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共に過ごした日々は夢のようだった・・・と。 そんな言葉が過ぎる自分に、彼は刀を握り締め、彼女は、己の終焉を感じた。 Illusion sand − 72 「何だあれは・・・」 森の中から姿を現した魔物を、アンジールは遠く見る。 既に生徒達はソルジャーと合流し、演習を中止してミディールへと向かっていた。 残る8班の捜索に、出発地点を目指して進んだ彼が、荒野にポツリと出来上がった森へ向かおうとした矢先の光景。 生い茂る木々は大きいと言えないまでも、それなりの高さがある。 その上に見える魔物の頭と肩は、召喚獣の大きさを優に凌ぎ、これまで戦ってきたどの魔物より巨大である事がわかった。 敵意を感じるより先に、その気配の不気味さに鳥肌が立つ。 その存在こそ、目に映る現実として受け入れられるものの、魔物が纏う不可思議な色の霧と、肌で感じるその気配は何処か虚ろに思える。 まるでそれが、夢と現実の狭間のような、不自然な場所に存在するように、彼は全身の細胞が騒ぐのを感じた。 この世の者でありながら、この世の者ではない。 そんな言葉がしっくりくるような感覚に、彼は気を引き締めて走り出す。 セフィロスからの連絡は途切れたが、恐らく彼もあれを見て向かうだろう。 厄介事に重なる厄介事に、今日は厄日かと思いながら、ひたすらに魔物を目指して森を進むアンジール。 やがてその先に、こちらへ走ってくる薄灰色の制服を着た少年達と、最初に連絡がとれなくなったザックスの姿を見つけ、彼は足を止めた。 「ザックス!」 「アンジール!アンジールも来てたのか」 「その口ぶりでは、事態は大凡わかっているようだな」 「セフィロスが、を助けに行った」 「セフィロスに会ったのか?」 「生徒が会った。話混んでる場合じゃないんだ。アンジール、生徒達を頼む!俺、行かなくちゃ!!」 「おい、待て!」 焦りを抑えられず、早口で言ったザックスは、すぐに元来た道を戻ろうとする。 そのままでは敵の腹にも突っ込みかねない彼に、アンジールは慌てて彼の腕を掴んで止めた。 「離せよ!何で止めるんだ!?」 「お前が行ってどうなる!」 「どうにもならなくても・・・俺、友達なんだ!!」 泣きそうな声で叫んだザックスは、アンジールの腕を振り払って走り去る。 落ち始めた日に、夜の闇を纏い始めた森は、あっという間に彼の姿を見えなくさせた。 不覚にもその姿を見送ってしまったアンジールは、溜息をつきながら、ザックスの腕を掴んだ掌を見る。 そこに感じた、押さえ切れなかった彼の震えは、あの巨大な化け物へのものではなく、友を失う事への恐れなのだろう。 セフィロスがいるならば・・・という、彼への甘えを自覚しながら、友の為に行くザックスを止める気にはなれなかった。 止めようにもザックスの姿は既に見えず、多少の時間は許されるだろうと、アンジールはすぐに考えを切り替える。 あの化け物を目にして、自分が加勢に行くのは当然だが、せっかく見つけた生徒をほったらかしにするわけにもいかない。 すぐに森を出て、ソルジャーの誰かに託せば良いと考えると、彼は黙って自分を見る生徒へと目を向けた。 「すぐに森を出るぞ」 「いえ、アンジールさんは、行ってください」 踵を反そうとしたアンジールだったが、それは首を横に振ったアーサーによって留められる。 「あの魔物がこの森やエリアにいるうちに止めなければ、そのうち一般人にも被害が出ます。 俺達の安全より、今は魔物の討伐を優先してください」 「・・・お前は?」 「アーサー。この班の班長です。目的地がミディールで変更無いなら、自分達で行けます」 「校長の息子か・・・いいだろう。そちらは前に任せる。気をつけていけ」 「はい。それと、あの魔物は魔力を吸収するらしいので、魔法は使わないで下さい」 「わかった。じゃぁな」 ザックスを追い走っていくアンジールを見送り、アーサーは班員を見る。 ガイが戻ると同時に、アルヴァは、この先は自分で適当に生きると言って、いなくなってしまった。 傍にいては、またガイに寄りかかってしまうと、彼なりに考えたのだろう。 と言っても、その予想を言ったのはガイなので、実際アルヴァがどう考えたのかはわからないが。 