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『ルーファウスの護衛になったらしいな』
「…ええ、昨日から。以前の仕事では、不安要素が大きいので」

『…そうか』
「……今日は、帰られないのですか?」

『……任務次第だが、2〜3日後には一度戻れるだろう。家よりも、ルーファウスのところに行った方が、会える確立は高くなるだろうが……』
「…………そうですね。……無理は、なさらないでください」

『わかっている』
「お気をつけて」

『お前も、気をつけろ。……出来るだけ、早く帰れるようにする』
「はい。……お待ちしております」


彼が小さく笑った気配を残して、通信は途切れた。
まだ手に馴染まない携帯を耳元から話し、通話終了ボタンを押すと、は小さく溜息をつく。
何を考えるでもなく眺めていたディスプレイは、通話終了の文字から午前2時40分へと表示を切り替えた。
僅かに重くなった瞼に、携帯を枕元に置いた手は、自然とベッドに立てかけている剣に伸びた。
剣を毛布の中に引きずり込み、柄を逆手に掴みながら抱え込むんで、彼女はまた溜息をつく。

一瞬だけ辺りの気配を探り、異常が無いことを確認すると、彼女は再びまどろみに身を委ねた。





Illusion sand − 105







青緑色の光に照らされる神羅本社ビルを車内から見上げ、は小さく溜息をつく。
隣でハンドルを握るレノは、こめかみを揉み解す彼女を一瞥し、バックミラーへ視線を移した。
後部座席で書類に目を通すルーファウスは、視線に気付いて顔を上げるが、すぐに視線を手元に戻す。

風が無い空は暗雲に覆われ、絶えず雨粒を落としている。だというのに、その下ではいくつもの軍用ヘリが飛び交い、絵に描いたような陰鬱な朝を見せていた。
車の外はさぞ喧しいだろうと思いながら、ラジオから流れる音楽に聞き入っていると、サビが終わった途端にニュースが始まってしまった。
大衆向けの報道に戦況の報告は無く、不安定な情勢に対するガス抜きと目くらましでしかない情報を伝えてくる。
いや、神羅が台頭してから……もちろんそれ以前もだが、世の中に安定があった事など無いだろう。あっても仮初のものばかりだ。そして長続きしない。
そんな捻くれた考えをしてしまうのは、内側というものを知る人間だからかもしれないが。

すれ違う車が飛ばしてきた泥混じりの水しぶきを食らい、フロントガラスが一瞬濁る。
小さく舌打ちし、ワイパーの速度を上げたレノは、本社正面玄関の前を素通りして地下駐車場へ入った。

車から降りたルーファウスは、営業に出かける社員達の挨拶に頷いて返しながらエレベーターに向かう。
後ろをついて歩くに、社員達は遠慮がちな好奇の視線を向けてくるが、彼女は軽く会釈をするだけだった。


ふと、社員とは反対に、こちらへ近づいてくる気配を感じて、は視線をやる。
何処かで見た顔をした男は、目が合うと僅かに驚いたようで、彼女とルーファウスの顔を軽く見合わせていた。

あれは、誰だっただろうか…。

金の髪と眼鏡、白いネクタイに、白い手袋。
確かに記憶にあるはずなのだが、印象に残る交流をしていなかったのか、名前が思い出せない。
いや、そもそも名前を聞いた事があっただろうか。


「おはようございます、副社長」
「……ああ」


男が顔に貼り付けた、口の端を少し上げただけの笑みは、最低限の社交辞令だというのがよく分かる。
型にはまったように頭を下げる男に、ルーファウスは視線を向けて小さく返事し、もそれに習うように会釈をする。

確かこの男、何か重要な人間だったような気がする。が、如何せん会話をした記憶が無いので、名前が思い出せない。
以前も神羅ビルの中で会ったような…いや、見たような気がするのだが、一体何処で見たのだろうか。


「ソルジャーの動きは順調か?」
「……そう言えれば、良いのですが……」

「後で報告を上げておけ」
「はい」


そうだ。思い出した。ソルジャーの統括のハザードとかいう男だ。いや、リザードだったか?

