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湿地から洞窟へ。
順調に進んでいた一行に異変が起きたのは、洞窟に入って数分の事だった。




Illusion sand − 93



「妙な場所ですね」
「妙?」

「魔物と、別の物の気配が混じっていて……感覚が鈍ります」
「そうか…」

ボソリと呟いたに、後ろを歩いていたセフィロスはちらりと辺りを見回した。
前方では生徒達が洞窟内の魔物と戦い、丁度自分から後ろにソルジャーがいて、生徒達に指示を出している。
の言葉に、軽く辺りの気配を探ったセフィロスだったが、魔物と自分達の気配がするだけで、彼女が言う「別の物」が何かはよくわからない。

警告というより、思ったままを口にしただけのような彼女の口ぶりに、セフィロスはそれ以上何も言わなかった。


「有利な戦況でも気を抜くな」

意気揚々とモンスターを倒して進む生徒に注意しながら、は何気なく洞窟の天井を見上げる。
先ほどの衝撃で脆くなっているかもしれないと思ったが、どうやら内部は予想以上に頑丈らしい。
ミドガルズオルムの卵が隠れている様子も無い。

実習旅行のような騒動がそうあるわけでもないので、彼女は特に警戒するでもなく、初めて訪れる洞窟の中を眺めていた。
独特の黴臭さや湿り気が無いのは、風が吹き溜まるような構造をしていない証拠だ。
出口の方から、絶え間なく風が吹き込んでくるのもそうだが、恐らく他にも風の通り穴があるのだろう。

と、辺りを眺めていると、先頭にいたはずのカーフェイとガイがひょっこり隣にやってくる。
どうやら戦闘メンバーを交代したらしく、彼は懐中電灯を持つ手を頭の上に乗せ、前を照らしていた。
長身のせいか、動く灯台のようにも見えるが、言えば彼は騒ぎ出して魔物が寄ってくるので、口にしないでおいた。

「先生、俺は今、男のロマンをひしひしと感じています」
「……ロマン?」

「だって、洞窟ですよ?モンスターがいて、仲間がいて…言うなればこれは探検!まさに男のロマンですよ!」
「……そうか」

少年らしい発想に、は微かに笑みを零す。
彼女にとって、洞窟と言われれば長く住居にしていた記憶しか無いのだが、今は思い出しても感傷的にはならなかった。

あの場所を離れて半年近く経つ。
狭間で過ごした時間に比べれば、僅かな時間でしかないが、それは過去を過去として確立するには十分な時間だったのだろう。
のんびり過ごしていた時間と違い、この世界での生活が慌しく刺激的すぎたというのもあるのだろうが。

「隠された財宝とか、それを守る強力なモンスターとか。そんなロマン、先生は感じないっスか?」
「・・・・・・そうだな。夢を見るのは、良いことだと思う」

財宝はさておき、強力なモンスターはさっき倒したばかりだ・・・・・・というのは、彼の夢を砕くので言わないでおいた。
薄暗い前方からは、絶えずモンスターの断末魔と、ガイの謎の奇声が響いている。・・・よく見えないが、随分楽しくやっているらしい。

「ぃぇ〜い!オニギリ斬り〜!」
「ブハハ!ガイ、笑わせんなよぉ〜」
「ジョヴァンニ、横、1匹抜けたよ」
「ユージン、踏んでくれるかい?」
「ロベルト、俺は野郎を踏んで喜ぶ趣味なんかねえ」
「なに馬鹿な事言ってんのアンタ?ロベルトじゃなくてモンスターを踏めって意味よ。カーフェイ、そっちに1匹行ったわ」

本当に楽しくやっているようだ。
ちょっとだけガイのオニギリ斬りとやらを見てみたいと思いつつ、は突っ込んできたモンスターを蹴り飛ばす。
鈍い音を立てて蹴り飛ばされた魔物は、斜め前にいる誰かの足にぶつかった直後、カーフェイによって踏み潰された。

「うわ、何か踏んだ!」
「静かにしろ、カーフェイ。多分、さんが蹴ったモンスターだ。・・・・・・さん、ちょっと痛かった」
「アーサーだったか。……悪かった。よく見えなかったので、方向を見誤った」

