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Illusion sand ある未来の物語 42



降り続く雪はやまず、森の影すら白く覆い隠すようだった。
厚い雪の衣を纏った木々は、ともすれば一塊の巨大な綿雲が落ちているようにも見える。

去年より積もる雪に、殆ど使っていないラジオを聞けば、この雪はあと3日降り続けるらしい。
除雪作業が間に合わないため、住民は家から出ないように、との注意が繰り返される。
明日は今日より気温が7度下がる。明後日は更に下がる。
そんな言葉を繰り返した後でかかった最近の音楽は、何故か真夏のビーチの歌で、その喧しさにはラジオの電源を切った。

夜になる前に、一度、家の周りの雪を処理しておこうと考えて、は台所にいるセフィロスを見る。

いつもは流すか緩くまとめるだけだった彼の髪だが、今日は畑仕事をするときのようにきっちりと編み、首に巻かれていた。
モスグリーンのエプロンをした彼が膝をついているのは、お気にいりの竈の前だ。
いつもは銅の鍋が置かれている竈だが、ここ数日は代わりに真新しい鉄釜が乗せられ、頑丈な木の蓋の間から良い香りがする泡を出している。


「セフィロス、少し良いですか?」
「急ぎか?今は手を離せない」

「貴方はそのままで大丈夫ですよ。雪かきをしてきたいのですが、私が行っても大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。頼む」


竈を見つめる彼はちらりとを見ると、すぐに視線を戻してしまう。
揺らめきと共に熱と光を放つ炎が、セフィロスの頬を照らしていた。
小さく爆ぜる炎を映す瞳は真剣で、彼の手にはいつでもくべられるよう小さな薪が握られていて、は密かに笑みを零す。

ルーファウスの店で食べたご飯がよほど美味しかったのか、帰ってきてから、セフィロスは土鍋でご飯を炊くようになった。
土鍋炊きでのコツを掴むのは早く、白米以外にも雑穀米や炊き込みご飯、茶飯に鯛飯、おこわに赤飯、とにかく色々と作ってくれた。

一通り作って満足したあと、白米に戻ってきたセフィロスだったが、ある日彼は気づいてしまったのだ。
この家には、土鍋とガスを超える炊飯設備『竈とお釜』があるという事に。
そんなわけで、セフィロスの竈炊き生活がスタートしたのである。
最初の2回は底を焦がしてしまったが、3回目でコツを掴んだらしく失敗しなくったので、は好きにさせる事にした。

ほんのりと香るご飯の匂いに、今日は白米か……と考えながらリビングを後にすると、は洗面所に入る。
髪を下ろしたまま風雪の中を行けば、バサバサに乱れた状態で凍ってしまうだろう。
簡単に髪を二つに分けて編んだ彼女は、足早に玄関に向かうと、分厚いコートを着て外へ出た。

予想通り、少しの抵抗と共に開いた扉の先は、膝を超える高さまで雪が積もっている。
いつもは車庫と家まわりを軽く除雪するのだが、リビングから納屋が雪に埋もれそうなのが見えていたので、今日は少し幅を広めて雪かきしようと決めた。

いつも雪を捨てているのは、家の西側。
とセフィロスが手合わせするときに使っているスペースだが、家と畑がもう1つ入るくらいには広い。
その場所の森がはじまるギリギリの場所に雪を捨てているのだが、今年は既に大きな雪山ができていた。
春になっても溶けなければ、魔法で蒸発させようと考えると、は早速家の前から車庫までの雪を、今ある雪山の隣に魔法で飛ばす。
明日の朝までどれくらい積もるか考えた彼女は、今除雪している通り道を更に両側1mほど広げて雪を処理する。

雪は細かいのに、降る量が多すぎてボタ雪が積もっているようだ。
本来は多少周りに雪を残した方が、空気の層が出来て家の中が温まるのだが、がいればそこは気にしなくて良い。
車庫の周りの雪を処理し、玄関から東周りに歩き出した彼女は、玄関収納とトイレの窓についた氷を落とし、寝室の外の雪を飛ばす。
その先には、後から増築したために家から突き出ている、竈がある土間スペースと勝手口があった。
埋もれ方は、そこが一番酷いかもしれない。突き出ているせいで、風が吹き溜まり、窓と勝手口が半分埋もれている。
土間の壁の上部には小さな煙突があって、今まさに竈で薪を燃やした煙が出ているところだった。


