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「ストライフ・ハンディマン・サービスです。引っ越し作業に来ました」
「こんにちは。今日は、よろ……赤マント……あ、いえ、失礼。よろしくお願いします」

不動産業者に契約のオプションで頼んだ引っ越しの手配。
当日にやってきた3人の便利屋の中に、十年ぶりくらいに赤マントことヴィンセントを見つけて、はつい驚いた顔をする。

仕事中だからか、無言で目礼だけを返したヴィンセントは、今日は作業員のユニフォームらしき赤い作業着を着ていた。
胸元につけられた名札には、確かにヴィンセントという名があり、その上にはアルバイトと書かれている。

何で忘れた頃にやってくるのか。
こいつの赤マントは腐れ縁の赤い糸で織られてるんじゃないかと思いながら、は彼らを室内に入れてリビングにいるセフィロスへ目をやる。

「悪いが、布団の荷づくりがまだ途中……だ。リビングの荷物から先に頼む」

ヴィンセントに一瞬目をとめ、数秒見つめあったセフィロスは、何事もなかったように指示を出して作業を再開する。
ヴィンセントもまた、何か言うでもなく傍に会った段ボールを2つ抱えると、様子を見るには目もくれずに動き始めた。

『…………よし、何も起きていない。今日は何も起きてない』

知らんぷりで押し通る事を決めると、も引っ越し作業に集中した。


Illusion sand ある未来の物語 104



広いとは言えない部屋で、荷物も最初の引っ越しから荷解きしていないものが多かったので、作業は思っていたよりすぐに終わった。
一月程度しか住んでいなかった部屋から荷物が消えても感慨は湧かず、最後に軽く掃除をして2人は部屋を後にする。
すると、エレベーターで一緒になった上階の家族の赤ん坊が、の姿を見た瞬間声を上げて泣き出した。
そういえば、自分は動物だけではなく赤ん坊にも嫌われやすかったな……と思い出したは、一連の騒がしさの原因が半分くらい自分達のせいだと今更気づく。
セフィロスもまた、それに思い至ったらしく物言いたげな目でを見ていたが、その場で口を開くことはなかった。

新居に移動し、荷物を運び終えでも時刻は昼を少し過ぎた程度だった。
運搬の後、軽い家具の設置を終えると、ヴィンセントも業者も会計をしてすぐに帰る。
何も言わなかったが、作業をしながらセフィロス達を観察していたヴィンセントは、帰り際も数秒セフィロスと視線を交わらせていた。

あれは、何日かしたら訪ねてくるかもしれない。
さて、どう対処しようかとセフィロスへ視線をやったの目には、一周回ってどうでもよくなっている顔の彼がいた。

「セフィロス……」
「何だ?」

「赤マントがいたのは気づいていたでしょう?少し疲れた顔になっていますが、大丈夫ですか?」
「疲れたのは引っ越し作業のせいだ。奴の事は……なるようにしかならん。これまでの様子を見る限り、おかしな行動をする奴ではなさそうだ」

「わかりました。では、寝室とキッチンだけでも、早く片付けてしまいましょうか」
「ああ。だが、その間にカーペットを敷くぞ」

先に注文して届いていたカーペットを指さしたセフィロスに、は頷くと作業を始める。
集合住宅で1カ月ほどしか使っていない炬燵を手放すなんて選択肢は無く、リビング中央に厚いカーペットを敷いて座椅子と一緒に使う事にしたのだ。
家の雰囲気とは若干合わないが、頻繁に人が訪ねる家ではないので気にしない。
寝室をセフィロスに任せ、キッチンの片づけを始めたは、とりあえず彼のぬか床を最初に台所の下に置いておいた。

事ある毎に荷物を探しながら生活するのが嫌で、は昔そうしたように自分にヘイストを重ね掛けしながらどんどん荷物を片付けていく。
あっという間に台所を片付け終えると、すぐに洗面所の片付けに向かい、30分もしないうちに終えてリビングの片づけを始めた。
セフィロスはベッドの組み立てをしているため時間がかかっている。
予想通り寝室にした部屋はベッドだけでいっぱいになりそうで、手伝いに行っても邪魔になりそうだった。
軽く部屋を覗き込み、ベッドが形になっているのを確認したは、他の部屋の片づけを始める。
今日はとりあえず夕食をとって眠れる状態にすれば良いので、暫く使う予定のない荷物は納戸にしまい込み、それ以外の荷物を片付けた。

「明日は朝から車の受け取りか……。日が暮れる前に家の周りの草を刈り取っておいた方が良さそうだな……」

草刈りと言っても、魔法で一瞬なので、は日暮れ前で良いだろうと考えながら時計を見る。
時刻は午後四時を指しているが、夏が近いからまだ陽は高い。急ぐ必要はなさそうだった。