ルーファウスと彼との短い会話で、相手がセフィロスの上司だと思い出したは、ハッとした顔で固まる。
あまりにも分かりやすい表情だが、いきなり驚いた顔をしたに、男二人は目を丸くして彼女を見た。


、どうかしたか?」
「あ、いや、貴方ではなく……」


首を傾げるルーファウスに、は慌てて居住まいを正し、ラザードへと向き直る。
突然挙動不審な行動を始めた彼女に、ラザードは若干身構えたが、落着いた様子での動きを待った。


「リザード統括…でしたか」
「……ラザードだ」

「何と!?」
「…君は、確かセフィロスの……」

「は、はい。……察しの通り、セフィロスの…………何だ?あ、いや………いつも彼がお世話になっております」
「……いや、こちらこそ、セフィロスには世話になっている。すまないね、何日も彼を借りてしまって」

「いえ、任務ですから、どうか御気になさらず。どうぞ、これからも末永く彼をよろしくおねがいします」
「ああ。私からも、彼のプライベートに関しては、君によろしく頼もう」

「勿論、身命を賭して支える所存です」
「そうか。それはセフィロスも心強いだろう」

「だと良いのですが……。出来る限り、胃腸薬に手が伸びないよう、私も精進するつもりです」
「そうか。そういえば、以前はよく胃や頭が痛いと言っていたが、最近は言わなくなったな」


流石ラザード。
灰汁が強いソルジャーをまとめ、曲者揃いの上層部と渡り歩くソルジャー部門の統括を務めるだけある。
のおかしげな言動に対しても、全く動じた様子が無い。

やはりこの男、只者ではないな…と。二人のやりとりを眺めていたルーファウスは、自分の思考もどこかズレている事を感じながら、二人から視線を逸らした。
あまり耳を傾けていては、間抜けな思考が余計にうつってしまいそうだ。






ラザードが途中でエレベーターを降り、執務室があるフロアまで一気に上がると、可愛らしい秘書が笑顔で挨拶してくる。
つられて微笑み返すとは対象に、ルーファウスはほぼ無視に近い反応で、一番年長の秘書から書類を受け取っていた。

いくらなんでも、その反応は酷くなかろうか。
傷ついてはいないだろうかと、はこっそりと、ルーファウスに無視された秘書の顔を覗きこんでみる。


…が、彼女は、白い頬を紅色に染めて、うっとりとした笑みを浮かべていらっしゃった。


なるほど。あの態度でこんな反応をされるのでは、無視したくもなる。
ルーファウスも変わった人間だから、彼の下にも変わった人間が集まるのだろう。
集まってくる人種にはかなり混沌としているようだが、それもルーファウスの人柄だろう。本人は嫌がるだろうが。

残りの書類は執務室に運んであるという言葉に、ルーファウスは軽く頷いて秘書室の前を通り過ぎる。

『副社長室』のプレートがある重厚な扉を開け、室内に入った二人だが、中に足を踏み入れた瞬間揃って目を丸くした。


「…………どういう事だ」
「…………さて、私には……」


ルーファウスの机の上には、昨日は無かったはずの書類がある。それは別段珍しい事ではないが、問題はその量と種類だ。
普段はあっても1cm程度の厚さにしかならない書類の量が、今日はその5倍以上はある。しかも、どれもこれも至急の意味で使われている赤いファイルに入れられて、積み上げられているのだ。
事前に連絡もなく、出勤したらこんな状態になっていれば、誰だって目を丸くするだろう。


「こんな細かい手を使ってくるとはな……」


小さく溜息をついたルーファウスは、持ってきた書類を机の上に投げ捨てると、一番上にある赤いファイルを手に取る。
どこの部署から上がってきた書類か確認しながら、空いた手で受話器を取ると、彼はすぐに秘書へ内線をかけた。


このご時勢に部外者を警護役に引き入れたのだ。軽率だと攻められるのも、それに便乗して突かれるのも当然だろう。
冷めた目で秘書と会話するルーファウスを眺め、は知られぬように溜息をつく。

雲隠れしていた方が、よほど迷惑をかけなかったのではなかろうか。そう思いながら壁にある予定表に目をやると、そこにはびっしりとスケジュールが詰められていた。
息をつく暇も無い。そう思いそうな内容だが、よくみれば上層部が出る会議にはほとんど打ち消し線がついている。
代わりに、こまごまとした会議や、視察の予定が組み込まれていた。どちらにしろ、余裕があるスケジュールではない。

