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軍事要塞が丸ごと街になったかのような巨大な建物の中、海を面したガラス張りの執務室でプレジデントは悠々と煙草をふかしていた。 その対面に腰を下ろしているハイデッカーも、ルーファウス保護の連絡を待ちながら雑談に興じている。 セフィロスとレノが向い、拉致された二人に何かあるはずが無いと分っているとはいえ、心配している様子など欠片も見当たらない。 時計の短針が11と12の間を指し、そろそろ昼食にしようかなどと話し始めた頃、社長の懐から電子的な呼び出し音が響いた。 取り出した携帯の画面を確認し、どうでもよさ気な溜息をついた社長は、通話ボタンを押して受話器を耳に当てる。 「無事だったようだな。全く、あれほど注意しろと言っていたのにノコノコ誘拐なぞされおって・・・。 お陰で予定が大幅に狂ったんだぞ。今日の会議も、お前が居ないから延期に・・・」 「予想通りの反応だな。少しは無事を喜んだらどうだ?まぁ、言っても無駄な事か」 「やかましい!とにかくこっちは予定が詰まってるんだ。無駄口を叩く暇があったらとっととこっちへ来い」 「ああ、その事だがな。せっかくの海だ。どうせならヘリではなく、ゆっくり船旅でもしようかとな」 「な、何!?」 「も随分疲れているようだ。慣れない事で、ショックが大きかったのだろう。 このまま無理をさせれば、ジュノンに着いた途端倒れるかもしれない。 それに、どうやら彼女は海が懐かしいようだ。記憶を取り戻す切欠になるかもしれない」 「馬鹿者!会議はどうするんだ!もう記者達にも今日の夕方から会見だと・・・」 「心配するな。マスコミには、既に連絡した。 彼女の記憶の為になら、神羅は重要会議も遅らせる事すら厭わないつもりだと伝えておいた。 それほど悪い記事は書かんだろう」 「なんだと!?何を勝手な真似を・・・」 「悪いが、既に船に軍の運搬船に乗って海の上なんだ。そちらに着くのは2〜3日後だろう。 では、そろそろ携帯の充電が切れるので失礼する」 「な!?こら待・・・」 プレジデントの言葉を最後まで聞く前に、ルーファウスは携帯の電源を切った。 窓の外に見えるコスタ・デル・ソルの町並みは遠ざかり、エメラルドグリーンの海が船を覆う。 革張り椅子に腰を下ろしていたルーファウスは、携帯を仕舞うとクルリと椅子を回し、室内の応接ソファでくつろぐ3人を見た。 無関心無表情でコーヒーに口を付けるセフィロス。 ルードにでも報告メールを送っているのか、悪戯ッ子のような笑みを浮かべているレノ。 疲れているどころか、健康そのもので呆れ混じりに頬を緩めている。 デスクの端で電子音を鳴らす室内電話に、早速社長が電話をかけてきたかと、ルーファウスは容赦無く電話の線を引き抜いた。 その行動に、レノは小さく噴出し、セフィロスは横目でルーファウスを見てカップを置く。 彼が何をしたのか分っていないも、特に反応はせずに、ソファに移動したルーファウスを眺めていた。 「偶には休息も必要だろう」 社長の怒りなど毛頭思慮に入っていないように、彼は軽くふんぞり返りながらニヤリと笑って言い放った。 Illusion sand − 20 大海に吹く風が綿雲を運び、青の空に白い海鳥が飛び交う。 穏やかに波打つ海を進む船の甲板は潮騒に包まれ、頬を撫ぜる風が天空を舞う鳥の鳴き声を微かに届けた。 望む遠くの水平線は空と混ざり合い、薄青に浮かんだ大陸の影が時折波間に顔を見せる。 広がる情景は泡霧に変わった時に重なり、耳の奥で響く記憶の声を手繰れば、此処には居ない彼らを感じれる気がした。 見上げた空に、何処からか帆を張った船が、旋風に乗って現れそうな気さえする。 それは『もし共に帰られたなら』と、手放した夢に馳せた情景が、映し出されたようだった。 空高く舞い遊ぶ鳥が太陽を横切り、眩しさに目を細めると、髪を攫う風に誘われるように群青の海を見下ろす。 瞬き一つをする度に、移り変わる景色がある事に、心は飽きずに踊り続けた。 そっと目を伏せ、空を仰げば、柔らかな太陽が瞼の裏の瞳を照らす。 心地よい大海の寝息に身を任せていると、暫くして、近づいてくる静かな足音が聞こえ、彼女はゆっくりと瞼を上げた。 「まだ此処にいたのか」 呆れたように言って隣に来たセフィロスに、は微かに頬を緩めて再び視線を海へ向ける。 