「これは、埋まると危ないな……」


呟くと、は土間周りの雪を綺麗に飛ばし、そこを囲むように氷の壁で覆う。
とりあえずはこれで済ませ、吹き溜まりは次の雪処理の時に様子を見て考えることにした。
土間スペースを周り、勝手口が開くか確認のために開けると、気づいたセフィロスが振り返る。
声をかけようかと思ったが、彼はすぐ視線を竈に戻してしまったので、は少しだけモヤッとしながら扉を閉めた。

そのままダイニングの外と、勝手口から外の貯蔵庫、隣接する燻製用の小屋まで除雪する。
家と畑の間にあるウッドデッキは雪で地面と同化していて、どこからが畑かわからなくなっていた。
壊さないよう、慎重にエアロをかけて、ウッドデッキから雪を飛ばす。
家の南西には、件の雪に埋まりかけた納屋のほか、セフィロスが夏に使っていたハンモック用の木が立っていた。

も一度セフィロスが使っていたハンモックを貸してもらったが、そもそも張られた位置が高すぎて一人では登れなかった。
布に包まれる感覚も、風で揺れるのも気持ちよかったのだが、上手く寝返りが打てなくて、自分の身長ほどの高さから地面に落ちることになった。
その時セフィロスは珈琲を入れに家の中に戻っていたが、窓から見えていたらしく、笑うのを堪えた顔で走ってきた。
その日から、は外で昼寝する時は普通に草むらの上に寝る事にしたのだ。
最初はその様子をちょっと笑って見ていたセフィロスも、暫くすると慣れて気にしなくなった。

このハンモック用の木も、傷がつくとセフィロスが悲しむので、慎重に周りの雪を飛ばす。
無事雪の中から出て来た物置小屋に、壊れた箇所がないか軽く確認すると、は最後になった家の西側の雪かきを始めた。
西側は、他の方角と違って小屋や家の出っ張りがない。

特に注意を必要とせず雪を飛ばしたは、森の傍にできあがった2つ目の雪山を押し固めると、家の周りに視線を巡らせて最後の確認をする。
が、ふと、まだ大きな白い塊があるのに気づいて、視線を上へ上へと向ける。
普段は気にするほどではなかったが、今日ばかりは無視できないほど、屋根の上に白い層ができあがっていた。
木造とはいえ頑丈なつくりなので、潰れるなんてことはないだろうが、だからと言って放置しては痛みの原因になりかねない。
大体の屋根の位置はわかるが、ここも横着して万が一壊すと面倒なので、はレビテトをかけて体を浮かせる。
そのままエアロで軒先の高さまで体を持ち上げると、とりあえず端から慎重に雪を飛ばすことにした。


さほど疲労感もなく家に戻ってきたは、冷え切ったコートを脱ぐと洗面所に入る。
魔法で環境を整えるのも良いが、やりすぎては体の調子が狂ってくるので、今は室内で部屋が温まるまでしかやっていない。
屋根の雪かき中も普通にコートを着ているだけでだったのだが、強い吹雪は冷気耐性がなければ危ないくらいには寒かった。
屋根の上なのだから、当然だろう。

おかげで、編んでいた髪は風雪のせいで乱れて濡れ、所々に雪が張り付いている。
頬と鼻は赤く、目もうっすら涙が滲んでいて、我ながらちょっと哀れな姿だった。

絡まる前にと髪を解き、濡れた部分を乾かす。
顔の赤みは暖炉で温まろうと思い、廊下の寒さに身震いしながらリビングへ行くと、ドアを開けた瞬間少し暑いくらいの空気が広がった。

暖炉を焚いている部屋の傍で、竈に火をいれていたのだから、暑くなるのは当然だ。
しかし、冷えた体にはありがたいと思いながら暖炉に目をやると、そこには火掻き棒を手にこちらをじっと見るセフィロスがいた。


