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Illusion sand ある未来の物語 17




山裾から徐々に雪が消え始める頃、畑に蒔いた種が次々と芽を出すのを眺めながら、は久しぶりにシヴァと話す時間を取っていた。
タンブラーに入れて渡した紅茶を容赦なく冷やして飲むシヴァに、香りぐらい楽しめと思いながら、は薪割りの土台に使っている切り株へ腰掛けている。
氷で作った椅子に腰掛けるシヴァが同じ物を作ってくれたが、そんな体が冷えそうな椅子は真夏でも御免だと断った。


「……それで、セフィロスが最近元気がなくてな。流石にもう少し違う言い方があったかと思うんだ。今更だが……」
「むしろ、その一言で済ませたお前の懐の広さに我は驚いているぞ。よくぞ小僧の頬を張らなかったものだ」

「そうだろうか……」
、そなたも自覚があるのだろう?そなたはあの小僧を甘やかしすぎだ。軟弱ではないのだから、そろそろ尻を叩いても良い時期ではないか?」

「分かっているが……つい心配になるんだ。いきなり心がポッキリ折れて逃げられたらどうしようかと思うと……」
「小僧はか弱い小鳥か何かか?」


ため息をついて頭を振ったシヴァに、は反論できず口をつぐむ。
セフィロスに関しては、求められたら求められただけ甘やかしてしまっているとは自覚しているし、この頃はそれに危機感も持っている。
だから、こうしてシヴァに話をしているのだが、結局自分が必要な線引きをするしかないことに変わりはなかった。


よ、そなた少し勘違いしておらぬか?」
「……ん?何がだ?」

「我が甘やかしすぎていると言ったのは、小僧の男としての面よ。それ以外の精神状態など今は問題ではないわ」
「お前、言い方……」

「知るか。我にとって小僧など、おぬしにくっついている面倒くさい男としか思っておらん」
「だから、言い方……」

よ、そなた最初から小僧が名を呼べぬことを不服に思っていたではないか。ならばそのまま踏みとどまっておれば良かったのだ。それを無駄に絆されて乳繰り合うから、揃って泥沼に嵌まっておるのだ」
「ぐうの音も出ないな……」

「せめて1度や2度許すだけで断るなら小僧もこれではいかんと奮起できただろうに、ずるずる引きずられた挙げ句、暇さえあれば乳繰り合いおって」
「そんなに頻繁じゃない」

「阿呆。7日に1度も3日に1度も、数を重ねておれば大して変わらぬわ。根が真面目だから予想しておったが、お主がそこまで快楽に弱いとは予想外よ。完全に小僧に溺れおって」
「よ、弱……い、のは、セフィロスに対してだ。それに、頻繁には無理だと言っている分考慮もしてくれているはずだし……」

「手を出している時点で考慮などしておらぬわ。中途半端に譲歩をしたふりをせず、嫌だと言って小僧の首と胴を切り離すぐらいせぬか」
「そんな恐ろしい拒絶の仕方があるか」

「すぐ体を作り直せるのだから、良い薬だろう」
「いきなり劇薬ぶっかける女なんて恐ろしすぎて逃げられるだろ」

「とにかくそなたは余計なことを考えず、暫く小僧と乳繰り合うのをやめよ。後は小僧が勝手に考えて解決しよう。どんな言い回しをしようと、要求することは変わらぬのだ。下らぬことに頭を悩ませるでないわ。解決したければあの小僧を甘やかすのは禁止だ」
「…………そうか。そうだな。確かにお前が言うとおり控えようと思う。あれで私が絆されて流されているのは事実だしな」

「うむ。それで良い」
「ああ。それに、誤解がないよう、腹の中で考えていることも、はっきりと言った方が良いんだろうな」

「阿呆。お主の腹の中など小僧を甘やかすことしか詰まっておらぬではないか。失敗するのが目に見えておるわ」
「…………」

「小僧は求婚を断られても涙目になるだけで堪えたのだろう?ならば逃げはせぬだろうよ。そなたが気に病みすぎては物事が悪化するだけ。悩む時間があるなら、顔を上げよ」
「ああ、うん……」

「今の小僧に必要なのは、心配ではなく、おぬしからの期待だ」
「…………期待……」


そんな事を言われても、今更セフィロスに何を期待すれば良いのかと、は頭を悩ませる。
正直、この数十年は期待と落胆の繰り返しばかりだったので、今になってセフィロスに対して何かを期待するという発想が出てこなくなっていた。
もはや、立って歩いて喋っているなら十分と思うほどに、の彼に対する期待値は低い。

