次話 ・ 前話 ・ 小説目次 | ||
夢を見た。 広がる情景に亀裂が生まれ、硝子のように砕け散る。 伸ばされた青白い手は掴めず、宙を泳ぐ稲妻にも触れられず、眼前に佇む炎の獣の咆哮は遠い。 景色の破片は塵のように消え、現れたのは鮮やかな緑色の世界だった。 咲き乱れる花々と、吹き抜ける風に攫われる花弁。 懐かしく、つい最近にも覚えがある場所。 佇む嘗ての仲間は笑みを浮かべて佇み、木漏れ日の中に浮かぶ4つのクリスタルが、柔らかな日の光を反射する。 温かな世界に、心が穏やかな波に引き寄せられる。 けれど、そこに彼はいない。 それに気が付くと、温かな景色が酷く冷たく見えた。 振り返り、獣道の先にその姿を探す。 影さえ見えないその姿に、クリスタルが仄かに光を生んで身を包む。 求めるのは此処ではない。 これでは意味が無いのだと、光を振り払うように、獣道へと足を進める。 緑は色褪せ、空の色と交じり合い、果ての見えない砂漠へと変わる。 彼はそこにいた。 獣の咆哮は遠く、青い手は薄れ、泳ぐ稲妻は霧散していく。 道を遮るそれらに目を伏せ、けれど体は彼の隣へと歩いていく。 心は穏やかだった。 振り向いた彼はいつも通りだった。 それでいい。 それこそが、全ての答えだった。 Illusion sand − 89 黎明の空の下、露に濡れた草原は立ち込めた霧で白の世界へと変わる。 暁を飲み込むかのように現れ、瞬く間に窓の外を塗り替えた霧は、再び敵地へ向かう人々を阻むようだった。 セフィロスの後を追うように部屋から出たは、朝食の席に着いた途端、『霧が薄くなるまでは待機』という指示を受ける。 窓の外をちらりと見れば、霧は先ほどより濃くなり、数メートル先にあるチョコボの柵すら見えなかった。 確かに、これでは進みようがない上に、余計な危険も出てくるだろう。 時間が出来たことで、ゆっくりと食事をし出した面子に混ざり、も自分の食事が出るのを待つ。 向かいに座るソルジャーは、大きな欠伸をして窓の外を眺め、隣にいるソルジャーが半目で寝ているのに気付くと悪戯をし始める。 長閑なものだ……と思いながら周り見れば、瞼に目を描いて寝息を立てているガイとカーフェイがいた。 すぐに注意するべきか、それとも出発前まで寝かせてやるべきか。 考えている間に、彼らの向かいに座っていたロベルトとジョヴァンニが、笑顔で二人の瞼を突付いた。 驚いた二人の悲鳴と共に、一同からは笑い声と溜息が洩れ、居眠りしていた数名が目を開ける。 朝も早くから元気な事だ…。 そう半ば呆れつつ、ぐるりと面子を見回したは、そこにセフィロスがいないことに気がついた。 「失礼、セフィロスはどちらに?」 「ん?ああ、トラックだよ。本部に連絡してくるってよ」 「そうですか。ありがとうございます」 答えてくれたソルジャーに礼を言うと、は宿の外を見る。 が、霧がかかっている視界で彼の姿を見つけられるはずがなく、彼女はさして気にしないまま視線を室内へ戻した。 すると、何処か申し訳なさそうな顔をした宿の主人が、ソルジャーの合間を縫ってこちらに来る。 「お客様、申し訳ありませんが、お客様のお食事はもう少々御待ちいただいてもよろしいでしょうか?」 「ええ、かまいません」 「ありがとうございます。いやぁ、他の方々が思ったより沢山召し上がられたもんで……」 「出立まで時間がありますので、どうかお気になさらず。それより、この霧はどれぐらいで晴れるか、わかりますか?」 「そうですねぇ……天候が良ければ2時間ぐらいで晴れますが、そうでないと午後までかかるかもしれませんね。今の時期は大体そうなんですよ。ひどい時は夕方まで晴れない事もありますし…。そうそう、霧が多少薄くなれば進む事も出来るかもしれませんがね、その時は雷にも注意しなけりゃいけません」 「そうですか。ありがとうございます」 どちらにしろ、天候の回復を待たなければならない事に変わりはないらしい。 すぐに食事を作ると言って下がった店主を見送ると、は先に出されたお茶を口に運びながら、今日の動きへと頭を切り替えた。 