「今、雪かきがおわりました。温まりたいのて、まだ火力は落とさないでください」
「わかった。ところで、その髪はどうした?」

「雪と風で乱れたので解いたんですよ。すみません、寒いので、暖炉の前を譲ってください」
「ああ」


編んだまま濡れたせいで、の髪には癖がつき、ふわふわと波打っている。
夜に風呂で洗えば戻るので、は気にせずソファから大きめのクッションをとって絨毯に置くと、そこに腰を下ろした。
だが、そんな事は知らないセフィロスは、普段と全く違う状態のを凝視している。

あまりに見つめてくるので、鼻水でもでているかと触ったに、そうじゃないと突っ込んでもこない。
用があるなら聞こうと考え、セフィロスに視線を合わせた彼女は、そのまま数秒見つめあう。
すると、彼の視線はちらりと髪に向き、の髪を一房掬った。


「そんなに珍しいものではないのでは?貴方の髪も、編んで解くと癖がついているでしょう?」
「お前の髪にこういう癖がついているのは珍しい。、コテは持っていたか?」

「籠手ですか?勿論ありますが……」
「そうか。なら、今度出かける時に使ってみてほしい。使い方は分かっているか?」。

「分かっているに決まっているでしょう。今は必要なくなりましたが、昔は上から下までしっかり装備を固めていたんですから」
「装備……?着飾っていたという事か?まさか、お前の世界のコテを持っているのか?」

「飾りはついていましたが、実用性重視のものですよ?当然、私が生まれた世界の籠手です。こちらの世界に来てから、防具は手に入れていませんし」
「防具?待て、話がかみ合っていない。俺は髪の毛に癖をつける道具のコテの話をしている。、お前は何の話だと思っている?」

「髪……?肘から手首につける装備品では……?」
「……違う」

「おや……?ではセフィロス、すみませんが、私は貴方が言っている『コテ』を知らないと思います。防具以外だと、漆喰を塗る時の『鏝』くらいしか思い浮かびません」
「そもそも知らなかったか……そうだな、あれは家電だ。昔の俺が持っていない物を、お前が知らないのは当然だな……」


一瞬つまらない冗談かと思ったセフィロスだったが、が心底不思議そうに言う姿に、久しぶりに彼女が文明の利器に疎い事を思い出した。
最近は携帯電話や調理家電を普通に使いこなしているし、化粧品も一部を自作するほどだったので、すっかりと忘れてしまっていた。


「次の仕事の帰り、どこかの街で買ってくるぞ」
「わかりましたが……私に使えそうなものですか?あまり難しい機械は苦手なんですが……」

「……俺がやってやる。慣れるまで自分ではやるな」
「わかりました」


熱を当てすぎて髪を痛めるの姿が簡単に想像できたセフィロスは、言った後で彼女の毛量を思い出し、少し後悔する。
だが、どうせたまにしか使わないだろうし、トレーニングルームの蛍光灯が切れたので、電気屋にも行く予定だった。

体が温まり、今度は暖炉の熱で頬が染まってきたを眺めながら、セフィロスはいつもと違う手触りになった彼女の髪を弄ぶ。
横髪を持ち上げて後ろに当てると、手の甲が彼女の耳に触れて、擽ったそうに肩を竦められた。

普通の女性なら、髪の色を変えたりパーマーをかけたりとお洒落を楽しむのだろうが、シャンプーですらほぼ自作する彼女の肌が、それらの化学薬品に耐えられるとは思えない。
天然成分の染髪料なら大丈夫かもしれないが、自身に髪色を染める気は無いし、セフィロスも彼女の艶がある黒髪が気に入っていた。
気分転換としては良いかもしれないが、多分彼女の髪色が今と変わったら、違和感の方が大きいかもしれない。


、お前は、髪の色を変えた事や、変えたいと思った事はないのか?」
「髪色ですか?うーん……昔、敵の攻撃で老化した時に白髪になった事はありますが、それだけですね。変えたいと思った事もありませんよ」

