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「ロベルトはさ、欲張りだけど欲が無いよね」

ガイの訳が分からない言葉はいつもの事で、その時もあまり気にはしていなかった。
何年か前の事なのに、今更になって思い出す。
それは多分、僕がそれを自覚したという事なんだろう。




Crown or Clown 01






反神羅組織から、半ば占領に近い形で手に入れた新・神羅軍本部。
聞こえはいいが、その実、建物自体は単なる廃墟だ。
ガラスが割れた窓からは夜風が入り込み、蝋燭がない灯篭の代わりに月明かりが廊下を照らす。
それでも、建物を覆う蔦が光を遮り、所々に闇がぽっかりと口を開けていた。

その廊下を、は足音を立てないように急ぐ。
着いたのは、広い空間だった。
吹き抜けの高い天井には、以前はシャンデリアを下げていたらしい鎖がいくつも垂れ下がっている。
無残に崩れたコンクリートの床には、逞しくも育った草が顔を出していた。

ホールの先にある大きな扉も、修繕の跡だらけで洒落っ気の欠片すら無い。
その開けっ放しになっている扉の向こう。
この廃墟の外には、暗闇の中にいる人影が見え、何人かの話し声が聞こえる。

その中に彼のものを見つけ、は間に合ったと小さく安堵した。

開かれた扉の向こうで、気づいた彼が振り向く。
剣と銃を持つ彼は、気を利かせて離れた仲間に少し目をやって、の傍に歩み寄った。


「…また、見送りか?」


声をかけたアーサーは、少しだけ目元を緩めて見つめてくる。
少し乱れた彼女の髪を指で梳きながら、彼は小さく溜息をついた。
その顔は、嫌そうでも、何とも思っていない風でもない。
けれど、喜んでいるとは言い難い表情だった。


「心配いらないって言ってるだろ?」
「……わかってる」



いつもと同じ言葉。
それに小さく答えながら、は少しだけ落胆した。

何度も繰り返す見送りに、彼はもう慣れてしまったのだろう。
自分が勝手に変化を期待しただけなのに、靄つく心が酷く重くなった。


「夜明けには帰ってくる」
「この間も、そう言って…1週間帰ってこなかったよ…」

「あの時は厄介な事が絡んだだけだ。今回は、そう大した内容じゃない。すぐ終るから、ここで待っててくれ」
「………」


言い聞かせる彼の声は温かい。
なのに、どうしてだろう。
いつからか、その言葉が、まるで自分を突き放しているように感じていた。
何度も同じ事を繰り返しても、アーサーはその姿を変えてくれない。
それが、壁を作られているようで、たまらない空しさを感じる。

「…本当に、大した任務じゃないの?」
「ああ。軽いもんだ」

「じゃあ、何で一緒に連れてってくれないの?」
「………」


いつもとは違う言葉に、どう言葉を返してくれるだろうか。

期待よりも、恐れの方が大きい。
それでも言ってしまったのは、素直なフリをして従う事が、辛くなってきたからかもしれない。

傍にいて許される存在。
仲間としてじゃなくて、アーサーという男の隣にいれる存在。
その約束の言葉が欲しいだけなのに、どれだけ我慢し続ければいいのだろう。

それをくれないのならせめて、戦う時ぐらいは傍にいる事を許してほしいのに、彼はそれすら与えてくれない。
一体何のために恋人という存在でいるのか、わからなくなる。


「アーサー、一度も私を一緒に連れて行ってくれない」
「………」

「私…一緒に戦ってるんだよ?守られてるんじゃないんだよ?」
「わかってる」

「わかってないよ」
「………」

「アーサー、全然わかってない…」
「………」


普段なら、これでは引き下がるのだが、今日の彼女は視線を逸らさなかった。
その瞳に、アーサーは僅かな怒りを見る。

今日の相方を一人選べと言われた時、選ばなかった事を怒っているのだろうか。
誰にしようか見渡した時、一瞬だけ目が合った彼女は、少し嬉しそうな目をしてくれた。
だが、アーサーは彼女が何を望まんとしていたかはわかっていながら、別の者を選んだのだ。
いつもの事だと、諦めてくれると思っていたが…。