彼の安否が少しだけ気になるものの、わざわざあの化け物に向かって行くほど、彼は頭の悪い人間ではない。 面白いぐらいすばしっこく、良くも悪くも運が強いらしいので、心配ないと言ったのは元反神羅組織の4人だ。 彼が抜けたおかげで、何故ガイが二人いるのかという説明や、そこから露見するかもしれない事実が隠蔽できる。 数ヶ月後、コスタ・デル・ソルの土産屋で元気に働くアルヴァを目にし、彼らは大層驚くのだが、それはまた別の話である。 絶えず叫び続ける魔物の声に、アーサーは木の葉の合間から覗く空を見上げる。 自分達をおいて一人立ち向かった彼女は、今まだ戦っているのだろうかと、彼は瞼を伏せ、短い祈りを天に捧げる。 それがへの勝利へのものか、それとも別の誰かへのものなのか、答えを出す時間が残されない彼は、目をあけると踵を反す。 「此処から離れる事を最優先にする。魔物が現れても、相手にするな。魔法も、念のためミディールに着くまでは禁止だ」 禁止も何も、この中にいるのはどれも剣術や体術しか使わないような面子ばかりなのだが。 回復魔法も使うなという意味だろうと考えると、班員達はアーサーに続いて走り出す。 森の外からも姿が見える魔物に、剣を抜いて戻りたくなる自分を抑えながら、すれ違うソルジャーにすら目を向けずに、彼らはただ只管ミディールを目指した。 「!返事をしろ!!」 柄に無く叫ぶ自分を見つめる余裕も無く、セフィロスは魔物の殻に刃を向けながら彼女に叫ぶ。 鉄さえ切り裂く彼の刃を前に、その殻は決して硬いものではないだろうに、未だセフィロスはその体に傷一つ付けられずにいた。 幾度その動きを捉え、刃を振り下ろしても、纏わり着く霧が殻の上に膜を張り、そこで刃が止められる。 が先につけた傷に、殻ではなく筋肉組織を狙いもしたが、結果は変わらなかった。 霧は彼を攻撃するでもなく、ただ魔物の体にまとわりつき、そして盾となる。 その正体が一体何なのか。 考える間はあっても、未だ魔物に咥えられたまま動かないに、そこへまで考えを働かせる余裕は無かった。 何度彼女の名を叫んだかわからない。 それでもは、自分の声に振り向く事も、返事を返してもくれなかった。 少しでも反応してくれるなら、この際「何ですか?」と、いつものように言葉を返して、緊迫した空気を木っ端微塵にしてくれても構わない。 認めたがらず、考える事すらしたくない結末であるくらいなら、そちらの方がよっぽどマシだった。 胸に眠る彼女の時計のお陰か、まだセフィロスには、の魔力を感じる事が出来る。 いつもの、力を使う時だけに感じられる魔力の波動のようなものが、今は彼の肌に触れる程強くなっていた。 これ程の魔力も、が力を引き出した所も彼は知らず、ならばこれは彼女が今も抗ってる証なのだろう。 この魔力が、が存在する証であるかのように、セフィロスは離さないように、見失わないように、感覚を澄ませて彼女の名を呼ぶ。 願いを繋ぐその魔力が、魔物が手にしたものだと知らない彼には、それは唯一つの希望だった。 まだ悲哀の色が無い声は、ひたすらに彼女へ向けられ、魔物の唸り声にかき消される。 茜の空に重なる砂の大地を目に映すに、それらの音は届かず、彼女は唯一耳に感じる時計の音で意識を繋いでいた。 いつの間にか無くしてしまったその音が、覚えがある花の香りを届ける。 暴れる魔物に体が翻弄されるのを感じても、痛みのないそれは夢を見ているような感覚でしかなかった。 狭間に居た頃は幾度と無く死にかけた事があったが、此処まで何も出来なくなった覚えはない。 もう終るのだろうか。否、ようやく終るのか。 嘗ては望んでいた終焉を感じながら、しかし目を閉じてそれに委ねようとは思えない。 不変ではないこの世界へではなく、生に縋っているのでもない。 呆然とする頭に過ぎる、この世界で過ごした日々と、その中にある彼らの存在が、まだ全てを終える事をさせなかった。 月の静謐が形となったような、銀の髪と青緑の瞳を思い出す。 初めて会った時の彼が脳裏に浮かび、この世界にいるのだと教えてくれた腕の感覚が蘇り、共に過ごした姿が関を切ったように溢れた。 何故こんな時、こんなにも彼の事を思い出すのか。 