次話 ・ 前話 ・ 小説目次 | ||
春と夏を繋ぐ長雨が谷に残る雪を溶かし、僅かに温んだ土から待ちわびたように小さな若芽が顔を出す。 雨の香りと共に日に日に濃くなる緑の匂いを感じながら、食後のお茶を入れようとしたは、残りわずかとなった茶葉に気が付いた。 もしやと思い、他のお茶や珈琲の残りも確かめてみたが、春の買い出しで忘れてしまっていたらしく、どれも1週間分しか残っていない。 予定外ではあるが、どうせ長雨で何もできないからと考えると、は2階の廊下で釣り竿を広げているセフィロスに声をかけた。 新しい糸や針、穴が開いたタモを修理する道具が欲しかったらしい彼は、快く外出を了承してくれる。 帰りの時間に余裕があったら、途中で釣りする時間を求められるのだろうと思いながら、は急いで外出の準備を始めた。 Illusion sand ある未来の物語 74 3年目 梅雨 家で予想していた通り、手早く買い物を終えた二人は、セフィロスの希望でアイシクルエリア南の海に来ていた。 達の家がある北とは違い、南は避難命令も封鎖措置も出ていないので、南方との玄関口である港のある街は普通に賑わっている。 漁港近くの釣具店で目当ての物を買いそろえたセフィロスは、町から離れた磯へ着くと早速釣り道具を出し、は海から離れた場所へ腰を下ろすと気配と存在感を消して持ってきた本を開いた。 今後を考えて購入した『自作する自然の家 1巻』の内容は、自然の中で確保できる石や粘土、木材で家を作るための本で、印刷された図と写真が生まれた世界の村落風景を思い出させる。 復活前に準備したものの、1年後に様子を見に行った隠れ家が魔物によって跡形もなく潰されていた記憶があるので、は集中してページを捲った。 入門編なだけあって、家を建てて良い場所、避けるべき場所、設計図の作り方などの基礎が中心だが、内容自体は丁寧で、騎士時代に学んだ知識も所々見られる。 その懐かしさで時折集中力が切れてしまうのだが、内容はどれも理解しておかなければならないものなので、すぐに気を引き締めなおした。 そうしてどれくらい本を読んでいたか。 恐らく釣りを始めて2時間程経つ頃、急に本に影が落ちて、は目の前に立つセフィロスを見上げた。 「セフィロス、どうかなさいましたか?」 「ああ。全く釣れん」 「おや、釣具屋の店主が言っていた通りですね。やはり海の魔物をどうにかしなければ釣れそうにありませんか?」 「そうらしい。厄介……いや、むしろ忌々しいな」 既に釣り道具を片付け、溜め息をついているセフィロスの後ろでは、沖で半透明の巨大クラゲたちを嬉々として蹂躙するリヴァイアサンの姿が見える。 巨体が大暴れするせいで波が荒れ、磯は嵐の日のような大波に襲われていた。 「貴方がリヴァイアサンを呼んだのですね」 「ああ。不漁はあのクラゲのせいらしいからな。好きなだけ暴れるように言っておいた」 「…………付近の海岸へ被害が出ないようにと、注意はしましたか?」 「いや。……だが、言って聞くのか?」 「聞きませんね。リヴァイアサンですから」 「……そうだな。とにかく、釣りはもうやめだ。今日は帰る」 不漁の被害よりリヴァイアサンの被害の方が大きくなる気がしながら、は本を閉じる。 あの自称『大海の覇者』は自分の庭を我が物顔で闊歩する新入のクラゲが気に入らなかったようなので、シメる機会を得られて喜んでいるのだろう。 付近の海へどれだけの被害が出るかはわからないが、セフィロスと話したとおり、リヴァイアサンがいう事を聞くなんて稀だ。考えるだけ無駄だろう。 適当なところで帰ってくれれば良いが……。 少しだけ心配になりつつ、は海から道路へ戻るセフィロスについていく。 