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「腹減ったー!」
「先生、早く飯ー!」
「お前達、静かにしろ。人が見てるだろう」

ジュノンの街に入った早々騒ぎ出した生徒に、は眉間に皺を寄せて注意する。
エレベーターを昇ってきた10数人の団体に、傍にいた人たちが視線を向けるのは当然だが、視線を逸らされないのは生徒のせいではない。

さん、一番目立ってるのは……セフィロスさんだと思う」
「それに輪をかけて騒ぐから余計に目立っているんだ。早く行くぞ。ホテルの場所は……ここからまっすぐ西だ」

そう言って、海の方向を指差したに、その場にいた全員が口を閉ざした。
自分が指した方向に首を傾げた彼女は、再び地図に視線を落とし、何度か向きを変えて首をかしげている。

さん、それ、違う階の地図なんじゃないの?今いるの、一番下にある地図でしょ」
「ん?ああ、なるほど。地図もフロアと同じ順に書かれているのか。それで、各エレベーターを出ると向きが変わって……………………面倒だな」

地図を見て、徐々に表情を険しくしていくに、他の一行も生徒の行く末が不安になってくる。
結局、支社に行くセフィロス達と途中まで同行し、その先はジュノン出身のカーフェイ・滞在歴があるアーサーが生徒を案内する事になった。

決定の際、彼女が言った言葉は
「面目ない。しかし、恨むなら、土地勘の無い人間を引率に選んだ、校長の悪戯心を恨め」
である。

夕方、報告の電話を受けた校長へ、息子を初めとする生徒達からの苦情が殺到したのは言うまでも無い。



Illusion sand − 95



「予定は1日押したが、交換留学はその分期間を延長し行う。明日の朝は全員でジュノンの学校に登校するが、それ以降の登下校は各自自由に行うように。決して向こうの生徒に大きな怪我をさせないよう、気をつける事。喧嘩はどれだけしても構わないが、必ずそれでケリをつける約束をしてから殴り合うように。以上だ。夕食は5時。それまでは各自自由に休憩するように。1階のレストランに集合だから、遅れるな」

無事ホテルへ着いたは、若干おかしな注意を交えつつ、生徒達が部屋に入るのを確認して自分の部屋に入る。
以前ジュノンに来た時に使った部屋の半分ほどしかない部屋に、狭いな…と正直な感想を持ちつつ、は荷物を置いた。

「何だこれは?」

ベッドの上に視線を向けたは、そこにある箱と花束に気付き首をかしげる。
誰かに物を送られる覚えはなく、危険物でも隠してあるのかと思った彼女は、試しに剣の鞘で花束を突付いてみた。
が、ド突いても転がしても、花束に妙な仕掛けがある様子は無く、布団の上に花弁が散るだけだ。

綺麗な花を暫く凝視した彼女は、警戒しつつ手を伸ばし、花の中にあるメッセージカードを見つける。
新手の挑戦状……科学部からの果たし状かと思いつつ開いてみると、中には綺麗な字で……理解出来ない文章が書かれていた。

「私の堕天使−へ−……だと?」

何と無礼な。

真っ先に彼女が思った言葉はそれだった。
普通はドン引くところだが、生憎彼女には、「堕天使」という単語に普通の人間と同じ感性は働かない。

彼女が生まれた世界に「天使」と呼ばれる神の使いはなく、それはこの世界に来てから初めて知ったような呼び方だった。
曰く、文字通り天の使いだが、背中に翼が生えた人間の姿をした生き物は、の常識から見ると、間違いなくモンスターの類に入れられる。
それはそうだろう。鳥の翼に憧れる人間はいるが、元来鳥の翼とは人間で言う腕だ。人の姿に翼が生えているとなれば、腕が4本ある計算になる。モンスターでしかない。
にとって、天使とは聖属性の鳥人間モンスターという感覚でしかなかった。

化物呼ばわりならば百歩譲って許すにしても、それに堕落の「堕」の字まで付けられて、何も感じずにいるのは無理だろう。
彼女が受け取った意味を分かりやすくするなら、カードに書かれた文面は『私の鬼畜生鳥人間モンスター』になる。