「白髪……か。少し見てみたい気がする」
「では、やってみますか?『きつけやく』を渡しておきますから、満足したら解除してください」


普通女性は老いた姿を見せたくないものではないだろうか。
そんな疑問をセフィロスが抱いている間に、は回復薬を彼の手に押し付けると、あっさり自身にオールドをかける。
黒い髪が根元から徐々に白くなっていく様子に気をとられたセフィロスだったが、変わったのは髪だけではない。
髪同様に、彼女の顔の艶に陰りが見えたかと思うと、目元、口元に皺が現れ、細い首にも年月が現れ始める。
これは、本当に見て良いのだろうかと、渡された回復薬を手に迷うセフィロスとは対照に、は皮下脂肪が落ちて血管が浮き始めた自身の手を珍しそうに見ていた。

元が黒かった彼女の髪は、セフィロスの髪よりずっと明るい白髪に変わった。
皮下脂肪が落ちて、少し緩くなったズボンを押さえる手は、骨と血管が目立つが、セフィロスが知る老人のそれより肌の肌理が細かい。
老人というより、老婦人の手になったに、セフィロスは躊躇いつつその顔を覗き込んだ。


「何故老化しているのに綺麗なんだ」
「そんな事を言われましても……。何を怒ってるんですか?」

「……老化というから、もっと、枯れ枝のような姿を想像した」
「十分老化していますよ。あちこちの関節に違和感がありますから、戦いにくそうです」

「その割に、強そうだ。対峙したら一瞬で叩き潰されそうな……いや、そもそも挑むことすら無謀な雰囲気がある」
「……満足したならもう戻らせてもらいますよ」


若さを失って出てくるのが、哀愁やか弱さではなく、歴戦の覇者らしい貫禄とはどういう事か。
やたら強そうで綺麗な老婆と化したを前に、セフィロスは納得できず眉間に皺を寄せる。

一方、希望通り老化した姿を見せたのに、なぜか不服そうな態度をされたは、ため息をついてセフィロスから薬を返してもらうと、頭からそれを被る。
一瞬で元の姿に戻ったは、空になった瓶を仕舞うと、腕を組んで考え込むセフィロスを見た。


「貴方が見たいと言ったから老化して見せたのに、何が不満なんですか?」
「……悪かった。もっと、そこらへんにいる一般的な老人を想像していたせいで、予想外の結果に驚いた」

「それは、分からなくもありませんね。ですが、一言で老化と言っても、実年齢と外見年齢は人によって違うのではないですか?」
「それはそうだが……。今見た老化した姿より、出会った時の方が、よっぽどヨボヨボしていた気がする」

「あれはヨボヨボではなく、ボロボロでしょう?まあ、貴方が、耄碌した状態を想像し期待していたのは分かりました」
、俺は今、老婆が綺麗という意味がわからない状態を目の当たりにして、混乱している」

「それは褒めている……のですかね?ですが、セフィロス、貴方が老化しても、外見の評価は同じようなものになると思いますよ」
「強そうなジジイは想像できる。お前が年老いた姿も悪くはなかった。だが、強そうで綺麗なバアアという点は想像していなかった。分かってくれ」

「正直よくわかりませんが、貴方がどれだけ混乱しているかは分かりましたので、これ以上言うのはやめておきます。ああ、ですがセフィロス、今後、どうしても姿を変える必要ができた時は、一緒にオールドを使う事になりますので、それは覚悟しておいてください」
、俺は、それぐらいなら失踪する方を選ぶ。二人で次元の狭間に逃げるぞ」


頑として譲らない姿勢のセフィロスに、は少しだけ呆れたが、否定する理由はなかったので受け入れることにした。
だって、初めて老化のステータス異常を食らった時は平常心がグラついたが、一時的なものと思えば戦える程度には冷静だった。
他の仲間も心を強く持って戦……いや、女性たち戦闘後に半泣きになっていたし、その後は肌の手入れが念入りになっていた気がする。
多分、戦いの後の未来を考えている彼女達と、年を取る前に戦いの中で死ぬと思っていた自分との違いだろう。

主の剣であり肉の盾である事が自分の唯一の価値だという、その長年の価値観は、旅に出て主を失っても簡単には変わらなかった。
戦いが終わった後は、祖国の復興に身を捧げ擦り切れて朽ちるか、はたまた新たな主を得て肉の盾として勤めを果たすか。それくらいしか考えていなかった。
だから、他の仲間のように老化した自身の姿に、感情を動かすことなどなかったのだ。動いても、戦いづらくて厄介だと思うだけ。

