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Illusion sand ある未来の物語 12 真夜中。 傍らにある呼吸に乱れを感じて、は目を覚ます。 数時間前まで穏やかだった顔を顰めるセフィロスは、苛む夢にの寝間着を皺になるほど強く握っていた。 汗で顔に張り付いた髪をそっと払ったが、眉間の皺を撫でてみても、彼が目を覚ます気配はない。 声を掛けて起こすべきかと考えている間に、セフィロスの魔力に揺らぎを感じて、は自身の魔力を彼に注ぐ。 一瞬だけ震えるように揺れた彼の魔力は、のそれに導かれてすぐに平常に戻った。 けれど、魔力を乱すほど精神に負担をかけた夢はまだ終わっていないようで、眠るセフィロスの顔は穏やかとは言いがたい。 「セフィロス、起きて下さい」 言いながら、彼の肩を揺らしてみるが、彼は目覚めるどころか更に表情を険しくしてしまう。 同時に強くなった彼の手に寝間着の背中を引っ張られて、の首が少し絞まった。 セフィロスが起きるより自分が窒息する方が早そうで、彼女は無意識に殺されてはたまらないと寝間着のボタンを外す。 二つほどボタンを外して呼吸が楽になったものの、はだけた肩と胸元が寒くて鳥肌が立った。 「……セフィロス、起きて下さい。セフィロス」 セフィロスに身を寄せて暖をとりつつ、はもう一度彼の肩を揺らして声をかける。 何度か繰り返し、ようやく目を開けた彼は、夢と現実の境を確かめるように視線を虚ろに彷徨わせた。 「……朝……か?」 「いえ、うなされていたので、起こしました。大丈夫ですか?」 「……水を……」 「今いれますね」 疲れた顔で体を起こしたセフィロスに、はベッドサイドの水差しへ手を伸ばす。 額の汗を袖で拭った彼は、両手で顔を覆うと大きなため息をつき、が差し出したグラスの水を呷った。 グラスと引き替えに濡れたタオルを受け取り、セフィロスはベタつく顔と首を拭く。 ふわりと暖かくなった部屋の空気を感じながらベッドから降りた彼は、重い体にため息をつきながら汗で張り付く衣服を脱いだ。 ベッドに浅く腰掛けながら体を拭くと、ベッドを整えたが彼の髪をまとめて背中を拭いてくれる。 服を着るのも億劫だが、いくらが部屋を暖めてくれていても、真冬に裸で寝るのは気が引ける。 それに、裸のままだとが同じベッドに入るのを嫌がるか、また鼻血を出すかもしれないので、セフィロスは仕方なく着替えに袖を通した。 体を拭くなど世話をする時は平然としているのに、どうしてそれ以外で肌を見せると彼女は激しく動揺するのか。 セフィロスはどちらも肌を晒している事に変わりはないのだが、の中では何かの基準があるらしい。 相変わらずよくわからない所がある女だと思いながら、セフィロスはもう一度水を飲んだ。 「夜中に悪かった」 「これくらい、気にしませんよ。少しは落ち着いたようですね」 「ああ。お前は、もう寝るのか?」 「どちらでも……。眠れないなら、お付き合いしますよ」 「……少し、風に当たりたいが……構わないか?」 「勿論です。着替えますか?それとも、上着だけ?」 「長居はしないつもりだ」 「では、上着だけにしましょう」 吐いた息さえ凍る夜に星は見えず、薄く広がる雲の影から淡い月の光だけが空を照らす。 それでも、雪に埋め尽くされた景色は青白く輝き、真夜中でありながら暗闇とはほど遠かった。 膝まで積もった雪を蹴るように進み、足首までの深さの場所まで着くと、セフィロスはゆっくりと後を着いてくるを振り返る。 極寒の山中でも暖かい、分厚い毛皮を着るセフィロスに対し、は寝間着にカーディガンを羽織っただけだ。 その姿に、流氷の上をパンツ一枚で走る類いの変態に似た何かを感じたものの、彼女の周りの雪が溶けて氷点下の空気に湯気を立てている様子を見て、気のせいだったと内心安堵した。 