「ふざけた真似を……」

人が出会い頭に突然罵声を浴びせられれば怒るように、もまたこのメッセージカードの言葉に微々たる腹立たしさを感じた。
何処の馬鹿かは知らないが、相当暇らしいと思いながら、はメッセージカードを握りつぶすとゴミ箱に投げ捨てる。
ベッドの上に散らばった花束を片付け、綺麗に包装された箱に目を向けた彼女は、溜息をつきつつ箱を開いた。

「…………」

中から出てきたのは、真新しい士官学校の女生徒用制服だった。
何故こんなものが自分の部屋にあるのか。見当がつかず制服を凝視した彼女は、胸ポケットに差し込まれた封筒を見つけて中を開く。

「……………」

あのメッセージカードの後なので、何となく予想はしていたが、封筒の中から出てきた手紙も同じような文面だった。
しかし、意味不明かつ支離滅裂な文章は、その意味を理解しようにも時間がかかる。
所々に「愛」やら「楽園」という文字があったかと思えば、終盤は「お日様ポカポカ、気分もポカポカ」だの「ふわふわ雲に乗ったまま遠いお空に行きたいね」だの…目も当てられないような文面だ。
苦痛を堪えつつ内容を理解し、要約するなら、肉体的な深い関係を希望している事になる。

「……何処の阿呆だ…?」

とりあえず今理解できる事は、これを考えた人間は頭の螺子が1ダースは飛んでいるという事ぐらいだ。
いや、最後の1文が「ちょっと生まれ変わってくる」なので、一応正気は残っているのだろう。

「下らん真似を……」

溜息をつきつつ、便箋の中を見ただったが、差出人の名前は何処にも無い。
ではこちらだろうか、と、封筒を見直したは、そこに印字された先ほどまで一緒にいた男の名に凍りついた。


 −From 愛の迷い人セフィロス−

「……………」

驚愕するの手から、件の手紙がはらりと落ちる。
顔を引き攣らせたまま宙を見つめる彼女は、浅い息を繰り返し、今見た記憶を何度も何度も繰り返した。

「いや……まさか……」

見間違いだろうと無理矢理自分にいいきかせ、はベッドの上に落ちた手紙を手に取る。
無意識に、封筒の名を視界に入れないようにしながら、再び便箋を見つめた彼女は、そこにある文字をゆっくりと読み直した。

「……………そうか…そういう事ですねセフィロス」

これは…・・・何かの暗号に違いない。

願望を無理矢理確信に変え、は紙を逆さまにしたり、斜めにしたりしてみる。
差出人の名を思い出し「愛」の文字だけ飛ばして読んだり、行の最初の文字だけを読んでみたり。

しかし、それで何かがつかめるなんて事は、当然起きるわけがなく、10分後のは手紙を握り締めたままベッドに突っ伏していた。

闇中に首まで浸かったような目で、ひたすら文字を目で追ってみるが、セフィロスが言わんとしている事が全く理解出来ない。
考えすぎて働かなくなってきた頭に、は深く溜息をつくと紙から目を離した。

視線の先には、制服が入った箱と、花弁が散った花束。
全て繋がって意味を成すのか、それぞれに別の意味があるのか、それとも、あえて意味の無い物を紛れ込ませて目くらまししているのか。
彼の真意がこれほどつかめなかった事は無く、は途方に暮れて瞼を伏せる。

言いたい事があるなら自分の口で言う彼が、こんな手段を用いる事など初めてだ。
口で言うことが憚られるからこんな手段を使ったのか……しかし、それならそれで、もう少し分かりやすい手法を使うだろう。
人の耳に入っては厄介な事を、わざわざ形にして伝える事など、彼らしくない。手紙の文面は、更に彼らしくない。


「…………ん?」


考えてみれば、これが本当にセフィロスからの物だという証拠は無い。
さっきまで一緒にいたのだから、わざわざホテルの部屋に物を届けてまで伝える内容など無いはずだ。

ようやくその点に気がついたは、もう一度便箋と封筒を見てみる。
どちらも酷い内容だが、それを綴るのは機械で印刷した文字。セフィロスの筆跡などありはしなかった。


「……おのれ……」


アッサリ騙された自分も悪いが、一体何処の誰がわざわざこんな悪戯をしたのか……。

「……………」

考えた瞬間、脳裏にニヤニヤ笑う社長息子が現れ、あっさり割れた犯人には再びベッドに突っ伏した。
そういえば、湿地を出た後、セフィロスはルーファウスと話をしていた。
自分達がホテルに着く大凡の時間を知り、費用を気にせず悪戯をしかけてくるなど、彼以外に考えられないだろう。
花束はさておき、制服は何かしら必要があって用意させたに違いない。この悪戯は、そのおまけか何かだろう。

