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『……それでも……私は、この世界を憎いとは思えない』


あれはいつの言葉だったか。

崩れ行くビルの中で、ルーファウスは記憶の底から飛び出してきた彼女の言葉に思いを馳せる。
熱く燃えるように痛む足に目をやり、すっかりと姿を変えつつある室内を見回した。

いずれ崩れ去ると知っていたなら、それがこれほど早いと知っていたなら、今は全く違っていただろうか。



……お前は、何だったのだろうな……」


不毛な呟きだ。
けれど、崩壊の最中にいては、この現実を避けるための決断をした彼女の事ばかりが脳裏に過ぎる。

哀れみが胸に広がる。
それは彼女と、遥か北に地で破滅を奏でんとする彼へ向けられた、慰みにもならない手向けだった。












Illusion sand − 106





魔晄炉に着いたルーファウス達を出迎えたのは、科学部でも兵でもなく、臨時に警備へ宛がわれたソルジャー達だった。
その中で一人、驚き目を丸くしている青年に、は一瞬だけ小さな笑みを向ける。
ハッとした顔になった彼は、目の前を通り過ぎたルーファウスをきつく睨みつけると、少し遅れてきたレノに視線をやった。
だが、不満がありありと見える顔のザックスに対し、レノは楽観的な笑みを返して肩を竦めるだけで、何も言わず彼の前を通り過ぎていく。

小会議室に向かう一行を、険しい表情で見送ったザックスだったが、ふと、警戒心が剥き出しの自分に気付いた。
本人は、ルーファウスの警護としての警戒しかしていなかった。
だが、それは適度に考えた末のものであり、今の自分のような、肩に力を入れすぎた思考の結論ではない。

これでは足を引っ張りかねない。

内心で自分を叱責しながら、肩の力を抜いたザックスは、胸中にある僅かな燻りを振り払うように踵を返す。
雨音に混じる雷鳴に、暗い空を仰ぎ見れば、遥か遠い空に鈍い雷光が見えた。










防音扉を隔てているとはいえ、魔晄炉内にある会議室では静寂は得られないようだ。
幾分かの静けさはあるものの、耳を澄ませば、簡単に機械の作動音が届く。

どれだけ文明が進んでいようとも、こればかりは仕方が無いのだろうと考えながら、は打ち合わせをするルーファウスの背中を眺めた。

遮られた騒音の中でさえ感じる僅かな耳鳴りに、炉内の視察ではどうなるのだろうと、彼女は内心で溜息をつく。
星の意思が、好機とばかりに主張を激しくしないことを祈るばかりだが、結果がどうなろうともに為す術がない事は変わらない。
それによって引き起こされる不測の事態のために、レノが一緒に警護しているのだが、彼の役目はあくまでルーファウスの警護だ。のフォローではない。
万が一が倒れる事があっても、せいぜい彼女を医務室に運ぶよう誰かに頼むだけで、レノ自身はルーファウスから離れない手筈になっている。

星の意思と同等に警戒が必要かと思われた魔晄炉内の研究員は、科学部所属と言っても魔晄炉専門の技術屋集団。
統括は宝条で変わりないが、に危害を及ぼす可能性がある生物研究関連部署とは全く管轄が違うようだ。

最近は様々な理由で人の視線を集めてしまうだったが、今テーブルで会議している研究員達は全く彼女に興味を持っていない。
車を降りた時ですら、ろくに興味や視線を向けなかったのだ。
実際彼らは、だけではなく、ルーファウスに対してもさほどリアクションをしなかったのだが、彼は形より実を重んじるので気にしていないようだ。

護衛はただの空気。
本来は、この研究員達の態度こそ普通だ。

だが、ここまで全く興味を持たれないのはかなり久々だったので、は何故だか非情に清清しい気分になった。


目の前では、大の男達が、ここ数ヶ月急増した魔晄炉の緊急停止について真剣に話し合っている。
原因は魔晄を摂取する装置の緊急停止システムが作動し、電力変換装置が連動して停止するためらしい。
停止システムは制御室からの命令で作動する第一段階と、濃縮路本体にある停止装置を作動させる第2段、魔晄炉施設全ての電力を落とす第3段階まであるという。
現在は、第一段階の緊急停止で収まる程度の異常までしか起きていないが、それでも十分不祥事の連続といえる。

魔晄の研究自体が未だ途中であり、全容を理解した上で使っているわけではない。
当然、魔晄の採取装置は、魔晄を完全制御した上で出来ているわけではないのだという。
例えるなら、水圧の変化が予想出来ない湧き水を使って、水車を回しているようなものだ。
魔晄炉の各装置は、新たな技術が出来る度に進歩させているというが、未知数のリスクを背負っている事に変わりはない。

手に負えるか分からないものを無理して使うとは、何やら覚えがある状況だ。
昔、同じような事をして、文字通り城ごと爆発した国を、はよく知っている。
カルナックという名の、彼女の故郷だ。


