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Illusion sand ある未来の物語 57

ソファからゆっくり脚を下ろしながら下半身を光らせているに、セフィロスは冷めた目を向けながら床に降りるのを待つ。
にとって、騎士の誓いがどれくらい重要なのか、セフィロスは未だにわかっているわけではない。
ただ、彼女が敵の存在に対して当然のように前に出ようとするのは、守られ方というものを知らないせいだろうとはわかる。
そしてそれが、彼女が『守る側』である騎士として育てられたせいだろうという事も。

ただの人、ただの女として生きようとしても、本人の根幹にあるのが騎士道精神とやらならば、安心下手も、守られ下手も納得できる。
生き方を変えようとするのだから、失敗はつきもので、長い目で見ていく必要があるのだろう。だが、だからと言って何でも許せるわけではない。

簡単に変わらないのなら、その根本原因である騎士道をもって、変わってもらうのが手っ取り早いだろう。
には、自分がした約束を守れない事にどこか慣れと諦めがあるようだが、そんなものはセフィロスの知ったことではない。
剣と、誇りに誓うというのなら、破るにもかなりプライドを曲げる必要があるはずだ。
これだけ怒られた上での誓いならなお更。そうであってほしい。
もしもそれが彼女の心を折る結果になったとしても、 あの耐え難い喪失感を再び味わうより、ずっとマシだった。
できれば、本当に、彼女に心から理解して約束してほしいのだが、恐らくそれは相当時間がかかるし、悠長にしている時間はないだろう。


床に膝をついたは、繋(つな)いでいた手の片方を離して横に伸ばすと、そこに剣を出現させる。
残る手を少し見つめ、何度か握る力を緩めた彼女だったが、結局そのまま彼の手を引き、その手の甲に額をつける事を選んだ。

昔の、両手で剣を持つのとは違う誓いの姿勢に、どんな意味があるのかセフィロスに知る由はない。
だが、目的は彼女に騎士として誓わせる事なので、形式や文言など、正直どうでもよかった。


「…………」
「どうした?」


手の甲に額をつけたまま何も言わない彼女に、セフィロスは首を傾げて問いかける。
昔のように、長く戸惑いすら覚えるほど言葉を尽くされるか、いつぞやのようにさらりとした言葉で誓われるかと期待していた。
予想外にもたらされた沈黙に、首を傾げて問えば、帰ってくるのは困惑した彼女の瞳。
その理由を、何とはなしに察し、けれどこれは彼女に自覚させるべきだと判断して、セフィロスはあえて彼女に沈黙を返した。
数秒見つめあいながら、言葉を探す彼女は何度か唇を動かすが、しかし結局言葉をみつけられなかったようで、申し訳なさそうに視線を落とす。
その姿を前にしても、助け舟を出さずに待ったセフィロスに、は困惑する瞳に申し訳なさを乗せて彼を見つめ返した。

「……誓いを……立てたいのです。貴方に、もう不安を与えないために。私は、貴方を、もう傷つけたくない。ですが……どうしたら良いのかはわかっているのに、どんな言葉を言えばいいのか、分からない。私は……守るための誓いの言葉は知っているのに、守られる……互いに守りあうための言葉を、知らない……。貴方を安心させるための言葉が、わからない」
「俺の願いは、お前の中の騎士としての姿勢に反するか?」

「……貴方のせいではない。これは、きっと私自身の……経験の不足のせいです。私は……セフィロス、私は、貴方の願いを、叶えたいと思っている。それは、今も、昔も、この先も変わらないのです。貴方の求めに答えて、誓いたい。なのに、私は、守るための言葉しか、知らない。覚えていない。隣に立つための誓いの言葉が、守られるための言葉がわからない……」
、分からないのは、言葉だけか?」


いつかの誓いが嘘のように、何の言葉も湧き出てこない自分に、は困惑のまま視線を落とす。
その視線は、何も見つかりはしないと知りながら無意味に床の上をさ迷い、やがて詫びるように、縋るように彼の瞳に戻った。
変わらぬ怒りを予想していただったが、しかし再び目にした彼の顔にあったのは、怒りでも諦めでもなく、強い憐憫だ。

セフィロスに、そんな目を向けられるほどに自分は哀れな存在だったのかと、衝撃を受けながら、けれどそうだろうと受け入れている自分もいる。
それを受け入れる間もなく投げかけられた彼からの問いに、胸の内で、自覚もしないように必死に取り繕っていたものに亀裂が入るのを感じた。
それが何か、自覚する事すら拒みながら、どうかこの無様を見ないでほしいと顔を覆いたくなるのに、それすらやむなしと見ている自分がいる。

これは駄目だ。これ以上考えては駄目だ。
このままでは、彼は自分を壊してしまうと、そう確信した瞬間に、は初めてセフィロスの事を心の底から恐ろしいと思った。
否、恐ろしいのは彼ではない。
彼になら、全て暴かれ晒されるのも良いだろうと思いながら、同じくらいに、元に戻れなくなりそうな自分が恐かった。