「グシャッつったぞ?あーあ、エンガチョ〜」
「16にもなってエンガチョって言うな」
「何だ、そのエンガチョとは?」

「まぁ・・・汚いって意味っス」
「子供が使う言葉だから、さんは覚えなくても大丈夫だと思う」
「そうか・・・・・・だが一応覚えておこう」

「先生は、絶対使わないで下さいね。俺の中の先生のイメージ崩れるんで」
「イメージはさておき、下品で幼稚な言葉だから、俺もできれば使わないでほしい」
「・・・・・・・・・そうか」

真面目に頷くを後ろから眺めながら、セフィロスは変な言葉を覚えてしまったと少し複雑になる。
彼女が士官学校に行くようになってから、日常生活で時折妙な言葉を言うようになったと思っていたが、やはり原因は生徒達だったらしい。
先日も夕食の最中に「ビニ本とは何ですか?」と真顔で聞かれ、説明に頭を悩ませたばかりだ。
出来ればあまり妙な言葉を覚えないでほしいと思う。


「おおおい!?何か変なの出てきたぞー!」
「ちょ、先生ー!これ無理ー!」

ジョヴァンニとガイの声に、後ろを歩いていた全員がハッとする。
武器を構えたまま後退してきた二人は、数人の生徒を連れながらすぐにこちらへ逃げてきた。
すぐ前を歩いていたアーサーとロベルトが、残る生徒の服を引いて下がらせると、前を照らすのはカーフェイが持つ懐中電灯だけになる。

「ちょ、前列俺と先生だけ?!」
「酷いなぁ、俺もいるよ〜?」
「カーフェイ、ガイ、下がっていなさい」
「灯りは俺が持つ。、任せたぞ」

賢く力の差を考えての撤退だが、敵前逃亡した友人達に取り残されたカーフェイは慌てたように剣を構える。
唯一前衛に残ってくれたガイが名乗りを上げているが、彼はすぐにの声で後ろに下げられた。
狭い洞窟内では長い刀を使えないセフィロスは、カーフェイの懐中電灯を奪うと、前方の暗闇に潜む敵を照らす。

「セフィロス、ソルジャーの方々を数人出していただけませんか?」
「その辺りは足場が悪い。そばに地面の裂け目があるから、少人数の方がいいだろう」

「わかりました。カーフェイ、ガイ、防御姿勢を崩すな」
「裂け目の底は突起したような岩がある。落ちないように気をつけろ」

気をつけるも何も、前は殆ど見えていないのだが・・・・・・と思いつつ、は敵の気配を捕らえようとする。
が、いきなり生徒が下がってきたせいだろうか。後ろでは生徒とソルジャー達が暗闇の中で混乱状態になっていた。

「ぶわー!何だ!?モサモサしたいい匂いの何かが俺の顔に!!」
「痛!引っ張らないで下さい!それ、俺の髪……ギャァァァ!だだだだ誰だよ今俺の股間撫でて掴んだ人!変態!痴漢!変質者ー!」
「危ないから生徒は下がっててくれ!って、ん?何だこの柔らかいの?」
「ぎゃーー!!誰よこの変態!ドサクサに紛れて人の胸揉んでんじゃないわよ!金とるわよ!?」
「おい、誰だマイラの乳なんか掴んだやつ!?変な期待してんじゃねえよ!こいつの乳はエセ乳なんだぞ!掴んでるのは胸じゃなくて背中の贅肉ゴホァ!!」
「痛たたたた!こら、生徒は早く後ろに下がりなさい!」
「ゴチャゴチャ騒いでねえでさっさと体制立て直しやがれ!いつまでそこにいるつもりだテメェら!」
「こらこらこら!狭い通路で押し合うんじゃない!全員動くな!順番に、落ち着いて動きなさい!」
「後ろからも敵が来た。ユージンは先に切り込んでこい。ロベルトとアレンも動けるな?」
「うん。大丈夫だよ、アーサー」
「皆、落ち着きなさすぎ」
「アーサー、俺も動けるぞぉ〜」
「まともな生徒がいてよかった・・・。ソルジャーも何人か動けるから、悪いが、君達の半分はあのイモ洗いを何とかしてくれ」
「待った!今人が増えたら、こちらは余計にゴチャゴチャする!」
「そうだ。こっちはこっちで何とかするから、そっちは生徒と一緒に敵に集中・・・痛たたたた!」

