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質の良いデスクの上、乱雑に置かれた書類に囲まれながら、スカーレットはキーボードを叩いていた。 開いたままのファイルに一瞬目を向けた彼女は、同時に視界の隅に入った人の足に顔を上げる。 「調子はどうだね?」 「いつも通り最悪よ」 蛍光灯で明るい室内とは不釣合いな、痩せて病弱そうな科学者に、彼女は微かに眉を上げた。 薄汚れた白衣には何か分らない黄緑色の液体が付着し、彼の薄気味悪さを倍増させている。 「何の用?」 「先日頼んでいた物はどうしたかと思ってね」 キーを叩きながら訊いたスカーレットは、宝条の言葉に手を止めて数秒考えると、思い出したように散らばる書類を漁り始めた。 下部に神羅総合医療センターと印刷書かれた書類を見つけ、ちらりと内容を確認すると、それを待っている宝条を見る。 「一応あるけど・・・数値は狂ってるわ」 「ああ。だが聞いた話では、その狂ったデータをタークスは慌てて処分しようとしたらしい」 「あ、そ。私にはどうでもいいわ。でも、・に何かしたら・・・セフィロスも副社長も黙ってないわよ?」 「クァーックァックァ!構わんよ、セフィロスにも利はある話だ」 至極愉快そうに声を上げた宝条に、スカーレットは迷惑そうに耳を押さえた。 持っていた血液データを差し出し、変態染みた笑みを浮かべる宝条に、彼女は顔を顰めた。 「・・・何するつもりなの?」 「なぁに、ただの遊びだよ。暇つぶしのね・・・それじゃぁ、私はこれで失礼するよ。邪魔したね」 鳥肌が立つような、薄気味悪い笑みを浮かべながら、宝条はスカーレットの執務室を後にする。 相変わらず訳が解らない科学者に、彼女は呆れの溜息を吐くと、冷え切ったコーヒーを飲み干した。 Illusion sand − 39 シヴァらとの面接から1週間。 は既に退院し、当初の予定通りホテル暮らしをしていた。 ソルジャー試験のため来られないザックスに代わり、今日のの護衛の任はセフィロスが行っている。 本人の希望に加え、ソルジャーの上司にあたるタークスのレノの言葉があれば、余程の事が無い限り覆らない。 否応なしに目立ってしまう三人は、自然と避ける人々の中を歩きながら、約束の5分前に神羅ビル前広場に着いた。 平日の昼間だというのに、世界一の企業の周りであるためか、辺りはスーツを着た営業マンやOLで騒がしい。 目的の人物を探し、レノは設置してあるベンチを見渡した。 遅い昼食にありつく社員、腰を下ろして休む老人、パソコンと向き合う何処かの会社員。 他のベンチも見てみるが、彼らの姿は何処にもおらず、まだ来ていないのかと彼は首を傾げる。 まだ数分あるとはいえ、時間を過ぎているわけではない。 少し何処かで待とうかと、レノは後ろの二人に振り向いた。 が、見ればの視線は前ではなく、広場の外れに向いている。 何の事は無い、コンクリートの壁に据えつけられた石造りのベンチ。 老婆が一人腰掛けている以外、人の姿は見えないが、彼女には何か引っかかるものがあったのだろうか。 視線の先を辿ったレノの気配を察すると、は何も言わず、一人そこに向かって歩き始めた。 顔を見合わせたセフィロスとレノは肩を竦め、ベンチの間にある街灯の下で立ち止まった。 「貴方は昔も隠れるのが好きでしたね」 何も無い空間に話しかけ始めたに、レノは思わず1歩引く。 隣に居たセフィロスは、レノのように驚きこそするものの、足をひく事は無く彼女に近づいた。 だが、てっきりの隣に行くと思っていた英雄は、チラリとに視線を向けると、少し距離をとって空いているベンチに腰掛けた。 この反応の差により、通行人にはレノはの関係者、セフィロスは他人と認識される事となる。 『このクソ英雄!!』というレノの心の叫びは、誰に届く事も無かった。 「お前は昔も、見つけるのが得意だったな・・・よ」 風に混じり響く声と共に、が話しかけていた空間が波紋のように歪む。 驚く彼らの前、大きく揺らめく風景は渦を巻くようにその色を混ぜ合わせていく。 柔らかな午後の日差しの中、僅かに見える光の粒子が人の姿を模り、やがてそれは、写真で見た金髪の男へと姿を変えた。 呆然とするレノと、じっとその男を見るセフィロス。 事の中心であるは、何の感情を見せるでもなく、現れた男オーディンを見上げていた。 「変わらぬな・・・驚いた」 真っ直ぐに見つめる彼女の瞳に、男はを上から下まで眺め、溜息を飲み込むように言葉を紡ぐ。 何も言わず頷いた彼女に、男の瞳には憂いが過ぎるが、刹那のそれに気付く者はいなかった。 「お前は・・・・・・・・」 「話しは後にしてくれよ、と。此処じゃ人目につく」 思いつめるように口を開きかけたオーディンを、レノの声が遮る。 三人の視線を集めたレノは、ついて来いと言うように身を翻すと、神羅ビルに向かって歩き出した。 