『何だ…。もしかして、結構馬鹿なのか……?』


これほど発展した文明を築いているこの世界が、ランプや松明で灯りをとる故郷と同じ行動をしているとは…。
驚きと同時に感じた、嬉しくない親近感に、は何とも形容しがたい心地になる。



そうこうしている間に、短時間の打ち合わせは終わり、一同は炉内の視察へと向かった。
職員に先導されるルーファウスに続き、とレノは彼から半歩後ろを歩く。
大きなモニターと十数台のデスクが並ぶ制御室を抜け、病院のように白い廊下へ出ると、重い機械音が響いてくる。


「魔晄炉は、ここから3つの扉をくぐった先にあります。先ほども申し上げましたが、炉内の魔晄濃度は市街の3倍ですので、念のため視察は15分以内とさせていただきます」


市街地では、健康上無害になるほどまで魔晄濃度は薄まっており、3倍と言っても毛が生えた程度らしい。
だが、最近頻発する採取魔晄量の急激な上昇や緊急停止に備え、今回は15分程で終えるとの事だ。
視察の最中に緊急停止装置が動いても、目の前で動いていた機械が止まるだけで、いきなり爆発してくる事はないという。
いや、副社長が視察に入れる場所なのだから、それぐらいの安全性が無くては困る。


「…レノ、いざとなったら……ルーファウスを担いで逃げる。という事で良いのですね?」
「……アンタ、担げるのか?!」

「そんなわけないでしょう。貴方が担ぐんですよ」
「あ……了解、と」


目を見開いて振り向いたレノに、は呆れた顔で返す。
納得しつつ、ルーファウスの体格を改めて確認したレノは、会話を聞いていたルーファウスと目があった。


「……そういうわけですよ、と」
「…………」


軽く地の端を上げて言うレノに、ルーファウスは冷めた一瞥をくれると、視線を前に戻す。
視線に込められたのは、不満なのか、呆れなのか、それともまさか、不信……。


言い出したのは俺じゃない……。


自分だけに向けられた冷たさに、レノは心の中で愚痴り、前髪をかきあげる仕草をしたをじとりと睨んだ。
このの事だ。どうせいつものように、何事も無かったような顔をしているのだろうと思っていた。

だが、視界に捕らえたの表情は、レノの予想に反して険しく、苛立ちすら伺える。
視線に気付き顔を上げた彼女は、何も言わず気配を潜めると、腕を組んで片手を自らの口元に運んだ。

何をするつもりなのか。
指の隙間から見える唇は、声を生まないまま言葉を紡ぎ、緩やかな風が吹く錯覚を作る。

一見して自然さしか感じられないその空気に飲まれたか。
レノはさしたる考えがあるわけでもなく、その奥を探ろうと彼女の気配を覗き込む。
けれど、その途端に心臓を押さえつけられるような圧迫感に襲われ、慌てて探っていた手を引いた。

詰まりかけた息を静かに、ゆっくりと吐き出したレノは、今度は咎める視線をに向ける。
それを横目で見た彼女は、何も言わずルーファウスに気を向けるよう視線で促すだけだった。


不安を煽る行為はやめてくれと内心で懇願するが、彼女の行動はその不安要素を叩き潰すためのものなのだろう。
そう考えて安心できれば良いが……相手はだ。
普段から無意識に必要フラグを叩き割っている彼女が、その気になって回避しようとするもの。
……想像すると、『絶望的状況』という文字が思い浮かんでしまう。

いや、大丈夫だろう。彼女の事だ。きっと最後は力でゴリ押しして何とかするに違いない。


楽観的思考で自らを奮い立たせると、レノは若干早足になった職員に続き、魔晄炉へ続く扉をくぐる。
扉一枚くぐるたびに、ざわつくような気配が増していくが、それは魔晄特有のものだった。
気配に敏感でない者には、何の変化も感じられないだろう。


最後の扉を開けると、視界が青緑色に変わり、冷たい冬の空気が肌の上を滑りぬけた。
巨大な円筒状の制御装置から伸びる鉄筋や通路が、中央にある濃縮路を支え、蜘蛛の巣に似た様相を見せる。

吹き抜けの炉内は雨に濡れているが、床が細かい凹凸のある鉄材を使用しているおかげで、足が滑る事はなかった。
炉内の改修箇所や改良箇所を一通り説明した職員は、足元への注意をすると、濃縮路への通路に入る。
鉄網とパイプで出来た簡素な通路は、地下の冷却ファンから出る風のおかげか、天井が無いわりに暖かかった。


「これが濃縮路の頂上部です。今、会議室から来た道は、濃縮路を直接停止する時のみ使用するもので、万が一濃縮路が暴走し、第一停止装置が作動しなかった時は、直接こちらの強制停止装置を作動させる手筈に…………」


通路の真正面にある濃縮路には、職員が言う強制停止装置という、ガラスで塞がれた凹みがある。
ガラスの中には液体が入っており、ガラスを破って液体を抜く事で、装置が作動する仕組みになっていた。


