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『何でよりによってあんなのが幻で出てくるんだ……』


完全に自分の中で無かったことになっていた過去が最悪のタイミングで蘇り、は頭を抱えていた。
セフィロスにしがみついたまま、動くという選択肢を放棄していただったが、彼がトイレに行きたくなったことでやっと動くことになる。
ソファに腰掛けて頭を抱えるものの、思考は全く働かない。

そうこうする間にセフィロスはリビングに戻ってきて、そのままキッチンに珈琲を入れに行く。
その姿を横目に確認したは、落ち着きつつも動揺が残っている彼の表情に視線を戻すと、ひっそりと深いため息をつく。


次元の狭間から抜け出し、この世界に来てから数十年。
は久しぶりに本気で死にたくなった。



Illusion sand ある未来の物語 19



ゆっくりと話をしようと帰宅を促してくれたセフィロスに感謝しながら帰ってきたものの、一体何を話せというのか。
彼が入れてくれた珈琲の湯気を見つめるは、心も思考も無になっているのを感じながら、彼が見ただろう幻についての説明を考える。

一つ目の幻はともかく、二つ目の幻は説明も糞もあったものではないが、今更とぼけることも出来ないので、彼が理解できる説明が必要だ。
あれを理解できる説明など見当がつかないし、自分でも忘れていたアレをどう説明すればいいのか分からないが。

自棄に自棄を重ねて完全に壊れながら様々な可能性を模索した結果、日々様々なバリエーションで壊れていた時期がありました。
そう正直に言ったとしても、それを許容できるかは別問題である。
そして実際目にしたセフィロスは、戸惑いとか驚きとかを超えて放心していた。も一緒に放心したかった。


オーディンやシヴァから、次元の狭間に残った魔力が過去の姿を幻として見せているとは言われていたのだ。
魔物とやりあっている姿や、出口を求めて彷徨っている幻を見たと教えられていたので、元凶の自分が行けば絶対に何か見るとは思っていた。
だが、せいぜい徘徊している姿が見られる程度だろうと高をくくっていたのだ。

こんなことになるなら、短絡的に今までと違う方法を試そうだなんて考えるのではなかった。
セフィロスの不安を叩き潰すどころか、自分の精神が叩き潰された。しかも自滅で。

もう嫌だ。何もしたくない。全部投げ出したい。口を開きたくない。
そう思っても、それでは何も解決しないし、状況が悪化しそうなので逃げ出せない。

隣で珈琲を飲んでいるセフィロスの沈黙が、優しさなのか戸惑いなのか思考が働いていないのかも分からない。
ただ、彼に何かを言われて傷を広げるくらいなら、自分から口を開いた方がいいと思って、は当時自分が壊れた経緯を簡単に説明した。

説明したが、歌いながらスキップしつつ尻を振りその尻をリズムに合わせて音が鳴るように叩き崖下にダイブしたことを納得できる説明など、できるはずがなかった。
何故そんな方向に壊れたのか考えても、八方塞がりだったからと言うほかない。他に思いつかない。多分当時もそうだったのだろう。

案の定、セフィロスは理屈は理解しつつも納得できないがとりあえず飲み込んでおくという対応をしてくれた。
有り難すぎて涙が出た。絶対この人を離さないと強く思った。


「私……今日は、もう何もしたくありません」
「ああ。ゆっくり休め」


昼食もとらぬうちから精根尽き果てたは、深く聞かないでくれるセフィロスの優しさに甘えてソファに上半身だけ横になる。
何も考えたくないと思うのに、頭は勝手に思考を始め、けれどそれを止める気力は起きない。
どうせ無心になろうとしても無理だと早々に諦めると、は目を閉じて思考の海に沈むことにした。


付近への被害を考えずに暴れられる場所として、次元の狭間はかなり便利だった。
召喚獣達に頼んで安全確認もしていたのに、あんな幻が出るだなんて誰が予想するだろう。
あんな行動、そう何度も幻になるほどしていないはずだが、当時の記憶は曖昧だ。
初っぱなからあんなのがセフィロスの前に飛び出してきたのだから、今後も忘れている何かが幻として蘇ってもおかしくはない。