唯一何か期待するものがあるとするなら、早く名前を呼んでほしいという事ぐらいである。
それについては、亀の歩みではあるが、彼は努力しているので、更に急かそうと思えないのだ。
ただ、今回は、そんなの気持ちを度外視した上に雑な婚姻の申し込みをされて、つい感情が言葉と声になってしまった。

それでセフィロスが落ち込んだため、彼の努力を無視した物言いをしてしまったことをシヴァに相談したのだが……。

そこまで考えて、はふと、もしやこれは自分が悩む問題ではないのではないかと思う。
名前についてはもキツい言い方をしたが、これはもう仕方なしと思ってもらうしかない。
求婚を断られて落ち込むのは仕方なくとも、せめて、雑な求婚をした件について謝って然るべきではなかろうか。
そもそも、セフィロスがの名を呼ぼうと努力しているのは、いかがわしい事をしている最中ばかりだ。平時はあまり呼ぼうとしない。

気がついていながら考えないようにしていた事を改めて認めると、は段々腹が立ってきて、慌てて深呼吸して感情を沈める。


「…………」


待て。
元々、セフィロスを急いで回復させようとは思っていなかったのだ。
暫くこのままで良いと思い、甘やかしておこうと思っていたではないか。
ならばこれで良いのでは?
怒ったところで、彼が回復するわけではないだろうに……いや、でもアレで謝罪がないのはどうなんだ?
もっと努力するからそれが実ったら結婚してくれというのは、関係性を考えると当たり前では?
彼が涙目になっていたから慌てて事を収めてしまったが、『悪かった』の一言があってもよかったのでは?


「……駄目だ。何だか腹が立ってきた」
「今更か。そなた、本当にあの小僧が関わると馬鹿になるのう」

「シヴァ、やっぱりちょっと、セフィロスと話し合おうと思う」
「好きにいたせ。気まずくなるようなら、共に風呂でも入ってやればよいぞ」

「そんな破廉恥なマネするか!!」
「…………やはり、おぬしの基準はよくわからぬ」


変な生物をみるような目を向けると、シヴァはタンブラーを置いて帰っていった。
そんな視線を置き土産にされたは、男女が風呂を共にする事は破廉恥ではない事なのかと驚き、衝撃で固まってしまう。
しかし、思い返してみると、セフィロスも復活して最初の頃は風呂まで一緒がいいと言っていたが、それは疚しさではなく精神安定のためだった。
肌を晒し体の隅まで洗う姿を見せるのだから、男女で風呂に入るのは十分いかがわしいと思うし、そう教育されたはずだが、もしや昨今ではその認識は変わっているのだろうか?


「……セフィロスに聞いてみよう」


まだ彼に少し腹が立っているが、分からないことは聞いておくべきだと考えると、はシヴァが使ったタンブラーを拾って立ち上がった。

とシヴァが話していたように、セフィロスはラムウと家の中で話をしている。
すぐに打ち解けなくても、に言えない事を吐き出せる存在があればと思い、彼の了承の元で招いた。
他に適任がいれば良かったが、召喚獣はだいたい性格の癖が強いかサイズがでかいので、消去法でラムウしか相手がいないのは少し申し訳なく思う。
これでダメだと言われたら、レモラやカーバンクルを召還してペットに対する感覚で話してもらうしかなかった。
とはいえ、ラムウは召喚獣の中でも穏やかで会話をしやすい相手なので、問題など起こらないと思うが。

風呂の件はさておき、この後のセフィロスとの話し合いをどう進めようか。
そう考えながら彼らがいる家の方へ振り返ったの目には、ラムウから頭に杖を落とされるセフィロスの姿が映った。


「セ、セフィロスー!!」



痛みに頭を抱えるセフィロスが窓の端に消えていく。
慌てて玄関に走ったが長靴の泥を落とすのに手間取っている間に、家の中からラムウの怒号が聞こえ、近くの山に大きな雷が落ちた。

「やめろ、ラムウ、山が燃える!雷を落とすな!リヴァイアサン、消火しておいてくれ!」

雪解け時期だろうと、炎があれば木々は燃える。
魔力をごっそり貰って現れたご機嫌なリヴァイアサンへ落雷跡を回るよう頼むと、は長靴を放るように脱ぎ捨てて家へ駆け込んだ。