前方の敵に注意すべきとはわかっているが、後ろが五月蝿すぎて、気が散って仕方ない。
誰が何を言っているのか分からないほどの混乱ぶりに、セフィロスは構う気が失せたのか何も言わず、も小さく溜息をつく。
カーフェイとガイにまで呆れの溜息をつかれている彼らは、多分暫くあのままだろう。

後方の敵には何とか対処できるようなので、は気にしない事にして前方の敵に集中する。
セフィロスが照らす灯りだけでは、敵の姿はよく見えないが、その気配から少々大型だという事が分かった。

「逃げて正解だな……」
「俺、ちょっとしか見えないっス」
「気を抜いたら束縛されるよ〜」

「そうか。お前達はそのまま動くな。攻撃されても、気配と勘で何とかしなさい」
「何と!?」
「先生、指示が無茶苦茶〜」


笑ながら剣を構える二人を横目に、はじりじりと敵との距離を生めていく。
セフィロスが言った地面の裂け目が、どの辺りにあるのか知りたいところだが、そちらを照らされれば敵が見えなくなる。
敵は恐らく、こちらの注意が逸れた瞬間を狙ってくるだろう。
一人で戦うなら楽だが、傍に居る人間を間違って斬りつけては事だ。
その上場所は狭いし、後ろは塞がり、前もどれだけ進めば良いか掴めない。

出来れば、ここは前線に残った二人の生徒を主軸に戦いたいが、この状況ではやめた方がいいだろう。

「…二人とも、セフィロスの傍から動くな。防御姿勢を崩さないように」
「ウィ〜ッス」
「は〜い」

彼らが返事をすると同時に、はズカズカと敵に近寄り、向かってきた攻撃を容赦なく斬り払う。
手や牙を使わない辺り、植物系の魔物だろうかと考えつつ、顔面目掛けて飛んできた何かを掴んでみた。

「やはり植物か・・・・・・」

掌に感じるしなやかな蔦の感触に、は炎計魔法を発動する。
彼女を捕らえたと勘違いした魔物は、新たな蔓を伸ばしてきたが、それは彼女に触れる前に赤く燃えて灰に変わった。

蔓を辿った灼熱が、一瞬魔物の巨体を模ると同時に、小さな断末魔が響いて消える。
洞窟の出口から吹く風が灰を巻き上げ、一瞬顔を覆った彼女は、しかし次の瞬間背後に響いた少年の悲鳴に驚いて振り向いた。


一つ、小さく照らす灯りに、伸ばされたセフィロスの手と、大蛇に横から胴を食らいつかれたカーフェイとガイの姿が映る。
彼らの手から滑り落ちた剣が地面で音を立てるより先にその体は大蛇と共にぽっかりと口を開けた地の裂け目に吸い込まれた。

名を呼ぶ前に、は地を蹴り、カーフェイの体を貫く牙の1本を掴む。
それに僅かに驚く大蛇だったが、それは単に餌が1匹増えただけに過ぎず、振り払うでもなく彼女もろとも地の底へ引き摺り込んだ。

!」


体が土を擦る音に混じり、セフィロスが呼ぶ声が聞こえる。
だが、に答える余裕などなく、土と岩の壁が背中を傷つける痛みに顔を顰めながら、彼女は闇の底に氷系魔法を放つ。

壁に張り付いた氷が仮初の足場を作り、そこから突き出た突起が大蛇の胴を貫く。
少年達の体が衝撃に揺れると同時に、頭部を残して凍りついた大蛇の首が落ち、ガイの口から小さな呻き声が洩れた。

「悪いが、少し待っていろ」

言うが早いか、は彼らの傍に膝をつき、それぞれの体に刺さった牙を斬る。
自分の脇腹を貫く牙に目をやり、微かに顔を顰めたガイは、傍らで動かないカーフェイに目をやった。