もうそれ以上考えるのが馬鹿らしくなり、は緩慢な動きで起き上がると、手紙をゴミ箱の中に入れる。
床に置いたままの荷物を引き寄せ、適当に着替えを取り出すと、溜息をつきながらバスルームへ入って行った。








「そろそろ着いた頃か……」

ペンを動かす手を止め、時計を見て呟いたルーファウスに、レノはちらりと視線を向ける。
恐らくの到着の事……否、彼女が花束と手紙を読んだ事を指しているのだろうが、レノにはそれに構う体力が既に無い。

発案当初は意気揚々とポエムを考えたが、文字が形を成すほどに自分のHPは削れ、最後には奇怪な方向へリミットブレイクしてしまった。
どんな手紙を書いたのか、命令したルーファウスは知らないが、たとえ見せたとしても、彼は鼻で笑う以外の反応はしないだろう。

あのポエムを生み出したのが自分だと知られたら、セフィロスとはどんな目で見てくるか……。
あの二人なら、原因がルーファウスだと察し、自分に怒りの矛先を向ける事は無いだろう。
そう、「アレ」を書いた張本人だと知りながら、何も無かったような反応をし、話題に出せば労わりの言葉をかけるに違いない。
正直、一番辛い反応である。

「レノ、聞いているのか?」

不機嫌そうな声に顔を上げると、ルーファウスが怪訝な顔でこちらを見ていた。
慌てて頭を下げるレノに、ルーファウスは小さく溜息をつき、積みあがった書類を机の端にどける。

「暫くドアの外で警護をしていろ。セフィロス以外は誰も中に通すな」

言うと、ルーファウスはすごすごと部屋を出る部下に目を向けることすらせず、秘書課に電話をかけながらパソコンを開く。
すぐに電話をとった女性に、暫く誰からの電話も繋がないよう言った彼は、画面に映る1週間のスケジュールから数件のキャンセルを伝えて電話を切った。





本部への報告を終え、同僚と別れたセフィロスは、その足でルーファウスの執務室へ向かう。
秘書課の前に立つ兵に軽いボディーチェックをされながら、彼らの後ろにある機械に社員証を通すと、小さな電子音と共に通行許可を示す緑のランプが光った。

ミッドガルのような、会社としての建物ではないせいか、ジュノン支社内のセキュリティは面倒なほど徹底している。
タークスだろうと役員だろうと、社員証が無ければ行きたい場所に行けないのは、保安上は当然でも業務上は不便を感じずにいられなかった。

ランプが消えない内にゲートをくぐったセフィロスは、突き当たりにある大きな扉ではなく、手前にある通路に入る。
数歩行って角を曲がると、ドアの前に立つレノの姿が見え、こちらに気付いた彼は軽く手を上げて見せた。


「ご苦労さん、と。副社長は中だ。人払いもしてあるぞ、と」
「……そうか」

レノを入れないとは、何かあったのだろうかと思いつつ、セフィロスは扉を開く。
応接用のソファに腰掛けていたルーファウスは、セフィロスをちらりと見ると、向かいに座るよう目で指示する。
その態度に、セフィロスは僅かに引っかかりを覚えたが、とりあえずソファに腰を下ろし、様子を見る事にした。

「よく来てくれた。道中、変わりは無かったか?」
「いや……。少々問題が起きた」

尻拭いをする程の事は無いが、報告すべき事はある。
笑うか、呆れるか、どちらの反応をするだろうと考えて答えたセフィロスだったが、対するルーファウスはどちらの反応も見せず足を組む。
驚いた様子すらない彼は、セフィロスの言葉すら予測していたかのように、落ち着いた姿勢を崩さなかった。

