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徐々に近づく耳鳴りと、ざわめく大きな気配に、は街を囲む青緑の光へ目をやる。
初めてこの街に来た時と同じ感覚は、張り付く視線のように彼女の姿を追っていた。

クリスタルを失った弊害だろう。
大きく力を削がれたのだ。そこを突かれるのは当然だろう。

鈍い痛みを覚えた頭を振り、徐々に高度を下げていく景色からは視線を逸らす。
視線を送るザックスに、何でもないと視線で返すと、彼女は、帰還に気が緩んでいる生徒たちに目をやった。






―……そろそろ潮時かもしれないな―








Illusion sand − 102








ブラインドの合間から差し込む夕日に、セフィロスはゆっくりと目を開けた。
眩しさに目を細めた彼は、汗で湿ったシャツに溜息をつき、額に張りついた髪をかき上げる。

うたた寝のつもりが、本格的に眠り込んでいた事に小さく息を吐く。
午後5時を指す時計を横目で見ながら、倦怠感に包まれる体に眉を顰め、ゆっくりとソファから身を起こした。

静まり返る室内に、彼女の気配は無い。
いつもより遅い帰宅に、腰を上げようとした彼だったが、彼女が『帰宅は報告と会議の後になる』と言っていた事を思い出し、ソファに座りなおした。

室内を黒と橙に染める強い光は、眠気を引きずる目に容赦なく突き刺さる。
思考が半ば夢の中にあるのを感じながら、ゆるゆると室内を見回した彼は、妙にざわつく胸と、僅かに震えている自分の指先に気がついた。

奇妙な反応をする自分の体に首をひねりつつ、徐々に覚醒してきた思考で、目を開ける直前まで見ていた光景を思い出してみる。
だが、空白に散ったそれは欠片の情景にもならず、騒ぐ胸の中に鈍い痛みを思い起こさせるだけだった。


覚えがある感覚は、彼の中から別の記憶を引き出す。

思い出したのは、恐れと絶望の中で見た茜色の空と、魔物の牙に身を貫かれたの姿。
主の思考を置き去りに震える掌には、あの時に触れた、空虚な彼女の感触が蘇る。


それは、どんな夢を見ていたのか、想像させるに十分だった。



嫌な夢を見ただけだ、と。所詮は夢だと言い聞かせ、セフィロスは掌を強く握る。
それでも、夢の痕は、娼婦の残り香のように、纏わりついて離れない。

心を落ち着けようと深く溜息をつき、夢の余韻に震える手を見る。
だが、ふと彼は、今の自分に恐れや不安の感情が無い事に気づいた。
同時に、戦場に立つ時のような、健全とは言いがたい高揚感を体が訴えている事に気づく。

徐々に収まる震えを眺めながら、理解できない衝動を訴える体に、セフィロスは眉を潜めた。
トレーニングにでも行こうかと一瞬考えたものの、次の任務まで自宅謹慎を命じられていた事を思い出す。
同時に、眠る前にアンジールからきた、ジェネシスの手術の終了の連絡を思い出した。

始末書は既にラザードへ送っている。
後は謹慎解除の連絡を待つだけだが、今の戦況では、明日にでも新たな任務が与えられるだろう。


ガチャリ、と、玄関から聞こえた音に、セフィロスは顔を上げた。
腰を上げる間に、扉を開ける音が響き、次いでの帰宅を知らせる声が聞こえる。

廊下に出ると、ミディールに行った時と同じように、現地土産と一目で分かる紙袋を提げたがいた。
セフィロスがいる事に、彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて紙袋を差し出す。