何故か微笑ましげに見つめてくるに、セフィロスは一瞬首を傾げたが、ふと彼女の横にある吹き溜まりとその真ん中にある自分が歩いた跡に目を留める。 セフィロスが、気がつかないまま雪がある場所を選んで歩いた事を、遊んでいたと思われているのだろう。 否定しようと口を開きかけ、しかし単なる良いわけや照れ隠しと受け取られかねないと気がついた彼は、口内を凍らせる空気を追い出すように口を閉じた。 吹き溜まりを歩いていると気づいたなら、一言いってくれたら良いだろうに、どうしてそのままおかしな自己完結をして見守る姿勢をとるのか。 いい年をした大の男が夜中に雪で遊ぶわけがないだろうに。 彼女の中で自分がどういうイメージになっているのか、セフィロスは少しだけ心配になった。 雪原から薄く雪を攫う風を眺めていると、それは緩やかな細波となって彼の身に吹き付ける。 自然と身震いをしながら目を閉じた彼は、そのまま、木々をざわめかせながら去って行く風に耳を傾けた。 雪の白と月の明かりを瞼の裏に見ながら、冷たく澄んだ空気を静かに吸い込む。 静寂と、影の無い夜の明るさは、冬の寒さに作られているのに、いつかの砂漠を思い出させた。 幾度も目を背けていた記憶を反射的に振り払わない自分に気がつき、けれど夢から逃れるように瞼を開けたセフィロスは、傍らに立つ彼女へ振り返った。 白い肌を雪の夜の青で染めながら、は月を眺めていた顔をセフィロスへ向ける。 交わる視線に自然と目を緩め、小首を傾げて見せたに、彼は少しだけ肩の力を抜くと首を緩く振った。 染みついた血の臭いも、新緑の香りもしなくなった彼女が、時の流れを知らせるようだった。 同時に、何の香りも纏わない彼女が空白の時間と共に夢となって消える錯覚が過ぎり、僅かに心が揺らぎそうになる。 踏みとどまりながら、大きく息を吐いたセフィロスは、情けなさと自己嫌悪を擦りつけるようにの肩に額を預けた。 触れた瞬間、頬と首を包んだ春のような暖かさに、彼は自然と彼女へ身を寄せる。 何も聞かずそれを許し、彷徨った彼の手を包んで温めてくれるに、甘え癖がつきそうだとセフィロスは小さく苦笑いを零した。 「お前は、俺を駄目男にするつもりか?」 「何の事ですか?」 「……あまり甘やかすと、俺はお前に依存する」 「いいじゃありませんか。長い人生なのですから、そんな時期があっても」 「年寄……暢気だな」 「言い直さなくても、事実年寄りですからね。お気になさらないでくださいな」 気まずそうなセフィロスに、は声を抑えて笑うと、小さな声で謝った彼の頬に手を伸ばした。 「言っているでしょう?時間は沢山あるのですから、無理をしてすぐに立ち上がろうとしなくても良いのです」 「そうやって、また甘やかすのか……」 咎めるように言いながら抱き込んでくるセフィロスに、は頬を緩めて彼の顔をのぞき込む。 逆光に透ける銀の髪と見下ろす青緑色の瞳に少しだけ見惚れながら、冷え切った彼の体を暖かな空気で包んだ。 「貴方は、どんな時でも自分で立つ人ですから。今は少し駄目になるくらいで丁度良いかと」 「お前は、そう思うのか……」 「疲れているなら休む。普通の事でしょう?」 「……そうだな」 「貴方がどうありたいのか、それがどんな結論でも私が貴方の手を離さない事は変わりません。だから、決めるのは急がなくても良い」 「結果、堕落してもか……?」 「ええ。大丈夫、私の経験ですが、根が自堕落な人でなければ、弛んだ生活は長くても10年程で飽きてくるんです」 「……経験……」 「年寄りですからねぇ」 「根に持つな。俺が悪かった」 「怒ってませんよ。事実ですからね。それにセフィロス、貴方だって、実年齢はとっくに中年を過ぎているのですよ?ルーファウスより年上でしたし、もう老年ですからね?」 「…………年の話はやめよう。お互いに」 「分かりました。でも大丈夫。100才を超えると、本当に気にならなくなりますよ」 「年の話はしない。