「そうか……。それもそうだろう……」
「……どういう意味だ?」

が動けば、必ず事が起きる。例え彼女が動かなくとも、身を潜めて動き回る輩がいる事に変わりは無い。……考えるまでも無いだろう」

確かに、その通りだとは思う。
現に科学部は動きを見せ、引き際を見極めて手を引いた。
ミドガルズオルムの件も、大きな動きと言えるが、証拠不十分となる事を見越して、事を起している。

逆を返せば、が動けば動くほど、科学部も期を狙って動くという事だ。
もしや、ルーファウスはそれを狙っていたのかとセフィロスは一瞬考え、しかしすぐにそれを否定した。
ルーファウスの考え方なら、それは十分在り得る事だが、もしそうなら必ず勝敗をつけるだろう。
感情と思考を切り離して考えられるこの男が、リスクを想定しながら生ぬるい手法を用いる事はまずないはずだ。
わざわざ時間を使って、相手の反応を試す真似をするとも考えられない。

だが、ならばどんな意図を持っているというのか。
それとも、予測範囲内の出来事に、今はまだ手を出すつもりが無いだけか。

考えて、けれどいくら思考を巡らせたところで、他人の考えが全て見えるわけではない。
しかも相手はルーファウスだ。
例え予想がついたとしても、こちらがそこへ辿り着く間に、いくつものフェイクを作り、その中に真意を隠してしまうだろう。
彼は、欺こうと決めれば、何処まででも欺いてみせる男だ。

先日まで顔をあわせていたルーファウスなら、進んで真意をチラつかせてくれていたが、今の彼にその節は見えなかった。
どういう心境の変化かと思いながら、セフィロスは思考を会話の内容へ戻す。

ルーファウスが予想していた事態の中にどれだけのものが含まれているかは知らないが、言うべき言葉の内容は、きっと彼の予測から少し外れた場所にあるだろう。

「生憎、俺が報告するのは、お前が予想している事の内には無い」
「ほう?召喚獣が封じられた事は先だって連絡を受けていたが、それ以外にもあると言うのか?」

がクリスタルを手放した」
「…………」

「いつも首に下げていた、アレだ」


微かに視線を泳がせたルーファウスに、セフィロスはやはり忘れていたのかと思いながら言葉を付け加える。
言われて、納得したような素振りを見せたルーファウスだったが、それでどうという風でもなく……いや、これは彼女とクリスタルの関係についてよく覚えていないのかもしれない。

の力が、彼女が生まれた世界のクリスタルの力によるものだとは、知っているな」
「…しかし、それは彼女の肉体に宿っていると記憶していたが?まさか、石が無ければ無能になるという訳はないだろう」


もしそうなら、手放した時点で連絡を入れてくるはず。それに、セフィロスがこんなに落ち着いているはずがない。
ここに来るのも、セフィロスだけではなく、も連れてくるはずだ。

石は、彼女と彼女が生まれた世界を繋ぐものでしかない。
そう聞かされ、認識していたルーファウスは、報告漏れでもあるのかとセフィロスを見る。
あのクリスタルに、重大な何かがあるというのなら、場合によってはすぐに対策を考える必要があった。

「俺の推測でしかないが、あの石は、この世界と彼女の生まれた世界を繋ぐものの1つだろう。物理的に……いや、次元と次元を繋ぐと言うのが適切だな」
「……お前の精神を引き込むほどの……か。確かに危険な石だ。しかし私は、あれはお前とだったから起きた事だと考えていたが?」

の体は、魔力が無ければ持たなくなる。魔力が減れば、あちらの世界に引き寄せられる力への抵抗も減る」
「その引き寄せる力の源が石と繋がっていたというのなら、手放した事について問題は無いはず……。それとも、予想外の弊害でも起きたのか?」

「目に見えるほどの変化は無いが、魔力が落ちたのは間違いない。も、以前の3分の2程になったと言っていた。今後に大きな支障が出る程ではないと言っていたが……」
「ならば問題は無いだろう。加減もわからず力を使うほど、愚かな女ではない。石が手元に無いのなら、引き寄せられたところで行き着く先は無い」

報告と言えるかどうか定かでない。煮え切らないセフィロスの言葉の数々に、ルーファウスは溜息をついて足を組みなおす。
彼の、何処か暗い表情が、別の報告があると語るが、予想するでもなくそれは明るい内容でない事がわかった。