らしくない状況だ。

ちらりと視線をやると、彼はまだ秘書と話をしている。
気配や視線を読む術を持たない彼は、既に完全に仕事に集中しており、電話しながら書類にサインを入れていた。
この様子では、昼食になるまで他の事が目に入らないだろう。

ドアの傍に移動したは、音も無く扉を開けると、ドアの隙間から滑り込むように廊下へ出る。
この後は、ルーファウスが執務室を出るまで、王城の門番のように警護をするのだ。
何処か懐かしくなるものの、古すぎる記憶はとうに忘れ去られたもので、数日前の夢を思い出そうとする心地と似ている。

とにもかくにも、いまは警備に集中するのみ。いや、しかし、それにしても暇だ。そして眠い。これは時差のために毎晩夜中に電話してくるセフィロスのせいだろうか。だが電話が来なければ来ないで、落ち着かなくて眠れなくなるのだ。昼間の眠気は我慢するしかないだろう。絶えられない眠気ではない。

そんな事をつらつらと考えつつ、はトレーにコーヒーを乗せて来たルーファウスの秘書に、静かに会釈をした。



警報が鳴り響いたのは、1時間ほど立ち呆けていた頃だろうか。
騒がしくなった秘書室へ視線をやると同時に、天井のスピーカーから物々しい騒音と女性の声が出る。

『科学部研究室より各フロアへ警こ……』


早口にまくしたてる声は突然途切れ、背後から聞こえる騒音が一際大きくなる。
それは女とも男とも思えない悲鳴に変わり、途中でブツリと途切れると、警備室からの放送に変わった。

『科学部第8研究室でレベル2の異常が発生しました。上下3フロアを閉鎖します。各自緊急避難経路で安全なフロアに移動してください。科学部第8……』


録音された緊急放送を聞き流し、は秘書室から走ってくる女性を会釈して向かえる。
執務室のドアを開け、再び警備の姿勢に戻ったは、念のため剣の鞘に手をかけた。

新たな報告を持つ秘書を迎え入れてすぐ、慌しくやってきた警備兵によって、は仕事を奪われた。
警備兵の一人が中に入ると同時に、彼女はルーファウスに呼ばれて室内へ入る。

即時退避をするほどではないとはいえ、緊急事態に頭数に入ってくる部外者は、予想通り一同から怪訝な顔で出迎えられた。
しかし、ルーファウスがいる手前、剣呑な視線は一瞬にも満たない間に消え、優秀な社員達の顔へと変わる。
和気藹々する気は毛頭ないので、は気にせず部屋の入り口に立ち位置を決めた。
壁に背を預け、腕を組んで目を伏せると、秘書が早速詳しい報告を始める。


「異常は希少モンスターの研究を扱う科学部第8研究室で起きました。検体の一つが、魔力注入実験中に異常反応。932型試験管を破壊して脱走したそうです。932型試験管は厚さ3cmの強化ガラスの中に鉄製の網を埋め込んだもの。これにより、第8研究室にいた研究員10名がガラスの破片などにより負傷、5名が軽傷、3名が意識不明、2名の死亡が確認されました。現在第8研究室は封鎖。警備部が対応していますが、科学部の生物兵器開発チームが指揮を始めているそうです」

「科学部第8研究室からの緊急事態により、各階及び役員の方々の警備を強化します。副社長へは、警備兵6名が専属警護としてつきますので、ご了承下さい。また、お出かけの際には、必ず警備部への連絡をくださいますよう、お願い致します。個人雇用の警備員については、そのまま傍に置かれてかまいません。以上です」



死人が出て異常レベルが2とは、この会社、本当に危険な事をしているものだ。

つくづくそう思いつつ、は出て行く警備兵と秘書を見送る。
と、思いきや、警備兵はそのまま室内にとどまるようで、扉を挟んでとは逆の位置に立った。
ちらりと視線を向ける気配がしたが、振り返ったどころで大した反応が無い事はわかっているので、は気にせずルーファウスに視線をやる。
微かに笑みを浮かべ、軽く肩を竦めて見せた彼は、何事もなかったように書類に目を通し始めた。

