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『『……狭いな』』


ジュノン郊外に引っ越して数週間。
新しい家に慣れ始めたところで、それまで住んでいた家との違いを感じ始めた二人は、深夜寝室の天井を眺めながら同時に内心で呟く。

ベッドだけでほぼ埋まった寝室は、そこそこの大きさのクローゼットがあるが、中は衣類と段ボールに入ったままの荷物で埋まっている。
小さなテレビと収納棚を置いたら、ソファを置くスペースが確保できなくなり、座椅子と炬燵を置いたリビング。
収納棚でリビングと仕切っているだけのキッチンに、ダイニングテーブルを置く余裕などない。

窓が大きく日当たりが良いが、部屋の壁は薄く、油断すると無意識に隣人の気配や物音を感じてしまうので、寛ぐにも移動するにも神経を使う。
上階の音など更に煩く、足音や転ぶ音に加えて、酷い時は放屁音まで聞こえるありさまだった。
今も、何処からか聞こえる赤子の夜泣きに、別の部屋の赤子が共鳴している。

不動産屋から、交通の便が良く、若い夫婦が多いと聞いて決めた物件だったが、考えてみれば若い夫婦向けなら小さな子供も付き物で、ならばその賑やかさまでが1セットというわけだ。
自分達がそういった事から無縁だったために念頭になかったが、理解すれば多少の騒がしさは納得である。
だが、納得できることと受け入れられるかは別だし、それを差し引いても他人のドアの開閉音が響いてくる生活は受け入れがたい。

そもそも、色々と学ぶために引っ越してきたのに、自宅内に2人が勉強するスペースが無いのは大問題だ。
家具の配置を見直せば解決できるだろうか。
眠気もあって消極的に考えた2人だったが、赤子の夜泣きに隣室のイビキが混じっていると気づくと、早めに一軒家に引っ越そうと決めた。



Illusion sand ある未来の物語 103




昔、ミッドガルにあるセフィロスのマンションで暮らしていた時を思い出し、達は極力音を殺して生活していた。
だが、4階建ての小さなアパートを、ミッドガルの高層マンションと同じ感覚で考えてしまったのが間違いだったのだ。
長い間、山奥で生活していた事も、音が気になった大きな理由の一つだろう。


「私たちは、少し、街中や普通の人間に溶け込む事に気を取られすぎていたのかもしれませんね」
「そうだな……次は、少し街中から離れていても、寛げる家を探すぞ」

「ええ、そうですね。正直、静かで屋根と壁さえあれば、もうそれだけで……」
、あまり期待値を下げるのはやめろ。最低限にばかり目を向ければ、また痛い目を見る事になる」

「……仰る通りですね。では、広さは貴方が最初に住んでいた家くらいで、静かさは昔ルーファウスがやっていた料亭のある界隈ぐらいを目安にしましょうか」
「悪くない」

他にも水回りは綺麗な方が良いとか、できればバスタブがある浴室がほしいとか希望はあるが、口にすればキリがないので2人は黙ってタブレットで次の物件を探す。
産直市場から遠くなるのは仕方ないと諦めて、もう少し町から離れた一軒家を探すと、出てきた住宅は集合住宅とかなり仕様が違った。

玄関に段差がない土足仕様だったり、バスタブがなくシャワールームだけが普通だったり、洗濯が外干しではなく乾燥まで室内で済ませる文化だったり。
近くに大きな公共浴場があるが、あるのは湯を張った風呂ではなく蒸し風呂だった。
要塞都市ジュノンの風習に元々の土地の風習が混ざり、時代と人の営みに合わせて変化した結果のようだ。
それは、この世界で生まれ育ったはずのセフィロスをも多少混乱させたが、それでもすぐに順応できる程度だった。

「戸建て物件は海沿いの方が多いですが……かなり高いですね」
「別荘地か、高級住宅街という扱いなのだろう。それはそれで、煩わしそうだ」

物件の写真と共に掲載されている付近の景観写真は、広い道に大きな家々が並び、コスタ・デル・ソルを思わせる街路樹がある。
なるほど、確かにセフィロスが言う通りだと考えてページを閉じたは、今度は街から山側に外れた地域の物件を探した。