すぐさま後を追ったセフィロスに続き、もオーディンを連れ、ビルの中へと入っていった。 「担当直入に言おう。、我らと共に来い」 応接室が並ぶフロアの1室。 オーディンは席に着くなり、第一声でそう言い放った。 驚き微かに身じろぎするレノとセフィロスとは対象に、はただ思案するように静かに瞼を伏せる。 従うか、贖うか。 束縛を持たない彼女には、その意思の向くままに答える事が出来るだろう。 だが、黙する彼女に口を開く気配は無く、口を挟めないセフィロスはその横顔を見ているだけだった。 壁に背をあずけるレノもまた、何を言葉にする事も無く、傍観者となって2人を眺める。 と彼らが、ただの術者と召喚獣ならば、共に行こうなどと言いはしないだろう。 それ程深い中だったのか、それとも別の理由があるのか。 知る由も無い二人はまだ、事の成り行きを見る事しか出来なかった。 「此処はお前がいるべき世界ではない」 言わずと知れたことを、思いつめた顔で言うオーディンには苦笑いを零しそうになる。 今此処にいる事を否定されるのも、正直気分が良いものではない。 だが、彼の言葉も事実であるが、自分がこの世界に力を求められたのも事実だった。 召喚獣である彼らならば容易に出来る時空の移動も、には偶然が無ければ出来ないのに、彼らは何を言っているのか。 「、お前は帰らねばならない」 「方法があるなら、とっくに帰ってた。ずっと昔に」 「方法はある」 「・・・何?」 「閉ざされた狭間ではなく、この世界でならば、お前を生まれた世界へ帰す事が出来る」 「・・・・・・」 オーディンの言葉に納得しながら、の中にはどこか釈然としない気持ちがあった。 あれほど長い間閉じ込められ、足掻き己を傷つけても成せなかった事を、彼らは随分簡単に出来てしまうらしい。 それが、この世界にいるお陰であったとしても、あの日々が全く意味の無い事のようにさえ思えてしまう。 瞬間、自分が何の為に生きているのかと、その意味さえ失いそうな気がして、は拳を握り締めた。 ようやく手に入れた平穏を、彼は随分簡単に手放せと言ってくれる。 語る言葉が苦渋の選択の上なのか、その裏に苦悩があるのか、考えたくもなかった。 例え生まれた世界に帰ったところで、この世界へ来た時のように喜べる程、心は単純に出来ていない。 生き続けた時の中、この世界で過ごした瞬きにも等しい時間。 そこで手に入れたものは、数こそ少なくとも、この手に余るほどに大きかった。 偶然と必然が廻り合わせる縁に、二つと同じものは存在しないように、今与えられ得たものに代わるものなどありはしないのだ。 それを何故、易々と手放せるだろう。 「・・・・・今更・・・何処に帰れと?」 「お前がいるべき場所は、あの世界だ」 「もしこの世界が、私を望んでいたとしても・・・・か?」 「この世界の意思も、お前の意思も関係は無いのだ。誰よりおまえ自身が分っているのではないか?」 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・」 「・・・私・・・」 「お前の存在は許されぬ。これは誘いではない。命令だ」 再会を喜び、昔を懐かしむような事は期待していなかった。 だが、彼の口から出る言葉は、彼女が予測していたものよりも遥かに温みが無い。 得られたと思っていた自由は一瞬だったのか、はたまたただの錯覚だったのか。 小さく開いた胸の穴からは、黒く重い感情が湧き出し、油断すればすぐさま胸に溜まっていくようだった。 グラスの水にインクが滲んでいくように、侵食するように広がる闇は、彼女の喉を締め付けながら指先まで広がる。 「ふざけるな・・」 押し殺す声と、握り締めていた手が震えたのは、怒りのせいか、嘆きのためか。 判断する余裕も無いまま伸ばしたの腕は、微かに霞んだ視界の中、オーディンの襟を掴み上げた。 「ふざけるな!!命令?帰る?都合のいい事を並べるな!」 「ぐっ・・・」 「存在が許されないなら、何故私は生きているのだ!?何故今私を殺さない!?何故もっと早く迎えに来てくれなかったんだ!?」 「・・・・・・・・」 「帰って一体何がある?国も無い、誰も居ない、帰る場所など無いのに、喜ぶと思っていたのか?この世界でようやく得られはじめたものを、お前は奪うのか?!これ以上私に何を失くせと言うのだ!!」 「・・・・・・っ・・・・」 悲鳴にも似た叫びは、小さな部屋の中酷く響いた。 湧き上がる殺意を押さえ込み、暴れ出しそうになる魔力を抑えながら、は激高のまま締め上げたオーディンの襟首を乱暴に手放す。 微かに浮かんだだけだった涙も、零れ落ちる事無く乾き、喉を押さえ咳き込む男をただ見下ろしていた。 初めて怒りの感情を見せたを、セフィロスとレノは呆然と眺めるしかない。 これ程に感情を乱し、露にする彼女への驚きと同時に、吐き出された言葉の中に見えた弱音が、彼らからかける言葉を奪っていた。 だが、それもほんの一瞬。 