「セフィロス、が手放したというクリスタルは、何処へ行った?」
「……生徒の体の中にある。死に掛けた生徒を助けるため、賭けてみたそうだ。クリスタルは二つに割り、傷口から体に入れたらしい。生徒は助かり、魔力が格段にあがった。その他の能力も、僅かだが上昇している」

「……享受による恩恵……か。……何かに似ているとは思わないか?」
「…………?」

まるでソルジャーだ、と。そう思ったルーファウスだったが、分っていないらしいセフィロスの表情に、彼は口を閉ざした。
生まれついてのソルジャーが、ソルジャーの『作り方』を知らないのは当然かもしれない。
『ソルジャー』という、輝かしい名の裏にある深い闇。
ルーファウスでさえ全てを知らないそれを、今、彼に知らせるべきではないと判断した。

「……すまない、私の気のせいだったようだ。今のは気にするな」

微かに笑みを見せて言ったルーファウスに、セフィロスは腑に落ちない顔をしたが、彼は何食わぬ顔を見せたまま窓の外へ目をやる。
人ならざる者の細胞を植え付け、魔光の光を浴びる事で生まれる、強靭な力を持った戦士達。
クリスタルを与えられ、力を手にした生徒の存在は、それに良く重なる。
肉体自体に強大な力を宿しているは、科学部にとって『生きたジェノバ』そのものだろう。
単なる新種採集が目的かと思っていたが、真の目的はそこにあると確信していい。
あの頭脳集団がの血は手に入れているのだから、それだけの実験結果を出しても不思議は無い。


「生徒がクリスタルを手に入れた事を知る者は?」
と、俺、それと本人達だけだ」

「では、生徒二人は、折を見て私が手元に呼んでおこう」
「そうしてくれ。が言うには、本来の傷が完治するはずの頃になれば、クリスタル取り出しても、恐らく命に問題はないそうだ」

「そうか」


手間がかかる女である事は相変わらずだと思いながら、ルーファウスは小さく息をつく。
携帯を取り出したセフィロスに目をやると、彼は画面をルーファウスに差し出してきた。

「何だ、これは」
「湿地に発生したモンスターの親玉だ。証拠とするには不足だが、科学部が動いたのは間違いない」

「ほう」


崩れかけた大蛇の胴体にある番号に、ルーファウスは僅かに目を細め、写真データを送るよう言うと携帯を下げさせる。
実験体の管理不行届き、それによる近隣住民への被害、ソルジャー出動により発生した経費。それなりの失態の証拠だ。

ただ、これは副社長である自分から叱責するより、ソルジャーからの報告という形にした方が自然だ。
ソルジャーと科学部にある否応なしの繋がりを考えると、それほど大きく責任を取らせる事が出来ないのは明白だが……。
に関する事だとこじつける事は不可能だが、科学部の白衣の裾を汚す事は出来る。

わざわざ副社長の目に晒して見せるという事は、この問題で科学部に多少の圧力をかけろという意味だろう。
下手に科学部を追い詰め過ぎれば、逆にどんな動きをするかわからない。
だが、士官学校の生徒とソルジャーが湿地を通る事を知っていたにも関わらず、実験体がいる事を報告しなかったのだ。
過去最大の大量発生から、率先して調査をすべき部門であるにも関わらず、それを怠った失態もある。
正当な理由による叱責で、多少は立場を弱くする事はできるだろう。

神羅の力がここまで大きくなったのは、科学部の功績と言っても過言ではない。
軍も兵器開発局も、ソルジャー同様に、科学部の技術協力が不可欠だ。
今でこそ主要となっている魔光電力供給の商売も、科学部が無ければ実現しなかっただろう。
科学部の崩壊は、神羅の崩壊にも繋がる。
神羅の崩壊は、今や世界の秩序の崩壊と同意だ。

それを知っていて科学部を潰そうとするのは、本当に神羅を潰す気でいる、反神羅組織ぐらいだろう。
故に、ルーファウスも大掛かりな事をして、科学部を弱らせる事が出来ない。