寝るぞ」 「早く3桁になるといいですねぇ」 「やめろ」 眉間に皺を寄せながら足早に家へと向かうセフィロスに、は声を抑えて肩を振るわせる。 今度は吹き溜まりを避けて歩く彼の背中を追いながら、歩く度に鳴る雪の音を楽しんだ。 世界で初めて知った冬の冷たさと白い世界に目を細め、ふと、それをセフィロスに言ったことがあっただろうかと考える。 もしかしたら、自身の事でセフィロスが知らない事は、まだあるのかもしれない。 何十年も前の事となると、既に記憶は曖昧で、いつどんな話を彼としたのかなど、当然全ては思い出せない。 出来れば重要な事を教え忘れているなんてことがなければ良い。 とりあえず、服装というか色彩のセンスが無い事は、昔一緒に住んでいた時に知られているし、歌が猛烈に下手な事も鼻歌を唸り声と間違えられた事があるので分かっているだろう。 どんな踊りも剣の舞になる事は……言っただろうか? いや、そもそもセフィロスの前で踊った事はないはずなので、知らないはずだ。 そう、踊った事は無いはず。 無いはずなのに、何故だろうか、脳裏には懐かしいマンションのリビングで、ワイングラス片手に青い顔をして防御姿勢を取るセフィロスの姿が過ぎる。 「……あれ?」 「どうした?」 「……セフィロス、私は貴方の前で踊った事はありましたか?」 「………………俺が悪かった」 「待って下さい。やったんですか?昔ですよね?私が見させたんですか?」 全く記憶に無いはずの情報に、は驚いてセフィロスを問い詰める。 視線を合わせようとしない彼に促されるまま家に入りながら問い続けると、彼は寝室に入ったところで観念しながら口を開いた。 「……確か、家で飲んでいた時だ。お前が、昔、何を踊っても剣の舞になり、それならと武器を持たずに踊ったら、仲間から撲殺音頭とからかわれたと話して……つい出来心で、見たいと言ってしまった」 「……ファリスか」 セフィロスに教えられると同時に、腹を抱えながら指を差して笑ってくるファリスの記憶が蘇る。物陰から怯えた目で見てくるクルルや、慰めの言葉が見つからず気まずそうに視線を逸らすレナ、必死に笑いを堪えておかしな顔になっているバッツ。おまけに、威嚇姿勢をとって狂ったように鳴くボコ。 余計な物まで思い出して頭を振ったは、今更と思いつつ謝罪しようとセフィロスを見た。 寒さのせいか、彼の赤くなった頬や耳が目に映り、その瞬間、また昔の記憶が……ソファーに掛けたまま両手で顔を覆って項垂れるセフィロスの姿が脳裏に蘇る。 そんなに怯え……あれは笑っていたのか?いや、そんなはずはない。 そんなに怯えさせていたとは……酒に酔っていたとはいえ、随分酷い事をしてしまった。 いや、求められるまま踊ったのにそんな反応をされたのは少し引っかかるが、記憶が無くなるほど酔った状態で戦闘技能の踊りを狭い部屋で見せられたのなら、仕方がない反応だろう。 「殆ど覚えていませんが、その節はすみませんでした」 「いや、あれは俺が酔いに任せて色々頼んだのが悪かった。むしろ、忘れてくれていて、助かったが……何故今になって思い出した?」 「……貴方に教えていない私の事が、意外とまだ多くあるような気がしたので、一番注意するべき事を考えた結果……ですね」 「そうか。……そうだな。踊るなら、暫くは剣の舞と撲殺音頭だけにしてくれ」 「撲殺音頭って言わないで下さい」 「ああ。悪かった。踊り子の技能は、暫く封印してくれ。本当に、俺の前以外で踊るな」 「はあ……まあ、使うほどの事はそうそう起きないでしょうから、かまいませんが……」 「ならいい」 確認をしただけなのに、昔を思い出したのか疲れた声になっているセフィロスに、はそんなに酷い踊りだっただろうかと内心首を傾げる。 もしかすると、暫く使っていないせいで技術が錆び付いていたのだろうか。 セフィロスが自分の前以外で踊るなと頼むくらいだ。攻撃の効果は無かっただろうが、舞踏としての技術が見るに堪えないレベルに落ちている可能性がある。 