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雨音に呼ばれて、意識が緩やかに現実へ戻ってくる。
眠りから覚めきらない目で、薄暗い室内を眺めていたセフィロスは、傍にいるはずの温もりが消えていることに気づき、慌てて起き上がった。

灯りが消えたリビングを見回し、台所にもの姿がないことを確認した彼は、乱れた髪もそのままに廊下へ出る。
誰もいない寝室を確認し、大きな物音を立てながら玄関へ向かうと、途中にある浴室からする水音に気がついた。
焦りに縺れる足で脱衣所の扉を開くと、開けたままの浴室からポカンとした表情のが顔を出している。


「っ…………」
「そんなに慌てて、どうしたんですか?」

「……何を、していたんだ?」
「見ての通り、浴室の換気扇掃除です。顔色が良くありませんが、大丈夫ですか?」


手に持ったままだった換気扇カバーを床に置いたは、手早くゴム手袋を外すと、力が抜けて壁に手をつくセフィロスに駆け寄る。
頭を垂れ、心底安堵して大きく息を吐いた彼は、の体を引き寄せて肩口に顔を埋めた。


「起きたらお前がいなくて、驚いた」
「……そうでしたか。驚かせてしまってすみません」

「あの飛空挺と持ち主を始末しにいったかと思った」
「貴方、私をなんだと思ってるんですか?」


良かったと呟いて抱きしめる腕に力を込めるセフィロスを、バーサーカー扱いされたは呆れた目で眺めるのだった。



Illusion sand ある未来の物語 27





軽い夕食を済ませて入浴を終えたは、リビングでトレーニング雑誌を眺めながら、酒とつまみを楽しんでいた。
空腹感はないが、セフィロスからもう少し贅肉をつけてほしいと言われたので、つまみは夕食のサラダの残りにチーズと生ハムを加えたもの。更に、冷凍していたベヒーモスの角煮を解凍し、軽くトースターで炙ったバゲットに乗せて食べている。

むしろこちらの方が夕食のようだと思いながら、自然と増える酒量に気をつけつつ、は雑誌の内容に目を通す。
セフィロスが詳しく説明しながらメニューを決めてくれているが、雑誌の知識を得ると理解が更に深まる気がする。
これは明日からのトレーニングにも身が入りそうだと思ったが、しかしセフィロスから贅肉を付けるよう言われていた事を思い出して、は少し残念に思いながら角煮に手を伸ばした。


「ほう。これはなかなか……」


肉の旨みと油の甘さが凝縮された角煮は、口の中でホロホロと解けていく。
口に残りそうな油は、角煮をのせていたバゲットに吸われ、食べた後もくどくない。

これはセフィロスにも食べさせなければと思って時計を見ただったが、彼が風呂に入ってからさほど時間が経っていないと気づき、少しだけ肩を落とした。
セフィロスはいつも風呂が長いし、最近はシャワーだけでも長い。
その代わり、風呂が終わると浴室内を綺麗に掃除し、毎回排水溝まで丁寧に綺麗にしてくれるので、そこは普通にありがたいと思っている。


もう一口、ワインを口に含もうとして、はグラスが空だった事に気がついた。
見れば一昨日手を着けていたボトルも残り2口ほどが残るだけだったので、彼女は中身をグラスに空けて、ボトルを台所へ片付けに向かう。

ボトルの中を軽く濯いだは、冷蔵庫の中を確認すると、端にあった桃の果実酒を手に取る。
それは、以前、ルーファウスから、甘さが控えめで飲みやすいと勧められて贈られた酒だ。
ワインに飽きたら飲もうと思い、冷蔵庫に入れていたのだが、それからそろそろ4ヶ月くらい経ちそうだ。
いつまでも冷蔵庫の隅で肩身を狭くさせているのも可哀想なので、いい加減飲んでおいた方がいいだろう。