「覚えておこう。しかし、深追いするつもりはない」
「かまわん」


すんなり答えたセフィロスに、ルーファウスは納得しつつ小さく息を吐く。
何をしても無駄…とまでは行かなくとも、イタチごっこだという事は、セフィロスも理解しているのだろう。
自分達に出来るのは、科学部がに手を出そうとする事を、諦めさせる事。
しかし、今のままではどうしても長い時間がかかる。
最も効果的で最短の方法が無いわけではない。だが、正直、それは気が進むものではなかった。
全て、最初から、分っていた事ではあるが………。


「他に報告はあるか?」


暗鬱としはじめる心を振り払うように、ルーファウスはセフィロスに言葉を求める。
視線を落とし、数秒目を伏せたセフィロスは、静かに顔をあげると、ゆっくりと口を開いた。


「時計を返した。……彼女が持っていたものの一つだ」
「時計……?」

「あれも、クリスタルと同様、彼女の生まれた世界との繋がりが強い」
「…………それが、お前の形というわけか」


失った鍵を補って、望まない退路を確保する。
最悪、を手放す事も考えているセフィロスに、ルーファウスは深い溜息をついた。
自分達の立場を守るために、追い返す道を作ったのだと思うほど、彼女は愚かではない。
だが、の身が最も安全になる方法は、それで間違いは無いだろう。
その時、彼女の心に安寧があるとは思えないが。

が受け入れるとでも?あれは強情だ。お前の意思など関係なく、この世界に留まろうとするだろう」
「知っている……」

「自己満足か……。分っているというなら、お前が全てを捨てるという選択肢もあるのだろう?」
「上手く行けば良いが、保証が無い。失敗すれば、彼女はどんな手を使ってでも俺を守ろうとするだろう」

「怖気づいたという事か。話にならんな」
「同感だ。だが、彼女の世界に戻れば、あちらの世界は彼女に与えた力を取り戻そうとするだろう。俺という負担まで与えるのは、自殺を促すようなものだ」

「私には、お前の考えがただの自己防衛にしか見えない。彼女の懐の広さに甘えるにも、限界がある」
「……否定はしない。だが、希望が無いからと言って足を止めるほど、臆病でもないつもりだ」

「退路を捨てるのは愚者の考え……という事か」
「鍵を開くのは彼女だ。選択は、彼女にさせる。それだけだ」

「…………」
「どんな結果が待ち受けたとしても、彼女が望まない限り、手放す気はない。俺達が、お前の敵になる事も無いだろう」


どちらにしろ、逃げている事に変わりは無いと思いながら、ルーファウスは深く瞼を閉じる。
ただの逃避なのか、勝利の為の一時的な撤退なのか、それとも前進の中の形の一つなのか……答えは先にならなければわからないだろう。
ミッドガルへ戻る準備があると言うと、セフィロスは席を立って執務室を出て行く。
扉が閉まると同時に、ゆっくりと目を開けたルーファウスは、深く息を吐きながら天井を仰いだ。

視界に入る前髪を乱暴にかき上げた彼は、僅かに苛立っている自分に気付き、再び息を吐き出す。
何時に無く焦っている自分に、理由を聞いたところで、出てくるのは既に知っている答えだけだ。

「お前が惑えば、彼女は離別を選択するだろう……」

そこに至るためにどんな経緯があろうと、自分が負担となっていると知れば、迷わず消える事を選ぶ女だ。
手を引いたなら、何処までも引き摺って行けば良いのに、中途半端な躊躇で自決にも似た道を見せようと考えるとは……。
いつからセフィロスは、こんなに弱く愚かになったのか……。それが人を想うという事だ、とでも言うのか。

「……下らん」

ただの感情で、強くなるだの弱くなるだの、そんなものは馬鹿げているとしか思えなかった。
揺れ惑うのは、己を強く保てない証拠。
自分には、決して有り得ない、あってはならない……理解出来ない事だと思った。

自然と浮かんだ嘲笑は、セフィロスへのものか、それとも自分自身へのものなのか。
答えを出す気すら起きず、ルーファウスはソファからデスクに戻ると、中断していた仕事を再開する。
ふと、机の隅にある電話が目に入り、暫くそれを見つめた彼は、今の時間を確認すると、微かに笑みを浮かべて受話器を取った。




2009.12.30 Rika
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