なのに、達観した自分が無情に囁くのだ。
自分が必死に取り繕うそれは、彼にはとっくに見透かされているのだと。
誇りと、名誉と、自信の上にあった騎士の自分は、ただの人となれば欠陥だらけで、どうしようもなく盲目で臆病で愚かなことを、彼にはとっくに知られてしまっている。
そう気づいていても、また何かを取り繕いたがるほどに、哀れなのだ。

誰かに守られる、誰かとともに立つ、そんな当たり前のことを、本当の意味で知ることができなかった。
何度も知る機会があったのに、気づかないふりを、知らないふりをして、得られたはずの『対等』を何度も投げ出してきた、どうしようもなく愚かで哀れな人間だと、彼には分かってしまっている。

そんな人間が、今、何を誓うというのか。何を誓えるというのか。
偽りを誓うほど人として落ちぶれたくはないのに、何の言葉も出てこなくて、絶望感すら生まれてきた。


「……誓えません」
「…………」

「すみません、セフィロス、私は……騎士として、人として、嘘偽りを誓う事はでない。それだけは……あなたには、それだけはしたくない」
「……そうか」


静かに答えた彼の声と、その目に浮かぶ哀れみに、は息苦しさを覚える。
あれほど彼が怒りをもってぶつかってくれたのに、何も返せなくなった自分の不誠実に眩暈すらした。
繋ぐ掌の感触すら曖昧になりそうで、けれど強く握る勇気も出ない。

何か返せないか、何かないのかと自問し続ける彼女は、しかしゆるりと頬に触れた彼の手に思考をとめられる。
その温かさに、従うのか甘えるのかの判断もできないまま頬を包まれ、促されるまま顔を上げる。
見上げた先にある彼の瞳に、失望の色があったなら、きっと自分は立ち上がれないほど打ちのめされてしまう。
そんな恐れを抱いても、彼の手を振り払い顔を背ける力すら湧かなかった。

けれど、そんな気持ちは取り越し苦労だったのか。視線を重ねた彼の瞳にあったのは、悲しみでも、哀れみでも、まして失望でもない。一瞬だけなりをひそめて戻ってきた、怒りだった。
予想外の結果に、は混乱して一瞬だけ思考が止まる。
だが、セフィロスはそんな事は想定していたようで、微かに目を見開いた彼女に向かい、凄艶に微笑んだ。

「それで……俺が許すと思ったか?」
「…………」

「残念だったな、。お前が誓えない事は、少しだけ想像していた。だが、ここでそれを許してやるような、愚劣な甘やかし方はしない。、お前なら、俺が言う意味が分かるだろう?」
「……は……はい」


反省を促す方針から、矯正教育に方向を変えたセフィロスに、は血の気が失せた顔で小さく頷く。
彼に見捨てられなかった事に少なからず安心しながら、引き換えに待ち受けていた怒れるセフィロスからの躾を想像し、自然と肩が震えてきた。


、暫くは、俺のいう事を素直に聞くと、誓えるな?」
「……はい。セ、セフィロス、貴方のお言葉に従うと、誓います」

「それは良かった。では、次は、守られることを知る努力をし、それに耐えると誓ってはくれないか?」
「ど、努力します。貴方の御期待に沿えるよう、必ずや耐え忍び、学ぶと誓います」

「誓いを破った時は、お前の剣を折る。……ああ、そうだな。お前が好きな俺のこの髪も、切り落とすか。他には……先ほど、お前は別居……」
「誓いは、違えません!絶対に!ですから、おかしな罰則はつけないでください!」

「それほど嫌がってくれるなら、条件として安心できる。そう心配するな。お前が、誓いを破らなければいいだけだ。簡単だろう?」
「……はい」

「窮屈そうだな、?だが、不自由に留まりながら何者より自由なお前ならば、それくらいで丁度いいとは思わないか?そうしなければ、お前は状況判断に従ってやむを得ないと言って行動し始める。そうだろう?」
「…………はい」


こちらの希望など端から聞く気がないセフィロスに、の表情がどんどん引きつっていく。
万が一誓いを守れなかったなら、セフィロスは今言った事を確実に実行するだろう。
たとえどんな理由と経緯があったとしても、彼はそういう事には手を抜かないし、この目は必ずやる人間のそれだ。

やばい事になってしまった。だが、今後を考えるならそれでよかったのか。
誓いの体をとりながら、やっている事は完全に脅迫だが、そうさせたのが自分だと分かっているのでは何も言えない。

顔は笑みを作っているのに、その怒りが全く収まる気配がないセフィロスに、は忠犬根性と駄犬根性をフルに発動して頭を垂れるしかなかった。







2023.06.19 Rika
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