胸に牙を貫かれた友は向こうを向いていて、顔が見えない。
呼びかけようにも、腹部に走る痛みに声は出ず、小さな呻き声が出るだけだった。

暗闇に、仄かな薄緑色の光が混じる。
カーフェイと自分を包む暖かなそれが、の回復魔法なのだと漠然と考えながら、彼は目の前の光景を呆然と眺めていた。

胸を牙に貫かれた友は動かない。
悲鳴も、呻き声も無く、唯一ある変化は、徐々に広がっていく胸元の鮮やかな赤だけだった。

そうか。
彼は死んだのか……。

淡々と浮かんだ言葉には、何の感情も湧き上がってこない。
ただの映像を見ているより、ずっと遠い場所から目の前の現実を見つめるガイは、何かブツブツ言いながらカーフェイの胸にある牙を掴んだへ視線を向けた。

暗闇のせいか、彼女の顔は青く、何時に無く余裕の無い顔には汗が滲んでいるように見える。
身を包む光は熱いほどで、仄かだった青緑の輝きは眩くさえ感じはじめた。

霞む視界の中、ちらりとこちらを見たと目が合う。
自分も終わりだろうか。
そう考えて、穏やかさとは程遠かった短い人生に、苦笑いが零れた。

「誰が死ぬ事を許可した?」

怒気を隠さない低い声で言われ、ガイは思わず目を見開く。
不機嫌そうな顔でこちらを睨むは、尊大な物言いさえ当然というような風で、カーフェイの胸にある牙を一気に引き抜いた。
抜いた牙を投げ捨てたは、カーフェイの胸に両手を当て、再び回復魔法をかける。

「もう少し足掻かんか馬鹿者。少しはカーフェイを見習え」

手当てと言える範囲から逸脱しているその行為に、ガイは目を疑って凝視したが、力の入らない体ではぼんやりと眺めているのと変わりなかった。
再びブツブツと何か唱え始めた彼女を、ガイはぼんやりと見つめるしかない。
の言葉を反芻し、その意味に気付いて友の顔へ視線を向けた彼の目には、小さく呻いて首を動かしたカーフェイの姿があった。

……あー、生きてたんだ。

彼が完全に死んだと思っていたガイは、申し訳なさより先に、その凄まじい生命力に感心した。
そういえば、彼は実習旅行でも一度死にかけたが助かったな……と、暢気に思い出したりする。

だが、どちらの場合も普通は助からないだろうと考えて、そうさせない目の前の女性にガイは視線を移した。
血色の失せたその顔は、今にも倒れるのではと思うほど疲れの色が見え、視線も僅かに揺れている。

自分たちより先に、この人の方が倒れるのではないか。そう、少しだけ心配になったが、それを回避する術を自分たちは持っていない。
僅かに上下し始めたカーフェイの胸を眺めていると、が立ち上がってガイの傍に移動する。
泥だらけで所々破れた服と、擦り傷だらけの顔に負けないほど、彼女の手は真っ赤に染まっていた。

「歯を食いしばれ」

この人がこんなに汚れた姿を見たのは初めてだ、と。ガイが暢気な事を考えている間に、は彼の脇腹に刺さった牙を掴んで言う。
慌てて奥歯に力を込めようとするが、やはりあまり力は入らず、けれど彼女はそれを待ってはくれなかった。

傷口に走る、擦れるような痛みと、異物が消える感覚。そこから一気に血が抜けていく感覚。
せめて麻痺でもさせてからやってほしいと我侭な事を考えたそばから、傷口が熱くなり、それが体中に流れてくる。

不可思議な、しかし何処か覚えがあるその感覚が何なのか。
考えている間に傷の痛みは消え、温もりに似た熱が脈打つように体中へ広がる。

目をぱちくりさせているガイを覗き込み、は小さく息を吐く。
揺れる視界に頭を振った彼女は、呆然としている少年と、目を閉ざしたままの少年へ目をやると、自分のこめかみをそっと押さえた。