それを考える力さえ無い彼女の手に、温もりを分け与え、その震えごと包み込んでくれた彼の感触が鮮明に蘇る。 まるで、初めてこの世界にいたいと願った日、その瞬間に戻ったかのようだった。 掌に感じる感触をゆっくりと握り返しても、そこに答えてくれる感触は無く、鮮明だったはずの感覚すら指先から消えていった。 『傍に居ろ』 その言葉だけで、自分はどんな死地さえ喜んで越えて行けると思えたのを、きっと彼は知らないだろう。 それが嘗て主に抱いていた敬愛とは何処か違う気がしながら、未だ自分はその答えを見つけていない。 『後ろじゃない。俺の隣だ』 その言葉をくれたのは、いつだっただろうか。 薄れ始めた意識の中、今も耳に残るその声が、何処かで名を呼んでいる気がした。 そんな幻聴の中で消えるのも悪くないと、そう思う事が出来ないのは、彼の言葉を叶えたいと、自分はまだそう思えているのだろうか。 閉ざしかけた瞼の裏に、生きろと言って瞼を伏せた女王と、どんな時も生きる事だけは諦めるなと言った父の顔が浮かんだ。 「誓・・・は・・・必ず・・・」 掠れた声で呟くと、は瞼をこじあける。 未だ夢現が混じる視界の中、感覚を失った腕を上げ、彼女は魔物の牙へ力の入らない手を伸ばした。 表皮を覆う魔力の霧が、の腕に絡みつき、既に底が見え始めた彼女の魔力を、更に奪おうとする。 他者の手に渡っただけで、簡単に自分に牙を剥いた力を、彼女は牙から手を離すと手をかざした。 人の魔力で好き勝手するなと、そう言ったはずだ。 手に入れた魔力を己の色に染めきれないのか、魔物が纏うそれにはまだの気配が色濃く残る。 触れた瞬間、ぐにゃりと歪んだ魔力に、彼女は微かに口の端を上げると、自身に纏わりつく魔力を己の中に引き込んだ。 一度他者に奪われた力は異物感だらけで、元通りに彼女の体に馴染んでくれはしない。 それに加え、魔力を奪う、引き戻すという、試した事も無い芸当をしているのだ。 引き戻した魔力は、ほんの少ししか彼女の糧にならなかった。 だが、その行動が魔物には予想外だったらしく、その身を覆っていた魔力の霧が一気に歪み始める。 突然薄れ始めた霧に、セフィロスは注意を引かれながら、刀を振り下ろす。 これまで何の攻撃も効かなかった事が嘘のように、刃は魔物の殻を割り、その下にある肉を切り裂いた。 皮一枚で繋がるだけになった腕に、魔物は肩を振り上げて悲鳴を上げる。 天さえ震えるような咆哮に、顔を上げた彼の視線の先には、魔物の牙から解放され、地に落ちていくの姿があった。 それが本能であるかのように、足は地を蹴り、腕は彼女の体へ伸ばされる。 痛みに気を取られる魔物の懐に飛び込み、セフィロスはの体を受け止めたが、触れた瞬間彼女の体が一瞬空間のように歪む。 同時に、耳の奥で鳴ったあの砂の音が彼の中に響き、果てのない砂漠の景色が脳裏を過ぎった。 すぐに戻った景色に、セフィロスはの体を支えなおす。 人一人抱えての着地は、自分の体重以上の負荷があるはずなのに、体には自分の体以上の負担がない。 それどころか、地に足をついて尚、の体を抱きかかえる腕には、何の重さも感じられなかった。 初めて彼女に会い、その体を抱えて砂漠を走った時でさえ、人としてあるはずの重さはあった。 だが今、その手に、腕に、胸に、確かに彼女の感触があるのに、牙を受けていながら傷一つ無いその姿は、幻を抱いているような感覚を与えた。 体中の血が凍りつくような感覚の中、彼女に触れている指先が震える。 恐れに揺れる瞳は、血の気を感じないほど青白くなったの顔を映し、虚ろに自分を見上げる黒曜の瞳に止まった。 すぐに名を呼ぼうとした彼だったが、魔物注意がこちらに向いたのを感じてすぐにその場を離れる。 思うように動かないらしい魔物の攻撃をかわすのは容易で、セフィロスはを抱えたまま、森の中へ入った。 逃げた獲物に、魔物は叫びを上げて体を乗り出す。 血塗れの片腕と、肘の先から落ちかけた腕で体を支えたそれは、地の底へ続く穴から這って出てきた。 それをちらりと振り返ったセフィロスは、見えた魔物の下半身に驚き、顔を顰める。 穴に止まり続けていたのは、不完全だったからか、若しくは元々地上を歩き回る為の作りではなかったからだろう。 這い出てきた下半身は、殻で覆われた上半身とは違い、ドロリとした液状の、尾鰭のようなものだった。 