…………」


タークスに入ったという情報のせいで、完全に不審者や偽物を見る目になっているセフィロスに、は苦笑いを浮かべながら台所へ促す。
一緒に台所へ立とうとするのは、料理をしたいわけではなく、信用できない人間の手料理を食べたくないからだろう。
初めて会った時より警戒が上がっている彼に、は少々の寂しさと、いつもとは違う状況への面白さが混ざって、変な表情になりそうだった。

壁にかけているベージュのエプロンを差し出すと、セフィロスは一瞬考えてから受け取り、身につける。
棚や冷蔵庫から材料を取り出し、同時に引き出しに仕舞っていたセフィロスのレシピノートを出して差し出すと、彼は眉間に皺を寄せながら、自分も字を見つめた。

「セフィロス、ノートを見るのでしたら、もう少し端にお願いします。私は先にスープを準備しますから」
「……いや、俺も料理をする。それは……骨か?」

「ええ。エピオルニスの骨で出汁をとるつもりでしたが……違うものが良いですか?」
「……いや。……乾燥野菜ではないんだな」

「今は旅をしているわけではありませんからね。畑で野菜を作るようになってからは、乾燥野菜を使う事は減りました。手が空いているなら、そこにある玉ねぎを薄く切ってください」
「ああ」

昔の男料理や旅料理の記憶しかないセフィロスに懐かしい食材の名を出されて、は小さく笑みを零す。
言われた通り包丁を持つものの、の一挙一動を観察してくるセフィロスに、段々笑いたくなってくる。
真剣な彼を笑ったら出て行かれそうなので堪えるが、予期せぬパフォーマンスを期待されている気がするのはなぜだろう?

ニンニクをすりおろしながら、後ろの棚から乾麺を出すよう頼むと、セフィロスはの様子を窺いながら言われた通り棚に入っている袋を出す。
あんまりにも警戒する彼の可愛さに、どうしても頬が緩んでしまうは、何度も深呼吸して気持ちを落ち着け、そしてその様子にセフィロスが更に不信感を募らせるという悪循環に陥っていた。

セフィロスに監視されながら出汁をとった鍋に材料を入れ、軽く塩をして火を緩めると再び煮立つのを待つ。
洗い物をしている間、レシピノートを見ていて良いと言うと、セフィロスはわざわざと鍋の間に立ち、先ほどのノートを開いた。
堪えきれず肩を震わせるに、セフィロスは一瞬不審げな眼差しを向けるが、すぐに興味を失ったようにノートへ視線を走らせる。
レシピを調べるのではなく、書かれているのが本当に自分が書いた文字なのか、確かめているようだった。

パラパラとページを捲っていたセフィロスは、時折手を止めて、ノートとをチラチラ見比べる。
その様子に気づいてはいたが、少しそっとしておこうと決めていたは、気にした様子をみせず台所の片づけを続けていた。


「このノートは……お前も読むのか?」
「保存食用のノートは一緒に作っていますから見ますが、そのノートは……私は見ませんね。食べたいと思った時に聞けば、貴方はご自分で確認して、口頭で教えてくれますから」

「……そうか」
「どうして、そのような事を?」

「少し気になっただけだ。の字がなかったからな」
「私が書いたノートは、今貴方が読んでいるノートの下にありましたよ。ただ、内容は狩った肉の食感や、燻製の作り方が主ですが」

「出してくれ」
「かまいませんが、ご自分で取りたいのでは?」

「……そこの引き出しだな」
「ええ。薄い緑の表紙ですよ」


頑なに名を呼ぼうとしない彼が、こちらを偽物かと疑っているのが分かって、は唇を噛みながら笑いたいのを堪える。
自分のノートを閉じての料理ノートを出した彼は、引き出しの前で内容を確認すると、そのまま動かなくなってしまった。
その様子を気にかけつつ、は再び沸騰した鍋をかきまぜ、野菜が煮えているか確認すると味を調える。
が料理を器に盛りつけている間に、セフィロスは満足したらようで、ノートを仕舞うとから料理が乗ったトレーを受け取る。


「……大丈夫ですか?」
「ああ……早く食べるぞ。話の続きがしたい」

「わかりました。ですが、熱いので、焦って食べないでくださいね」
「わかっている」


てっきり現実を受け止められたかと思ったら、明らかに気落ちしている様子のセフィロスに、は内心驚きつつ笑みを崩さないままダイニングテーブルへ促す。
とりあえず、先ほどよりは偽物疑惑が薄れたようだと考えると、気がそぞろすぎて即行で舌を火傷したセフィロスに回復魔法をかけておいた。






あれ?何か思ったより長くなりそう……。
2〜3話で終わらせる予定だったんだけどな……。


2023.10.25
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