今回は車を借りず徒歩で移動しているので、広い場所へ出たらフェニックスを呼び出すつもりだった。 だが、ふと、道路の向こうに見える山々と、少し離れた場所に見える川に、は目をとめる。 心なしかしょんぼりとしているセフィロスの雰囲気に、少しだけ考えた彼女は、フェニックスを呼ぼうとした彼の袖を軽く引いて止めた。 「何だ?」 「セフィロス、釣り竿は何を持ってきていますか?海は駄目でも、山の中の川なら、釣れるのでは?」 「……つきあってくれるか?」 「ええ。釣りをしている間に出てくる魔物は、私が対処しておきますから、貴方はゆっくり楽しんでくださって結構ですよ」 「悪いな。なら、行かせてもらう」 「いえ。では、あそこの橋から下に降りましょう」 「いや、さっきの釣具屋に戻って、情報収集と必用な道具を買う」 「……いいですよ。行きましょう」 普段家の近くの川でやっているように、適当な木の枝と虫で釣れば良いのではないかと思っただったが、軽い足取りで道路へ戻っていくセフィロスに口を噤む。 普段と違う川での釣りが嬉しいようだが、釣具屋に行けることも同じくらい嬉しいのかもしれない。 多少の無駄遣いをしたとしても、彼は自分の道具箱に収まらない量の道具は買わないので、好きにさせても良いだろう。 そう楽観的に考え、セフィロスと共に暫く歩いて道を戻ったは、釣具屋で新しい大型の道具入れを見つめるセフィロスを生暖かく見つめていた。 付近の山にも、時折達の家の周りに出ていた新種の魔物が出没するため、目にしたら道具を捨てて逃げるようにと釣具店の店主からは注意を受けた。 その程度のザコなら問題ないな……と思いながら、付近で釣りができる川と魚の情報、それと店主お勧めの針や糸を買うと、2人は早速人気が無い山道へ向かう。 川沿いに続く林道は舗装が所々落ち葉で覆われているが、倒木や急な傾斜はないから歩きやすい。 周りに生える木の枝も、道路の上は一定の高さ以下は切られているので、道は明るく場所によっては青空が見えた。 きっと、川のむこうや山の上からは、2人が歩く姿はよく見えるだろう。 教えられたポイントは、林道へ入ってから1時間ほど歩く事になるが、魚が逃げると釣りにならないので、2人は念のため気配を消して進む。 おかげで、普段は遭遇しないような動物やモンスターを見る事になったが、そこはが石を投げたり、時間が経ちすぎて変な匂いになった調合アイテムを投げつけたりで追い払ったので、2人は足を止める事無く進めた。 件の新種モンスターも木々の間に見えたが、足の長さを利用して急接近する前に、が見つけ次第氷の中に閉じ込めて灰になる温度で燃やしてしまう。 見たら逃げるどころか、見つけた瞬間に始末するので、目的のポイントには予想より15分ほど早く到着出来た。 途中で拾った笹を竿にして、早速釣りの準備をするセフィロスを温かく見つめて、はとりあえず目視できる距離の魔物を片付ける。 気配や存在感を消しても、姿や足音は隠していなかったので、無防備に山へやってくる2人に血に飢えた魔物が寄ってきたらしい。 血を流しては臭いで更に魔物が来るし、大きな音を立てれば魚が逃げる。 新種以外のモンスターを軒並みデスで始末して、魔物の気配が無くなってきたのを確認すると、は川辺に石を組み、付近から集めた小枝で焚き火を始めた。 まだ少し湿気が残っている枝を川の水で洗い、クーラーボックスの中にいる釣ったばかりの魚を串刺しにすると、さっき街で買ってきた塩をふって焚き火の傍に刺す。 新たに釣った魚をクーラーボックスに入れようとしたセフィロスが、中の魚が減っている事に気づいて振り向いたので手を振ると、苦笑いで手を振り返された。 