特に用事があった訳でもなかったのか、彼はそれ以上言葉を続ける事無く、体の向きを変えると、そのまま手すりに寄り掛かった。 「懐かしいのか?」 独り言のような問いかけに、は一瞬反応が遅れながら、ちらりとセフィロスを覗き見た。 横目で見つめるセフィロスと目が合うと、彼はそのまま視線を戻し、彼女も同じように視線を前に戻しながら小さく笑みを零す。 「また船旅が出来る日が来るとは思わなかった」 言って、は手すりから身を乗り出し、風を掴むように手を伸ばした。 掌の中で滑る様に逃げていく空気を掴みながら、深い群青に反射した陽の光を眺める。 気を引かれたのか、同じように海面を覗き込んだセフィロスは、何の変哲も無い海の青に興味が湧かず、それに目を細めている彼女を見た。 また彼女は、この世界の何かに自分の知らない世界の何かを重ねている。 「時々・・・・この世界が、自分の生まれた世界なんじゃないかと錯覚する事がある。 本当は、別の世界に来たんじゃなくて、帰ってきたんじゃないか・・・ってね」 紺碧に漂う白綿を眺めながら、星夜の時のように語り始めた彼女に、セフィロスは黙ってそれを見つめていた。 呟く言葉は、自分の感情が追いつける場所には無い。 それに彼女との隔たりを感じて、胸の片隅に芽吹いた妙な焦燥感に、彼は知らないフリをした。 「思い描いていた情景は、この世界とよく重なる。新たな景色を見る度に、忘れていた事を思い出すんだ。 ずっと忘れてて、もう無くなったかと思ってた・・・昔の記憶・・・。 断片的でしかなくて、でも本能的な部分で覚えてる。 狭間に居た時には、思い出したくても出来なかったのに、変な感じだ・・・」 「時が流れれば、記憶など薄れていくものだ。切欠があれば思い出す。そういうものだろう」 「・・・・・・・・そうだな」 忘れた事の多さは違っても、現状は他の誰とも変わりない。 思い出は色褪せ、やがて消えていくもの。 だが、それを知りながら、無くしたくなかったと思う事は愚かだろうか? 己が名を忘れ、声を忘れ、友の名を忘れ、その顔を忘れ、生まれ育った国の名も情景も忘れてしまう事すら、自然な事なのだろうか? だが、それを問うたとしても、齢20程の彼は答えに困るだけだろう。 私は長く生き過ぎたようだ。 一人でいる時も長すぎた。 彼の言葉は自然な事だと解っているのに、理屈とは別の所が邪魔して当たり前と思う事が難しい。 手に入れた幸福に喜びながら、過去の全てが記憶から消えていく事を恐れ、断片をかき集めながらそれを抱えて行きたいと、贅沢な事を考えてしまう。 「愚かな事だ・・・」 呟いた声は瞼の裏に揺らめく情景と共に、誰に知られる事も無いまま風に流され消えていく。 『今』という思い出も、やがて霞の彼方に消える日がくるのだろうと、無情とさえ思える時の流れに、は微かに目を伏せた。 次元の狭間をから逃れても、死という終焉が無ければ、何処にいても考える事は変わらない。 手を伸ばさずとも得られるものが、絶望か幸福かという違いであった事が、幸いだろう。 現実を確かめたくて、潮風を掴もうともう一度手を伸ばす。 指の合間をすり抜ける風が、全身を型取るようで、掌に感じる冷たささえ愛しおしく思えた。 自分の存在を感じられる事が嬉しくて、更に強くと、求めるように手すりから身を乗り出す。 途端、黒皮のグローブをはめた大きな手が腕を掴み、もう片方の腕が慌てての身体を押さえた。 「・・・落ちる気か・・・?」 言われて、見下ろした数メートル下に広がる濃青の海に、は今自分が船の上にいる事を思い出した。 仮に落ちても、エアロや他の魔法を使って無傷で戻って来ることができるのだが、そんな事をセフィロスが知っているわけがない。 知っていたとしても、目立つので止められただろう。 「すみません」 照れたような苦笑いを向けるの目を、セフィロスは一瞬覗き込みながら、何も言わず彼女の体を手すりから離した。 掴まれた腕の感触は、手を離されても残っている。 それは、風を掴むより確かに、自分の存在を解らせてくれた。 何処か覚えがある大きな手の感覚は、栗色の青年の影と、遠い霞の彼方にある記憶を呼び起こした。 だが、その記憶が鮮明になるより先に、砂漠の夜に見た目の前の青年の姿が、彼女の脳裏に浮かぶ。 夢と現実と 過去と未来と 希望と絶望と 全てから目を背けながら、置き去りにする事も出来ないまま生きる時は長すぎた。 いっそ、狂う事が出来たら楽だっただろう。 