今回の道程、不可抗力とはいえ、既に半日ほど予定から遅れているのは、どうかんがえても良くない状況だろう。 切迫した状況ではないが、この移動は生徒達にとって実際の任務の予行演習。ソルジャーにとっては立派な1つの任務だ。失敗に終るのはお互い痛いだろう。 魔光炉へ寄るのを取りやめるか、ジュノン到着を遅れさせるか。 判断はセフィロスに任されているが、無くなるとすれば魔光炉の見学だろう。 しかし、下手をすれば、ただミドガルズオルムを討伐してミッドガルに戻る事もある。 もしくは、討伐完了時点で生徒とソルジャーの行動が別になるか……。 いや、セフィロスが今本部に連絡をしているという事は、応援が来る可能性もあるだろう。 ただ、それはこの霧が早いうちに晴れれば…という条件の上にあるものだ。もし霧がずっと晴れなければ、予定も何もあったものではない。 生徒達とミッドガルに戻るのは苦ではない。 湿地を強行突破するような真似さえしなければいいと考えていると、宿のドアが開き、数名のソルジャーとセフィロスが入ってきた。 瞬間、それまで騒いでいた面子はピンと背筋を伸ばし、セフィロスへと視線を注ぐ。 「全員いるな?」 室内をざっと見て確認した彼は、全員席につくように言うと、宿の主人を呼んで話を始めた。 「湿地のモンスターは、昨夜の時点で3分の1程減らした。霧が晴れ次第出発し、ミドガルズオルムを討伐しつつ洞窟を目指す。ただし、10時までに霧が晴れない場合、ソルジャーの半分は生徒と共にミッドガルへ引き返す。もう半分は俺と共に待機し、応援のソルジャー部隊が到着次第、新たにミドガルズオルム討伐作戦を開始する。二分するソルジャーのメンバーは、追って本部から連絡が来るだろう。以上だ。霧が晴れるまでは此処で待機。くれぐれも、宿からは離れるな。」 一同の返事を確認すると、セフィロスは店主にコーヒーを頼み、自分がつく席を探す。 と、たまたまの隣に座っていたソルジャーと目が合った瞬間、その男は何を思ったか、ニカッっと輝く笑顔を浮かべると素早く椅子から立ち上がった。 『さぁどうぞ!』 そういわんばかりの目をしながら、席を立ったソルジャーは手で椅子を進める仕草をする。 仰々しい態度に、セフィロスは呆れて別の席を探すが、見れば部屋にいる殆どの人間が、同じ顔での隣を目で示していた。 …何なんだコイツらは…。 と会う以前、殆ど浮いた噂を流さなかったツケなのだろうか。 別に生真面目だったわけではなく、噂されるような遊び方をしていなかったに過ぎないのだが、それを知らない彼らは何かを勘違いしているのかもしれない。 拒否する理由は無いが、十分な居心地悪さを感じながら、セフィロスは大人しく譲られた席に腰を下ろす。 軽く振り向き、目礼したに頷き返すと、何故か知らないが回りが感心したように声を上げた。 「……何です?」 「放っておけ。馬鹿なだけだ」 軽く周りを見るに、サラリとそう返すと、セフィロスは出されたコーヒーを啜る。 何故周りが興味津々なのか、彼女は大体予想しているが、さりとて問題にする事でもないとしか思わなかった。 暫くセフィロスとを観察していた面子は、最初の挨拶以外全く会話しない二人に、体を動かすと言って宿から出て行く。 室内では、宿の主人が忙しそうに台所で動き、パンを焼く匂いが広が漂ってきた。 「誰の食事だ?」 「私です。他の方々が予想以上に食欲旺盛で、足りなくなったそうで…」 「寝坊した罰だな」 「否定はしません。……以前であれば、2〜3日ぐらい何も食べずとも平気でしたが……今はそうも言っていられませんから」 「……何かあったか?」 「ええ、少々……」 の少々は、大概少々では済まされない。 とはいえ、今朝の事で少しだけ予感していたので、セフィロスはさほど驚かなかった。 「もし生徒を連れて湿地を抜けた場合だが、洞窟を抜けたらそのままジュノンに向かう事になるだろう」 「魔光炉見学は中止ですか。時間調整を考えれば、当然でしょう」 「科学部は渋ったようだがな」 「…………」 幾ら事前に準備していたとはいえ、ただの見学で何度も時間を割こうとするなど、はたから見ても不自然だ。 