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「んブッフ!……ゲホン!ゲホン!」 夕食を終えてゆっくりと過ごす時間。 リビングで服に刺繍をしていたは、2階から聞こえたおかしな物音に顔を上げた。 音の主は、古い荷物の整理をすると言って客間にいるセフィロスだろう。 彼女が首を傾げる間に、2階からは再び咳き込む音が聞こえてきたが、様子を見ようかと立ち上がる前に静かになる。 元の静けさが戻った様子に、飲み物にでもむせたのだろうかと考えると、は手元に視線を戻し、針を刺し始めた。 Illusion sand ある未来の物語 80 7年目 冬 が様子を見に来ないか、耳を澄ませて様子を窺っていたセフィロスは、その心配がないと分かると大きく安堵の息を吐く。 咄嗟に机の中に隠した本を取り出し、一度深呼吸して息を整えた彼は、先ほどまで読んでいた場所を探してページを捲った。 彼の手にあるのは、この世界とは異なる文字で書かれた本。 が生まれた世界の文字を学習するため、イフリートが貸してくれたもののに奪われ、しかしその後で密かにセフィロスが借りなおした本だ。 彼女のかつての仲間だったファリスが書いた本は、当時の旅の様子、そしての様子が書かれているが、にとっては見てほしくない青臭くて恥ずかしい思い出のようだ。 見慣れない文字を、の目を盗みながら読み進めているため、セフィロスの頭脳をもってしても、進捗は亀の歩みだ。 特に今年は、畑仕事は少なかったものの、その分魔物の討伐依頼が増え、更に別件でルーファウスからの頼まれごとがあったりと、ずっと忙しかった。 冬籠もりを迎え、ようやく時間に大きな余裕ができたおかげで、セフィロスはようやく件の本を開く事ができた。 春の時点では、達が水門の魔物と戦ったところまで読んだ。 夏に読めたのは、水門の魔物がシルドラを道づれにしようとしたところへ、が追って飛び込み、何があったか水中から空へ打ち上げられて船のマストをブチ破りながら甲板に落ちてきたところまでだ。 秋の時点では、風もシルドラも失った船で海を漂流し、その数日間で、の大怪我が完治して仲間が引いていた部分しか読めなかった。 先ほどまで読んでいた船の墓場の部分を見つけて、セフィロスはもう一度に動きがないか耳を澄ませる。 時計を確認し、まだ就寝時間に余裕があることを確認すると、彼は再び噴き出してに不信感を与えないよう、気を引き締めて本に集中した。 シルドラを失って間もないファリスは、当時の記憶に所々穴があった。 魔物蔓延る船の墓場とはいえ、喪失感から物思いに更けることが否応なしに多かったため、船の墓場の出来事は他の仲間達による追記が多い。 特に後半の強力なモンスターとの戦いは、ファリスが一時敵の幻惑にとらえられていたため、ガラフの手記の転記という形をとられていた。 船の墓場は、高い山脈と崖によって影になり、昼間でも夜明け前のような暗さだったという。 流れ着いた海賊船から陸へ渡るため、ひしめき合うような船の残骸に乗り移り、または内部を通りながら進んでいた。 やがて一行は、魔物が現れない安全な場所を見つけ、濡れた服を乾かすために休憩をとる。 そこで、ファリスが女だと発覚し、驚く仲間たちの中、唯一声を上げる事無く動じなかった。 最もファリスと付き合いが長く、互いの立場が変わっても同じ距離の良い友人でいたの当時の反応に、ファリスは揺るぎない信頼を実感して嬉しかったらしい。 だがその時、が一瞬だけこの世の終わりのような顔で白目を剥き、すぐに元の表情に戻ったのを、ガラフは確かに見た。 ファリスは、ガラフのは妄想か見間違いだと思っていたようだ。 当時のの心情を思うと、セフィロスは不憫で哀れで面白くて仕方がない。 再び噴き出さないように気を引き締めると、彼は大きく深呼吸をしてページを捲った。 そこから先は、ガラフの手記にファリスを中心とした仲間の追記がされる形で進められていた。 休憩の後、船の残骸を抜けた一行は、辿り着いた浜辺で幻を見る。 それまでの道中で、ガラフはがいつもはしないオーバーキルな攻撃を多くしていて、動揺が伺えたと記しているが、ファリスは元々の実力は飛びぬけていたので気のせいだと否定している。 セフィロスは多分ガラフが正解だと思った。 その時のは、恐らくかなりやせ我慢していただろう。 