ソファに戻り、グラスを空にしたは、新しい酒を少しグラスに入れ、軽く揺らして中を濯ぐと一気に飲む。
横着するにも程があるグラスの洗い方だが、今はセフィロスがいないのだから良いのだ。
贈ってくれたルーファウスの呆れた声が聞こえてきそうだが、今は一人で飲んでいるから気にしない。
果実酒と赤ワインが混じって変な味がしたが、最初だけだと言い聞かせて、は改めてグラスに果実酒を注ぐ。

香りをかぐと、瑞々しい桃の香りがしてジュースのようだが、後に残る香りには確かなアルコールを感じる。
強い桃の香りに、思ったより甘みが強いかもしれないと口をつけたが、感じたのは期待を裏切るすっきりとしたほのかな甘みだった。

ルーファウスが言っていた通り甘さは控えめ。桃の味は強いが後には引かず、けれど香りはしっかりと口の中に残る。
これは慣れなければ飲み過ぎてしまう酒だと思い、ラベルに書かれたアルコール度数を確認すると、先程まで飲んでいたワインよりも高かった。


「悪酔いしそうだな……」


だが、一緒に飲むのはセフィロスだけなので、今更多少の恥など有って無いようなものだ。
迷惑をかけないようにだけ気をつけようと考えると、はグラスを置いて雑誌を広げ直す。
時計を確認し、彼が出てくるまであと30分程だろうかと考えると、次に読む武器雑誌をテーブルの端から傍に引き寄せておいた。





、今出……」
「うわっ!」


の予想を超えて入浴から1時間経とうという頃、セフィロスは浴室から戻ってきた。
だが、リビングを開けてに声を掛けると同時に、ソファに掛けていた彼女が声を上げたかと思うと、グラスを手にしたまま立ち上がる。

どうしたかと覗き込めば、彼女は慌てた様子で持っていた雑誌をテーブルの端に置き、着ているパジャマをティッシュで拭う。
グラスを置く方が先ではないかと思いながら近づくと、ふわりと桃とアルコールの匂いがして、髪を一部湿らせたが振り向いた。


「ちょっとお酒を零してしまいました。洗って着替えてきます」
「……今、か……?」

「このままでは寝られないでしょう?髪に匂いがついてしまいますし、ちょっと行ってきますね」
「……それぐらいなら、寝る前でも良いだろう?また零すかもしれない……」

「子供ではないのですから、そう何度も零しませんよ。それに、胸元にかなりかかっていて、下着にも染みてしまっていますから」
「…………」


気が進まなそうな様子のセフィロスに、は首を傾げるが、その間にも服に染みた酒から出る酒気が少しずつリビングに広がる。
今日も彼が長風呂だったのは、また浴室を掃除してから出てきてくれたからなのだろう。
洗ったばかりの場所をすぐに使用するのは少し申し訳ないが、家の中を酒臭くする方が嫌だったので、は彼に軽く詫びると浴室へ向かった。

着替えは後から取りに行くことにして、脱衣所の棚からバスローブを出したは、着ている物を脱ぎ捨てて風呂場に入る。
その瞬間、微かに感じた覚えのある匂いに眉を跳ねさせたが、それより自分の髪からする酒の匂いが気になって、一気にシャワーを被る。

面倒だと思いながららもう一度髪を洗い、石鹸の香りに変わった髪に人心地つく。
コンディショナーとして調合した檸檬水で髪をすすぎ、薔薇の香りをつけた油をなじませると、水気を軽く絞ってまとめ上げた。
既にお酒が洗い流された体をシャワーで軽く流し、ついでに唇についていた角煮のタレも洗い流しておいた。

一通り済んで浴室を軽く洗ったは、魔法で室内を乾かすと、排水溝の前にしゃがみ込む。
自分から出た髪の毛をとり、お湯を流してみたものの、室内にほんのりと漂う匂いに彼女は眉を顰めた。