普通は仕事の時間を余計に減らさず済んだと、喜んでも良いところだ。 訪れるのは科学者の卵ではなく、ただの士官学校の生徒なのだから、来ないと言われたならそれで良いだろう。 「ルーファウスからの指示があったらしい。士官学校の生徒を相手に魔光炉を見学させても意味は無い。見せるなら、ジュノンの軍事施設を見学させるのが普通だ、とな」 「……そうですか」 その案は、学校から神羅へ出した初回の要望書に書かれたものの、多忙のためと却下されたと聞いていた。 そこから何度か書類の遣り取りをしているうち、実習旅行のゴタゴタの中でおざなりになり、結果魔光炉の警備を見学する事になったと聞いている。 ルーファウスが言ったとなれば、実行される可能性は高い気がするが、昨日今日で受け入れられるか微妙だ。 いくら副社長と言っても、その権限にだって限界はあるだろう。ただの思いつきやボヤきを、周りが逐一実行するわけでもない。 「実際どうなるかはわからん。結局は、やはりこの霧次第だ」 「前か、後ろか……。どちらもさして変わりはしないでしょうね」 「……そうだな」 場所が変わろうが、周りを警戒しなければならない事に変わりは無い。 面倒など投げ捨てて、どこかに隠居してしまいたいと思っただが、考えてみれば、この世界で割合ゆっくりと生きている今は、十分隠居と言えかもしれない。 壁にかけられた鳩時計が6時を知らせると同時に、店主がようやくの朝食を持ってくる。 食事を始めた彼女の傍らで、セフィロスは窓の外をぼんやり眺めたが、まだ霧が晴れる気配は無かった。 「…セフィロス」 「ん?」 呼ばれて振り向くと、真剣な顔で千切ったパンを差し出すがいた。 何処か気鬼迫った目をしている彼女に、彼は頭に疑問符をうかべつつ、差し出されたパンを受け取って口に運ぶ。 しっとりしながらもパリッとした外側と、ふんわりとして滑らかな舌触りの内側。 口に入れた瞬間、口内に広がるバターの香りと仄かな甘みも、数十分前にセフィロスが食べたものと同じだ。 「美味いな」 「……」 美味しいから、お裾分けするつもりだったのだろうか。 普段の彼女の行動から、それはないだろうと思ったセフィロスだが、彼女が何を言いたいのか察する事は出来なかった。 パンを飲み込むまでじっとセフィロスを見つめていたは、普通の反応を返した彼から、テーブルの上へ視線を移す。 再び食事の手を進め、彼に食べさせたのと同じパンを口に入れてみるが、口の中には何の味も存在しなかった。 ただ、無味無臭の物体を噛み、飲み込むだけの作業。 目の前にある食事からは、確かにおいしそうな匂いがしているのに、いざ口に入れればそれはたちまちそれは消え失せる。 覚えのある感覚だった。それも、決して嬉しいといえない記憶だ。 食事をする様子を、じっと見つめるセフィロスを横目で確認し、はスープに手をつける。 だがそれも、他の料理同様、口に入れた瞬間に匂いと味が消え、無理矢理飲み込んだ喉にざらざらとした感触がある。水の味さえしない。 徐々に血の気が引いていくのを感じながら、は周りにある気配を探る。 怪しい者などいはしない。此処にいるのは、今の視覚で確認できる人間だ。 目に映るのも、平野の中にある小さな宿の食堂だ。 なのに何故、体の感覚が狭間にいた頃に重なる? 考えた瞬間、体は自覚したように現実を拒絶し、胃が異物を吐き出そうとする。 咄嗟に押さえ込み、フォークを置いただったが、体も心もすぐに落ち着けるとは思えなかった。 「、どうした?」 「少し……。ジョヴァンニ、残りを頼む」 「んあ?いいっスけど……」 テーブルで携帯をいじっていたジョヴァンニに、は残した食事を差し出して席を立つ。 ポカンとしながら受け取った少年を横目に、は口元を押さえながら、足早に洗面所に入って行った。 その後をすぐにセフィロスが追い、室内にいた生徒とソルジャーは顔を見合わせる。 洗面所に入ったセフィロスは、彼女の姿が見えないのか数度中を見回したが、奥から聞こえた水音にそちらへ向かった。 