辛うじて足のような形状はあるが、それは到底体を支えられるようなものではない。 魔物が地を這い、こちらへ近づこうとするほど、その霧と同じ色をした液状の体は草の上に広がる。 匂いが無いのがまだ幸いだったが、あまり近づきたくないと思う事に変わりは無かった。 魔物が、ロクに場所を移動できそうに無い体だった事を幸いに、セフィロスはそれとの距離を離していく。 自分が一体どちらの方向に走っているかはわからなかったが、今はただ距離を取る事が出来ればそれでよかった。 「セフィロス!」 前方から呼ぶ声に、セフィロスは走ってくるザックスと、その後ろから来るアンジールを見つけて足を止める。 同じく足を止めたザックスは、彼に抱えられたに表情を明るくしたが、力なく垂れたその腕に足を止めて表情を固めた。 ゆっくりとザックスの後ろについたアンジールは、二人の様子にすぐに事を察し、何も言わず視線を逸らす。 近づいて、名を呼ぶはずが、自分の声に顔を上げてくれない彼女の姿に、ザックスは何故か、それ以上近づく事が恐くなった。 血の気が無い肌の色は、暗闇と彼女の髪の色のせいだろうか。 同じくらい青い顔をするセフィロスは、無事だろうと目で問うザックスに、何も言わずへと視線を落とした。 虚ろな瞳は、どちらに顔を向ける事も無く、僅かな呼吸を繰り返す。 まだ生きているのだと安堵しながら、しかしその先は・・・と考えた自分に、ザックスは強く拳を握った。 何と言えばよいのか、何も言うべきでないのかも分からない。 傍に行って、言葉をかけて、少しでも繋ぎとめて・・・そんな最後のような事を考える自分が許せず、ザックスは剣を強く握ると、悲鳴のような叫びを上げながら二人の横を走り抜けて行った。 無言だったアンジールも、すれ違う時にセフィロスの肩をそっとたたき、すぐにザックスの後を追って行く。 ザックスを引き止める事も、安心させる言葉をかけてやる事もできなったセフィロスは、彼女を抱えたままその場に膝をついた。 「・・・聞こえているか?」 ぼんやりと自分を見上げる瞳を覗き、彼は自分の一言一言を確かめるように、ゆっくり彼女に問いかける。 僅かに動いた唇は、その声を聞かせることは出来なかったが、僅かばかりとはいえ彼女が反応した事に彼は少しだけホッとした。 腕にある彼女の感触は、まるで空気のようで、何の温かさも感じさせてくれない。 血を流しているなら止血すればいい。 何処かを強く打ったなら、魔法をかければある程度回復する。 だが、傷一つ負っていないに、セフィロスは救命の措置が思い浮かばない。 何故彼女がこんな風になったのかも分からない彼は、己の無力さを感じながら、ただ彼女を見ているしかできなかった。 耳の奥で、ザラザラと流れる砂の音がする。 次第に大きくなるそれが、まるで終わりを知らせる音のようで、セフィロスは血の気が無くなった彼女の頬に触れた。 胸の中をかき回すような恐れと不安に、いつの間にか手に入れていた温かな何かが消え去っていく感覚がする。 彼女の頬を撫で、横髪を梳き、失いそうになる何かを補いながら、それに縋りつく自分に甘んじた。 微かに目を細めたの瞼はゆっくりと落ち始め、その瞳に映った青空と砂の海に、セフィロスは彼女の頬を包む。 銀の髪が頬にかかり、視界に影を落としていても、それは此処にいる自分を映してはくれなかった。 「・・・・行くな・・・」 彼女の額に自分のそれを寄せ、搾り出すように呟いた言葉は、耳を覆うような音に溶けていく。 乾いた咽は数多の言葉を吐き出したがるが、震える唇は上手く動かず、内側から裂くような胸の痛みに、彼は目をきつく閉じた。 「傍に居ろと・・・言ったはずだ・・・」 『御心のままに』 頭の中にまで鳴り響くような砂の音と、騒ぎ出した時計の音が、セフィロスの言葉を飲み込む。 その中で、微かにの声が響くと同時に、それまでそこにあった全ての音が消えた。 闇の訪れを知らせる風が、深い森の木々を揺らす。 朧な星が輝き始めた空の下、地を震わせるような魔物の咆哮は鳴り止まない。 | ||
2008.01.23 Rika | ||
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