昔、結局殆ど見せられなかった自分の実力を見せることで、彼がこの現実を本当に信じられる切っ掛けになればと思っていた。
当時の姿が幻で現れても、彼が知らない自分の姿ならば、信じるきっかけの一つになると思った。
確かに彼が知らない自分の姿は見せられたが、自分が見せたかったのはあんな姿ではない。

しかも、あれを見たことで彼の中にどんな変化が起きたのか、これまで彼の瞳の奥にあった恐れの色が、心なしか薄くなっている気がする。

いや、目を背けるのはやめよう。
心なしかどころか、明らかに、あの二つ目の幻を見てから帰宅するまでの間で、セフィロスの目にははっきりとした変化があった。
僅かな陰りこそあるものの、今の彼の目は、共に過ごした日々のそれに近い。
当たり前にそばにいて、当たり前に名を呼んでくれた頃の、をしっかりと映してくれていた目だ。

何でよりによってあの幻なのか。

復活してからこの数ヶ月、散々気を遣って、試行錯誤して……幾らその積み重ねがあっても、あの幻1発で解決するとはどういうことか。
全然嬉しくない。
これで名前を呼ばれたら、立ち直れないかもしれない。家出しない自信がない。

この混乱のしかたは、一人で解決しない方が良いかもしれないが、シヴァにもルーファウスにも言いたくない。
どちらにも、哀れまれて終わるだけな気がする。


「うぐぐぐぐぐ……」
「大丈夫か?」


たまらず漏らしたうめき声に、セフィロスが珈琲カップを置いて聞いてくれるが、はクッションに顔を埋めたまま首を横に振るしかできない。
けれどこのまま甘えようとしては彼に負担をかけてしまうと思い、彼女は深呼吸すると顔を上げた。


「無理はするな」
「善処します……」

「お前のその台詞はアテにならない」
「…………」


耳まで赤くして眉を下げる彼女に、セフィロスはどうしたら良いのかと考える。
見つめ合いながら、段々と恨めしげに変わっていくの表情を見て、セフィロスは自分の気持ちの変化がバレていることを確信した。

とりあえず、弾みで名を呼んでしまわないように、暫(しばら)く気をつけようと考えて、彼女の手にコーヒーカップを持たせる。
促されて、温くなったコーヒーを一気に飲み干した彼女は、大きく息をついてカップをテーブルに戻した。
その頭をヨシヨシと撫で、力の入らない肩を抱き寄せたセフィロスは、とりあえず彼女が暴走して逃げ出さないよう、優しく彼女の手をとってさりげなく捕獲しておいた。

セフィロスとしては、が諸々を受け入れて落ち着いてくれるのを待つしか無いので、彼女を慰める以外にできることはない。
正直、忘れられない光景だったが、だからと言ってセフィロスの心がから心が離れることはないし、見方が変わるということもなかった。
まだ上手く脳内処理できていないだけかもしれないが、アレは処理のしようがないものだと思っている。


『……最初から何かおかしな女だったからな。想像より変な奴だったと知っただけだ。どんな人間でも、極限状態になれば何処かしら壊れる。人に迷惑をかけない方向へ壊れているのなら、むしろ褒めて……褒めて…………アレを褒めるのか?』


何とか前向きに考えようとしたセフィロスだったが、流石に無理があったので、それ以上考えるのはやめた。
上手いフォローが思い浮かべば良かったが、この件はセフィロスの手に余る。
時間が解決するのを待つのが得策だろうと考えると、彼はの手を引いて彼女に膝を貸した。


次元の狭間でみたのとはまた違う疲れた顔をしている彼女は、彼の膝を枕にしながら横目でその表情を確認する。
頬杖を突いて、視線を窓の外へ向けるセフィロスは、普段の寛いだ様子を見せてくれる。
それに心の中で感謝しながら、繋いだ手を少しだけ強く握ったは、大人しく彼の膝に甘えることにした。

ドン引きしたセフィロスに逃げられなくて良かった。
そう思いながら、握っているセフィロスの手を両手で包むと、彼の空いた手が頬にかかる髪を優しく払ってくれる。
その優しさが心に染みて涙が出そうになりながら、は彼の視線の先にある空を眺めた。