よもや、誰より長く生きて、老いもしないなど、だれが想像できようか。
今も昔も理由は違うが、老いた自分の姿に対し、何も感じない事だけは同じだった。

セフィロスとミッドガルで暮らしていた頃は、ただの人のように年を重ねていく事を淡く夢見たりもしたが、それも今は思い出の一つだ。
あの頃も、あれはあれで幸せだったと、一瞬だけ懐かしさに浸ったは、逃げるようにソファへ移動した彼を追う。
オールドをかけられるか警戒しているのか、少し硬い表情をするセフィロスに、は小さく苦笑いを零した。

彼女が零した笑みに、じろりと睨んだセフィロスの警戒心に、彼女は口元を押さえて噴き出す。
慌てて笑みを押さえたの目に映るのは、眉間に皺をよせてこちらを見るセフィロスだ。
いつもは彼の膝に腰を下ろすのだが、彼の様子を窺う姿と、もう少しだけ浸りたくなった懐かしさに、はセフィロスの隣に腰を下ろすことにした。
オールドで老いたへ、おかしな反応をしたことは、もう気にしないであげよう。

普段とはどこか違う様子のに、セフィロスは更に警戒心を増して、それが意図せず彼女を笑わせる結果になる。
けれど、これで笑ってしまうのは、流石にセフィロスに失意礼で、彼が可哀そうで、は目を伏せて大きく息を吐くと、気持ちを切り替える。
疑っても、それ以上逃げずにいてくれるセフィロスに、は自然と頬が緩むのを感じながら、膝の上で組まれた彼の手をそっと包んだ。


「セフィロス、貴方と御一緒できるなら、私はどれほど遠い場所であろうと、喜んで参ります。ですが、次元の狭間は長居しすぎると危険ですから、逃げるとしても別の場所にしましょう」
「……、さっきの態度は悪かった」

「いえ。混乱していたのでしょう?私はもう気にしていませんから、貴方もどうぞ、お気になさらず」
「お前は俺に甘すぎる」

「踏み止まれる方だからですよ。それに、貴方を甘やかすのは、私の特権だと思っています」


反省し謝罪しても簡単に受け入れてくれるに、セフィロスは罪悪感から自己嫌悪を始めそうになって、慌てて思考を止める。
そこで立ち止まれるようになったのは、この1年の休養による大きな回復と進歩の証しだと思った彼は、その手に温もりを与え続けてくれる彼女の手を握り返した。
視界の端に見える時計は、もうすぐ正午を指しそうだが、空腹感はない。
ならば、もう少しこのままとゆっくり時間を過ごせると思った彼は、視線をやった先の彼女が何か考えながら何か言おうとしたのを見て、慌ててその口を塞いだ。

こういう時、彼女はロクな事を言わないのだ。
そう、セフィロスは学習している。


、お前が今、何を言おうとしたかは分からないが、後にしろ。俺は今、お前とゆっくり過ごしたい」


緊急事態なら、彼女は言うよりまず動く。
そうでないなら、どうせ大した話ではない。
偶に重要な事をサラッと言ってくるが、この話の流れの場合は、後回しで問題ない時だとセフィロスは確信した。

大きな手で口を塞がれたは、少し不満げに何かを言っていたが、唇に触れる彼の掌の感触がくすぐったかったのか、すぐに喋るのをやめた。
同じく、掌で唇を動かされたセフィロスもくすぐったさを感じたが、そこで得たのはが口を閉ざしてくれた安堵ではない。
口を覆った掌には、の唇の柔らかさと、話そうとした時についた唾液のしっとりとした感触がある。
それが、時折強請るセフィロスを甘やかしてくれる、彼女の舌の温かく濡れた感触、そして柔らかさを思い出させた。

一瞬でも老婆にさせておいて、10分も経たないうちに下心を湧かせるなど正気の沙汰ではない。
彼女の唇の感触のせいだとしても、もう少し冷静になれと、セフィロスは自分手の甲をくすぐる呼吸を意識する事で欲と平常心のバランスを取ろうとした。