中身は、ジュノン銘菓の『要塞クッキー』だった。


「思ったより早かったな」
「ええ。報告は毎日していましたから。今日は仕事では?」

「色々あってな。明日までは家にいられるはずだ」
「……では…やはりあの噂は本当だったのですか?」

「…噂?」
「詳しくは聞いていませんが……同僚とやり合って、何故か廊下を破壊し、自宅謹慎だとか……」


何故知っている・・・。

そう問おうとした彼だったが、確か彼女達は神羅軍のヘリで帰ってきたのだ。
基地や本社の中を通るうちに、話を聞いたのかもしれない。

出勤したらどうなっている事やら…。考えるだけで、セフィロスは憂鬱になった。

そんな彼に、は噂が真実だと知り、生暖かい視線を向けつつ自分の部屋に入っていく。
意味がわからない行動だと思っているのだろう。
自分が聞いてもそう思うだろうと考えながら、セフィロスは台所へ入る。
土産を冷蔵庫の中に入れ、夕飯のメニューを考えていると、着替えを終えたらしいが風呂場に向かう足音が聞こえた。










「……参ったな……」


風呂の栓を抜いた彼女は、平然とした顔をしながら、ポツリと零した。
洗剤とブラシを使い、ガシガシと湯船を磨く傍ら、やかましく自己主張してくる星の意思にどうしたものかと考える。
どうするもこするうも、どうしようもないので、放っておくしかないのだが、ひっきりなしに騒がれては、うざったくて仕方ない。
向けられる意思に混じる敵意は、以前より増してきているが、そんなものを向けられたところでどうしろと言うのか。


「……うーん…………参った……」


そもそも、この星の意思はどうしてほしかったのか。
そう考えた途端、は頼まれていた事をすっかり忘れていた事を思い出した。
何かを倒してほしがっていた事は思い出せたが、情報不足すぎて動けなかった気がする。

「…前も同じだったな……」

星が恐れるほどの脅威なら、いずれ何かしらの形で目の前に現れるだろう。
探りようも無い情報しかないのなら、あちらが動くまで待っているしかない。

そう結論を出していたはずが、実習旅行から帰ってきたら、何故か向けられる意思に敵意が混じり始めたのだ。
魔光炉に囲まれた土地だからなのか、ミッドガルは他の地に比べて星から意思表示が強い。
しかし、伝わってくるのは言葉や映像ではなく、単なる感情の波動のようなものなので、解決策が見当たらない。

どうせならもっと分かりやすい意思表示をしれくれまいかと、恐らく無理だろう事を考えつつ、は丹念に床を磨く。
また精神体で探りを入れに行く必要があるのだろうかと考えたが、前のように1月近く眠る事になるのは避けたいものだ。

何処かに星の声を聞けるような人種がいれば楽なのに……と、考えるが、そんな都合の良い存在が簡単にいるわけがない。
例え目の前に現れたとしても、話を聞いて信じるより先に、警備兵を呼ぶか頭の病院に連れて行くだろうと考えたところで、丁度風呂場の掃除を終えた。



台所に行くと、土産のクッキーを口にしながら芋の皮を剥くセフィロスがいる。
こんなにエプロン姿が似合わない人も珍しいと思いつつ、は彼の隣に立って人参の皮を剥き始めた。


…今日はシチューか……。


隣に立つ彼にバレないよう自分にヘイストをかけたは、出されているシチューのルーを目にも留まらぬ速さでカレールーと取り替える。
戸棚を閉じた音と、真横で動いた空気に振り向いたセフィロスだったが、は何事も無かったように人参を切っていた。
ふと、出しておいたカレールーを見た彼は、間違えただろうかと首を捻りつつ、戸棚からシチューのルーを出す。
再び皮むきを再開したセフィロスだったが、暫く経つとまた戸棚の音と共に空気が動き、シチューのルーがカレールーに変わっていた。


「…………」
「…………」

「……
「はい」

「今日は、米を切らせている」
「……………」


セフィロスの口から出た無情な言葉に、何食わぬ顔で振り向いたは目を見開き、次の瞬間には悔しげに顔を歪ませる。
そんなにカレーが食べたかったのかと思いつつ、カレールーを戸棚に戻したセフィロスは、肩を落とす彼女の隣で玉葱に包丁を入れた。