『参ったぞいオーディン、ワシ、笑いすぎて尿漏れしそうじゃ』
『我は何も見ていない』

とセフィロスが去った次元の狭間で、二人が帰った瞬間大笑いしたラムウは、目に浮かんだ涙を拭いながらオーディンの肩を叩く。
笑いが収まりそうになるたびに再び笑い出すラムウに付き合わされていたオーディンは、素っ気なく彼の手を払って傍らの愛馬を撫でた。


『嘘をつくでないわ。おぬし、鎧の中で変な音立てて笑っておったじゃろ』
『驚いて咽せただけだ』

『ホレ見んか。やっぱり見とったんじゃろ』
『…………』


ラムウに突っ込まれて顔を背けたオーディンは、スレイプニルに跨がると達がいた道の上に降りる。
が帰るために使ったものとは別に彼女の魔力を感じて、愛馬を促し幻が落ちていった崖へ向かったオーディンは、眼下の光景にため息をついて頭を振った。
後を追ってきたラムウもまた、崖下の状態に顔をしかめ、オーディン同様ため息をつく。


『こりゃ酷いのう……あの二人が見ずに帰ってよかったわい』
『……哀れな。身に宿るクリスタルの力が、死することを許してくれぬか……』


崖の下には、無数に生える水晶で全身を血に染め、痛みに呻きながらその先の崖へ這っていくの姿があった。
青白い水晶を赤く染め、それでも意識を失うことができない彼女は、虚無へと続く星空へ救いを求めるように進んでいく。
血で濁る声が、うめき声に混じって何かを言っているが、ラムウとオーディンの耳には聞き取れない。
やがて崖の縁まで着いた彼女は、一度血と涙に濡れた顔を上げ、何かを呟くと、星空の中に落ちていった。
同時に、水晶に残っていた彼女の血が生き物のように動きだし、彼女の後を追っていく。


『……まるで呪いじゃな。世界を救った者への仕打ちではなかろう』
『死への望みと等しく、帰還を望んだためだろう。どちらか一方が強ければ、救いもあったであろうが……』

『うーむ……この種類の幻と念の強さは関係ないはずじゃが、また達が来た時に、同じような幻が出るのはマズそうじゃな』
『クリスタルの力は、が死に瀕した瞬間、その意思を無視して魔力を消費し、回復・蘇生させている。恐らく、次に目にするのは、此度の幻と似たものになるだろう』

『ワシらが見るだけでも気分が悪いものを、あの二人には見せられんじゃろ』
『我も、いくら自棄を起こしていたとしても、あのがそう何度も奇怪な行動をするとは思えぬ』

『うむ。いきなり凄惨な死に様を見ることになるのは間違いなさそうじゃ。どうしたもんかのう……』
『原因はの残留魔力。我らがこうして顕現し続けているのも、それを使っているため』

『ほう。ならば、その残留魔力をどうにかすれば、幻も現れなくなるかもしれぬのう』
『次元の歪みによる現象は変えられまいが、魔力由来の幻は減るはず。我は、このままここを調べる』

『左様か。なら、ワシは先に戻らせてもらうかの。協力が必要になったら遠慮せず呼んでくれてかまわんぞい』
『承知』


頷いたオーディンを確認すると、ラムウは小さな紫電を放ちながらその体を薄く空間に溶かして消えていく。
ラムウが消えた跡に残った僅かな魔力が、やがて黒く濁りの幻を作っていく様を見たオーディンは、小さくため息をつくとスレイプニルに跨がった。








次元の狭間から帰ってきて数日後。
前触れ無く現れたラムウから、狭間の幻について聞かされ、は暫(しばら)く次元の狭間に行かないことを約束する。
どちらにしろ、しばらくあそこには行きたくないと思っていたので、特に異論はなかった。

未だ心の傷が回復しきっていなかったは、アレを召喚獣にも見られたことにまた落ち込み、ラムウは逃げるように帰っていった。


「あまり気にしすぎるな。見られたのなら仕方がない」
「そうですね……落ち込んでも、どうしようもありませんからね……」


微かに笑みを作って言いながら、大きなため息をついたに、セフィロスはとりあえず珈琲を出す。
大きなカップに入ったそれをゆっくりと飲み干す頃には、彼女の表情はいつものものに戻っていた。







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どっちにしろメンタル叩き潰してくる幻

2022.10.13 Rika
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