浜辺に現れた幻は、旅の仲間達それぞれの大切な人の姿を見せて惑わせ、その魂を奪った。 しかし、当時記憶喪失だったガラフは、己を呼ぶ金の髪の少女を前にしても惑わされる事無く、しかし確かに覚えがあるその姿が誰なのかと困惑したという。 だが、ガラフが頭を抱えた瞬間、すぐ隣から放たれた尋常ならざる殺気と威圧感に、彼は少女の正体なんて意識外に吹き飛び、一気に冷や汗を噴き出した。 尋常ではない気配に恐る恐る隣に視線をやれば、美しい顔を憤怒に歪めて幻を睨むがいる。 彼女の視線の先にいるのは、緋色の騎士服を纏う、燃えるような赤い髪の男。 手を広げ、優しく微笑みながら呼ぶその男の何がを激憤させたのか分からず、ガラフは恐れ慄きながら困惑した。 『おのれ……よくも我が父を愚弄してくれたな!!』 が絞りだした声を荒げたと思った瞬間、一瞬で間合いを詰めたの拳が、幻の頭部を打ち砕いた。 迷いも躊躇いもない一撃に、幻とはいえ大事な父親ではないのかと驚愕するガラフだったが、は頭が消えた幻に更に蹴りを入れると、大きく舌打ちしながら戻ってくる。 ファリスよりよっぽど海賊らしい凶悪な顔で、倒れる仲間を一瞥したは、ガラフにバッツの方へ行くよう顎で示すと、倒れているファリスとレナへ足を向けた。 『待てよ。俺はこっちだ。さあ、こっちへ来いよ』 覚えがある、しかし確かに目の前で倒れているはずのファリスの声に、ガラフは驚いて声がした方……先ほどが打ち砕いた幻がいた方へ目をやる。 するとそこには、本物より数割男っぽい顔つきになったファリスの幻が、蕩けるような笑みを浮かべ、愛おし気な目でを見つめて両手を広げていた。 その時ガラフは、決して見てはいけないものを見たと思い、同時に地獄の扉が開いたのを感じた。 今、あの男らしいファリスの幻がある間に仲間を起こしてはいけないこと、自分も極力気づいていないふりをすべきことを本能的に理解すると同時に、から放たれる殺気と威圧感が更に増す。 老いてなお勇猛なはずの体は震えだし、再び瞳だけでを見たガラフは、口に笑みを作りながら憤怒の表情を浮かべているに、気を失いたくなった。 『面白いマネを……してくれる……』 静かに剣を抜いたは、しかし構える事無く、投げつけるように剣を砂浜に突き立てる。 何故そんな事をとガラフが疑問に思う間に、は一瞬で幻へ肉薄すると、その拳で幻の頭を打ち砕いた。 すると、幻の後ろに青白い顔をした妖艶な女の姿をした魔物セイレーンが現れる。 『命を吸い取られるがいい…私たちの仲間にな『貴様かぁぁああ!!』んぁぶっ!』 笑みを浮かべ、愉快そうに語っていたセイレーンの顔に、の拳がめり込んだ。 台詞を最後まで言えずに吹き飛んだセイレーンと、追撃のために間合いを詰めたの姿に、ガラフはハッとすると慌ててバッツを叩き起こす。 肉を殴る鈍い音と、セイレーンの悲鳴に震えながら、次いでファリスとレナを叩き起こせば、仲間たちは無事奪われた魂を取り戻して蘇る。 その事に一先ず安心はするものの、目覚めた仲間達は安堵するより先に不穏な物音に気づいて目をやり、魔物を拳で血祭りにしている仲間の騎士に顔を青くした。 『ヒェッ!おいガラフ、のやつ、何であそこまで怒ってるんだ?』 『あいつがそこまで怒るとなると……親父さんの幻でも見せられたのか?』 『……そ、そうじゃ!赤い髪の騎士だけ出てきたぞい!』 『ねえ、加勢しなくていいの?何だか敵の様子が変よ?!』 『レナ、あの状態のに近づけると思うか?俺は嫌だぞ?』 『だからな。多分、平気だろ』 『そうじゃな!ワシは近づきたくないぞい』 『でも……あら、ポーションを出したわ。どうする気かしら……』 殴られすぎて顔がおかしな事になっているセイレーンの姿が、幻が解けるようにアンデットの姿へと変わる。 正体を現すと同時に、セイレーンの力が増したのを感じたバッツ達だったが、はすぐさま両手にポーションを取りだして栓を抜くと、瓶を掴んだ拳で再びセイレーンを殴り始めた。 セイレーンが反撃しようと腕を振り上げれば、その肩をポーション装備の拳で殴りつけ、間合いを取ろうと下がれば追ってその喉をポーション瓶で突く。 拳が叩き込まれると共に振りかかるポーションは、セイレーンに地味なダメージを与えており、ポーションがかかった胸や目を押さえながら悲鳴を上げていた。 