「明日はカレーにしよう」
「……明日は鍋が食べたい気分なんです」

「……俺はうどんがいい」
「ではうどん鍋にします」

「そうしてくれ」


若干へそを曲げているに、セフィロスは珍しいと思いつつ手を動かす。
帰ってきた時は変わりないように思えたが、今回の仕事では色々とあったのだ。それなりに疲れているのだろう。





「向こうで、変わった事はあったか?」
「そうですね……生徒が、少々…」


あの生徒なら何があっても不思議は無さそうだ…。と、少々失礼な事を思いつつ、セフィロスは切った野菜を炒める。
大方あの妙な言動が目立つ金髪の生徒か、鞄にエロ本を入れていた生徒が、妙な悪戯でもしたのだろう。


「クリスタルを体に入れた生徒を覚えてますか?」
「ああ」

「……彼らの体から、クリスタルを取り出しました。上手く力が馴染んでくれたのは良かったのですが、少々過ぎたようです」
「…………どういう事だ?」

「クリスタルの力…全て、彼らの肉体に流れたようです。ただの石になる前に出したかったのですが、突然だったもので、対処が遅れました」
「……お前の手の内からは、完全に失われた……という事か」

「残念ながら……」
「………」


そう言うわりに、悔やむでも落ち込むでも無い彼女に、セフィロスは引っ掛かりを覚える。
過去を引きずることは無くとも、忘れたいとは思っていないだろうに。
狭間にいる間、心を支える一つであったものを失ったにしては、の態度は不自然に思えた。


「…………」
「……とはいえ、これで良かったのかもしれないとも思っています。クリスタルにあったのは、あちらの世界の力。傍に置いていては、いずれ向こうの世界に引きずり込まれかねない」

「…………」
「…………あちらの世界に引き込もうとする力が、強くなっている……。いえ、私の魔力が落ちたからかもしれませんが……あちらの世界のものを傍に置いておくのは、危険なようです」


それが、何に繋がるのか。

考えているだろうセフィロスをちらりと盗み見るが、彼は特に反応するでもなく手を動かしている。
いや、生徒の体にクリスタルを入れた時点で、再び手元に戻る事は無いと予想していたのかもしれない。
だからこそ、時計を返した……そう考えると、彼の今の態度も納得出来てしまう。

セフィロスが差し出した最後の退路まで捨てたと知ったら、彼はどう思うだろうか。
こればかりは、「そうか」と、一言で納得してくれはしないだろう。


「……セフィロス」
「何だ?」

「……………時計……貴方から返していただいた時計を、手放しました」
「…………」


の言葉に、ピタリと手を止めたセフィロスは、確かめるように彼女と視線を合わせる。
逸らされない瞳に、微かに目を険しくした彼は、一瞬口を開こうとするがすぐに止め、続く彼女の言葉を待った。


「向こうの世界に、引かれる時は、必ず時計の音がする。……ジュノンでも、一度あちらの世界に強く引かれました」
「…………」

「もう、私の力は……そう何度も抵抗できるだけのものではなくなっています。あのまま、時計を手元に置いておくのは、危険過ぎた」
「…………」


再び調理を再開した彼の隣で、は使い終わった調理器具を洗う。
彼女が台所の電気をつけると、セフィロスは冷蔵庫から出した牛乳を鍋に入れて火力を上げた。
鍋いっぱいにまで入れられた牛乳は、彼の機嫌を分かりやすく教えてくれる。
口を開く気配がない彼に、は付け合せの料理を作りながら、再び口を開いた。


「貴方も……考えたのではありませんか?僅かであっても。……あの時計が、私とあちらの世界を繋ぐものであると……」
「……ああ。そうだ」


はっきりと答えたセフィロスに、は彼へ視線を向ける。
だが、彼は鍋の中を見つめたままで、振り向いて見せることもない。
その姿に、は微かに瞼を伏せ、手元に視線を戻した。

「セフィロス、貴方は……何を……私にどうしてほしいと、思っていらっしゃるのですか?」
「…………」

「あちらの世界への道が、私にとって退路になる……と。……そう、思われたのですか?この世界で生きたいと、私が思っている事を、ご存知でしょう?忘れてしまわれたのですか?それとも、私のその思いは、厄介だとお思いに?」
「考えすぎだ」


