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独特の消毒臭さと、頬に感じた熱と疼きに彼は重い瞼を上げた。 途端瞳に入った暁の光に目を細め、逃れるように顔を背ければ、橙に照らされた女性の横顔が見える。 その姿は確かに覚えがあるのに、覚醒しきらない脳はその名を出してくれない。 思考を支配するのは眠気ではなく、一瞬のような、それでいて途方も無く長い夢を見ていたような感覚。 どんな夢を見ていたのか……。 思い出そうとするのに、その情景は曖昧で、記憶を辿るほどに溶けていく。 ゆるゆると思考を巡らせながら、少年は椅子に腰掛ける女性をぼんやりと眺める。 次々と消えていく夢の記憶は、腕を組んで目を閉ざす彼女によく似ている気がしたが、それもまた確信に至るより先に見えなくなった。 「目が覚めたか」 「……………」 ゆっくりと瞼を上げた彼女が、ちらりと少年へ視線を向ける。 言葉の意味をゆっくりと理解し、静かに頷いて返しながら、彼は呆けたように彼女の顔を見つめていた。 「ガイは大分前に目覚めた。今は席を外しているが、すぐに戻るだろう」 「……………」 静かに言うと、彼女は再び瞼を伏せた。 早朝の静けさは室内をも満たし、窓から差す日の光だけが存在を主張する。 緩慢な動きで漂い、天井へと視線を落ち着かせた彼は、そこに釣り下がっている傘の無い電球を眺めた。 考えるべきことが多い気がする。 けれどそれ以上に、目覚めたばかりの脳が疲れていて、まともな思考を働かせられそうにない。 長かった。 何が長かったのか。今しがた見た夢か、それとも別の何かなのか、考えても答えは出ない。 ただ心に浮かんだその一言に、彼は何かの終わりを感じ、身に迫る恐れから解放されたような安堵を覚えた。 Illusion sand − 99 「予定より早くなったが、お前たちの体から、石を取り出した。傷はもう塞いである」 午前6時。 眠気も失せ、完全に意識が覚醒したガイとカーフェイを前に、は静かに言った。 傷跡があるだろう場所をそれぞれ確認した二人は、目覚める前まであった異物感が消えた事を確認する。 何故急に取り出したのか、何故自分達は突然倒れたのかと聞いた二人に、彼女は「過ぎた薬になってしまった」と言い、己の落ち度に頭を下げた。 病院とは少し違う室内について聞いてみると、そこはホテルのすぐ傍にあるマンションの一室だと言う。 そこでまた、当然少年達には新たな疑問が生まれるのだが、先回りした彼女の口から「闇医者」という単語が飛び出て、少年達の言葉を奪った。 否、言葉を失ったのはカーフェイだけで、ガイは納得したような顔をしている。 つい最近まで反神羅組織にいたのだから、隠れ商売をする人間など今更なのだろう。 タークスの男が選んだ医者だという言葉に、二人は安心してよいのか微妙な心地になりながら、朝の喧騒を始めた外へ目をやる。 「ところで先生、俺、なんか右の頬っぺた痛いんスけど……」 「僕もー。誰か寝てる間に殴った?」 「……倒れたすぐ後、ルーファウスを迎えに来たタークスとソルジャーの二人が、気付けに2〜3発殴っていた。無駄だったがな」 「……納得できるけど納得出来ねえ」 「仕方ないけどさー…手加減ぐらいしよね?僕の綺麗な顔に傷が出来たらどうしてくれるわけー?」 「今度会ったら、礼を言って1発殴らせてもらえ。そろそろ行くぞ。長居は無用だ」 今日の予定を遅らせるわけにはいかないと、はさっさと立ち上がってドアへ向かう。 真っ暗なバスルームにある気配に目を向ければ、薄く開いたドアの向こういる痩せた男が、ぎょろりとした目でこちらを見ていた。 