「やはり、この世界の排水溝は、どうしても臭うのか……」


呟いて、ため息をつくと、は脱衣所に手を伸ばして集めた髪を捨てる。
セフィロスが進んで掃除をしてくれている分、この風呂場の排水溝で嫌な気分になる事は少ないが、いつまで経ってもこれは慣れない。
排水溝の網に髪が溜まるのは仕方がないが、同じく溜まるシャンプーのカスのドロリとした感触がは少し苦手だった。
生まれた世界では固形石鹸しかなかったので、こちらの世界の液体石鹸を初めて見たときはワクワクしたものだ。
が、排水溝に溜まったシャンプーのドロドロした感触は予想外だった。


「ドロつきがないだけマシか……。本当、セフィロスがいてくてよかった……」


苦笑いして手を洗いながら、はその感触に音を上げた頃の事を思いだした。
彼が入浴後の掃除までしてくれるようになったのは、ミッドガルで一緒に住み始めて10日くらいしてからだった気がする。
髪を洗った後はどうしても排水溝の流れが悪くなるので、当然は風呂あがりに排水溝に溜まった自分の髪を取っていた。
セフィロスはに一番風呂を譲ってくれる事が多かったのだが、ある日たまたま彼の方が先に風呂に入ったのだ。
長風呂なセフィロスの後、入れ代わるように風呂に入っただったが、どうやら彼は排水溝の髪を取り忘れたらしく、彼女が髪を洗い出すとすぐに排水口が詰まってしまった。
慌てて溜まった髪を取り除いたのだが、その時のヌルヌルした感触と、シャンプーに混じる生臭さと漂白剤のような匂いには顔を顰めてしまった。
しかも、翌日ゴミ箱を開けたら、その臭いは海産物の干物に似た臭いになっていて、を混乱させた。

が使っていた石鹸だと、そんな事は一度もなかったのだが、製法が違うと後始末の状況も変わるらしい。
排水溝の中の匂いや洗剤臭まで吸着するのかと、感心するやら呆れるやら。
それを言ってから、セフィロスは風呂の後は必ず掃除してくれるようになったが、偶に彼より後で風呂に入ると、ほんのりあの臭いがする事があった。
建物のせいかと思ったが、一度引っ越しをしてからも同じ事はあったので、この世界の建物の構造の問題なのかもしれない。


「この家も、先月くらいまでは大丈夫だったんだけどな……」


この家に住み始める際は、ルーファウスが業者にクリーニングを頼んでくれていたので、二人が入った後でも排水溝が臭うことはなかった。
復活の準備中、件の臭いについてルーファウスに相談したら、彼は何故か笑いながらセフィロスを哀れみ、一緒に話を聞いていたレノも同情した顔をしてい。
もしかしたらちゃんとした施工の家や、ルーファウスが住むような高級住宅、または最近の家ではそういった問題は起きないのかもしれない。
この家は、山の中の一軒家だが、下水は浄化処理できる家庭用の装置がついているらしく、綺麗になった状態で少し離れた川に流されている。
数年に1回、業者のメンテナンスを頼まなければならないが、それは達が住む直前に済んでいた。

ルーファウスからは『もしまた臭うことがあれば、セフィロスが解決してくれる』と言われ、レノからは『そのうち解決するから、セフィロスに言うほどじゃない』と正反対の事を言われた。
どちらなのかと呆れたが、互いに意見を否定し合わなかったので、どちらでも好きにしろという事だろう。

この家で最初の頃は、の石鹸やセフィロスのシャンプーを使っても、排水溝に問題はなかった。
けれど最近、またあの臭いを感じることが何度かあったのだ。
毎日使っているのだから仕方ない臭いは諦めるが、台所で使っている漂白剤の臭いが風呂でする意味も、体を洗う場所で生臭さがでる意味がわからない。
ベヒーモスを解体した日でさえ、排水溝から臭いが上がってくることは無かったのに。