数度の瞬きの間に表情を消した彼女の瞳は、その腕を突き動かした怒りさえ飲み込むような、酷く冷たい闇だけを映していた。 戦う者としでではなく、生き物としての本能が身を震わせ、レノとセフィロスの体にはじわりと汗が滲む。 体の内側からくるような寒気と、呼吸すら妨げるような威圧感は、人ならざる物との対峙のようだった。 「人の・・・世は・・所詮仮初。お前もいずれ分る日がくる」 「・・・・・・」 「たった一握りにも満たぬ時にこだわったところで、憂いが増えるだけの事。記憶はいずれ薄れゆく。痛みしか残さぬ。情を持ったところで、孤独しか残してくれぬのだ」 「だから・・・切り捨てろと?」 今にその命を奪われてもおかしくない。 そう思わせる程に感情が消えた彼女の瞳に、オーディンは目を逸らす事も無く静かに頷いた。 獅子を思わせる彼の金の瞳には、遥か昔に己を従えた女が、あの頃と変わらない姿で映っている。 一滴の涙も零さず、怒りに震えながらそれを理性で押さえつける様は、本当に千年前から変わっていない。 一つの年もとらず、過ぎ去った年月さえ夢であったかのような錯覚を覚える中、彼女の奥に垣間見えた闇が嫌な現実味を与えた。 仲間と肩を並べる程だった魔力は、それが赤子にも思える程強大となり、もはや幻獣である自分ですら手が届かないだろう。 かの世界の誤算は、終焉という止まりを得られなかったが為に、ただ一つの命から多くを奪っていた。 そしてまた、彼女が手に入れかけた泡沫のような希望すら、自分たちは奪わなければならない。 世界を滅ぼす事も容易い力を持ちながら、逃れる術の無い運命の鎖は、彼女の知らぬところでその身を繋いでいる。 生れ落ちた時より絡められた色の無い鎖は、もはやその意思にすら自由を許してはくれなくなっていた。 知らせなければならない事実が、知らせたくない事実と重なる今、それを口にしなければならない彼には、非情に徹する以外の道は無い。 知る必要がないと捻じ伏せられない現実が、余計に傷を広げ抵抗を促しても、他に道など存在しなかった。 「・・・・それは・・・目を背けているに過ぎない。ただ逃げているだけだ」 「違う。永久に生きる者達が行き着く答えだ。お前もいずれ必ず分る。逃れる事は出来ぬ」 「ならば永久の命などいらぬ。元より願わず手に入れたもの。今更惜しむ気も無いわ!」 「それは叶わぬ願いだ。よ、お前の前にある道は一つしかない。我らと共に行くのだ」 かつて、共に戦ったこの男は、これほどまでに冷徹だっただろうか。 梃子でも動く気配を見せないオーディンには、あの頃に感じた人のような温かさが感じられない。 それが流れてしまった時のせいなのか、それとも許されざる存在となった自分のせいなのか。 感情的になった頭では判断も出来ず、唯一手に取れる歯がゆさと悔しさに、は奥歯を噛み締めた。 「っ・・・・何故にそうまで・・・・たかが人間一人、いる世界が違ったところで何の問題がある!?」 「我らとて、お前がただの人であれば、このような事は言わぬ!」 「な・・・?!」 「だが、お前はそうではない。故に我らはこうしてお前を連れ戻しに来たのだ!」 「・・・何を・・・・言ってる・・・・?」 「解らぬか?解らぬフリをしているのか?しかし気付いているはずだ。違うか?」 何時に無く怖気づく心が、否、この体までもが、その先を聞くなと悲鳴を上げた気がした。 今だ胸の内にある怒りは変わらないが、否定しながらも過ぎる過去の叫びが、その頃に抱えた絶望を蘇らせるように心を冷ましていく。 それは一瞬であり、意識するにも足らない間だったが、確かに防衛本能が起したものだった。 「人は老いる。そしていずれ死ぬ。その肉体には時が流れ、その生には限りがある。定められた時を越え生きることは許されぬ」 「やめろ・・・・・」 「人の心は時として強く、しかしその肉体は驚くほどに脆い。訪れる滅びは避けられぬ」 「やめろオーディン・・・!」 荒波のようにざわめく胸の内が、握り締めた拳を震わせた。 彼の口が開かれる度に戦く心は嵐のようで、金の瞳から逸らせなくなった自分自身の瞳すら、恐れによるのか受け入れる気なのかわからない。 「許された力にも限界はある。それを越えれば、肉体は滅び、魂は崩壊しよう。だがお前はどうだ?!」 「聞こえないのか!?」 「よ、幾ら否定したとて、真実から逃れる事は出来ぬのだ!」 「違う、私は・・・」 「お前は人ではない」 その言葉は、世界が崩れ去る音のように聞こえた。 |
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前回までとは打って変わり、尻明日でした。 あえて一つ言わせていただくとすれば・・・・宝条の口調が・・・うん、ヨクワカンネ(汗) 2007.03.11 Rika |
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