10分経ち、30分経ち、1時間が経つ。
数分置きに秘書が持ってくる報告は、あっという間に事態の沈静へ帰着し、午後は警備兵が通常通りに戻るという報告で締めくくられた。
室内にいた警備兵も、廊下での見張りに仕事を変え、室内には再びルーファウスとだけになる。


人的被害は大きかったが、どうやら実際の異常は、本当に大きなものではなかったらしい。
試験管を破った検体は、軍の対生物兵器特殊部隊により始末捕獲され、死骸は科学部の管理下に戻った。
残っている作業は、原因解明と実験室の掃除ぐらいらしい。

ルーファウスからの指示も、『異常事態を起こした以上、研究内容の詳細と検体の情報をしっかりと報告するように』というだけに留まる。
試しに、この程度の異常事態は日常茶飯事なのかと聞いてみたが、普段はレベル1の異常が月に一回程度らしい。
それでも多い気がするのだが、扱っている物が物だけに……実験内容が内容だけに、仕方が無い事のようだ。

研究施設を本社ビルから分離させるという選択肢は無いのだろうか。
いや、警備関連の部署と離れれば、それだけ対応に遅れが出るので、これが正解なのだろう。


さて、騒動が治まり、はまた暇になったわけだが、ルーファウスは忙しそうにペンを走らせている。
午前の来客が悉くキャンセルされたため、デスクワーク以外にやる事が無いらしい。
午後からは魔晄炉の視察になっているので、今のように立ち呆けの状態にはならないだろうが、『魔晄炉』という名だけで、には十分に嫌な予感がしていた。
ルーファウスにとっては、毎月恒例の安全監査視察でしかない。
しかし、にとっては、付近を通るたびに大きな気配がざわついてくる場所へ行くのだ。何が起きてもおかしくないと覚悟しなければならない。
と言っても、出来るだけ周りに被害が出ないよう心がけながら、逃走するしかないのだが……。


「…、昼食の希望はあるか?」
「蕎麦が食べたいですね」

「そうか。…私は肉が食べたいと思っている」
「好きにしてください」


なら初めから聞くなよ。

毎食前に同じやり取りをするルーファウスも大概だが、毎度素直に希望を言う彼女も彼女だ。
彼が、が希望するものを食事にした試しは一度も無い。

無駄話を振ってくるという事は、ルーファウスの集中力が途切れてきた証拠だろう。
先ほどよりも書類をめくる音の感覚が長くなってきているのが、良い証拠だ。

時計の針は、あと30分で正午を指す。
午後の予定を考えれば、そろそろ食事に出る時間だろう。


「そろそろ、昼食になさっては?」
「私も、そう考えていたところだ。が、少し待て。先ほどの科学部の異常…レノからの報告に目を通しておきたい」

「わかりました」

軽く時計を見て言うと、ルーファウスは重ねてあるファイルの中から数枚の書類を取り出す。
すぐに集中した彼の気配を感じながら、は室内のロッカーから彼のコートとマフラーを出し、自分の身支度を始めた。



「……まったく、よくやるものだ……」



口の端を歪めて呟いたルーファウスは、書類を投げ捨てるように放ると、椅子から立ち上がる。
コートを差し出したは、彼が一瞬見せた物言いたげな瞳に、微かに目を細めた。


「気になる事でも?」
「……科学部までも魅了するとは、お前は本当に面白い女だと思ってな・・・」

「…………今度は何ですか?」


ウンザリした顔で言う彼女に、ルーファウスは皮肉な笑みを浮かべて返すと、コートを羽織ってドアへ向かう。
ここでの返答は期待できないと理解したは、小さく溜息をつくと彼の後に続いた。












雨と、土と、硝煙の臭いが立ち込める。
天から圧し掛かる暗雲は、遠い西の隙間から差し込む陽炎に染められ、燃え爆ぜる黒い木々さえ赤く見せた。
吹きつける風は血の臭いを浚いながら、森から山頂へ駆けていく。
絶えず流れる雲に日の光も揺らめき、ともすれば一面が炎の海とすら錯覚する。