「今日はずいぶん沢山釣れましたね」 「川を見れば、簡単に魚の姿が見えるくらいだ。ここには、あの肉食魚がいないのかもしれん」 「なるほど。あ、そこのお魚、多分もう焼けてますよ」 「ああ」 家の近くにある川の倍近い成果に、セフィロスは満足げな様子で焼き魚に口をつける。 が焼いた魚に加え、クーラーボックスには10匹くらいの魚がいて、川の水を入れているおかげか元気に泳いでいる。 いつもの彼なら、釣ってもせいぜい1食で食べられる分だけに留めているので、今日の釣りは相当楽しかったのだろう。 「川魚は新鮮でも刺身にはできませんし……どう調理しましょうか」 「前に、テレビで焼いた川魚を味噌煮にしているのを見た。あれをやってみたい」 「わかりました。では、今、この焚き火で焼いてしまいますか?」 「そうだな……今、何時だ?」 「そろそろ午後4時になりますが……せっかく火を熾しているのですから、焼いてしまいましょう。枝を拾ってきますから、魚の内臓をとっておいてください」 「わかった」 すぐに腰を上げて林の中に歩いていくを見送ると、セフィロスは彼女が使っていた両刃のナイフを手に取り、魚の処理を始める。 1匹目の魚にナイフを入れたところで、そのナイフの使いやすさに、セフィロスはつい手を止めた。 が武器を丁寧に扱う事や、定期的に手入れしている事は知っているので、彼女が持つ刃物の切れ味が良いのは知っている。 だが、利き手に左右されない使い心地や、柄の握りやすさや程よい重さに、ついついナイフを詳しく調べ始めてしまった。 自分も同じものが欲しい。駄目なら、以前行った武器職人の小屋へ行って、同じものを作ってもらおうか。 つい考え込んでしまったセフィロスは、枝を拾ってきたに呆れた顔で声をかけられると、慌てて魚の処理を再開した。 火の始末を終え、さて、そろそろ帰ろうかと腰を上げた二人は、林道を近づいてくるエンジン音に目をやる。 時刻はもうすぐ5時になる頃だが、夏の日没は遅く、山の中だというのに空はまだ青い。 それでも、この時間に山に入り込んでくる者は珍しく、2人は面倒事だろうかと考えながら、荷物を手に林道へ出た。 数分も歩かないうちに、細い道の向こうからトラックがやってきて、セフィロス達の姿を確認すると車を停めた。 「ああ、よかった無事だったか!」 「アンタら、本当にこんな所で釣りしてたのか!とんでもねえな!」 「釣具屋の店主と……誰だ?」 「知らない顔ですね」 「魔物出なかったかい!?ポイントを教えたはいいけどさ、あの後、海で魔物と召喚獣が大暴れしてるって聞いて、心配になってさ。自警団の人と探してたんだよ!」 「よりにもよって、一番山奥のポイントに来るか普通!?ったく、運よく魔物に襲われなかったみたいだが、何かあったらどうするんだ!?」 「俺達は魔物討伐の仕事をしている。心配は不要だ」 「釣具屋でも、その話はしたはずですが……?」 「あれ?そうだったか?いや、でもさ、海の方が、本当に凄くて、山の魔物も何か騒いでるらしいからさ、心配になっちゃったんだよ!」 「討伐の仕事って……おい、ダン、忘れるなよ!てっきり素人かと思って慌てただろ?でも、アンタら、海岸線は波が荒れて歩けない。町まで乗せていくから、後ろに乗ってくれ」 「わかった。、行くぞ」 「はい」 あれから数時間経つのに、リヴァイアサンはまだ暴れているのかと呆れながら、2人は促されるままトラックの後ろに乗り込む。 先ほど釣りをしていた河原のそばで車をUターンさせ、徒歩1時間の道を10分程で戻ると、海岸の道は自警団の男が言った通り波が乗り上げ、アスファルトの上には波と共に打ち上げられた砂利がのっていた。 