念のため、一度過去に習得したアビリティを一通り復習した方が良いかもしれないと考えながら、はベッドに入った。 冷たいシーツに足先から熱が奪われるのを感じて、天井を見つめているセフィロスに身を寄せながら、部屋の空気を魔法で暖める。 2と3の間を指す時計の短針を確認すると、途端に強い眠気を感じて、は横目で見つめるセフィロスの視線に気づきながらも目を閉じた。 「お前は、本当に……」 ベッドに入って10秒もせずに寝てしまったに、セフィロスは少しだけ呆れてその寝顔を見つめた。 無理をさせたわけではなさそうだが、夜中にもかかわらず付き合ってくれた事は、素直に有り難く思う。 相変わらず警戒心の欠片もなく隣で寝てしまう彼女に、その信頼への嬉しさ半分、異性としての悲しさ半分だった。 その気持ちも、何だか懐かしく思えてきて、セフィロスは小さく息をつきながら頬を緩める。 彼女から、昔の話が少しだけ出たせいだろう。 眠りにつこうとしたはずの頭には、懐かしい記憶がポツリポツリと蘇ってくる。 セフィロスが仕事を早く終えて帰った日や、何となく気が向いた日は、よく家でと酒を楽しんでいた。 そんな時、せっかく一緒に飲んでいるのに、酔えないのは勿体ないからと、彼女は自分にかけている防御や強化の魔法等を完全に解いていた。 格闘術では技量と経験の差で手も足も出なかったが、純粋な力の勝負で腕相撲をすると立場が逆転するので驚いたものだ。 『勘違いしないでください。今は軟弱な体ですが、昔はもっと筋肉質だったんです。騎士ですから、鍛えてましたし。全体的に筋肉があってムチムチと……セフィロス聞いてますか?これからまた鍛え直しますからね?次はもっと善戦……何ですかその馬鹿にしたような笑い方は!さては信じてませんね?ムキムキだったんですよ?ちゃんと筋肉があったんです。嘘じゃありませんよ。ねえ聞いてますか?』 どれだけ鍛えたところで、体格による埋められない差があると分かっているだろうに、涙目で負け惜しみを言う彼女の姿は、酒を飲んでいるとよく目にした。 宣言通り、彼女の腕は当初の枯れ枝のような細さから、健康的な柔らかさを持ち、徐々に筋肉をつけていった。 酔うと定期的にそれを報告してくるので、その腕を片手で押さえつけて負け惜しみを言わせるのが楽しかった記憶がある。 『技術では負けないんです。絶対負けないんです。技能によって偏りはありますけど、負けないんです……』 『分かっている。この間聞いた白羽取りと居合抜きは役に立っている」 『そうでしょう?今度二刀流も教えましょうか。武器を今より短くする必要がありますが、便利ですよ』 『武器を変えるのは気が進まない』 『武器を問わないものも色々ありますよ。ここでお見せできる物もありますしね』 『家を壊さないと約束できるなら見てみたいな』 そう、彼女に撲殺音頭……色々な踊りを見せてもらったのは、そんな話の流れだった気がする。 4つの踊りを覚えているのに、戦闘になると何故か『つるぎのまい』しか出ないので、仲間と検証したら酷い反応をされた、と。 興味本位でその撲殺音頭と言われた踊りを見せてもらったら、とんでもない速度で拳や手刀、蹴りが繰り出され、本気で身の危険を感じたのを覚えている。 セフィロスは、その元がどんな踊りか知らないので、上手い下手が判断できなかった。 それでも、指先の動き一つ、視線の動きや細微な足の角度まで気に掛けている踊りは、素人目でも十分楽しめた。 時折飛んだり、大きく足を踏み出したししているのに、殆ど床を振動させない点だけでも、相当な技量があるのは理解出来る。 ただ、精細さと精密さ以上に、凶悪で強そうな踊りという印象が強くて、色々台無しになっていた気がする。 『強そうなのは剣の舞だけです。今のはふたりのジルバとミステリーワルツですから、HPやMPを吸収するだけですよ』 『……嘘だ』 あれはHPやMPを吸収ではなく、それらを拳で叩き潰す踊りだった。