次に連れて行ける任務があったら、その時は呼ぶ。

そう思ったとしても、今言葉にしたら、をぞんざいに扱ってる形になるだろう。

実際、アーサーだってを連れ立って任務に行きたいとは思っていた。
だが、今の彼の任務は危険なものばかりで、単なる個人的感情では相棒を選べなかった。

もしもが命を落としたら…。

考えるだけで、恐ろしくて震えそうになる。
そんな事になるぐらいなら、こうして言葉で噛み付かれている方が何倍も良い。


「出来るなら、連れて行きたいとは思ってる。でも、俺が付く任務は、お前じゃ荷が重過ぎる」
「…………」

「ヤバくなったら、ちゃんと逃げる。それに、俺はそんなに弱くない。這ってでも、必ず帰ってくるから…」
「そんなに…危ない任務なんだ…」


彼女の言葉に、アーサーの瞳が微かに揺れた。

どうしてこの人は、どんな時も、何も言ってくれないのだろう。
一人で勝手に抱えて、勝手に納得して、いつも自分を置いて行く。
肝心な事は、思っていることの半分も、口にしてくれない。


「…お前は何も心配しなくていい。だから、ちゃんとここで待っててくれ」
「…………」


が納得出来ないのを分っていて、アーサーはそう言っているのだろう。
顔を上げた彼は、見つめる瞳を受け流すように、微かな笑みを浮かべていた。

夜風に揺れる彼女の髪に触れ、指先にそっと絡めて遊ぶ。
そうされても尚、彼女の内に穏やかさは訪れなかった。


まるで、わざとらしい埋め合わせのようだと思う。

アーサーはいつも、それ以上の事触れてはくれない。
いつだって、『大丈夫』と。『心配するな』と。その言葉だけを繰り返す。
けれど、安心させようとしてくれるその言葉は、気にかける事すらさせてくれないのと同じだった。


「ちゃんと、帰ってくる。信じろ」


時計を見た彼は、まだ口を開こうとする彼女に背を向ける。
そのまま、何事もなかったかのように軽く手を振って、仲間と共に行ってしまった。


「………」



置き去りにされる心地が、いつもより強くなる。

どれだけ危険な任務の前であってもそうだ。
今も、まるで近まで散歩に行くように、アーサーは平然とした顔でいなくなる。

風に揺れた髪には、彼の指の感触が残ったまま。
もっと繋ぎとめれば良かったのだろうかと思う。
けれど、そんな事をしても、アーサーは自分を嗜めるだけで、結局行ってしまっただろう。


「…私…何なの…?」


呟きは、吹き込む風に攫われて消える。
静寂が孤独を呼び、は微かに目を伏せた。







呼ばれて振り向くと、玄関ホールの隅に腰を下ろしているロベルトがいた。
いつの間に来たのか。否、最初からずっといたのだろうか。

闇に隠れていた彼は、月明かりを辿るように、ゆっくりと足を進める。

何故彼が…と一瞬思ったが、今日の見張りはロベルト。ここにいて当然だ。
なら、今の遣り取りも、否応無しに終始見聞きしていたのだろう。

普通なら途中で声をかけるか、気まずそうにするだろうに、彼はまったく気にした様子が無い。
何も見ていなかったかのように、ロベルトはの前を通り過ぎると、開けっ放しだった扉を閉じた。


「あの…ロベルト、お疲れ様」
「うん…」

大きな音を立てて軋む扉。
月明かりは遮られ、辺りの闇が濃くなった。

「あ…それじゃ、私…、わっ」


帰りたいと言われる前に、ロベルトはの手を引く。
当惑する彼女に構わず、彼は隅まで移動すると、さっさとその場に腰を下ろした。

「おいで」

立ち尽くす彼女を見上げ、ロベルトは自分の隣を叩く。
笑顔のままの彼に、は少し考え、やがて大人しく彼の隣に腰を下ろした。

「…………」
「…………」

彼女が隣に来ても、ロベルトは何を言うでもなく、窓の外を眺めている。
自然と落ちた視線の先には、床を突き破って生えた草が、割れた窓から吹く風に揺られていた。
割れたガラスの間から、冷えた風が音を立てる。
けれど、室内に入り込んだ風は、ロベルトが壁になって、には届かなかった。

「ロベルト、寒くない?」
「これぐらい平気だよ」

「そっか」
「うん」


静かな玄関ホールでは、小さな声でもよく響いた。
普段は何処かの部屋でする会話なのに、空間が違うだけで何か違って思える。
雲が出てきたのか、月明かりが薄れて、視界はより濃い黒に染まっていった。


「何か…恒例になっちゃってるよね、ロベルトとこうして話しするの」
「気にしなくていいよ。役に立てるのは、嬉しいから」

「ありがと」
「アーサーに見せたら、少しぐらい焦ってくれるんじゃない?」

「…そう、かな…」
「アーサーは、結構のんびりした性格だから…きっとね」


焦ってくれるのだろうか?