だが、ただ生きることしか出来なかった時間は、確かにあの時終わったのだ。 この世界という現実から、虚ろな歪を彷徨う自分を見つけてくれたのは 今此処にある未来・現実を、教え・与えてくれたのは彼だ。 それは、暗闇から救い出してくれる光明のようだった。 「・・・・どうした・・・?」 遠くを眺めて不安定に揺れていた彼女の目が、次の瞬間地に足を着いたように変わってしまった事にセフィロスは軽く首をかしげた。 穏やかになっていく表情に、瞳も柔らかなものへ変わり、その中で眠っていた強い光が目を覚ます。 大丈夫だと語るような瞳は、きっと誰もが安堵し、微笑み返すのだろう。 だが、その薄皮に覆ってしまった感情の乱れ見透かすセフィロスの心境は、複雑なものだった。 己で立ち上がることを知っている彼女の目は、一つの助けも要らないかのように錯覚させる。 そして、それは一人では辺りを見回す事の出来ない人間よりも、遥かに手を差し伸べにくい。 強すぎる心が己の綻びに盲目とさせるのか、それとも彼女はそれすら知りながら一人で立っていくつもりなのか。 語られる言葉の中は、一見弱音にも思えるが、その背はどこか、誰の支えが無くとも風に耐えられるように見えた。 例え此処で自分が何を言ったとしても、は既にそれを知っているのだろう。 見返す瞳も、何処かを見る瞳も、そこにはいつも不安の欠片さえ見えなかった。 時が経てば、彼女は自力で、全てを受け入れた答えを出し、隠した心の揺らぎも無くなるのだろう。 「セフィロス・・・・貴方が・・・」 私が此処に居るのだと教えてくれる。 己が存在を教えてくれるのは、彼という存在なのだろう。 初めて会った日も、今も、この身体に触れ、虚ろな意識を取り戻させてくれたのは彼だった。 独り言のような呟きに、呼ばれた彼は言葉の途切れた彼女に首を傾げる。 小さく瞬きし、彼の目を見ながら、は柔らかく微笑む。 それに対し、何を考えているのか解らないと言うような彼の目に、の口の端が微かに吊り上がった。 ついからかいたくなる気持ちを抑え、一瞬怪訝な顔をしたセフィロスに、作り直した笑みを返す。 「・・・・何だ?」 「いえ、何でもありません。気にしないで下さい」 「・・・・・・・・お前は・・・何を考えているのか解らないな。 邪魔が居ない時ぐらいしか、気を抜くことは出来ないが、あまり深く考えすぎるな。 それでなくとも、これから考えなければならない事は多い」 「そうですね」 「下に行くぞ。長居すると風邪を引く」 「はい」 口にする気は無かったにしろ、結局のど元で詰まっていた質問をさせてもらえなかったセフィロスは、彼女を連れて甲板から降りた。 表面的な思考は一切理解させないくせに、覆い隠した無意識という感情を零す彼女に、彼はますますわからない女だと小さく息を吐く。 だからこそ、腹を探るような会話がじゃれ合いに似て、だが信頼に足る者だと思えるのだが。 彼女の意識と無意識に、掌で遊ばれている気がして、セフィロスは少々の悔しさを感じた。 階段を下りると、丁度ルーファウスの部屋から出てきたレノがいた。 こちらに気がつくと、彼は二人をまじまじと眺め、すぐに視線をセフィロスに向ける。 「丁度良かったぞ、と。副社長がアンタをお呼びだ。今すぐに」 「わかった」 軽く首を傾げ、微かに口の端を上げながらちらりとドアを見たレノに、セフィロスは返事をしてを見た。 それを眺めるレノは、小さく鼻で笑いながら、に歩み寄り、セフィロスを見上げる。 そっと彼女の顔を覗き込んだレノは、極上の笑みを浮かべて、女受けの良い声で話しかけた。 「これから予定は?」 「いえ、何もありません」 「じゃ、船内は見たか?暇ならつきあってほしいぞ、と」 「見回りに・・・ですか?」 「おっと、そういう言い方は色気に欠けるぞ、と。デートのお誘いのつもりなんだけどな?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 やはり彼は社長の身内なのではないだろうか。 小首を傾げて見下ろす青い瞳に、の訝しげな表情が映る。 その薄っぺらで女性にだらしの無いような態度は、本性なのか、探りを入れるための皮なのか。 少し困ったように表情を変えるレノに、その真意がどんなものであれ、油断しない方が良いだろうと判断した。 セフィロスは、レノの真意が分るだろうかと、は視線を上げる。 