静寂を呼ぶ光景の中、辺りを警戒する仲間の気配に囲まれるセフィロスは、動く敵がいない事を確認して刀を下ろした。
ここ数日で一気に濃くなった死の臭いに、数人の部下が青い顔で頭を振る。
疲れを隠し切れない顔に緊張を貼り付けたまま、自然と深い溜息を零した同僚を横目に眺めると、セフィロスは携帯を出した。

本体の横にある小さなボタンを爪で押すと、直通で司令室に繋がる。
コール音の代わりに短い機械音が鳴ると、電話の先からはいつも通り落ち着いたラザードの声が聞こえた。


『セフィロスか』
「ああ。Dチーム、G−2地点の掃討を完了した。こちらの負傷者は3rdが1名軽症。任務には問題無い」


盛大に破れたズボンの尻部分をつまみ、しょんぼりしているソルジャーを横目に見ながら、セフィロスは淡々と報告する。
破れた部分から見えるウサギ柄のパンツと、尻を突き出すような姿勢で傷を回復される、新米のソルジャー。
周りにいるソルジャー達同様、セフィロスも何とも言えない気持ちになるが、極力声には出ないよう努めた。


『そうか。よくやってくれた』
「軍の方はどうなっている?」

『順調…との事だ。そろそろ上陸を始める頃だろう。ソルジャー部隊には、一時撤退の許可が出た』
「そうか……。撤退場所は?」

『そちらの時間で1650。H−6地点にヘリが向かう。あと15分だが……』
「こちらは問題ない。何か気になる事でもあるのか?」


暫く帰還は不可能と言われて覚悟していたのだが、予想外の帰還命令を与えられ、セフィロスは少々驚く。
軍の体制が整ったにしても、普通ならば待機程度だろうに。
予想以上に軍部の調子が良いのか、それともミッドガルで何かあったのか。
勘繰りながら努めて平静を装うセフィロスに対し、ラザードは珍しく言いよどみ、考え込むように数秒口を閉ざした。

こんな時は、概ね喜ばしくない話が出てくる。
よもや何処かのチームが任務を失敗でもしたのだろうか。
そんな事を一瞬考えたものの、そうであれば撤退命令の前にフォローしに行けと言われるだろう。


『セフィロス、今、ウータイにはジェネシスも行っている』
「……ジェネシス?体はもう良いのか?」


平気だと言ったそばから入院し、血が足りないと言って騒ぎになった友人の無事を、セフィロスは素直に喜んだ。
一度手術を邪魔した手前、会ったらまず謝らなければ。
そう、少しだけ浮かれるセフィロスだったが、いつもより少しだけ深刻さが見えるラザードの声色に疑問を持つ。

何故だろうか、微かにざわついた予感が、一瞬だけ感じられたはずの喜びをかき消していく。


『ああ。昨日の検診で問題無いと言われて、今朝そちらへ向かった』
「……それにしては、随分と静かだな」


軍ほど派手に暴れないとはいえ、1stソルジャーがいるにしては戦場が静かだ。
あの男に限って殉職は有り得ないので、隠密の任務を受けていると考えるのが、通常であれば妥当な線なのだが…。


『1400から、F−1地点の制圧のはずだったんだが、ジェネシスとも、部隊の誰とも連絡が取れない』
「…2時間前か。戦闘をしている音は聞こえなかったな。だが、あいつがそう簡単に殺されるはずがないだろう」

『私もそう思っている。だが……もし、彼や彼の部隊を見つけたら、一緒に撤退してくれ。…万が一、応じなかった場合は……』
「心配するな。引きずってでも連れて帰る」

『そうか。念のため、彼のチームには、傍にいる他のチームと共に撤退命令するようにメールを送っている。合流できなかった場合は、お前達だけでも撤退してくれ』
「わかった」




通信が切れると同時に、セフィロスは小さく溜息をつく。
風に浚われ、頬を擽る髪を鬱陶しげにかき上げた彼は、煩い風に耳を澄ませた。

届くのは、木の葉が掠れ合う音と、直ぐ傍で仲間が立てる物音だけ。
もっと遠く、離れた何処かにいる友の影を求めてみるものの、それに代わるように静かな雨音が耳に届いた。