けれど、大人しく見つめるの長い睫毛に気を取られそうになって、セフィロスはさりげなく視線を逸らして時計を見る。
時間に思考を向ける事で、少しだけ冷静になったつもりだったが、彼を意識させる手は彼女の口から離れる気配はなかった。
それどころか、指先で彼女の唇をそっと押し、その弾力を楽しんだかと思えば、逃れようとした唇に指を割り入れ、舌の温みを楽しんでいる。

昼間から不穏な動きをし始めたセフィロスに、は先ほどの穏やかな笑みから一転、警戒した顔で彼の腕を掴もうとする。
当然の反応に、大人しく捕まえられたセフィロスは、もの言いたげな顔で言葉を探すを見下ろしながら、少しだけ心の中を整理し、想像してみる。

仮にに強請られて魔法で一瞬だけ老化したとして、微妙な反応をされても許して優しくしたら何故か欲情されはじめる。その時、仕方ないで答えられるだろうか。
普通に無理だし、意味がわからなかった。

、警戒させて悪かった。少し魔が差したらしい。昼食まで、少し休みたい。膝を貸してくれ」
「……そうですか。わかりました」


思い改めて平静に戻ったセフィロスの様子に、は肩の力を抜くと、ソファの端に座りなおす。

昼間から下心を出すほど欲求不満な生活はしていないのに、おかしなことを考えてしまったのは、きっとこの閉塞された冬のせいだろう。
この詫びは夜にちゃんとしよう。
そんな義理堅いようで不埒な事を考えながらの膝に頭を乗せたセフィロスは、彼女のズボンの湿った感触と凍りつくような冷たさに素早く起き上がると、驚く彼女から下着ごとズボンをはぎ取った。

「ぬわぁ!?セ、セフィロス、突然何を……!?」
「黙って脱げ!」

いきなりお尻を丸出しにされたは、ズボンを奪われた勢いでソファにひっくり返る。
慌てて身を縮こまる彼女の足をつかんだセフィロスは、声を荒げて氷のように冷たい靴下を奪い取り、彼女の上の服を掴んだ。


「……上は平気そうだな」
「いきなり何なんですか!?家の中で貴方が追いはぎになるなんて、何が起きてるんですか!?」

「自分の足を触ってみろ。俺は着替えを持ってくる。暖炉の前に戻って下半身を温めておけ」
「足…ですか?」


冷え切っている自覚がない彼女に大きくため息をついたセフィロスだったが、まずは着替えを優先しようと寝室へ向かう。
できるだけ暖かい靴下やズボンを選び、下着を選ぶのに少しだけ迷うものの、端に追いやられている黒と紫の下着を掴んだ彼は、念のため厚手の肌着も手に取る。
いっそ全部着替えさせようかとも考えたが、服を取りに戻る間にもの体が更に冷えてしまう。

どうしてあれだけ冷え切っていて自覚がないのか。
呆れるような、けれどどこか不可解で、セフィロスは後で問いただすと決めると、急いでリビングのドアを開け、下半身どころか上も裸になっているの姿に固まった。


、どうして全部脱いでる?」
「ああ、セフィロス、着替え、どうもありがとうございます。ちょっと、今体を作り直したので、服は脱げてしまいました」

「…………まずは着替えろ。そのままでは風邪をひく。話はその後だ。いいな?」
「はい」

暖炉の前で温まってはいるものの、何故か全裸で髪の毛も元のまっすぐな状態に戻っているに、セフィロスは一瞬気が遠くなる。
何故と問うた回答に、さらに気が遠くなるのを感じながら、セフィロスは諸々を飲み込んで着替えを差し出す。
笑顔で受け取っただったが、一番上にある黒と紫の下着に目を丸くしてセフィロスを見たが、彼はすでに背を向けて、が脱いだ冷たい衣類を回収している最中だった。

持ってきてもらったのに注文をつけるのはどうかと思い、は大人しく渡された衣類を身に着ける。
上の服もセフィロスが回収してしまったので、ソファにかけてある彼のカーディガンを借りると、は大人しく暖炉の前に腰を下ろした。
洗面所に服を置いて戻ってきた彼が、台所で珈琲を入れている様子を眺めて、はちょっと長いお叱りを覚悟した。






セフィロス、オカマに目覚める(笑)

2023.05.03. Rika
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