この家で初めてあの臭いがした日、心配になってセフィロスに相談したら、常識外の質問だったのか、数秒固まった後で対処すると言ってくれたが、明確な答えはくれなかった。
ただ、彼の入浴後の排水溝掃除がより丁寧になっていたので、はやり問題は排水溝で間違いないのだろう。

先に入浴する自分はさておき、いつも後に入る彼はあの臭いが嫌ではないのか。
気にするなと言われても、罪悪感は湧くものだ。

やはり設備の問題なら、業者を呼ぶべきだろうか。
後でセフィロスに相談しようと決めると、はバスローブを羽織って髪を魔法で一気に乾かし、寝室へ着替えに向かった。


雨の夜の寒さに鳥肌を立てながら新たなパジャマに袖を通したは、少しだけしっとりとしたバスローブを魔法で乾かし、洗濯篭に投げ込む。
シャワーを浴びはしたものの、ただ汚れを流すだけの短時間入浴だったせいで、体は温まるどころか寒気を訴えている。
小走りでリビングに戻ってきたに、酒の瓶を眺めていたセフィロスが振り向き、声をかけようとしたが、彼女はそれより早く彼の腕の中に潜り込んだ。


「っ……落ち着け。酒がかかったらまた風呂場に逆戻りだぞ。……で、どうした?」
「急いでシャワーを浴びたら、思ったより寒かったので、暖をとりにきました」

「……部屋を暖めたらどうだ?」
「それは今からします」


セフィロスの手から酒瓶をとってテーブルに置くと、は彼の膝に座り直す。
彼のガウンの前を広げ、中に入り込んで抱きつくと、やっと暖がとれた彼女はほうっと大きく息を吐いた。


「酒が取れん」
「もうちょっと我慢して下さい」

「……わかった。後でとってくれ。それと、角煮はまだあるか?」
「ええ、冷凍したものがまだ……ぬわぁ!?全部食べられているだと!?」


希望するなら明日にでも食卓に出そうと思ったは、ふと目にしたテーブルの上の皿に目を見開く。
ほんの少し前まであったバゲットの角煮乗せというただの手抜きつまみが、ちょっとシャワーを浴びている間に綺麗に無くなってしまっていたのだ。
しかもサラダは全く手を着けられた形跡が無い。
どういう事だと振り返れば、セフィロスの口の端には角煮のタレと小さなパン屑がついているし、呼気からは大変良い匂いがしている。


「酷いです!全部食べるなんて!」
「悪かった。そのつもりは無かったんだが、気づいたら無くなっていた」

「許さん!こればかりは許さんぞ!一緒に食べようと思っていたのに独り占めとはあんまりです!ちょっと追加を作るのを手伝って下さい!反論せずにバゲットを切れ!!」
「わかった。わかったから、そう怒るな」


膝から降りて怒るに手を引かれ、セフィロスは少し足をふらつかせながら台所に連行される。
ちょっと彼女を放置してソファに戻る悪戯をしたくなった自分に、自覚するより酔っていると気づいた。

からバゲットとパンナイフを押しつけられるまま受け取ったセフィロスは、手元に注意しながら大人しくバゲットを切ってオーブントースターに入れる。
その間、は冷凍庫から出した角煮を鍋に空け、弱火でゆっくりと温め始めた。


「電子レンジの方が早いと思うが……」
「試してみましたが、あまり時間は変わりませんでしたよ。それに、袋のまま温めると、食品に少しビニールの匂いがうつるので、気になるんです」

「俺はよくわからん」
「私が匂いに敏感なだけでしょう。貴方に解凍を頼むときは、好きな方法を使ってください」


山でも匂いで山菜や茸を判断していたの姿を思い出し、セフィロスは納得する。
他人に強要しないのなら、自分が調理する分には好きにすれば良い。
それに、実際はセフィロスが目の前でビニール袋ごと鶏肉を茹でたりしていても、一度だって文句を言ってない。