移住当初の予定よりも家が町から離れてしまったので、予想外に交通手段を手に入れる必要が出てしまった。
整備や管理が面倒なのだが、一般人がいる町中まで毎回毎回土煙を上げながら走るわけにもいかない。
急遽購入した中古車は、セフィロスの脚が窮屈にならない程度に広い乗用車だった。
アイシクルエリアで使っていた車のような車高はなく、視線の低さに少し不安を覚えただったが、舗装した道しか行かないので十分だとセフィロスに言われた。

ジュノンは、ミッドガルと同じ右ハンドルが主流なので、今回購入した車も右が運転席、左が助手席になる。
試乗時点でセフィロスは少し戸惑っていたが、2〜3日で慣れると言っていたので、はそれを信じる事にした。

今後はジュノンにある専門学校へそれぞれ通う事になるので、も何かしらの移動手段を手に入れた方が良いとは思う。
だが、祖国を追われた原因の火力船とか、次元の狭間に残る原因になった魔物とか、この世界で死ぬ原因になった魔晄炉とか……とにかく大きめの機械の塊とは嫌な縁があるとは思っている。
たとえセフィロスがしっかりと指導してくれて、自動車の運転免許を得られたとしても、乗って1日くらいでぶっ壊すか、ぶっ壊れる気がするのだ。
それはセフィロスにも以前言っており、好きにすればいいと言ってもらった。

『そういえば、集合住宅に住んでいた人の中には、自転車というものに乗っていた人間がいたな……』

バイクは機械の塊なので乗りたくないが、自力で動かす自転車ならば安心して乗れるかもしれない。
落ち着いたらセフィロスに相談してみようと決めると、は草刈りのために庭へ出た。
家の前は不動産屋が綺麗に草刈りしてくれたようだが、それ以外の場所は内覧した時より草が伸びている。
軽い確認ついでに、はエアロでバサバサと草を刈り、狩り終えた草も狭い庭の隅に魔法で積み上げておいた。
家の周りがさっぱりしたところで、は庭の端にある古井戸へ足を向ける。

井戸は風呂や洗面所等、家の水回りに近い場所にある。
家はそれほど古くないが、この土地自体は昔から人が住んでいるのかもしれない。
そう思いながら、は井戸を塞ぐ板の上から、釣瓶の桶をとった。

「使うなら、桶は買い換えが必用だな……」

今のご時世なら、携帯端末で探せば何処かの業者が出てくるだろう。
しかしそれも、井戸が枯れていなければの話だ。
先日は、分厚い板の下に虫などの小さな気配を感じたが、今日は人とも魔物ともつかない……アンデット系のような気配がする。
腐乱系がいる井戸は使いたくないので、妖魔か亡霊系だと嬉しいと思いながら、は井戸を塞ぐ板を開けた。


「ギギャギャ……ギャ…………」
「シュー……シュ……シュ……ッ…………」
「…………」


井戸を開けてすぐ見えた二つの顔に、は気配より顔が多いな……と思いながら見下ろす。
体がどうなっているかは分からないが、首から頭が二つ……否、よく見ると前の二つの後ろに小さな頭が見えるので3つだ。
青白い頭と赤みがある肌色の頭、それと暗くて色が判別できない奴が、井戸の中にいた。
どれも人間に似て目・鼻・口がある顔だが、ボコボコに殴られたように所々腫れたり青黒くなってたりしている。
最初にギギャギャと鳴き声を上げた正面の青白い顔は唇が無いのか、それとも唇に歯が生えているのか……どちらでもいいが人というより鮫のように歯が生えていて、何か臭そうだった。
青黒い顔の斜め後ろにある、火傷した人みたいな肌の顔は、無理して振り向いているのか途切れ途切れにシューシュー呼吸している。
そっちもそっちで、何だかまばらに黒い髪みたいなのが生えていて不潔そうだった。
どちらの顔も共通するのは、瞼の中に眼球が無く、暗い闇がある事ぐらいだろうか。

もっと可愛げのある見た目の魔物なら、ペット代わりに飼う選択肢もあるのだが、井戸の水か体液か分からない何かでテカッテカしたコレは飼いたくない。
しかし、元々住み着いていただろうこの変な奴を、いきなり追い出すのも少し可哀想な気がする。

さてどうしようかと考えながら、は無言で井戸の先住者を見つめていた。
対する先住者は、蓋が開く瞬間こそ殺気を漲らせていたが、彼女と目が合うと、笑みを浮かべるように釣り上げていた頬が、人が表情を失うように下がっていった。
それに従い、視線もそっとから逸らされ、暫くそのまま固まっていると、やがて静かに、ゆっくりと井戸の闇の中に帰っていく。