まばらに生えた油っぽい髪や、中途半端に整えられた髭は、昼間の街ではなかなかお目にかかれない人種だろう。 新種のモンスターと疑われても仕方が無い部屋の主には短く礼を言うと、はキョロキョロとする生徒を半ば強引に部屋の外へ出した。 「先生、俺、何が何だかさっぱり分かんないんスけど」 「…勝手は承知で言うが、知る必要は無い。余計な事を耳にすれば、身を危険に晒すだけだ。今は、お前達まで守る余裕が無い」 「そんな事言われてもねぇ〜……」 潮と生ゴミの匂いがする裏通りを歩きながら、カーフェイとガイは顔を見合わせてへ視線をやる。 理不尽な返答も、自覚の上で言われると非難する気が削がれてしまう。 自分達で対処出来ない事態になるから、そう言われるのだと理解は出来るが、だからと言って「はいそうですか」と言えるわけもない。 何しろ、こちらは体に傷まで作っているのだ。 いや、命を助けてもらったのだから、それだけで済んだと思えば良いのかもしれないが、それにしたってすんなりと納得はできない。 「嗅ぎ回られても仕方ないっスよ、その言い分じゃ。俺ら、この件に関しては当事者なんスよ?」 「せめてさぁ〜、あの石がなんだったかとか、何で僕らが助かったかとか、嘘でもいいから教えてよ〜」 「………………」 両脇から不服そうな顔を近づけてくる二人に、は足を止め、彼らの顔をちらりと見る。 諦めの溜息をつき、ゆっくりと振り返った彼女は、細い路地を挟むビルの屋上を見上げた。 少年達がつられて顔を上げた瞬間、視界の先から短い呻き声と共に黒い影が落ちてくる。 人の形だと理解したそれは、重力に従って地面に向かい、路肩にあったゴミバケツを巻き込んでアスファルトにぶつかった。 硬い物が落ちたような鈍い音を立てたそれは、赤と透明の氷の破片を飛ばして砕ける。 肩から割れた腕が、曲がった肘を軸に回転しながら飛んでくる。 それを足で止めたは、その手に握られている変わった形の銃を取り上げると、足の下にある腕を本体の方へ蹴り返した。 「行くぞ」 銃身に刻まれた神羅のロゴと番号を二人に見せると、は死体に背を向けて歩き出す。 朝っぱらから変死体作成の過程を見せられてしまった二人は、微妙な表情で顔を見合わせたが、何も言わず彼女の後を追った。 数歩進んでから、ふと、こんな場所に死体を放置してよいのかと思って、ガイは立ち止まる。 あまり見たくないと思いつつ、ちらりと振り返ってみると、血とは違う赤が視界に入った。 数秒見つめて、ようやく理解する。 先ほど氷漬けでバラバラになった死体が、氷の中で炎に呑まれていたのだ。 証拠隠滅 便利な技を持っているなぁと感心しながら、ガイは何事も無かったように視線を戻す。 つられて振り向いたらしいカーフェイが、唖然とした顔で焼却の様子を見ていたが、ガイは無視しての隣に戻った。 この化物先生の行動に逐一驚いてみせるとは、相変わらずカーフェイは律儀だと思う。 実習旅行から交流学習まで、散々彼女の常識を逸脱した行動を目の当たりにしているのだから、そろそろ何でもアリだと腹を括ってしまえば良いのに。 の行動を常識的な範囲に結び付けては、逆に自分の常識がわからなくなる事を、ガイは学習していた。 「先生〜、アレ何だったの〜?」 「……覗き趣味の変態だろう」 「変態が銃なんか持ってる〜?」 「性癖は人それぞれだ。放っておいてやれ」 「うわぁ、酷い。殺した上に変態にするとか……」 「弁解する口も聞けないのなら、真実は闇の中だ」 「うはっ。酷い。すごく酷い」 クスクス笑うガイとは対象に、カーフェイは苦い顔をして二人を見ている。 普通の反応だなぁと、暢気な事を考えながら、ガイはが持ってる銃を手に取った。 