『なあ、何だあの戦い方……見た事ないんだけど』 『ポーションが追撃になってるし、悪くはないんじゃないか?』 『何処がじゃ!殴る事を優先してるだけの極悪パンチじゃろ!』 『あら、そういえば、どうしては剣を使ってないのかしら?』 『そうだよな。何での剣が砂に刺さってるんだ?』 『あの怒り方……剣で切る価値もないってところか。でも、親父さんの幻だけであそこまで怒るのか?なあガラフ、他にも何かあったんじゃないか?』 『い、言わんぞい!』 『え?』 『親父さんの幻以外に、何かあったのか?』 『おいガラフ、詳しく……』 『言わんったら言わん!いいか、おぬしらも、絶対に詮索してはならん!知ればに消されるかもしれんぞ!』 『そんな大げさな……。あら、戦闘が終わったみた……ヒィ!!』 溢れ出るの怒気に震えながら話し合っていた4人は、一人でセイレーンを倒し終えたと目が合い、そこに燻る殺意と怒りに顔を青くして悲鳴を上げた。 思わず身を寄せ合い、青い顔で見る仲間達に、は少し待ってくれるよう頼むと、背を向けて心を落ち着かせる。 徐々に落ち着いていく殺気と威圧感に、ゆっくりと緊張を解していった仲間たちは、しかし詮索してはならないというガラフの言葉に納得し、に知られぬようそっと顔を突き合わせた。 『確かに、あれは詮索したらやばそうだ。ガラフ、命のおんじんだな……』 『のやつ、大丈夫か?ちょっと後で話を聞いてみるか……』 『やめるんじゃ!ファリス、おぬしは……おぬしだけは聞いてはいかん!』 『どういう事?』 『それって、ファリスに関する何かがあったって事か?』 『おいおいガラフ、それじゃ余計に気になるだろ?』 『し、しまった……じゃが、とにかく駄目じゃ!詮索もしちゃならん!のためにも、今回の事は、みんなそっとしておいてやるんじゃ!』 『……そこまで言うなら、しばらく見守ってあげましょう。ほら、も落ち着いたみたいよ』 かくして一行は船の墓場を無事に抜け、町を探して歩き出したのである。 セイレーンと幻の箇所は、ガラフの手記の転記が主なため、章の終わりにファリスの見解がまとめて記されている形だった。 ファリスはガラフの手記を読み、が亡き父と同じくらい自分を大切に思ってくれていたと思い、嬉しく思ったそうだ。 幻が実物より男らしかったのは、直前までがファリスを男だと思っていた影響であり、長い付き合いのにすら気づかれなかった事は、少し自慢に思っているらしかった。 いっそ哀れなほど全く気付かれず、欠片も届いていなかったの淡い恋心。 その時の光景との心情を想像すると、セフィロスは可哀想で愉快で微笑ましくて、胸の中がグッチャグチャになる。 ファリスが女だったと知り密かに静かに玉砕していたのは昔聞いたが、その失恋の直後にこんな悲惨な出来事があったとは想像だにしなかった。 我慢しきれずおかしな声を上げてしまう前にと、セフィロスは素早く本を閉じると鍵付きの引き出しの中に仕舞う。 時計をみれば、時刻は丁度寝支度を始める時間を少し過ぎた頃だったので、彼はそのまま机の上を片付けると何食わぬ顔で部屋を出た。 廊下の吹き抜けから覗くと、も丁度裁縫道具を片付けているところだった。 顔を上げた彼女と目があった瞬間、つい噴き出しそうになったのを笑顔で誤魔化すと、彼は足早に階段を下りる。 片付けの手を止め、怪訝な顔で首を傾げるに、セフィロスは出来るだけ普通の表情を心掛けると哀れな初恋をした彼女を腕の中に囲い入れ、その額に唇を落とした。 「どうしたんですかセフィロス?何か、良い事でも?」 「いや……昔の本を読んでいたら、どうしようもなくお前が可愛く思えてきただけだ」 「???」 小さく笑って言う彼に、は不可解そうに見つめ返すが、彼は気にせず頬を緩めている。 よくわからないが、機嫌が良いなら良いのだろうか……。 そんな顔で何度も首を傾げるを見つめていたセフィロスは、彼女の旋毛に口を押し当てて思い出し笑いを抑えた。 |
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やっと船の墓場を書けた〜 このネタは、本編を書いてる頃からずっと書きたかったネタだったんですよ。 いやー、楽しかった。 2023.09.18. Rika |
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