個室のドアを開ければ、便器に顔を向けているがいる。 そっと傍に膝をつき背を摩ってやると、彼女の体がびくりと震え、吐き出されたものが水に流れていった。 「出すなら全て出せ」 言う間にもは食べた物を吐き出し、やがてわずかな胃液だけしか出なくなる。 それでも、彼女の体は行為を止めようとせず、セフィロスが差し出した水さえ、飲み込んだ途端に吐き出した。 「、どうした?」 「……っ……」 治まったというよりも、体が疲れて吐き出せなくなり、彼女は彼に引かれるままその身を預ける。 青い顔で視線を彷徨わせたは、セフィロスの青緑の瞳を暫く見つめると、自分を支える手を力なく掴んだ。 冷たくなったその手をそっと握り返せば、彼女は安堵したように息を吐いて目を伏せる。 「…セフィロス…」 「何だ?」 聞き返す彼に、は薄く目を開けて彼を見つめると、暫くの沈黙の後に「水を」とだけ告げる。 すぐに差し出された水を、はまた彼の手を借りながら飲み干し、前かがみになっていた背をまっすぐ伸ばした。 目を閉じ、何度か起きる嘔吐感を押さえると、暫くして彼女は落ち着いたように姿勢を楽にする。 タオルで口元を拭い、大きく息を吐いた彼女は、セフィロスに支えられてようやく洗面所から出た。 「お客様、大丈夫ですか?何か…こちらの料理に不都合でも……」 様子を見にきた宿の主が、オロオロしながら聞いてくる。 近くの椅子に腰を下ろされたに、店主は心配そうに胃薬と微温湯を出した。 確かに、食事をとった直後に突然それを戻されては、店側としてそう心配するだろう。 一方、豪胆にもから貰った残りの食事を食べているジョヴァンニは、口をモゴモゴさせながら「別に平気だぞ〜」と言っている。 彼の隣に座っているアーサーも、軽く食事に手をつけ、おかしなところはないと呟いた。 それも、当然の事だ。 セフィロスの反応から考えれば、食事への違和感を覚えたのは自分だけ。 この世界の人間が、狭間の食べ物の感覚を得るわけがない。 当のは、吐き出したのは料理のせいではないと分っているが、周りから見ればそうではないだろう。 どう言えば騒ぎが少なく済むだろうと一瞬考え、はすぐに当たり障りのない答えを選ぶ。 「大丈夫、そちらのせいではありません」 「ですが……」 「ええ、最近、よくこうなりますから。ね、セフィロス」 不安が消えない店主に笑みを向け、は傍らの彼に視線を向ける。 彼女がそんな様子だった事などここ数日無く、どう頑張って見ても健康そのものだと知っているセフィロスは、彼女の言葉が嘘だとわかっていた。 それを予想しながら、同意を求める彼女の意図を察し、セフィロスは仕方無さそうに頷く。 本当に料理のせいなら、そうだとはっきり言うだろうし、偽るのならば相応の理由があるはずだ。 検討がついているならさっさと尋問してやりたいが、先にこの場を収めなければ動けない。 「よく吐くって……さん、それ……つわり?」 「アーサー、悪いが、身に覚えが無いのでそれはない」 ボソリと言ったアーサーの言葉に周りは驚き、は騒がれる前に否定する。 だが、その否定の言葉が逆に周りを驚かせ、目を丸くした面子は驚愕の表情でとセフィロスの顔を見比べた。 「俺も、身に覚えは無い」 「い、いや、でも1回ぐらいは……」 「それ自体の覚えが無い」 「…………」 ハッキリと、行為自体を否定したセフィロスに、周りの面子は驚愕の表情で固まった。 それはそうだろう。 がセフィロスと一緒に住んでいる事は周知だし、報道のおかげでルーファウスというオプションもついているが二人はただならぬ関係と認識されている。 にもかかわらず、行為自体に身に覚えが無いというのは、普通あんまり無い。 「セ、セフィロス、お前、体どっか悪いのか!?」 「俺、いい病院知ってるから、すぐ紹介してやるよ!」 「それとも心か!?心の悩みか!?」 「俺達でよかったら、いくらでも聞くぞ?」 「黙れ。俺は正常だ」 「さん、セフィロスさんの事、虐げてるんじゃないよね?」 