神羅兵が持つものより小型のそれは、いやに横幅があり、リボルバーを無理矢理改造したような姿だった。 だが、神羅のロゴとナンバーが入っているのだから、素人が下手に工作したようなものではないだろう。 シリンダーの中を覗けば、また妙な形の弾が入っている。 試しに一つ外してみると、鉛弾ではなく、黄緑色の液体らしきものが入った代物だった。しかも、先端には長い針までついている。 見慣れない…しかし、知識の中にあるその正体を思い出した瞬間、ガイは思わず噴出した。 「プッハハハハハ!」 「…何だ?」 「ちょ、先生、この弾、何につかうやつか知ってるぅ〜?」 「普通の兵士の物とは違うようだが、わからんな。……何を笑っている?」 「だってさぁ、これ……ヒヒッ!大型の動物とか、モンスター捕まえる時に使う麻酔銃だよ〜。しかも、神羅の科学部のモンスター研究機関が使うやつ〜!アハハハハハ〜イ!!」 「…………」 「人間相手にこんな物騒な物使わないって!完全に猛獣扱いじゃ〜ん!先生可哀想〜〜」 麻酔弾を手に大笑いするガイに、は無言で弾を見つめ、その隣ではカーフェイがちょっと笑いそうになっているのを抑えている。 小さく息を吐いたは、ガイの横腹を軽く小突くと、彼の手から銃と弾を奪い返した。 「笑うのは構わないが、これで分かっただろう?これ以上首を突っ込もうとするな」 「まぁね〜。流石に麻酔銃持ったスナイパーの相手なんかしたこと無し〜。しかも科学部とか、無いわぁ・・・・・・」 「あの、俺、よく分かんないんだけど……」 「……それぐらいが丁度良い」 「確かに、分かんない方が良いかもね〜」 「え?……何か、馬鹿にしてね?」 口を尖らせるカーフェイを諌めると、は表通りへ出る。 まばらに歩く通勤途中の人々とすれ違い、ホテルへ戻ると、いつも通りの1日がまた始まった。 「……で、何で俺だけ居残りさせられるわけ?」 固いパイプ椅子に腰掛けるザックスは、目の前でチビチビと缶コーヒーを飲むレノをじとりと睨む。 尋問部屋のような個室には、小さなテーブルと2脚の椅子以外何もない。 厚い鉄製扉は外の音を遮断し、耳に届くのは天井にある換気扇の音だけだ。 格子がはめられた小さな窓からは、夜の闇の中で僅かに月が顔を覗かせている。 目の前の男の顔色が悪く見えるのは、古い蛍光灯のせいか、それとも珍しく疲労が限界なのか。 しかし、それは自分も同じだろうと思いながら、ザックスは大きく伸びをした。 ニブルヘイムでの任務を終えたザックスが、3日間の移動を経てジュノンについたのは昨夜だ。 再出発の準備のため、ヘリの最終調整と軽い打ち合わせを終えて、休憩がてら支社に顔を出そうとしたのがいけなかったのか。 軍事施設から出たザックスは、待ち構えていたタークスに連れられ、ルーファウスを迎えに行く車に乗せられてしまった。 丁度ホテルの前に車を停めたところで、歩道に倒れている少年を発見し、そこでと思わぬ再会を果たした。 が、慌しい状況では暢気に世間話も出来ず、一息ついた頃には日付が変わってしまっていた。 最悪なのは、目覚めた時には、ジュノンを発つ時間を8時間も過ぎていた事だ。 何故誰も叩き起こさないのだと思いつつ、クビを覚悟しながら支社の司令室に向かおうとすると、またも待ち構えていたタークスによって、この個室へ招待されてしまった。 携帯が鳴らないのだから、自分はこのままジュノンに残る事で、上と話はついているのだろう。 事前に何も言われなかったのだから、急に決まった事なのだろうと想像は出来る。 クビは免れたと安堵するも、ミッドガルへの帰還延期が、非番の延期を意味する事に、ザックスは肩を落としたくなった。 