その返答に納得出来ない顔をするを無視し、セフィロスは火を止めて鍋に蓋をする。
ようやく振り向いた彼は、作業を中断するよう告げると、彼女を連れてリビングに移動した。

ソファに腰を下ろす彼に、は向かい合って腰を下ろそうとするが、そこはクッションや雑誌に占領されている。
物言いた気な視線をセフィロスに向けつつ、は彼の隣に腰を下ろす。
目を閉じ、暫く考えていた彼は、やがて深く息を吐くと、窓の外を眺めながら静かに口を開く。


「……お前が……元の世界に戻る気が無いのは知っている。それを疎ましく思った事も無い。だが……この世界で生きられなくなったら……その時に備えておく事は、必要だと思った。勝手は承知でな」
「命を落とすくらいなら、異なる世界であれ、生き残れ……と?」

「ただの逃避でしかないがな……」
「…………分からないわけではありません。私が貴方でも、そうするかもしれない。ですが……」


自嘲の笑みを零しながら、セフィロスはへ視線を向ける。
不服は承知の上。噛み付いてくるなら好きにしろ、と。そんな顔でいる彼に、は僅かに俯くが、すぐに顔を上げる。
その顔には、何処か諦めたような色の、苦笑いが浮かんでいた。


「無駄ですよ」
「……何故そう思う?」

「…何故、召喚獣達が、私にあちらの世界への帰還を求めたか…お忘れですか?」
「……力……だろう」

「そう、力です。それさえ手の内に戻れば、私の存在など用無しになる。……力故に生きながらえているのに、それを失っても、先があると思いますか?」
「………それは……」


この肉体は魔力によって存在できているのだと、シヴァは言っていた。
ならばその魔力の根源は何であるか。
人ならざる力が、人の身に宿るのは何故か。
それを失った時、その身がどうなるのか。
考えれば、答えなど簡単に見えてしまうのだ。

世界からの肯定が、存在の否定になるなど、普通は考えない。
だから、セフィロスが元の世界で生き永らえさせる道を考えたとしても、仕方が無い事だと思った。


「あちらの世界に戻ったところで、私は長く持たないでしょう。だからこそ……召喚獣は、100年もの猶予を与えたのです。ただ、誰かとの繋がりを許すだけなら、この世界で生きている実感を得るだけなら……20年や30年もあれば、心の整理も十分つく。あちらの世界に戻ってから、また新たに作るだけの気力も湧く。召喚獣が与えたのは、貴方達と共にいる時間ではなく、生き延びる時間……何の抵抗も無く、死を受け入れるための、長い時間なのです」
「……………」

「100年後……その頃には、貴方は、もう何処にもいないでしょう?……私も、きっと、何も思い残すことなく、終える事が出来る」


彼女が与える言葉の数々が、意外だったのだろう。
つい先ほどまでは、何を言われても受け入れる構えだったセフィロスの瞳は、今は戸惑いに揺れている。
今更になって、状況は最初から最悪だったと言われたのだから、当たり前だ。


「退路など、最初から無いのです。私の逃げ場所は、貴方の………この世界しかない。……たとえ、あちらの世界で、生き永らえる事が出来たとしても……私は……きっと、終える事を選ぶでしょう。貴方が、どんな事を願ってくださっていたとしても」


言葉とは裏腹に、何処か晴れやかですらある笑みを浮かべて、はセフィロスを見た。
かける言葉を見つけられずにいる彼に、彼女は柔く目を細めると、少しだけ冷たくなった彼の手に触れる。


「傍にいろと仰るなら……その言葉を違える事が無いなら、確かであるなら……どうか、揺らがずにいてください」




要約すると、
セフィロス「ヤバくなったら元の世界に帰れ。理由はわかるな?」
「が断る」
の2行で終了な件。
2011.01.04 Rika
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