「この助平小僧めー!相手はじゃぞ!下手に手を出せば混乱して辺り一面焼け野原にしてもおかしくないのが、どうしてわからんのじゃ!」
「ぐ……頭が……」
「…………」

「あれは女の皮を被った猛獣なんじゃ!おぬしが乳首と思って弄んだのは竜のブレスの起動スイッチのようなものじゃぞ!分かっておるのか!?この地どころか、陸地も吹き飛ばしかねんのじゃぞ!」
「……体が……痺れ……」
「…………」

「よもや、に手を出すついでに、この星を滅ぼすというおぬしの目的も果たそうとしたのか!?何と恐ろしい奴じゃ!物のついでに滅ぼされる不名誉まで星に与えよ…………ぬわー!何じゃ!?次元の狭間に吸い込まれるーーー!!!」


が来たことに気づかず、床に正座して頭を抑えるセフィロスに怒鳴っていたラムウは、話の途中でにデジョンで強制退場させられた。
無表情でラムウを葬った彼女に、セフィロスは恐くて二人になりたくないと思ったが、杖で叩かれた頭の痛みと、同時に受けた雷撃の痺れで立ち上がる事が出来ない。
が自分に害を与えることはないと分かっているが、頭に一撃を食らう前にラムウからされた彼女の世界の貞操観念の話を思い出すと、正直安心できない。


「セフィロス、大丈夫ですか?痛かったでしょう?すぐ回復しますから、少し掛けて休んでください」
「……ああ。すまない」


内心ビクビクしていたセフィロスだったが、思いの外……否、いつも通りの柔らかな声で手を差し伸べてくれたに回復魔法をかけてもらい、促されるままソファに腰掛ける。
表情にも出ていただろうし、腰掛けると同時につい大きな安堵の息を吐いてしまったが、彼女は温かな笑みを浮かべたまま彼の背をさすって心が落ち着くのを待ってくれた。
背中から伝わる彼女の労りに、セフィロスはついその体を引き寄せたくなるが、そこは堪えて代わりに痛みが消えた自分の頭に手を伸ばす。


「久しぶりに、かなり痛かった……」
「そうでしょうね。HPが25しか残っていませんでしたし」

「25……」
「ラムウがああなるとは思いませんでした。私の人選ミスです。すみませんでした」

「いや、あれは俺の相談内容が酷すぎたからだ。お前は悪くない」
「……そう……でしょうか?」


一瞬、セフィロスは一体何を相談したのかと思っただったが、しかしラムウが言っていた内容はそれと別問題だと考え直す。
どう考えてもラムウの言葉は聞き流せるものではないし、後でしっかり話をつけなければと思った。
頭にきてデジョンで次元の狭間に落としたが、ラムウは召喚獣なのですぐに自分の森に帰るだろう。
マトモな老人かとおもっていたが、とんだ糞爺だったと内心舌打ちしたは、怖々としているセフィロスと目が合って慌てて表情を緩めた。


「私もシヴァに呆れられて少し叱られましたが、ラムウのアレは酷すぎます。後で私から話をしておきましょう」
「……程々にしてやれ。お前の生まれ育った環境の貞操観念について教えられて、お前があまり男女の事を知らない理由が分かった。説教されたが、仕方ない事だ」

「確かに、私は色恋沙汰とは無縁の環境でしたから、知識に乏しくはあります。ですが、もう、あちらで生きた時間より、この世界にいる時間の方が長いのです。この世界の感覚を基準にして良いと思っていますよ」
「だが、お前は、俺に関してはすぐ我慢をする。……無理はしていないか?」

「ええ。それに、今更昔の風習を求めても……二人きりでの逢瀬をしないだとか、婚姻まで褥……寝ないだとか、私達は既に無理でしょう?求められたところで、私も嫌ですからね」
「ラムウから、散々お前の感覚は貞淑だと言われたが、そこまでだったのか……?」

「地域や家柄によります。私の家は特殊でしたし。ですが、この世界の感覚に近い恋愛観の地域もありましたから、元々理解はあります。ご心配なさらないで下さい」
「それなら良いが……本当に無理をしていないのか?」