絶えず回復魔法をかけながら、脳の奥に響く耳鳴りに顔を顰める。
洞窟へ入ってから感じていた妙な気配は、地の底に落ちた事で、遠いざわめきからこの嫌になるほど覚えがある耳鳴りへと変わっていた。
忙しい時に騒ぐ星の声に、はた迷惑もいいところだと内心悪態をつき、無理矢理意識から遠ざける。

横たわる二人の少年は、どちらも生きてはいるが、片方は完全に意識が無い。
一度も悲鳴を上げないカーフェイをじっと見下ろし、その頬にそっと手を伸ばした彼女は、冷たくなった彼の肌に眉を顰めた。
氷系魔法で作った地面に触れ、その冷たさに気付いた彼女は、今更と思いながら二人に浮遊魔法をかける。
風と炎の魔法で作った温かな風で二人の体を包み、大きく息を吐いた彼女は、冷たい氷の上にゆっくりと腰を下ろした。

加減する余裕もなく回復魔法をかけ続けたせいか、気を抜けば視界が揺れてしまう。
それでも、自分が死ぬ事が無いと分っている彼女は、その根源であるクリスタルを握り締めた。

『お主の体はその魔力あってこそ支えられておる』

シヴァの言葉が、ふと脳裏を掠めていった。
けれど、それが何だというのか。

目の前にいる彼らさえ救えない力など、何の意味も無いではないか。
数多の命を屠る事が出来る力を持ちながら、同等の救いは与えられない。
何と滑稽な事だろう。

僅かばかりの歳月を生きただけの少年が、死を退けようと足掻いている姿を前に、自分は気休めの魔法を使い、見ているしか出来ていないではないか。

希望の行方など知らない。
彼女は神でも万能の奇跡を持っているわけではない。
ただ強大な魔力を持ち、この世界では役にも立たない力を持って、無駄に長く生きただけだ。

余していた時を、僅かでも分け与える事が叶うならば。
叶わないと知りながら、願わずにいられなくなる。
過去、憎しみすら抱いた生を分け与えたいなど、おかしな話だとも思ったが……。

「ガイ」
「な…に…?」

「……生きたいか?」
「……多分…ね。……てゆーか、それ……俺…ヤバ……て…意味?」

小さく笑って答えた少年に、は微かに目を細める。
彼の頬についた血を拭い、深く息を吸って天を仰ぐが、救いの声は都合よく降ってきてはくれなかった。

セフィロスがいたなら、何か変わるかもしれない…と。
一瞬そう考えた自分の愚かさと臆病さに、彼女は自嘲の笑みを浮かべる。
誰かに縋る事は、都合の良い救世主を求める事は、逃避でしかない。

緊張に冷たくなった指先を温めるクリスタルの温もりに、はその感触を確かめるように深く目を伏せた。

心の中に一つ、迷いのような考えが浮かぶ。
混乱の内から零れ落ちたような、気休めになるかすら定かでない愚案。
保障も無ければ、結末の予測も無い、ただの無駄な悪あがきになり得るもの。


「皆……怒るだろうな」

その最たる人間になるだろう少年達を見つめ、自分を見る虚ろな瞳に、は微かに笑みを浮かべる。
彼女の意を察したか、訴えるように輝くクリスタルに魔力を注いだ彼女は、静かに立ち上がると剣を抜いた。
クリスタルを宙に放り、二つに斬った彼女は、手の中に戻って来たそれを強く握り締める。

運が巡ったとしても、遥か未来の形は曖昧で、想像が作る情景は温かなものばかりではなかった。
けれど、他に思い浮かぶ術も、迷う時間も無い。

「全ての咎は……私にある」

言いながら、剣を自分の腕に宛がったを、ガイは呆然と見つめる。
何を言っているのか、何をするつもりなのか、上手く働かない頭では理解出来ず、彼はただ淡く微笑む彼女を見つめていた。