「先生、それは流石に可哀想っすよぉ〜」 「そんなわけがあるか。お前ら私を何だと思ってる?」 「さん固すぎるんじゃない?セフィロスさんに気ぃ使わせてるんじゃ……」 「先生から誘ったら丸く収まるんじゃねえっすかぁ?」 「……ふざけた事を言う暇があるなら、外でトレーニングでもしてきなさい」 一気に騒ぎ出した周りに、とセフィロスは眉間に皺を寄せて深い溜息をつく。 予想外に妙な方向へいってしまった話は、若い青少年には格好のネタだったらしく、皆好奇心で目をキラキラさせていた。 玩具にされるなど冗談じゃないとばかりに、はさっさと胃薬を飲み、休憩をとると言ってセフィロスと共に寝室へ行く。 後ろで生徒やソルジャーが「早速!?」だの、「此処で!?」だの騒いでいたが、完全に無視をした。 寝室の扉を閉めると同時に、は自分の荷物を漁り、古びた瓶のハイポーションを一気に飲み干す。 まだ捨てていなかったのかと呆れるセフィロスは、その消費期限が気になりつつも、何も言わず空いているベッドに腰を下ろした。 暫く口をモゴモゴさせながら瓶を眺めていたは、黙って見つめるセフィロスに振り向くと、少し考えてから彼の向かいにあるベッドに座る。 が持つ回復アイテムの、あの凄まじくて何とも言えない匂いを覚悟していたセフィロスだったが、今日はそれが無い。 エリクサーじゃないからだろうかと思いつつ、の様子を観察していると、彼女は無言で掌を差し出してきた。 「何だ?」 「エリクサーください」 お前はマジックポットか。 普通はポーションかハイポーションぐらいで我慢するだろうに、事もあろうかエリクサーとは。 いや、彼女のHPやMPを考えると、その選択は間違っていないかもしれないが……。 セフィロスの場合、任務中に消費する回復アイテムは会社から支給されるので、どれだけ使おうと問題ない。 彼自身、エリクサーを使うほど消耗する事は稀なので、持っていても使わないのが常だった。 「私のは、昨夜飲んだもので最後だったので」 「そうか……」 ならば、もう二度とあの酷い匂いを感じずに済むという事か。 日々、の部屋にあるエリクサーの数をこっそり確認していたセフィロスは、昨日彼女が残り3本になったエリクサーを鞄に詰めていた事を思い出し、密かに胸を撫で下ろす。 どうせ使わないのだから…。という思いから、セフィロスは自分のエリクサーをに差し出す。 礼を言って蓋を開けた彼女は、すぐにそれを口元にもっていくが、瞬間、その秀美な顔が思いっきり歪んだ。 「臭っ……!」 セフィロスが初めてのエリクサーを目の前にした時と同じ反応をして、は瓶を思いっきり顔から遠ざけた。 信じられない物を見るような目で握っている小瓶を見た彼女は、心底驚いた顔をしてセフィロスに目をやる。 予想外のの反応に、セフィロスは微かに目を見開いて驚くと、の手からエリクサーを取った。 それを顔に近づけ、恐る恐る匂いをかいでみるが、それは普通のエリクサー同様、何の匂もしない。 「何の匂いもしないが?」 「な、そんなはずないでしょう?凄まじい刺激臭ですよ?」 「だが、俺は何の匂いも感じない」 「…嗅覚がやられたのでは?」 「そんなはずないだろう」 言いながら、ズイッと瓶を差し出すセフィロスに、は渋々とそれを受け取る。 不信感が露な目で瓶を見つめ、再び顔を近づけた彼女だったが、その顔は嫌悪にゆがみまくっていた。 がここまで心底嫌がる顔を見たのは初めてだ。 滅多に見られない事からくるお得感と、徐々に困り果てたものへ変わっていく彼女の表情に、セフィロスは不謹慎にも頬を緩める。 緩めるというか、抑えようとしつつも口の端が嫌な感じに上がっていく。 正直、楽しくて仕方がなかった。 少しの間瓶の匂いと戦っていただったが、ふとセフィロスの肩が揺れたのが視界に入り顔を上げる。 そこには、ニタァと笑って自分を観察するセフィロスの顔があった。 「セフィロス……貴方、何笑ってるんですか?」 「気にするな。早く飲むといい」 ニヤニヤしながら言葉を返す彼に、ルーファウスに似てきたんじゃないかと思いつつ、は意を決してエリクサーに口をつける。 