「では、この3軒の内覧を申し込んでおきますね」
「ああ、頼んだ。少しトイレに行ってくる」

即入居可と書かれた物件を含めた3軒に絞り終えると、は最初にジュノンへ引っ越した時、セフィロスが教えてくれた手順通りにメールを打つ。
とテーブルにぶつからないよう、窮屈そうに立ち上がったセフィロスは、トイレの扉を開けると身を屈めて中に入っていった。
その様子を横目で見ていたは、廊下の先にある玄関扉を見つめ、出入りのたびに少し腰をかがめていたセフィロスの様子を思い出す。
リビングから寝室へ続く扉をくぐる時も、彼は少し身を屈めている。
そのまま入っても頭をぶつける事はないのだが、余裕があるとは言い難い。

「…………ドアと天井が高い家だと良いが……」

この家のドアの低さは小規模な集合住宅だからかもしれないが、それにしたってドアをくぐるたび腰を屈めるセフィロスが可哀想になる。
最近は慣れたのか何も言わなくなったが、最初はシャワーの位置が低いとも言っていた。
アイシクルエリアの家が良すぎたのだと彼は言っていたが、生活する場に不便が多くては思うように寛げないだろう。
何しろ、今彼が入っているトイレも、あの足の長さでは窮屈な気がする。
少し考えたは、内覧物件の条件が合わなかった時のため、高身長でも負担が無い家の紹介依頼も付け加えた。




『出来るだけ早く』という希望を出したためか、引っ越しが増える時期が終わって暇があったのか。
3日後、2人は早速不動産屋の車に乗せられ、物件の内覧に向かった。

1軒目は今住んでいる集合住宅から10分程歩いたところにあったが、物件情報に掲載されていた以外の壁や床の汚れが目立つ上、前の住人の香水らしき残り香がキツくて却下
2軒目は町から少し離れた場所で、空き地と民家が点在する場所だったが、玄関ドアの高さが集合住宅と変わらずセフィロスが反射的に腰を屈めてしまったので却下。
3軒目は、2軒目とドアの高さ等が変わらないらしく、足を運ぶまでもなく断念した。


「まさか3軒とも駄目とは思いませんでした」
「ミッド……いや、アイシクルエリアの建物では、こんな事は無かったが……」
「もしや、アイシクルエリア出身でいらっしゃるんですか?あちらの地方は大柄な方が多いので、ドアや家がこちらより大きめだそうです」

不動産屋の言葉に、なるほどと頷いた二人だが、実際は土地が広く大きな家を建てられる事も理由の一つだろうと考えた。
しかし、この3軒が希望に合わないとなると、また最初から探しなおすか、条件に合う物件を探してもらうか。
後者だろうな……と考えていた2人に対し、不動産屋はセフィロスの頭の上をじっと見て、恐らく身長を目で測って、何やら考えている。


「では、ここから車で10分程かかりますが、軍人の方が住んでいた物件をご覧になりませんか?大柄な方が多いので、アイシクルエリアの規格の建具を使っているものがあるかもしれません」
「セフィロス、行きましょう」
「そうだな」

騒がしい場所でなければ、それで決まるだろうと思いながら、2人は再び不動産屋の車に乗る。
それまでは静かな山側の土地にいたが、向かったのは高級住宅街がある海側で、しかし車はそれらの街並みを越えると普通の民家が並ぶ地域に到着する。
そこそこの庭をもつ家が多く、道も綺麗に整備されており、治安の良さが伺えた。
軍人が住んでいた家と言うが、つまり軍人が多く住んでいる地域の空き家なのだろう。

召喚獣乗りの魔物狩りは、現在怪我をして休業中という事になっている。
事故死の偽装はまだなので、暫くWROとは関わりたくないのだが、一般人として近所に住むくらいなら大丈夫だろう。
そこそこ広い庭を持つ家々の前を進んでいくと、徐々に家や庭の規模が小さくなり、やがて普通の民家と空き地が混じる地域へ入る。