が、見上げようとした顔は、伸ばされたレノの指先にそっと押さえられた。 頬に触れる指先の感触に、レノに視線を戻しながら、随分なれた手つきだと感心していると、薄笑みの奥に不機嫌さを隠した彼の顔があった。 隠しているというより、意図的にそれが分るようにしているのだが、それを前面に出さないのは、女性に対する彼の配慮なのだろう。 「俺はアンタに聞いてるんだけどな、と。」 「・・・失礼。私でよろしければ是非御一緒させて下さい」 柔らかく微笑んだに、レノは口の端を上げ目を細めると、素早く彼女の肩に手を添えそっと引き寄せる。 との距離が縮まると、彼はその笑みを飄々としたものに変え、二人の遣り取りを眺めていたセフィロスを見た。 「じゃ、借りるぞ、と」 「ああ」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「何だ?」 「いや・・・・別に・・・何でもないぞ、と」 「・・・・・?」 特に何の反応も見せないセフィロスに、レノは内心拍子抜けする。 てっきり、ツォンに聞いた社長の時のような反応をしてくれるかと期待していたのだが、どうやら自分は安全圏扱いされているらしい。 それとも、年齢的にも素行的にも、自分が彼女を誘うのが普通だと思われているのか。 副社長のように、相手にすらされていないのか・・・。 どちらにしろ、焦ったり嫉妬したりするなら、からかってやろうかと思っていたレノは、彼の反応に小さく落胆した。 彼をからかって遊ぼうなどと、普段なら命がけなのだが。 がいる前でなら平気だろうと考えていたが、それ以前に彼は自分が何をしたかったかすら理解していないらしい。 否、それ以前に、彼がに対して持っているのは、恋愛感情では無いのだ・・・今のところは・・だが。 一方のセフィロスは、を誘って顔を緩ませるレノが、何故自分を見て残念そうな顔をしたのかと疑問に思った。 よもや自分も一緒に来てほしかったのだろうかと考えてみるものの、そんな事はまず無いだろうと、馬鹿馬鹿しい考えを追いやる。 ルーファウスには、先日の拉致事件で尻尾の先を掴まれたと言っていたも、今回は安全な船の中なのだから大丈夫だろう。 もまた、思いった以上に勘の良い彼らに、警戒を強めた。 とりあえず、この船の上にいる間は、本当にただの非力な女に徹するらしい。 実際の所を言えば、彼女の力がどれ程のものか、レノになら例えバレても問題は無かった。 彼の場合、他言しないと約束さえしてもらえれば、決して口を割る事が無いと信頼出来るからだ。 社長やハイデッカーに口を割れと言われたら、仕事上どうかはわからないが、あの二人の勘がそこまで働く可能性は皆無に等しい。 が、もしレノだけでなく、他の人間にバレた場合は、間違いなく面倒事になるのは明らかだった。 合同作戦時点で、ミッドガルで彼女の容姿云々についてミッドガルまで届く兵の伝達力を考えれば、船を下りる頃には本社に情報が行く事は間違い無い。 何故その技量や能力を秘密にするのか。 自身、知られても知られなくても面倒にはなるが、さりとて構わないようだった。 だが、神羅の・・・宝条の事について話すと、彼女はその内容に眉を潜めて呆れながら、すぐに理解してくれた。 誰だって、実験動物にされるなんて嫌だろう。 が易々と捕まる事はないだろうし、大人しく実験体になる事は無いだろうが、神羅を敵にするのは厄介だ。 それに、少なくとも自分は彼女と戦うのは、力の面でも気持ちの面でも御免被りたいと思う。 「じゃ、行こうか?」 「はい。セフィロス、行って参ります」 「ああ」 静かに頭を下げ、レノに連れられて行くを見送ると、セフィロスは目の前の扉を叩いた。 叩きながら、出される話題を予想して、そのまま自室に帰りたいと溜息をつく。 すぐさま返事の返って来た扉を開けると、そこには案の定、不敵な笑みを浮かべたルーファウスが、コーヒーを入れて待ち構えていた。 嫌がらせにしか思えないルーファウスの『気遣い』という名の持て成しと、本日6杯目になるコーヒーを前に、セフィロスは胃が痛くなるのを感じた。 |
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苦労人セフィロス(笑) 2006.06.30 Rika |
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