ラムウの一撃が効いたのか、その前の説教が効いていたのか、心配げに確認してくるセフィロスに、は苦笑いを零す。
二人きりの逢瀬は、万が一武力での衝突があった場合、相手に勝手な証言をされないために第三者を同伴しろという意味があったし、結婚まで寝ないのはこの世界のような避妊の方法がないからだった。
恋愛関係のカルチャーショックは、この世界に来てから一度死ぬまでの間に既に受けているので、セフィロスが思っているほど今のは無理をしていない。
ただ、知識と実体験は当然違うし、いまだ知らない事もあるので、ついて行くのにやっとなだけだ。いや、正直ついていけずに、引きずられているが……。
けれど、それはが徐々に受け入れて慣れていくしかないことで、嫌だと首を振って断るようなことは今のところない。
ないのだが、それを言ってもセフィロスが納得しないのもわかっていて、は少しだけ頭を悩ませた。


「……無理なことがあるときは相談します。先日の、寝室以外で事に及ぼうとした時のような場合とか……」
「そうしてくれ。俺は、言われなければわからないだろう」


確かに言わなければわからない所はあるな……と考えて、は忘れていた怒りが少しだけ蘇る。
セフィロス本人が言えといっているし、後で言う理由もないので、はとりあえず今頭にきている事を告げることにした。


「ではセフィロス、いくつか申し上げたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「言ってくれ」

「まず、シヴァに言われて気がついたのですが、先日のような言い方で求婚されるのは、私はあまり喜ばしく思えません。今後改めて求婚してくださる際にも、ご注意いただきたいと思います」
「あれは、確かに酷かったと思っている。すまなかった。次は、もっとちゃんとする」


いくつかあると前置きしたのに、1つ目でしょんぼりしているセフィロスに、は続けて良いのかと少し悩む。
しかし、うつむきかけた顔をすぐに上げた彼に、シヴァから甘やかしすぎと言われたのを思い出して、続ける事にした。


「それと、今更で申し訳ないのですが……貴方と初めて肌を重ねた際、男性の体を知らない私には、ご自身の反応にショックを受ける貴方を慰めるのは心苦しい物がありました。正直、私には荷が重く……。私も混乱していましたし、貴方の心情を考えると何も言えませんでしたが、落ち着いてから何か一言いただきたかったと思います」
「全面的に俺が悪い。申し訳なかった。分かっているとは思うが、お前に落ち度は何もない。お前の気遣いに思い至れなかったことも、お前の女としての自尊心を傷つけたことも、本当に悪かったと思っている。すまなかった」

「…………」
「混乱して記憶が曖昧なせいもあったが、お前のフォローまで気が回らなかったことには、何日かして気がついた。蒸し返して余計に傷つけるかもしれないと思って言えずにいたら、そのまま言い出すタイミングがつかめなくなって、ずっとお前に不快な思いをさせていた。すまなかった」


やけによく理解して謝ってくるセフィロスに、は安心するどころか、ちょっと不信感をおぼえ始めた。
そこまで分かっているなら早く謝りにこいと思うのと同時に、多分半分はラムウから説教されながら考えたのだろう。
話を聞いてくれるのは嬉しいが、しかしこれではセフィロスが頭を垂れて我慢するだけで、丸く収まっているとは思えない。
自分と同じように、セフィロスも色々と考えをため込んでいるのだろうと考えていると、それを察したのか、彼は少し視線を彷徨わせてから、視線を合わせてきた。


「お前が受け入れて待ってくれることも、俺を傷つけないことも分かっている。何とか自分で折り合いをつけようとはしていたが、改めて俺の体の状態について話題にしたとき、お前に幻滅した顔をされたらと思うと言えなかった。しつこいと文句を言われてもお前に色々したのは、お前に触れたいのは勿論だが、男として見られなくなることや期待されなくなるのが恐かったからだ。少なくとも、お前の体を悦ばせている間は、俺は男として見られていると思った」
「そのように考えていたんですか。……そこは、私も思い至っていませんでした。不安にさせてしまったようで、すみません」

「お前が謝る必要は無い。俺が勝手に不安になって暴走しただけだ。それに、お前のおかげで、最近はそういう不安も無くなった」
「そうなのですか?特に、何かした覚えはありませんが?」

「…………」
「……どうしました?」


先日ちょっと街に連れて行った意外は、二人の生活はこれまでと変わらない晴耕雨読だった。
これと言って、彼の不安を払拭する行動に思い至らず、は首をかしげてセフィロスを見つめる。
まっすぐ見つめてくる瞳に、セフィロスは少しだけ気まずそうに視線を逸らしたが、不審げなものに変わった彼女の表情に慌てて見つめ返した。
言葉を探すように唇を動かし、一瞬だけ迷うように視線を彷徨わせた彼は、諦めたように眉を下げると頬を緩めてと額を重ねる。