海沿いに並ぶ防風林が自然の雑木林と交じり始め、家々がまばらになると、車は徐々にスピードを落とした。
牧草畑か、休耕地か、雑草が生い茂る平地の中、それまで走っていた道路へつながる細い道があり、その先に小さな一軒家が見える。
白い壁に、赤い屋根の家は2階建てのようだが、よく見れば屋根裏に窓があるだけのようだ。


「こちらは、以前は軍人の方が住んでいた物件ですから、先ほどまでご覧になっていた物件よりもドアや天井に高さがあります。町から離れておりますので、交通に少々不便はありますが、周りは休耕地ですから、静かで寛げると思います」
「確かに、静かでいいな」
「ええ、そうですね」


僻地っぽい風景が、アイシクルエリアの家を思い出させるが、静かさは大事だ。
きっと自分達は賑やかな場所では生活できないんだろうと考えると、とセフィロスは車から降りて家の周りをざっと見回す。
敷地と草むらは木製の柵で区切ってあるが、人が去って久しいのか季節のせいか、敷地内の草も伸びている。
邪魔になりそうな木も生えていないので大丈夫だろうと考えながら家の周りを歩くと、玄関から反対にある敷地の外れに、古い井戸を見つけた。
厚い板で蓋をされているが、釣瓶は残っており、桶さえ取り換えれば使用できそうだ。
水道が通っているので日常的に使う事はなさそうだが、水が枯れていなければ利用方法はいろいろあるだろう。


「この井戸、使用しても問題ありませんか?」
「水がまだ残っていればご利用になれますが、念のため飲用はなさらない方が良いかもしれません。庭の水まき等でしたら大丈夫かと思います」


この家ではなく、アイシクルエリアの家に欲しかったな……と思いながら、は古井戸をまじまじと眺める。
石を積み上げて作られた井戸は大きいが崩れた様子はなく、掃除さえすれば使用できるだろう。
中には虫等の小さな生き物の気配がするが、古井戸には付き物なので、は気にせずセフィロス達の方へ向かった。

どうやら敷地を区切る柵の一部が壊れていたようで、折れた板に残った獣の毛を指して話をしている。
町はずれならば魔物や獣の類が出るのは当然だが、それらの被害による破損は住人と家主どちらの負担になるのか確認しているようだ。
通常魔物の被害は家主が保険で対応するが、たまに居住者負担にしたがる家主がいるので、その辺の確認は必須事項だった。
柵の外を覗き込んでみると、敷地は休耕地より幾分か高くなっており、雨水や泥が流れ込んでくる心配も無さそうだ。
環境自体は悪くなさそうだと思いながら正面へ戻ると、確認が終わったセフィロス達もすぐに戻ってきた。

家の鍵を開ける不動産屋の後ろで、は扉の上部を見上げ、次いでセフィロスに視線を向ける。

「この高さのドアなら、大丈夫そうですね」
「そうだな。中のドアも同じなら良いが」
「お待たせしました。中へどうぞ」


アイシクルエリアの家と同じくらいの高さがあるドアに少しだけ表情を緩めた彼は、不動産屋に促されて中へ足を踏み入れる。
小さなウッドデッキにあるドアを開ければ、リビング・ダイニング・キッチンが一続きになった部屋だった。
予想していた通り、玄関スペースや靴を脱ぐ段差は無いが、それはもう仕方がない事と諦めた。
こじんまりとしたリビングスペースの奥にはキッチンがあり、2人用のダイニングテーブルならギリギリ置けそうな余裕がある。
リビングの奥にある廊下にはいくつかのドアがあり、トイレや洗面所も求める広さがあった。
バスルームにシャワーしか無かったのが少し残念に思うだったが、セフィロスは頭上にあるシャワーヘッドの位置に満足げな顔をしていたので、欲張るのはやめようと思った。