意外にアナログな印象の停止装置に、レノは少々の関心を持ちつつ、炉内へ視線をめぐらせる。
内部の構造を見ても思ったが、旧型式の魔晄炉は、コレルやコンドルフォートのような新型魔晄炉とは違う箇所が多い。
現在建設されている魔晄炉の緊急停止装置は、濃縮路に繋がる鉄柱や通路を爆破し、ライフストリームに投下破棄する形になっている。
頂上部分は通路の一部になっており、コレルのような半地下埋没型だと、旅人が濃縮路の上を普通に歩いているのだ。
緊急事態には、通行人がいても停止装置を作動して良い事になっているのは、神羅でもごく一部のみが知る秘密だ。


ルーファウスは職員に細かい質問を向け、隣のは魔晄が溢れる地下を睨みつけている。
職員の腕時計がアラームを鳴らすと同時に、館内放送用のスピーカーから、キーンという耳に痛い音が出た。
眉を潜めて耳を押さえた一同は、そろそろ時間のようだと言って、来た時とは逆の方向にある通路に向かう。
その間も切れない放送は、酷いノイズばかりを吐き出して、制御室からの声など聞こえやしない。
流石旧式魔晄炉。だが、魔晄炉の改修より、放送機器の修繕をした方が良さそうだ。

砂嵐の中で金属をかき鳴らすような騒音の中、かろうじて『退避』と言う言葉が聞き取れる。
急かされるまでもなく、耳を塞いで早足で出口に向かっていた一同が通路の中ほどまで差し掛かると、迷惑な騒音はブツリと切れた。

ようやく耳が楽になった。そう思ったのも間。炉内はけたたましいサイレンの音に包まれた。
身構えたレノの肩越しに、血相を変えて振り返る職員の顔が見える。
一拍遅れて振り向いたルーファウスと視線がぶつかる直前、足元から溢れる光と同じ色を視界の端に感じ、は咄嗟に後ろへ飛んだ。
吹き上がるように溢れてきた魔晄に、レノは逃げろと叫ぶが、大声で指示を出す職員の声と共に、サイレンの音に飲まれてしまう。

一人集団から離れたは、警報すらかき消すほど増したざわめきと耳鳴りに顔を顰めながら、再び後方に飛んで足場を突き抜けて上った魔晄の柱を避けた。
生き物のように交差する光の合間から、こちらを指差して叫ぶ職員と、非常口へ向かって走り出したレノとルーファウスの姿を確認する。
耳鳴りが金属音のように弾けるのを耳の裏で感じ、慌てて身を屈めると、頭があった場所を光の筋が通り過ぎていった。
金網の隙間から見えた、再び吹き上げてくる光に、一度後方へ転がって体制を立て直す。
そのまま2歩3歩と後ろへ飛ぶと、足が離れた場所から次々光が吹き上げていった。

背中にぶつかった冷たい衝撃と左右に広がった足場に、濃縮路まで着いた事を理解するが、停止装置は彼女がいる位置の丁度裏側にある。
この状況で、装置が意味を成すかどうかは疑問だが、他に考えられる手立ては無かった。

右周りに行こうかと体の向きを変えるが、読んでいたかのように魔晄が目と鼻の先を吹き上がっていく。
避けようにも、背を向けた側にもまた魔晄の光が吹き上がり、髪の毛がぶわりと舞った。

どうしようもなくなったな……。

何処か他人事のように考えている間に、視界は青緑色の閃光に包まれた。
耳鳴りが途切れた、と考える間もなく、何かが脳内に入り込んでくる感覚に襲われ、一気に気が遠くなる。

咄嗟に意識を繋ぎ止めるが、体の感覚は消え去り、力が入っているかどうかさえ分からなくなった。
膝を突くような衝撃を覚え、本能的に剣を抜くが、目標が無いまま抜かれた刃は杖のように床に突き立てられる。
胴に衝撃が無い事で、倒れていない事だけは理解出来たが、その感覚すら確かなのか分からなくなった。

白と青緑に覆われる視界とは対象に、脳裏には数多の光景が過ぎっていく。
聳え立つ蔦まみれの石像、血に塗れて尚立ち続ける老将の背中、舞い散る花弁の中に立つ滲んだ影、処砕け散る透明の巨石、意地悪く笑う金髪の男、崩れ去る王城、廃墟を照らす朝日、鏡に映った血まみれの少女、朽ちた船がひしめく海岸、泣いていた炎の獣、銀色の月と同じ色の髪をした青緑の瞳の


………あれは、誰だっただろう?


過ぎった迷いは、答えを導く間すら与えられずに、新たに引きずり出された光景に押し流された。
膨大な記憶の書棚から無尽蔵に本を出し入れするように、記憶に刻まれた情景が引き出されては差し替えられていく。
忘れ去られ埃をかぶっていた記憶が、新たな記憶と前後して脳裏を過ぎる。
最早彼女の意識は宙を彷徨い、ただ脳内で移り変わる景色を無心で眺めるだけとなった。






2011.08.10 Rika
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