「お前の……ベッドでの反応が……」
「!?」

「根が正直で嘘がつけない所は、いつでも変わらない。……素直に反応して縋り付いてくれるお陰で……余計な不安はいらないと思えるようになった」
「……そっ……そんな事で……そんな事で……!」

「お前が思っている以上に重要だ。こんな状態の体でも、男として求められるというのは……安心と自信になる。おかげで、体で繋ぎ止めようと悪足掻きしなくても、お前は変わらず俺の傍にいると思い出せた」
「…………わかりました。それは、良かったです。ええ、本当に」


だったらもう、体が回復するまで手を出さなくても良いのではと思っただったが、口にすれば藪蛇になりそうだったので諦めて頷くだけにした。
ラムウの怒り方を考えると、手を出していた理由には助平心もあるのだろうが、そこまで言及する理由は無いので気にしない事にする。
セフィロスが言葉を選んでくれたのは有り難かったが、言っている内容に彼女は顔から火が出そうだった。
恥ずかしさから声を上げて反論したくなるが、余計に恥ずかしい結果になるのが予想できたので、彼女は唇を噛んで耐えるしかない。

落ち着こうとするに、今度はセフィロスが背をさすって待ってくれた。
有り難いが、これで話が終わりそうな雰囲気に、は急いで気持ちを落ち着かせて彼の手を握る。


「まだ、お話しておきたい事があります」
「ああ、ちゃんと聞く。あまり焦るな」


話すことで幾分か楽になったのか、セフィロスの表情は少しだけ重荷がとれたようだった。
その顔をまた曇らせるのかと思うと、そのまま口を閉ざしたくなっただったが、この機会を逃すとまた同じ事の繰り返しになる。
今日は良い日か悪い日かどちらなんだと思いながら、は少しだけ呼吸を整えると、彼が逃げないように繋いだ手に力を込めた。


「セフィロス、貴方が、私の名を呼ぼうと努力して下さっていること、とても嬉しく思っているんです」
「…………ああ」

「声に出せなくとも、唇でかたどるだけでも、貴方が私の名を呼ぼうとしてくれるのが嬉しい。ですが……」
「…………」

「その……何故、いかがわしい事をしている時にしか呼ぼうとして下さらないのでしょうか?」
「…………ん?」


てっきり『早く名を呼んで欲しい』と言われると思っていたセフィロスは、頬をじわじわ染めながら恨めしげに問うに、一瞬言葉が理解出来ず呆ける。
いかがわしい事が何を指すのか、理解まで数秒かけたあと、他に言い方があるだろうと脱力しそうになる。
だが、いますべきはそれじゃないと思い直し、彼女の言葉を念頭に記憶を辿ってみる。

復活した直後は、唇で名を辿ろうとするのも咽が渇くほど緊張して出来なかった。
少し生活に慣れ始めてからは、声には出せないものの、唇で名を象ることが出来たが、彼女の目や顔を見てする事はできず、その背中や寝顔に向かってするだけだった気がする。
互いの肌を知ってからは……確かに、触れ合っている時しかやっていない気がする。


「お前が言う通りだな。今、言われるまで気がつかなかった……」
「……では、特に理由があっての事ではないのですか?」

「ああ。だが……お前の感触が離れている時には、恐くて、出来る気がしない」
「それは、まだ、時間が必要ということでしょうか?それとも、別に理由が?」


セフィロスを追い込む事にならないよう、柔らかな声を心がけながら、はゆっくりと問う。
考える間に、繋いでいた彼の手が少しだけ震えているのを感じて、彼女はその手を両手で包んだ。

この数ヶ月で、セフィロスは随分落ち着いたように見えていたが、それはやはり表面的にそう見せていただけなのだろう。
昔のように、立ち上がれないなら背負ってでも先へ連れて行こうとした方が良かったのだろうか。
恐れ立ち止まる彼の足を掬い上げて、その道にどんな災いが降りかかってきても、道端の石にしてやると言って進むべきだったのか。


「ずっと……夢を見ている気がする。お前と、果たせなかった夢を……出来の良い、都合の良い夢を見ているようで、これが現実だと分かっていても、もう、覚めたくない。お前はここにいる。間違いなく、ここにいると分かっている。だが……名前を呼べば、全て夢になって覚めるのではと……俺はお前の名を呼ぶのが恐くなる。お前の名を呼ぶのが好きだった。俺が呼ぶと、お前はいつも少し口角を上げて、目を細めて俺の目を見てくる。どんなに遠くを見ていても、名を呼べば俺だけを瞳に映してくれた。他の誰が呼んでも変わらないのに、俺が名を呼ぶと気を緩めて隙だらけになった。どんな時でも、何があっても、俺がお前の特別だと教えてくれるのが嬉しかった」
「…………」