「そんなに嫌そうな顔するなよ。俺だって、男と密室で二人っきりは嬉しくないぞ、と」 「だったら早く用件言えよ……」 「お前にとっちゃ、嬉しい話じゃない確立の方がデカイ」 「ソルジャーに手放しで喜べる任務なんか来ないだろ?」 「そりゃそうだ、と」 口の端を上げて言うと、レノは残るコーヒーを一気に煽り、音を立ててテーブルの上に置く。 耳障りな音に、ザックスは僅かに眉を上げたが、何も言わずレノの姿を見つめた。 「アンタにゃ暫くの護衛をしてもらうぞ、と」 「……は?」 言う事の矛盾に、言葉が理解しきれないザックスは、怪訝な顔でレノを見る。 だが、その反応は予想の範疇だったらしく、彼は気にした様子もなく言葉を続けた。 「正確には、あの女に近づく奴等を片っ端から消してもらう。副社長直々の極秘任務だ」 「…………」 男の嫉妬か? 理解不能と顔で言って首を傾げたザックスに、レノは冷めた視線を向けるが、親切に反応を問う事はしてくれなかった。 ポケットから出した新型の携帯電話を投げ捨てるようにザックスの前に置き、受け取るように顎で示す。 「任務は単独だ。命令は俺と副社長から出る」 「統括からじゃないのかよ?」 「話聞いてなかったのか?副社長からの極秘任務だ。アンタの統括には、護衛として借りる話になってる」 「それ……」 「余計な事まで考えるなよ、と。コッチもギリギリでの取引だ。下手したら、お前だけの首じゃ済まないぞ、と」 「……っ……そうかよ。ソルジャーは何故と問う無かれ、か?」 「話が早いな。ま、要は普段俺達タークスがやってる仕事を、アンタが専属でやるって事だ」 「……何でそんな事になってんだよ……」 頭を抱えそうな顔で溜息をつくザックスに、レノは僅かに驚いた顔をする。 ふと視線を上げたザックスは、レノの表情に更に怪訝な顔になり、同時に、今の自分の立ち位置を理解した。 「……俺、何も知らないのか?」 「それは、こっちの台詞だぞ……と」 心底意外そうなレノの反応に、ザックスは一気に頭に血が上るのを感じた。 いつから、何が、どうして、いつの間に。 一気に生まれた言葉と同時に、最近セフィロスにも会っていなかったじゃないかと、慰めの言葉も生まれるが、高ぶった感情はそれらを振り切った。 「何だよそれ!どういう事だよ!?」 「叫ぶなよ。らしくないぞ、と。疲れてるのか?」 「説明しろよ。どういう事だよ!」 「直接聞けよ、と。俺の仕事は任務を伝えるだけだ」 噛み付くザックスを面倒そうに眺めると、レノは静かに立ち上がる。 用は済んだと言わんばかりの彼に、ザックスは椅子を飛ばす勢いで立ち上がるが、掴みかかるより先に冷たい金属の感触が首筋に当たった。 「問うなよ。……ソルジャーだろ」 ロッドを突きつけて言い放ったレノは、動きを止めたザックスに武器を仕舞う。 他に任せられる人間がいなかっとはいえ、この人選は別の意味で失敗だったかもしれない。 しかしそれは自分が気にする範囲の物ではないと考えると、レノはザックスへ背を向けた。 「日曜の朝、は生徒とミッドガルに帰る。それに同行するのが最初の任務だ。それまでは、好きにしろよ、と」 「…………」 「下手な事はするなよ、と。その時は、誰かがアンタを始末しなきゃならないからな」 その貧乏くじを引くのは、恐らく自分か……いや、もしかしたら、が腰を上げる事もあるかもしれない。 どれもこれも面倒そうで、あまり近づきたくないと思いながら、レノは室内を後にした。 | ||
2010.06.27 Rika | ||
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