セフィロスがバゲットを焼き終わる頃には、も調理を終えたので、二人は作り直した料理を手にリビングへ戻った。


「セフィロス、随分飲みましたね。このお酒、少し強めですが大丈夫なんですか?」
「あまり気にしていなかったが、大分酔っている。だが、どうせ後は寝るだけだ。残ったつまみは、明日の朝食べれば良い」

「作ったばかりで何を言ってるんですか。眠くなったら言ってくださいね」
「わかった。お前も飲め」


セフィロス一人で半分以上飲んでしまっているボトルを手に、は心配して彼の顔色を確認する。
耳と目尻がほんのり赤くなっているものの、目はしっかりとしているセフィロスは、少し考えて答えると彼女のグラスに酒を注いだ。
手つきもしっかりしている彼に、は少し安心すると、グラスを受け取って口をつける。


1ヶ月前までは、こんな風に飲んでる最中によく分からない流れで寝室に運ばれ好き放題される事が多かったが、最近は随分平和になったと、は果実酒を味わいながらしみじみ思う。
平和すぎて、逆に別の心配や悩みも出てきたが、ミッドガルにいた頃のように穏やかな気持ちでセフィロスの隣にいられるようになった喜びの方が大きい。
昔より、お互い感情を出すようになって言い合う事が増えたが、元が喧嘩しなさすぎたので、これくらいで丁度良いのだろう。

桃の香りの息を吐いて、は隣にいる彼を見る。
先程に怒られた事を忘れたのか酔って失念しているのか、かなりのペースで角煮を口に運ぶ彼に、は慌ててその腕を押さえた。


「何だ?」
「何だじゃありませんよ。また一人で食べるつもりですか?」

「美味いのが悪い」
「自制しましょう」

「お前の料理が美味いのが悪い」
「人のせいにしないでください。サラダもあるでしょう?。ほら、前に貴方が欲しがって市場で買ってきた生ハムが乗ってますよ」

「俺が欲しかったのはブロックじゃなくてレッグの原木だ」
「大きいのは臭いから嫌です」


目を逸らして文句を言うセフィロスを半ば無視して、は角煮の皿を彼から遠ざける。
やれやれと頭を振ってため息をついたセフィロスだったが、すぐに諦めてグラスに口付けると、が差し出したサラダに箸を向けた。

料理が上手いと褒める事で誤魔化そうとしたようだが、昔からの大雑把さが残るの料理より、セフィロスの基本がしっかりした料理の方が美味しい。
復活の前にルーファウスへ頼んで料理や家事一般を学び直したおかげで、今のの料理は普通の家庭料理レベルではあるが、適当に作るとやっぱりどこか大雑把で大味だった。

そもそもこの角煮、油を抜く煮こぼしはがしたが、味付けしたのはセフィロスである。
じっくりコトコトファイアで煮たのはだが、途中の味の調整もセフィロスだったので、二人の共同料理である。
ちょっと彼の酒量に注意した方が良いだろうかと思いながら、は角煮を口に運び、空のグラスに果実酒を注いだ。


「あ、そうだセフィロス、匂いで思い出したんですが、お風呂の排水溝から、また少し臭いがしてました」
「…………」

「前から言っていたでしょう?ミッドガルにいたときに時々してたような、あのちょっと生臭さがある漂白剤のような臭いです」
「…………掃除は……したはずだが……」

「ええ。ですから、そう強くは臭っていませんでしたよ。浴室に入った瞬間少し気になる感じで、シャワーが終わってから排水溝の髪を取ったんですが、その時にも少し臭いましたね」
「…………」


の言葉に、箸を止めたセフィロスは、気まずそうな顔になると、視線だけで彼女に振り向く。
排水溝の話をする度そんな態度になる彼に、はもはや疑問を抱くことはなく、果実酒を飲みながら状況の説明を続けた。