「だが、どんなに呼んでもお前は答えてくれなくなった。何度も呼んで、夢から覚めた。その度に、もう俺のそばには誰もいないのだと、俺は独りだと思い知らされた。お前の名を呼んで、笑ってほしい。だが呼べば、またお前は消えて、俺の目は覚める。これが現実だと分かっていても、考える度に夢なのか現実なのかわからなくなる」
「…………」

「すまない。俺はもう、お前といる夢から覚めたくない。夢から覚めるのが、恐くて仕方がない」
「…………わかりました」


震える手で、の手をきつく握って言ったセフィロスに、彼女は目を伏せて思案する。
寄る辺を失い、流され続けた先で縋り付く物さえ求めなくなった彼へ、どう手を引いてあげれば正解だったのか。
彼が崩れ落ちないよう、その手を取り、背を支え、自ら歩み出すのを待とうとしたのは、本当に正しかったのか。
過去を終わりにして良いのだと、終われずとも今は忘れていて良いのだと、離別などなかったような生活をしていても、彼の心は遠い過去に置き去りのままだったのだろう。

縋るように体を引き寄せてきた彼の背に手を回し、頬を寄せた首に彼の脈を感じながら、は正午を指す時計をぼんやり眺める。
穏やかな日々は、過去に夢見て叶わなかったもの。だからこそ、彼を惑わせる結果になってしまったのだろうか。


「夢は……自分が知るもの以上のものを見る事はできないと、以前聞いたことがあります」
「……お前の肌も嬌声も、俺は知らなかったが、想像で補っているのかもしれないな」

「ホクロの位置までですか?」
「お前を保護して体を洗ったのは俺だ。傷跡の位置まで全部覚えている」

「懐かしいですね。ザックスに人参以外の食事を奪われた記憶があります」
「あれは酷かったな」

「そのあと失敬したクッキーは美味しかったですよ」
「あの夜、星を見るお前のそばに、幽霊を見たぞ。金髪の女と、筋肉質な老人だった」

「それは……恐らく、昔の仲間でしょう」
「やはりそうだったか。……いい仲間だな。正直、羨ましい」

「……貴方だって、ザックスがいつも心配して様子を見にきていましたよ」
「…………馬鹿な奴だ」

「そこがあの子の良い所でしょう?」
「……他に、誰か……いや、やっぱりいい」

「貴方の同僚だった方々は、生死がわからないそうです。ザックスも、暇を見て探しているようですが、生きているのか、逃げられているのか……」
「……そうか」


会話しながら、徐々に落ち着いてきた彼の脈を感じて、は浮いていた腰をソファに下ろす。
未だ不安に揺れるセフィロスの瞳に、仕方ないと苦笑いを零すと、確かめるように伸ばされた彼の手に頬を寄せた。


「星を見た夜、貴方にお話した事、覚えていますか?」
「帰る場所……か?この星は、お前の故郷になり得たか?」

「残念ながら……」
「そうか……」

「私がこの世界に強い情を持ったのは、貴方がいたからです。セフィロス、私はこの世界で、貴方という帰る場所を見つけました。あの日、いつか見つけるだろうと言った通りに。貴方にとっても、私がそうであれば良いと思います」
「…………」

「夢に帰ることなど、出来ようはずがありません。セフィロス、私は貴方に、私が確かにここにいるのだと、夢幻ではないのだと、本当に理解し受け入れて欲しい。恐れが貴方を竦ませるなら、私はその恐れを叩き潰して貴方の曇った目を晴らせましょう」
「…………それは……」


何だか嫌な予感がする。

そうセフィロスが考えると同時に、はセフィロスの腕から抜け出し、立ち上がる。
その目は、つい先程まであった穏やかさはなく、かつての彼女にあった過ぎるほどの覇気と生気に溢れていた。
抑えることをやめた魔力が、彼女の周りの景色を陽炎のように歪ませる。
ザラザラと脳裏に砂の音が響くと同時に、彼女の手には炎を纏った剣が現れ、次の瞬間にはセフィロスの足下は消え去り目に映る景色が黒に変わった。








さんは押して駄目なら叩き潰すタイプ

2022.10.02 Rika
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