凶暴なアンデットだったらホーリーで消そうと思っていたので、が普段抑えている魔力は多少出ている。
力量に気づいて逃げるのは仕方ないだろう。

先住者が完全に井戸の闇に帰ったのを見届けると、はとりあえず井戸の蓋を元に戻しておいた。

井戸が使えないなら、それはそれで仕方ないと思っていたので、別段惜しいとは思わない。
不動産屋は何も言っていなかったので、近隣で暴れるような魔物ではなさそうだが、害がない魔物を無暗に殺すのも可哀そうだ。
巣穴を開けたから顔を出しただけで、見た目に反して普段は臆病で大人しい魔物なのかもしれない。
セフィロスに話を通して、暫く様子を見ようと考えると、は残りの雑草を刈り取って家に入った。


玄関を開けると、セフィロスがダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいるところだった。

「おやセフィロス、お疲れ様です。ベッドはもう良いのですか?」
「ベッドの組み立ては終わった。あとはマットレスと布団を敷くだけだ」

お茶請けのカステラをテーブルの真ん中に差し出した彼に、は頷いて自分のコーヒーを入れにいく。
コーヒーメーカーに残っていたコーヒーはカップの半分くらいにしかならなかったが、それほど喉が渇いてはいなかったので気にならなかった。

「そうでしたか。狭い室内での組み立ては大変だったでしょう?後の作業は、私もお手伝いして大丈夫でしょうか?」
「ああ。頼む。お前は、外で何をしていた?魔法を使っていたようだが……」

「はい。軽く外の草刈りを。それと、外の井戸なのですが……」


セフィロスの向かいの椅子に腰を下ろしながら、は先ほどあった事を教える。
井戸の中に帰っていったと言うと、セフィロスは納得した顔でカステラを一口食べて、知っている魔物かと聞くと顎に手をやって考え始めた。


「獣ではなく、人のような頭が三つついた魔物か……」
「気配は少し妖魔や亡霊系のアンデッドに似ているんですが、実体はあったんですよ。それに、恐らく独立した思考を持つ頭部が複数あったのに、気配は一つだけでした」

「似たような魔物を倒した事がある気がするが……昔すぎてあまり思い出せんな。お前が不自然だと思うのなら、天然ではなく、昔人工的に作られた者の生き残りかもしれん。昔は、よく科学部の実験体が逃げたり、試験的に放逐されたりしていた。長命種の研究もされていたからな。未だに生き延びている個体の一つや二ついても、おかしくはない」
「神羅の……ですか?随分昔に、始末されたはずでしたが」

「漏れた1匹くらいいてもおかしくはない。それに、神羅以外にも、似た研究をしていたやつらはいた」
「なるほど。では、井戸のアレはどうしましょうか?私としては、害がないなら放置で良いと思っています。飼うには可愛くありませんし」

「放置には賛成だが、魔物を相手に飼うという発想をするな」
「……小動物にも赤ん坊にも嫌われる身なんですよ?可愛げのある魔物を飼ってみたいと思うくらい、許してください」

「お前は、放っておくとベヒーモスすら可愛いと言い出しそうだ……」
「失礼ですね。あれは可愛いのではなく、美味しそうな魔物ですよ」

「………………そうだな。井戸の魔物は、悪さをするようなら駆除するが、それまでは放置だ。それと、ベヒーモスの角煮の冷凍はまだあったか?」
「ええ。角煮は3袋あったはずですから、夕食に出しますね」

暫く大空洞での狩りもできないので、ベヒーモスの肉は今ある分を食べ終えたら暫くお預けだ。
しかし、出し渋っては冷凍焼けして食べられなくなるので、は出し惜しみしなかった。
良い感じに熟成が進んだ生ハムが、まだアイシクルエリアの家に残っているからという理由もある。

夕飯はパエリアを作る準備をしていたのだが、ベヒーモスの角煮を出すなら、後はサラダとスープを作るだけでいい。
セフィロスとほぼ同時にコーヒーを飲み終えて席を立ったは、カップを洗う彼の横で、片付けたばかりの冷蔵庫から食材を取り出す。
設置して電源を入れたばかりの冷蔵庫だが、中はが魔法で出した氷を入れてあるので十分冷えていた。
カップを洗い終えたセフィロスがそのまま米をといでくれたので、その間にはスープの出汁を準備する。
何のスープにするかはまだ考えていなかったが、角煮に合わせてあっさりとしたスープにするのが良いかもしれない。
面倒だったらネギとワカメの塩スープで済ませようと考えると、はセフィロスと共に一旦外へ出る。
廊下からは入らなかったマットレスを、部屋の掃き出し窓から入れるためだ。