アーサーが、それだけの感情を自分に持ってくれているのか、は自信が無い。
それを言う度に、ロベルトはおかしそうに笑って「大丈夫」と言ってくれる。
でも、近づこうとする度、何の変化も見せてくれないアーサーに、自信など持てるはずがなかった。


「…家出しちゃおうかな…」
「ダメだよ?そんなの」


真面目な顔をして言うに、ロベルトは呆れ交じりの苦笑いを浮かべる。
口を尖らせて拗ねた様子の彼女に、彼はクスクス笑いながら、遠い月を眺めた。


「もしがそんな事したら…追いかけて連れ戻しちゃうよ?」
「…そんな事、してくれるかな…」

「するよ。戻るのが嫌なら、二人で何処かに逃げようって、言ったりしてね…」
「アーサーは責任感強いから、そんな事言わないよ、きっと」

「……。そうだね」
「うん。そう」


相変わらず鈍いというか、ズレているというか…。
アーサーがそうするという意味で言ったのではないのだが…。

あえて『自分が』と言わなかったのだから、こんな反応は予想していた。
それでも、何の違和感も無くアーサーの事だと受け取るのだから、彼女の中には他の誰もいないのだろう。

とっくに分っている事なのに、ロベルトは少しだけアーサーが羨ましくなった。
こんな感情は不要だと、ずっと前に自ら手折ったと思っていた。
けれど、彼女と過ごす時が経つほど、深く根をはっていた事を思い知る。


「きっと…君が思ってるより、ずっと…大切に思ってる」
「………」

「今までも。これからも…ね」
「………うん…」


上手く伝わらないと分っていて、ロベルトは言葉を続ける。
それは狡さか、臆病さか。
多分どちらでも良いだけだと思いながら、彼はに目をやった。


「でも…ね。アーサー…私には、殆ど何も言ってくれないの。…危ない任務の時とか、何かに悩んでる時とか…少しぐらい言って欲しいじゃん。でも、アーサー、気にするなって言うだけで…。凄い、壁…感じるの」
「何も言わないのは、アーサーの癖みたいなものだから、気にする事ないよ」

「そう…なんだけど、ね。……時々、アーサーが何考えてるのか…わからなくなるの」


他人から見れば、二人の思考は手に取るようにわかるが、当の本人達ではそうもいかないのだろう。
いつまで経っても世話が焼けるというか、何と言うか…。

それでも、そんな二人を見るのが好きな自分に、ロベルトは知られぬように笑みを零す。
長い事じれったい関係を続ける二人は、皆の良い見物になっているが、本人達は気づいていないだろう。

もう少し楽しませてほしい気持ちが半分。
そろそろどうにかしてやりたいという気持ちが半分。
その裏に、別意味でどうにかしてやろうかという、邪な気持ちが少し。


「うーん…どうしようか…」
「どうにかできれば悩まないよぉ〜…」


楽しそうな顔のロベルトを恨めしげに見ながら、は膝を抱えて情けない声を出す。
人の顔を見てクスクス笑う彼に、何て失礼な人だと、彼女は口を尖らせた。

「笑い事じゃないんだよ私はー」
「ごめん。でも…」

「……何?」


不意に黙ったロベルトを、は首をかしげて見上げる。
顎に手をやり、暫し思案した彼は、やがてゆっくりと彼女と視線を合わせた。


「ロベルト?」
「…………そうだね…」

「え?何が?」
「ふふっ…仕方ない…か」


な、何か…企んでる?

柔らかく笑いながら、目は獲物を前にした鷹のよう。
悪戯前のガイに良く似た表情のロベルトに、は少しだけ嫌な予感がして彼と距離を取った。
だが、すぐにロベルトが肩を掴んできて、彼女は逃げられなくなる。

「ロ、ロベルト?どうしたの?」
「安心して。大丈夫、きっとすぐに状況は変わっていくよ」

「え?」
「だから、これから何があっても、僕に任せてくれる?」

「でも…うわっ」


混乱するに、ロベルトは笑みを消すと彼女の体を引き寄せた。
視界が閉ざされると同時に、温かいものに包まれたは、何が起きているか理解できず固まる。

今では良く知る事となったロベルトの香り。
頬にくっつく肌から伝わってくる、早めの心音。
少し冷たいたシャツと、強く捉える腕の感触。

既視感ではなく、確かに記憶にある状況に、は目を泳がせる。
目の前にあるのが、ロベルトの胸板だと理解するのに、数秒かかった。

混乱しながら、慌てて身を離そうとするが、腕を捕らえた彼の手がそれを許さない。
意味がわからず顔を上げると、ロベルトは笑みを浮かべて自分を見下ろしていた。


「信じていいよ。僕は、何があっても、君にだけは嘘をつかない」


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