「排水溝の臭いは、てっきりミッドガルのような集合住宅や街中だけかと思っていたんですが、一軒家でもやっぱりついてくる問題なんでしょうか……」
「……いや……どう……だろうな…………家によるだろうな」

「そうなんですか?この家を貰う前、ルーファウスに相談したんですよ。ミッドガルでは排水溝から独特の臭……」
「は!?ルーファウス!?奴に言ったのか!?」


ルーファウスの名を出した途端、いきなり大声を出して驚いたセフィロスに、は目を丸くする。
家の設備について、元の持ち主に相談するのは当たり前だろうに、なぜそんなに有り得ない事のような顔をするのか。
セフィロスの過剰な反応に驚き身を引いただったが、彼の赤くなりはじめた頬と揺れる視線に、酔って感情が表に出やすくなったのだろうと考えた。


「あー、はい。シャンプーの成分のせいでする臭いが苦手だと……」
「……シャンプー……そうか……」

「ほら、あの臭い、生臭さを放っておくと、翌日くらいから海産物の干物のような臭いになるでしょう?ですから、この家の浄化設備はその干物のような臭いをどうにかできるかと聞いてみたん……」
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「うわっ!どうしたんですかセフィロス!?
「どうしたもこうしたもあるか!よくも……よくも……言ってくれたな!よりにもよってあのルーファウスに!あの男に!!」


喋っていたら、今度は突然大声を上げて頭を抱えだしたセフィロスに、は驚いてグラスを置くと彼の肩を掴む。
だが、逆にセフィロスに肩を掴まれ、顔を真っ赤にした彼にいつにない大声で怒られてしまった。
困惑して自分の発言から失言を探すが、そもそも失言をした覚えが無いので、なぜ怒られるのかわからない。
とりあえず、セフィロスが飲み過ぎているのは間違いないので、何とか落ち着けようとするのだが、怒りの理由を分かっていないので上手くいく気がしない。


「本当に信じられん。知らないにしても限度があるだろう。いや、これは知らなければ仕方ない事か?ああ、どちらにしても最悪だ……」


の肩から手を離して、再び頭を抱えだしたセフィロスに、はただただ困惑するしかない。
何か自分の知識不足で彼に嫌な思いをさせたのだろうとは想像出来るが、排水溝が臭う事のどこにどんな知識が必要かわからない。
やがてため息しかつかなくなった彼に、は途方に暮れつつ、角煮を乗せたバゲットを口にする。
セフィロスが会話を再開してくれるまで、もう少しかかりそうだったので、彼女はとりあえずグラスに残った酒を飲むことにした。


「飲んでる場合か!」
「えぇ?そんな事言われましても……そもそもセフィロス、私は貴方がどの点にどんな理由で怒っているのか分からないのですが……。住宅の設備について前の家主に聞くのはそんなにおかしいことなんですか?」

「…………」



それとも、排水溝からの臭いを他言する事がいけなかったのだろうか。だが、それならそうと言えば良いし、当のセフィロスが今までそんな事を言ってこなかったのだ。
臭いがすると言えば、自分が掃除すると言うだけで、それでも臭う事があるから他の人に相談しただけなのに、どうしてこんなに怒られなければならないのだろう。

黙りこくってしまったセフィロスに、怒るほどの理由があるなら、最初から説明すれば良いだろうと内心の憤りを抑えて、は空のグラスに酒を注ぐ。
酒のせいで少し感情的になっている事を自覚するだったが、腹が立っても、自分より感情的な状態のセフィロスに怒りを返しては良い結果にはならないと自分に言い聞かせた。