百歩譲っても蹴りで削ぎ取る踊りだろう。 仲間の命名は正しかったと確信するセフィロスに、納得出来ないが踊り子の技能や踊りは他にもあると反論したのだ。 それは二人で飲んでいる時によくあるやり取りで、素面より素直に感情を出すに、セフィロスが楽しくなって好きにさせる。 偶に虐めすぎてが本気でいじける事もあったが、割とすぐに機嫌を戻してくれるので、その日もセフィロスは調子に乗ってを煽ってしまった。 『絶対後悔させてやります』 『程々に期待しているぞ』 セフィロスの手からグラスを奪い、テーブルも脇に寄せたは、足をフラつかせながらストッキングを脱ぎ捨てる。 撲殺音頭の次なら殲滅節だろうかと内心楽しみにしていた彼は、彼女の予想外の行動に目が点になった。 スカートが捲れて露わになった彼女の腿を目が勝手に追い、ハッと我に返りかけた瞬間、彼女の指先が彼の顎にそっと触れる。 優しく、けれど有無を言わせず顔を上げられたセフィロスは、別人のように熱を帯びる彼女の潤んだ瞳に捕らえられた。 これはおかしい。 冷静な頭で、彼女を止めようと考えるが、体は金縛りのように動かず、ひたすらにの姿を目で追う。 体が意思と関係なく動いている感覚に危険を感じるのに、ゆるりと笑みを作って頬を撫でてくる彼女の指の感触に体も意識も集中していた。 明らかに何かしらのステータス異常をかけられている。 考えられたのはそこまでで、その後のセフィロスはの一挙一動を目で追い、彼女が見せる踊りを見つめる人形と化していた。 が指先一つ動かす度、つま先が床に弧を描く度、彼女が望むままに視線が引き寄せられていく。意思とは無関係に視線が誘導される。 時折我に返りかける度、彼女の視線が暴力的なまでの色気で彼の自由を奪った。 そしてまた、セフィロスは内心の混乱を表にだせないままの踊りを見つめることになる。 彼女が時折女性らしい香り立つ色気を出すことは知っていたが、目の前で見せられる踊りはその比ではなかった。 下品さはなく、むしろ高貴ささえ漂うのに、息を吐き出す唇、微かに覗く舌、ひたりと足を踏み出す動き一つさえ扇情的に見えて、身動きが取れないセフィロスの理性を削ぎ取っていく。 お前はいったいどこにその色気を隠していたのか。胃袋か。脇の下か。本気で謝るからもう許して欲しい。 そう思ったところで、やっと思考の霞が晴れたのを自覚したが、相変わらず体は動かない。 いや、もし行動不能状態にされていなければ、今頃混乱状態のままに襲いかかるか、ベッドへ連れ込むための同意を得ようとおかしな事を言い出していたかもしれないので、その点では口も体も動かせないのは有り難かった。 これが他の男であれば、秒で彼女に手を伸ばして床に転がされていただろう。 動けないとはいえ、堪え続ける己の鋼の理性に万歳三唱である。 しかし、誰に鋼にされたかと言えば間違いなくであり、現在ここまで追い詰めてくれているのもだ。 誰が万歳などしてやるものか。糞食らえである。 思考が乱れに乱れる自分に、どれだけ強力な混乱状態にしてくれるのかと脳裏で呆れるが、それを自覚する間にも視線と理性は彼女に翻弄される。 彼女が望むように後悔もしたし、内心で許してくれと懇願もした。 それを口にできない上に肉体と精神を嬲られて腹まで立てたが、大盤振る舞いの色香に男の性を利用されて、全て劣情に変えられる。 今日はと過ごした中で間違いなく最悪な夜なのに、混乱して捻子を飛び散らせた思考が最高の夜にしてしまえと言ってくるから、いい年をしてむせび泣きたくなった。 彼女のこの混乱攻撃は、知能まで著しく低下させてくるらしい。 自分の心が不安定になっているのがとてもよくわかる。 それが分かるなら、まだ自分は大丈夫だと言い聞かせるが、だからといって視界が閉ざされるわけではないので、色気で理性をボロ雑巾にしようとする彼女の攻撃をただ受け続けるしかない。 