敵地の中、こちらの音を隠してくれる騒音はありがたいが、雨に追いつかれれば撤退に難が出かねない。
ジェネシスとの合流は運任せ。

気にはかかるが、彼の事だ。万が一の事など有り得ないだろう。
あれも自分の価値を知っている男。いざとなれば、迷わず救難信号を出す判断力を持っている。

微妙な言動や、予想外の行動はしても、信頼を裏切るような事はしない。
心配などと野暮な事はせず、いつも通り任務をこなしながら次の再開を待てば良い。
そう考えると、セフィロスは死体からアイテムを漁っていた仲間に撤退命令を出す。

眩しく差し込んでいた日の光は、蠢くような雲に飲まれ、辺りは再び暗闇に包まれ始めていた。
ふと、セフィロスは空を見上げてみる。
頭上の空に黒は無く、途切れた雲の上に薄紅が混じる茜が広がっていた。
その空の下に映し出された景色は、燃えるように赤い。

撤退地点は、このまま森を直進した先にある。
まるで雨に追い立てられ、炎の中へ逃げ込むようだ……と、そんなとりとめもない事を思いながら、セフィロスは仲間を連れてその場を離れた。













ミッドガルの冬は雨が続く。
コスタ・デル・ソルから上った暖かかな空気と、アイシクルエリアから下りてくる冷たい空気が海でぶつかり、万年東へと吹く風に流されるためだ。
山脈に阻まれた雨雲が、ミッドガルとカームへ雨を降らせ、大地に染み込んだ地下水が湿地へと流れていく。
同じ海洋岸に位置する大都市でありながら、乾燥した冬を迎えるジュノンとは対照的だった。


「この時期に見える太陽を、人々は女神の微笑みと言うそうだ。だが、この地域に先住していた者達は、災厄の啓示と言っている」


車の後部座席に腰掛け、遠い空から注ぐ光に目を細めたルーファウスは、独り言のようにそう呟いた。
助手席でシートベルトをはめたは、つられるように今出てきたばかりの神羅ビルに目をやり、僅かばかり目を細める。

暗雲が作る闇の中、悠然と聳えるそれは、ともすれば強大な墓標のようにも見える。
あながち間違ってはいないだろう。


ウィンカーを上げていた車は、ゆっくりと車の流れの中に入り込む。
雲の切れ間を抜けた途端、まばらだった雨はフロントガラスを叩き、ワイパーがひっきりなしにガラスの外を拭った。


「…同じ晴れ間でも、随分対照的に言われているんですね」
「冬に雨が降らなければ、夏の収穫に大きく影響が出るからだろう。今となっては、そんなものを気にする必要など無くなった。しかし、全く雨が降らない冬の後にこのミッドガルが建てられた事を考えると、彼らの言葉は偽りでもないようだ」


小さく笑みを零すと、ルーファウスは背もたれに体を預け、頬杖をつく。
通りを行き交う傘の群れを眺め、冷めた息を吐いた彼は、嘲りとも自嘲ともつかない笑みを浮かべた。


「…弱者からは命を奪い、力あるものからは安息を奪う。どちらともつかない者は、道を曲げ、生に執着する事でしか活路を得られない。……これほど恐ろしい街は無いだろう」


犠牲無く生き抜く事は不可能だ、と。暗に仄めかす彼に、はそっと後ろを振り返る。
だが、帰ってくると思われた視線は未だに窓の外に向けられており、彼女は何も言わず視線を前に戻した。


「午後からは、科学部と共に4番魔晄炉の視察だ。…心しておけ」
「……わかりました」


いきなり敵の腹に突撃とは…いや、それにしても随分急に言ってくれる。
驚きはすぐさま達観へ変わり、は小さく肩を落として、隣で運転するレノと目を見合わせた。

魑魅魍魎を潜り抜けるか、呆気なく終わるだけか。
どちらにしろ、穏便に済ませるという方向を違えなければ良い。

物言いたげな視線をくれるレノに、は目元を緩めて返し、遠くに見える魔晄炉へと目をやる。
暗雲すら照らす青緑色の光は、雨粒が這うガラスの向こうで、蜃気楼のように揺らめいていた。








2011.06.12 Rika
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