「理由があるならちゃんと言ってくださらないと、分からないままでしょう?怒る前に、ちゃんと説明してくださいな」
「説明……説明!?……あぁ、本当に……」

「……とりあえず、その排水溝の臭いですが、一度業者に見てもらってはどうでしょうか?」
「その必要はない」

「……私が気にしすぎているんでしょうか?」
「いや……何とかする。近いうちに何とかするから、業者を呼んだり他の奴に相談したりは絶対にするな」


結局説明らしい説明をせず、何とかするとしか言わないセフィロスに、はもう諦める事にした。
果実酒を口にして、その味と香りに集中しながら、ハーブの鉢植えでも浴室に置こうか考える。
頭を抱えたままのセフィロスを放置し、サラダに手をつけてチーズとオリーブオイルの香りを楽しんだ彼女は、あっという間にグラスを空にしてしまった。
瓶に残った僅かな果実酒を注ごうと手を伸ばしたは、ふと、こちらをじっと見るセフィロスと目が合う。

だが、今話しかけても、また酔っ払いの意味不明な怒りをぶつけられるだけだと考えると、目が合わなかったことにして瓶の中身をグラスに空けた。
半分以上セフィロスに飲まれてしまったが、もつい杯を重ねてしまうくらい美味しいお酒だった。
貯蔵庫にあと1瓶あったはずなので、それはまた今度、セフィロスの機嫌が悪くならなさそうな日にだそうと決める。

やたら見てくるセフィロスに、一体なんだろうと思ったは、ふと、彼のグラスが空になっている事に気づく。
もっと飲みたかったならはっきり言えばいいだろうとため息を飲み込んだは、半分ほど入っている飲みかけのグラスをセフィロスに差し出した。


「まだ飲みたいなら、言ってください。ですが、今日は飲み過ぎてますから、お互いこれでおしまいにしましょうね」
「酒よりお前がほしい」

「…………」



何言ってんだこの酔っ払いは……。

酒で充血した目を潤ませ、座っているのにフワフワと体を揺らしているセフィロスに距離を縮められながら、は冷たく言い放ちそうになるのを咄嗟に抑えた。
名を呼ばれて、酒で赤くなっている顔が更に熱くなったが、今は浮かれて反応している場合じゃ無いと自分に言い聞かせる。
何のスイッチが入って求めてきたのかは分からないが、なぜ素面の時に手を出してこないのかと、普通に腹が立ってきた。

手に持っていたグラスをセフィロスの手でテーブルに移され、そのまま覆い被さってきた彼によっての体はソファに横たわる。
ご立腹のが、様子を見て眠らせてしまおうと考えているなど露知らず、セフィロスは強い酒気を漂わせる唇で彼女の目尻に口付けた。
薔薇の香りがする黒髪に鼻先を寄せて、深く息を吸い込んだ彼は、愛おしげに頬を寄せる。
片腕で体を支え、空いている手での体に触れてはいるものの、それは彼女の手を握り、時折思い出したように指を絡めるだけの触れ合いだった。


「……できない……」
「は?」


絞り出すような呟きと、その意味に、は一瞬怒りを忘れて彼を見る。
いつか見たほどではないが、その時ににた絶望の色を顔に滲ませる彼は、半ば呆けていた顔を悔しげに歪めると、の胸に泣きつくように顔を埋めた。


「飲み過ぎて……体に力が入らない……勃たない……動かない……」
「ああ……そうですか。じゃあ今度ですね」


飲み過ぎて羽目を外す話は聞いたことがあるが、思うようにならない事もあるのだろうか。いや、彼がそうだと言うならそうなんだろう。
酔っているせいで、横になった途端急に眠くなってきたは、セフィロスの呟きに適当な返事をすると、そのまま胸の上で呻く彼の背中をポンポン叩く。

風呂でするんじゃなかったとか、これはダメだとか、生臭さで分かれとか、角煮が美味いとか、せめて1回にしておけばとか……とにかくセフィロスが胸の上でボソボソ何か言っているが、早くも半分寝かけているにはそれが夢なのか現実なのか判別がつかない。
気合いを入れて起きた方が良いだろうかとぼんやり考えるものの、セフィロスは人の胸で一人反省会らしきことを始めてしまっていた。