あの『いろめ』さえ食らわなければ、行動不能状態にはならない。 分かっているのに、誘導される視線は漏れなく『いろめ』を食らうし、初めて見るの扇情的な女の顔を喜んでいる自分がいる。 自分の体が熱くなっているのを自覚しても、それを彼女が知れば逆に混乱させるのは想像できる。その後どんな言動が飛び出すかは想像出来ない。 が男の局部を見ることなどまずないのだが、様子がおかしければ観察して気づくのは間違いないだろう。 彼女が気づかないうちに収まるなど不可能な状態だが、だからといってこの状態で堂々しているほど混乱していないし、脳細胞が炸裂した変態でもなかった。 飲んで踊って、いい加減酔いが回ってきたか、の足が徐々にフラつきだす。 それに従い、セフィロスに『いろめ』を使う回数が減り、彼が受けている行動不能状態は解除された。 けれど、今更体の自由を取り戻したところで、セフィロスはソファから立ち上がる事ができず、これ以上刺激を受けないよう顔を覆って上半身を屈めるしか出来なかった。 が立てる衣擦れの音を拾う耳を塞ぎたくなりながら、それは彼女を傷つけると思い、覚悟を決めて顔を上げる。 酔いと運動で顔を赤くし、虚ろな目で踊り続けていたは、セフィロスが顔を上げたことに気づくと、濡れた吐息と共に満足げな笑みを浮かべる。 瞬間、また行動不能状態にされたセフィロスが内心怒号を上げている間に、散々彼を混乱状態にした踊りが終わった。 前屈みのまま拳を握りしめて動けない彼の姿を見ても、事態を正確に理解出来ていないは、千鳥足でテーブルを戻すとセフィロスの隣に腰掛ける。 ソファが軋んだ瞬間、セフィロスの肩がビクリと震えたが、は単に彼がステータス異常を食らいすぎて警戒しているのだろうと考えた。 『ろうれひたセフィロス。後悔ひあれれろ?』 ご機嫌で体を揺らしながら問うは、呂律が回っていないどころか言語自体が怪しい。 浮かぶ汗で肌に張り付いた髪を緩慢な動きで払うものの、深酒と適度な運動によって体は強い眠気に襲われていた。 自分の体を支えきれず、セフィロスに半ばもたれかかっているは、トロリと緩んだ目で彼の顔を覗きこむ。 『んふふぅい。ひょーはあらーをニャフンろ言わわ〜』 耳元で謎の言語を囁かれるが、未だ行動不能状態が解けないセフィロスはそれどころではない。 堪忍袋の緒と理性の糸が千切れないよう必死になっているのに、おそらくは素で追い打ちをかけてくるに、本当にどうにかしてやろうかという思いが浮かんでくる。 服越しに伝わってくる彼女の体の熱さと、身を任せる体の感触に自分の意識が集中している事を認めた彼は、状態異常が解けると同時に腹を括った。 の飲酒量が多かった事や、自分のステータスが混乱になっている事は、もう、分かっていて踊ったの責任にする。 これまではセフィロスなりにの様子を見て大切にしてきたつもりだったが、事ここに至っては宥恕の限界だった。 警戒心もなくセフィロスの手に添えられているの手を掴み、逃れられる前にその体を引き寄せてソファの上に押し倒す。 乱暴でも優しくもないそれには何一つ抵抗せず、その事にセフィロスは内心で少しだけホッとしていた。 彼女は受け入れる覚悟をしていたのだろうか。 意味があるか分からないまま、セフィロスはの目を見て最後の確認をする。 よもや彼女が、瞼を伏せてスヤスヤ眠っているとは思わなかった。 『…………』 冗談だろうと思いながら、セフィロスは穴が空きそうなほどの瞼を凝視する。 もしや寝ているフリだろうか、そうであればいいと思いながら彼女の腿を撫で上げてみるが、彼女は少しくすぐったそうな顔をして寝息を立てていた。 ならばこれは起きるかと下着に手をかけてみても、幸せそうな寝顔は変わらない。 『……最悪だ』 そういえば、最後辺りは酔いで呂律が回っていない状態というより、寝ぼけて言動がおかしくなっている感じだった。 