「忘れるな。お前達は……決して私を許してはならない」

言うと同時に、彼女は剣を引き、己の皮膚を裂いた。
流れ出た血が白い肌を伝い、氷の上に滴り落ちる様を呆然と見つめるガイの目の前で、はカーフェイの顎を掴むと傷を口に押し付ける。
彼のものではない赤が口の端から頬へ伝い、やがて静かだった咽が小さく動く。
停止した思考の中、それがどんな意味を持つのかわからず、ガイは目の前の光景を見つめていた。

ゆっくりと、の腕がカーフェイの口から離れる。
眠ったように静かだった彼の体は微かに震え出し、開いたままの唇から呻き声が洩れ始めた。
驚き目を見開いたガイの前で、はカーフェイの体を抑え、胸に剣をつき立てる。
止める間も無く肌の上をなぞった刃は、塞いだばかりの傷の傍に新たな赤い線を作り、その痛みにカーフェイの声が大きくなった。

「いつか、今日を恨む日が来たら……死にたくなる日が来たら、今、私が与えるものを捨てろ」

成す術も無く見つめるガイの視線を感じながら、は痛みにもがくカーフェイの胸を押さえる。
狂気の沙汰だと自覚しながら、血が溢れる場所へクリスタルの欠片を押し込め、すぐに魔法で傷を塞ぐ。
苦痛に叫んだカーフェイの口に、血濡れのままの腕を当て、噛みつかれた場所から流れた血が更に腕を赤くした。

痛みのせいか、それとも、この行為のせいなのか。
意識を取り戻したカーフェイの目は虚ろだが、その肌は人の温みを感じられるほどに温かく、呼吸も穏やかなものへ変わる。

「もう少し、休んでいなさい」

ゆるゆると視線を彷徨わせるカーフェイの髪をそっと撫ぜると、はガイへと視線を向けた。
物言いたげな彼に、微かに瞼を伏せた彼女は、手の内に残るクリスタルの片割れへと視線を落とす。

「もう一度聞こう。…………生きたいか?」
「…………」

普通なら、決して首を縦に振らないだろう手段を目の当たりにさせて、選択権を与えるのか。
中途半端に弱気な人だと思いながら、ガイは呆けた顔でこちらを見つめているカーフェイに目をやる。

何が起きたのかわかっていないだろう友は、不思議そうな目で自分とを見比べ、考えるように視線を宙に彷徨わせていた。
理解が追いついていないのは自分も一緒だ。だが、がカーフェイにした事が、どういう事なのか……それは漠然とだが理解できていた。

どう答えても、この女性は同じ表情で頷くだけだろう。
否と答えれば、傍らの友はどんな顔をするか。他の友人達はどんな反応をするか。
諾と答えたなら、未来は何か予想外の形に変わってしまうのだろう。

「……ど…しよ…かな……」
「死ぬなよ」

はぐらかすための呟きに、掠れた声が答える。
つられて視線を向ければ、つい先ほどまで死に掛けていた友が、まっすぐに自分を見つめていた。

そうだろうと思う。
自分が彼でも、きっと同じ事を言っただろう。『嫌だ』と、『生きろ』と、無責任な願望を押し付けるだろう。
けれど、それは他人だから言える事で、その選択の後にある事を知っているガイは、まだ怖気づくだけの冷静さがあった。

「……迷うなぁ……」
「ガイ……」
「時間が無い。早く決めてくれ」

だよねぇ……。

徐々に薄れ始めた意識に、今更ながら自分の命が危うい事を自覚し、ガイは小さく笑みを零す。
手を包む温もりに、それがの手だと理解し、ゆるく握り返そうとするが指先は思うように動かなかった。

時間が無い事を漠然と理解しているのに、決めきれない心はどうしようかという言葉だけを繰り返す。
この身の終焉も、生と共に与えられる何かも、どちらも同じほど恐ろしい。
けれど、それを感じる間にも体の力は抜け、瞼が酷く重く感じ始める。

もう自分には選択の答えすら返せない。
それだけは理解できた。

「         」


薄く開いた瞼の隙間から、の唇が動くのが見える。
耳に届いた言葉は理解と記憶にさえ至らず、唯一瞳に映った血濡れの刃に、ガイはその先を予想しながら瞼を伏せた。



2009.12.22 Rika
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