海の上には、どこからか次々と現れる巨大クラゲを千切っては投げ、千切っては投げと大暴れするリヴァイアサンの姿が見える。 いったい何時間戦うのだろうと呆れて眺める達とは対照に、運転席と助手席の二人は顔面蒼白で、時折聞こえるリヴァイアサンの雄叫びに肩をビクつかせていた。 波で浜へ打ち上げられた漁船、人が消えた街並み、鳴り響くサイレン。 思わずセフィロスへ視線を向けただったが、彼は腕を組んで目を閉じて現実逃避しているようだった。 流石にこれ以上の被害はまずいと判断して、は海へと視線をやると、リヴァイアサンを強制的に帰す。 水となって海にかえっていくリヴァイアサンから上がった抗議の雄叫びに、前の席の一般人がまたビクついていたが、後部座席の二人はどうやってフェニックスに乗れる場所まで行こうかと呑気な顔で考えていた。 「あの魚の処理に使ったナイフですか?」 「ああ。かなり使い心地が良かった。同じものがあるなら、買いに行きたい」 家に帰り、焼き魚の味噌煮を作りながら思い出したように聞いてきたセフィロスに、隣でお握りを作っていたは首を傾げる。 確かに、使いやすくて愛用していたナイフだが、色々な武器を持っているせいで、急にナイフ1本をどこで手に入れたかと問われても、すぐに思い出せない。 ただ、この世界で手に入れた武器じゃない事は確かなので、彼が求めるように買うのは無理だった。 「あのナイフは、私が生まれた世界で手に入れたものだったはずです」 「……やはりそうか。なら、今度武器職人の小屋に行こう。同じものが作ってもらう」 「それほど気に入ったのなら、差し上げましょうか?」 「いいのか?大分使い込んでいただろう?」 「主に調理用ですけどね。似たナイフはまだもっていますから、大丈夫ですよ。少し整備してからで良いですね?」 「もちろんだ。楽しみにしている」 ふと、自分もあのナイフを誰かから貰ったような記憶が蘇って、けれどそれに気づいた瞬間、遠い記憶は霞のように消えてしまう。 その時は、強請ったのでもなく、託されたのでもなく、気軽に差し出されたような気がして、だから今セフィロスが求めても気軽に渡せるのだという確信だけはある。 仄かな懐かしさと、淡く漂う温かな親愛に、意識が自然と遠い記憶を探り出す。 あのナイフをくれたのは、一体誰だっただろうか。 旅の仲間の顔を思い浮かべるが一致せず、彼らとの出会いより前だろうかと更に古い記憶を探ろうとした瞬間、最近の追憶に覚えがある野太く黄色い悲鳴に記憶を遮られた。 「…………何だ……?」 「、どうした?」 「いえ……なんでも」 この展開は2回目だ。 何か大事な事のような、あんまり大事じゃないような、思い出さなくて良いような、思い出さない方が良いような……。 いつぞや感じた形容しがたい感覚に、は眉を顰めながら首をかしげる。 知らず手に力が入りそうになったのに気が付いて、握りを皿に移したは、少しだけ考え込んだが、関係しそうな記憶は蘇ってこなかった。 「、何か、気になることがあるのか?」 「昔の事で、重要かどうか微妙な事が、思い出せなくて」 「何だそれは?」 「私もよくわからないんですよ。ご飯の後で詳しく話しますね」 「わかった」 大したことではないとか、きっと何でもない、と言ったら、またセフィロスを怒らせる事になりそうで、は曖昧な気がかりだと思いつつ相談することに決める。 夕食後、話を聞いたセフィロスは、『野太く黄色い悲鳴』という謎の言葉に、先ほどのと同じく眉間に皺を寄せて首を傾げる事になった。 |
||
釣りに行くだけで大騒ぎ(現地が) 2023.09.16 Rika |
||
次話 ・ 前話 ・ 小説目次 |