しかし、この期に及んで何もしない事は出来ず、セフィロスは否応なしに蘇った理性と本能に悩みながら、の耳元に唇を寄せて下着の紐を解く。 そのまま彼女の腰から腿の肌を掌で楽しむが、安心しきった寝顔を前にそれ以上行為を進めることは鋼鉄の理性が待ったをかけた。 さえ起きれば続けられるのだと考え直し、服の上から胸に触れ、首筋に歯を立てて舌を這わせてみたが、深酒のせいか彼女が起きる気配は全く無い。 もはや続ける事は不可能と諦めて、セフィロスはの胸に突っ伏した。 その重さに、彼女が少し苦しそうに身じろぎしたが、そんなものは知ったことか。 が目覚めなくても構わず続けられるほど人でなしだったらよかったと、いつもは思わない悔しさにため息が止まらない。 何より、一度は完全に事に至ると決めてしまった体は熱いままで、理性だけで収まってくれるものでもなかった。 『……本当に……最悪だ』 自分の体が静まってもいないのに、解いてしまったの下着の紐を結び直す切なさといったらない。 ゴムが痒くて苦手な彼女が紐の下着を愛用している事を空しく思ったのは、その時が初めてだった。出来れば後にも先にもその時だけであってほしい。 下着の紐もだが、身動きが取れない状態で理性を限界まで削られるのも、金輪際やめてもらいたかった。 次は気を使って諦められる気が全くしない。 いや、『今』のなら自分が理性を働かせるまでもなく、手を伸ばせば受け止めてくれるか。 そう考えたところで、セフィロスは瞼に朝日を感じている事に気がつく。 思い出を辿っている間に、眠っていたのだろう。しかも、その思い出を夢に見て。 よりにもよって、あの時の記憶を夢にみるとはと、セフィロスは寝起きにもかかわらず精神的な疲労を感じる。 夜中も、今も、今日の夢見は最悪としか言いようがない。 もう少し休もうと寝返りをうてば、布団の隙間から入った冷たい空気に、がもぞもぞと身を寄せてきた。 珍しい寝坊は、昨夜の散歩のせいだろう。 セフィロスもまだ眠気を感じていて、すぐに起きる気にはなれない。 暖を求めるを腕に囲い入れると、彼はあと1時間と思いながら再び瞼を伏せた。 そういえば、は今もまだゴムが苦手で紐の下着なのだろうか。 朦朧とする頭で考えながら、セフィロスは腕の中で寝息を立てるのネグリジェをたくし上げる。 彼女が身じろぎするのを何となく感じながら、指先が下着の紐に当たると、やはりまだ紐なのかと思いながら無意識に結び目を解いた。 眠りかけた頭の中では先ほどの夢が繰り返され、中途半端に寝ぼけながら彼女の肌を撫で続ける。 皮膚の感触や肉の付き方も昔のままだと思っている間に、深い眠りが体に重くのしかかっていった。 「……あれ?おかしいな?どこだ?」 「どうした」 「その……寝ている間に下着が解けたようなんですが、どこかにいってしまって……」 「…………」 数十分後、の戸惑う声で、セフィロスはぼんやりと目覚める。 目が覚めると何故か下半身を丸出しにしていたは、首を傾げながら足で布団の中を探っていた。 寝ている間に紐が解けたなら腰の辺りに下着がはるはずなのだが、どんなに探してもそれらしいのが見つからない。 もしや、寝ている間に無意識に脱ぎ捨てたのでは、いや、流石にそんなはしたない真似はしないはずだと、寝起きの頭で考える。 そんな姿を暫く呆けた頭で眺めていたセフィロスは、無意識に指で弄んでいる紐の感触に、何となく事態を理解する。 シーツを洗濯する時出てくるかもしれないと入って布団を出るの背を見ながら、彼は自分が持っている物を手の感覚で確認すると、彼女が寝ていた辺りへこっそりと戻した。 |
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2022.07.09 Rika |
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