長くなりそうなので、彼に運んでもらおう。
そう勝手に決めると、セフィロスがちゃんと正気で反省会ができるよう、はエスナをかけて酒気を抜いてあげる。
驚いた彼が顔を上げたのを眺め、これで彼もちゃんと頭の中の整理できるだろうと安心すると、彼女は眠気に誘われるまま瞼を閉じた。


「待て。寝るな。酔いが覚めたならできる。何度もは流石に無理だが、一度くらいならできるはずだ。おい、起きろ。。お…………おやすみ」


呼びかけるが、既には夢の中の住人である。
何とか起こして彼女自身の酔いを覚ませばイケる思ったセフィロスだったが、しつこく起こそうとした彼に、薄く目を開けたが何かの技を放とうとしたのを察知し、諦めて夢の世界に送り出した。
酔いに任せて行き当たりばったりな行動をしたせいだとは分かっているが、やっぱり彼女に手を出せないのかと脱力してしまう。
しかし、経緯を考えると当然に思えて、セフィロスは名残惜しみつつ今日は諦める事にした。


「それだけ臭いに敏感で、なぜ分からない……」


いや、は経験が無いのだから、男が出したものの臭いなど知らなくて当然だ。
場所が思いつかず、後始末を考えて風呂場で発散していた自分にも責任はあるが、何で知らなかったとはいえルーファウスに相談してしまうのか。
いや、知らなかったからこそ、何も分からずルーファウスに相談したのだろう。
無知ほど恐ろしいものはないとは本当の事だった。できればこんな形で思い知りたくはなかった。

考えれば考えるほどたまらなくなって、セフィロスはに跨がったまま天井を見上げ、両手で顔を覆う。
タイミングが掴めないとか、名前を呼ぶことに慣れるまでとか、この距離感をもうちょっと楽しみたいとか、そんな悠長なことを考えている場合では全然なかった。
がこれ以上自分の想像を超えてしまう前に、さっさと事を済ませてしまわなければ、次に何をやらかすのか……どんな事実を口にしてくるのか分かったもんじゃない。

とりあえず、もう、絶対ルーファウスとは関わりたくないと思いながら、セフィロスはとソファから降りると、テーブルの上を片付ける。

気持ちよさそうに眠るを寝室に運び、腹いせに自分の未使用パンツをの頭にかぶせてやった。
足が出る所から髪の毛を出してやると、ちょっと変わったナイトキャップに見えなくもない。
声を抑えながらひとしきり笑って満足すると、セフィロスは彼女の隣に横になり、また笑いそうになったので背中を向けて目を閉じた。






その日見た夢では、どこかの古ぼけたバーで、黄色いチョコボを連れた茶色い髪の男……確かの昔の仲間に、生ぬるくてクソ不味いビールのような酒を手に慰められた。

『わかるよ。すごくわかる。って、そういうことホント知らなくて、やらかしてくるんだよな……』
「昔からそうだったのか?」

『ああ。まあ、さ、同じ男に相談されたんなら、まだマシだよ。俺……他の仲間、みんな女の子だったからさ……』
「それは……」

『箱入りで分かってない子ばっかだったけどさ、そうじゃない子もいたし。でも何か、弁解とかできないじゃん?』
「ああ、わかる」

『……あれは辛かったなぁ……』
「……飲め」

『ありがと。セフィロスも飲めよ』
「クソ不味いからいらん」

ぬるい上にやたら苦くて、なのに薄いという変な酒を拒否したセフィロスは、『ハァア!?普通に美味いだろ!』という男の声を最後に目を覚ます。
朝日の眩しさに何度か瞬きを繰り返した彼は、何気なく隣に目をやって、未だパンツ帽子を被ったままのを目にすると布団に顔を押しつけながら肩を震わせた。








書いててすっごい楽しかった

2022.11.18 Rika
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