寝室になりそうな部屋が少し狭く、今の集合住宅のようにベッドを置いたら何も置けなくなりそうだが、寝るための部屋と思って妥協する。
もう一部屋には大きなウォークインローゼットがあったのだが、そちらは部屋自体が狭くてベッドが部屋に入りそうになかった。
その問題も、2人がセフィロスの身長に合わせたキングサイズより大きなベッドを使っているせいなのだが、身長が縮むことなどないのでどうしようもない。
土足仕様の家でなければウータイのように畳を敷いて直接布団を敷く手もあるのだが、既に前の住人たちが散々土足で生活した床と思うと、その気にならなかった。

懸念していた室内の建具の高さも問題なく、水回りや照明も多少古さはあるが2人が気にするほどではない。
リビングの天井にある屋根裏部屋も一応確認したが、前の住人が忘れて行った工具箱が一つあっただけで、他には何もなかった。

公共交通機関の乗り場へは遠いので、車等の移動手段を手に入れる必要があるが、それ以外は十分に条件を満たしていた。
その場で契約を結ぶセフィロスの後ろで、は市場までの距離を確認するために地図を開く。
だが、大きな道路をジュノンとは反対方向に行ったところに小さな町と漁港、そして鮮魚市場を見つけた。

そこなら、先日衝動買いしたあの魚を、より新鮮な状態で買えるかもしれない。
セフィロスに呆れられながら食べた毒ばかりのあの魚は、が故郷で口にしていた味と寸分違わず、思わず上げそうになった雄叫びを、唇を噛んで我慢する事になった。
次に口にするのは、きっとこの家に越してからになるだろう。
ならば次は、感動と喜びの声を抑える必要はない。
セフィロスに呆れた視線を向けられるのは間違いないが、雄叫びを堪える姿を怪訝な顔で凝視された先日よりはいい。

海が近いので、多分セフィロスは暇潰しに釣りに行くようになるだろう。
そうなれば、彼があの魚を釣って来てくれる事もあるだろうし、沢山釣れたなら塩焼き以外も作れる。
昔、ファリスと会っていた酒場で食べた、猛烈に美味い干物だって作れるだろう。
薄く切って干した身を、火で炙りながら、魚醤と甘い酒を混ぜたものを何度も塗ったもので、活きが落ち始めた魚の臭みを消すためにかなり濃い味付けだった。
下町ならば上手く魚を処理するので、臭みが出た魚など使わない。
治安が悪い場末の酒場、その中でもファリスが出入りする程度にはマシな店だからこそ食べられた味だったのだろう。

思い出したら、食べたくなってきた。

この地方にいるなら、あの魚は手に入る。
魚の処理も出来るのでも問題はない。周りが平野の一軒家なら軒先で干物を作れるし、魚醤等の調味料もある。
たとえ自分で作って失敗したとしても、にはセフィロスという料理上手な夫がついている。
上手く作れなくても、彼に相談すれば間違いなく美味いものが……それがが求めるものと多少違っても、それはそれと思えるだけ美味しいものを作ってくれるのは間違いない。

想像するだけで、の頬は緩み、隣にいるセフィロスを自然と柔らかな目で見つめてしまう。
どう転んでも確実に幸福をもたらしてくれるセフィロスを、できれば今すぐ抱きしめたいくらいだが、不動産屋がいるので自重した。


やたらと機嫌が良い彼女に、セフィロスはその様子を横目で確認しつつ、内心首を傾げる。
契約書類に目を通し、問題がない事を確認してサインを入れると、追加契約で不動産屋が提携している何でも屋に引っ越しの手配も申し込んだ。
セフィロスが不動産屋にペンを返すと、は室内から出る僅かな間だけだというのに、彼の手をとる。
家が気に入ったにしては機嫌が良すぎる彼女に、セフィロスはまた妙な事を考えているのだろうかと疑いの眼差しを向けるが、返されたのは疚しさの影もない笑顔だ。
ますます内心で首を傾げるセフィロスだったが、家に帰ってから聞けば良いだろうと考えると、移動の車の中でも指を絡めてくる彼女の相手を適当にしておいた。





戸建てから集合住宅に引っ越すと、聞こえてくる他所の物音に驚くアレです
あと、ライラは動物にも嫌われてるけど、赤ん坊とかにも泣かれます。

2024.04.14

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