部屋の外は魔物がいた井戸に近く、何気なくはそちらへ視線を向けた。
だが、井戸からあの魔物が顔をのぞかせる様子はなく、それどころかその気配は、井戸の恐らく底だろう地下深くでじっとしているのが伺える。
怯えていたようなので仕方ないが、やはり少し可哀想だったかもしれない。

その後、寝床を作り終えた二人は、約1か月ぶりになる静かな居住空間にホッと息をついて夕食をとる。
何処からか聞こえる物音がないだけで自然と表情が緩み、今更になって、慣れない集合住宅がストレスになっていたと互いに気が付いた。

慣れているとはいえ、魔力や覇気を限界まで抑え続けるのは、2人が自覚しているより疲れることだった。
寝ている間も、何処からか鳴き声が聞こえると反射的に気配まで消すくらい気を張り詰めていたのだ。
疲れて当然だったが、1月もその環境にいたせいで、過剰に反応することに慣れてしまっていたらしい。
上階や両隣の部屋から聞こえる音を反面教師にして、足音まで消して生活するのはやりすぎだったと、今更になって2人は笑いあう。
食後すぐにシャワーを済ませた2人は、今夜からは静かに寝られるとウキウキしながら、9時には布団に入った。
集合住宅での隣近所への音漏れが気になって、引っ越し前から艶事を全くしていなかった2人だが、そちらの欲より穏やかな睡眠への喜びが勝っていた。

聞こえるのは、互いの呼吸の他は外から聞こえる風の音と虫の声だけ。
それにまた満足げに深く息を吐いた2人は、緩やかに訪れた微睡みに意識を任せた。




夜更け。
海から駆けてきた風が草原の上を滑り、煽られた虫たちが囁きあいながら仄かな月明かりの下を飛ぶ。
星空を漂う雲も自由で、細く欠けた月を悪戯に隠しては、気が変わったように何処かへ流れ去っていった。

けれど、去り行く雲が気まぐれに月を覆った時、そこに小さな物音が響いた。
語り合っていた虫は息を殺し、風すら始めから存在しなかったかのように動きを止める。
夜がもたらす一際の闇の中、再び響いた小さな物音は、草原にある一軒家、その庭にある古井戸からしたものだった。

様子が変わった外に、眠りの中を漂っていたはゆるりと瞼を上げる。
自然あふれる地に不自然な沈黙の中、枕に頭を預けたままの彼女は、見慣れない天井を見つめながら地下深くから這い出てきた気配を感じていた。

一切の音が消えたような夜に、深い闇から異形の者がそっと顔を覗かせる。
封をしていた厚く大きな板は、静かに持ち上げられ、幾つもの指を持つ異形の手によって音もなく、慎重に井戸の外へ置かれた。
静かに草を踏みしめる足の音が、ひとつ、ふたつ。
次いで再び石と木が擦れる僅かな音。
そして異形は静かに、慎重に古井戸から離れ、殺しきれない足音をそれでも潜めながら、ゆっくりと敷地と休耕地を分ける柵へ近づいていく。

内覧の際にセフィロスから指摘され、不動産屋によって既に直されている柵の元破損個所を、焦ったようにガタつかせる音が草原に響いた。
やがて、『ギギ……』という小さな呻き声と共に、ズルズルギシギシと、今度は柵に何かしている音。
破壊される前に始末しようかとが考えた所で、ドスッという何かが落ちた音と、『グギャッ』という小さな悲鳴のような声が聞こえた。

、今……」
「柵から……落ちたようですね」

と同じく目を覚ましたセフィロスが、外から聞こえる物音に寝ぼけと呆れが混じる声で呟いた。
あの魔物は何がしたいのか。
2人で半ば呆れながら気配を感じていると、魔物はまたゆっくり移動を始めた……かと思ったら、2メートルほど進んだところで走り出した。
それまでの動きが嘘のように、気配も音も何もかも出しっぱなしで、向かうのは獲物となる人がいる町ではなく、畑の向こうに見える山だ。
行く先に別の魔物の気配があっても、止まる気配どころか躊躇う様子もなく目の前を横切っていく。
まさに死に物狂いといた様子で、魔物はあっという間に休耕地を超え、遥か遠くへ逃げ去っていった。

「……寝るぞ」
「はい」

朝になったら柵の確認だけしようと考えると、は再び目を閉じた。




ストライフ・ハンディマン・サービスについては、次かその次ぎぐらいの話で説明します。

2024.04.17 Rika
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