口内に広がったのは、マッタリしつつも酸味のある香りと、様々な生薬や草を臭みのある肉と共に煮たような味。舌の上でシュワシュワとする炭酸の感触だった。 「っ!!」 味覚どころか美的感覚すら破壊しそうなエリクサーに、の額には一気に汗が噴出し、目には生理的な涙が浮かぶ。 慌てて吐き出す場所を探し、ベッドの下にあるゴミ箱を見つけた彼女は、残像が見えそうな速さでそれに手を伸ばした。 が… 「吐くな」 ゴミ箱を掴もうとした瞬間、セフィロスの手がの腕を捕らえ、もう片方の手が彼女の口元を押さえつける。 目を見開いた彼女の目には、目を爛々と輝かせる心底楽しそうな笑顔のセフィロスがいた。 「〜〜!!」 「飲み込め」 この鬼! 驚愕と同時に抗議の視線を向けるも、彼の手がの顎を上に向かせ、口の中のものを飲み込ませようとする。 必死に抵抗し、彼の腕を引き剥がそうとするだが、男女の力の差の前には勝利を掴む事は出来なかった。 吐き出すことは不可能と悟ると、は身を切る思いで口の中のものを飲み込む。 瞬間、口の中にあった味と臭いが消え、苦痛かと思っていた咽越しが予想外に爽やかな事には驚いた。 何かが体の中に広がっていく感覚と同時に、肩が軽くなり、頭もスッキリとしてくる。 予想外の効果に、は目をぱちくりさせ、残っているエリクサーを見つめた。 「どうだ、?」 「…………回復しました」 「…………それだけか?」 「それだけですよ」 「……我慢しなくていい」 「本当に何でもありませんよ?」 「……チッ」 「何ですかその舌打ちは」 悶絶するだろうという期待に反し、ケロリとしているに、セフィロスは隠すでもなく大きな舌打ちをする。 普段色々と驚かされたり心配させられたりガッカリさせられたりしているので、偶にできる良い復讐だと思ったのだが、結果はいつものガッカリだったようだ。 やはり滅多な事はするものじゃないらしいと納得すると、セフィロスはを解放する。 再び瓶を口に近づけたは、また匂いをかいで顔を顰めたが、先ほどのように酷い拒絶反応は起さなかった。 「お前は…どんなゲテモノでも食えるのか?」 「貴方私を何だと思ってるんですか?」 あれだけ嫌がっていたものを、再び口にしようとするに、セフィロスは思わずボソリと言ってしまう。 眉を顰めて睨み返してきただったが、その行動が行動だけに、彼は無言で目を背けた。 「……鼻が慣れたんでしょうか…。先ほどよりは臭くありません」 「俺は最初から何の匂いも感じていない。そのエリクサーは、元々無味無臭だ。俺には、お前のエリクサーの方が臭くてかなわん」 「私のエリクサーだって無味無臭ですよ」 「らしいな。世界の違いか何かだろう」 他に理由が思い当たらないと付け加えると、セフィロスはベッドに座り直し、は残っていたエリクサーを飲み干す。 一口、二口と口に入れる毎に、先ほど感じた強烈な味と臭いは無くなり、最後の一口の時には本来の無味無臭の液体になっていた。 「不思議なものですね……」 先ほどまでは気にしていなかったのに、飲み干した後、体の感覚が妙にハッキリしたような気がする。 昨夜から強くなっていた、この世界の中での異質な感覚も薄くなり、むしろこの世界に少し馴染むような感覚さえした。 首を傾げるに、セフィロスはちらりと視線を向けると、空瓶を受け取ってゴミ箱に入れる。 その時、ふと中に入っていた空瓶を見つけ、それが昨夜彼女の枕元にあったエリクサーの瓶だと気がついた。 「」 「はい」 は自分の掌を見つめていたは、声をかけられて彼の方を見る。 ゴミ箱から、昨夜飲んだ2本のエリクサーの瓶を出したセフィロスは、無言でそれを彼女に差し出した。 「ああ、それですか」 「…昨日、何があった?」 そういえば、話しておかなければならかったのだと言いながら、は瓶をゴミ箱に戻す。 真剣な顔の彼に、怒られなければ良いが…と思いつつ、は昨夜の事。召喚獣を呼べなくなった事を伝えた。 | ||
2009.11.12 Rika | ||
次話 ・ 前話 ・ 小説目次 |