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僅かに残るだけの遠い記憶には、鮮やかに生きる世界があった。

絶え間なく流れる時。
誕生と死を繰り返す命。太陽は昇れば必ず沈み、夜の闇は月が照らす。
人が生まれ、やがて死に、新たな命に生まれ変わる。

世界を支えるクリスタルは、絶えず世界を照らし続けた。
喜びも、悲しみも、苦しみも、安らぎも、全て、絶え間なく流れる水に流され、燃え上がる炎に照らされ、吹き抜ける風に乗り、暖かな大地に帰ってゆく。

当たり前と思っていた世界がこんなにも愛しい




Illusion sand 00 ―Prologue―




此処には何も無かった。

無限に広がる時空と対を成し、けれど隔絶された次元の狭間。
ここにあるのは、もう名も思い出せなくなってしまった仲間と戦った場所。
時を止めた太古の町。
永久に流れ続ける滝。止まる事を知らない流砂。

次元の狭間に規則的な時など在りはしない。
否、『時』すら存在するか定かではなかった。

手の中にある銀の懐中時計は、私の時に合わせて針を動かし続けている。
それは、正気を保つには必要不可欠でありながら、針が十二を超える毎に私を絶望の淵へ追い込んでいった。


此処に来た以前の事は、あまり覚えていない。
それはもう遥か昔の出来事。
もしかしたら最近だったかもしれない。

薄れてしまった記憶に残っているのは、今何より恋焦がれている世界を守る為に、この次元の狭間に来た事。
神の領域に足を踏み入れた存在と戦い勝った事。クリスタルが元に戻った事。

私がこの狭間へ残った事仲間と共に、本来居るべき世界へ帰ろうとした時、奴が私達を捕らえようとした。
次元の狭間に捕らえられ、幾万の年月を迷い続けていた魔物オメガ。

今思えば、彼も、今の私のように、この永劫の牢獄から出たかったのかもしれない。

飛空挺から垂れた鎖を掴み、引き寄せるオメガ。
遠のいていく遥かなる故郷の光。瞳に絶望の色をした仲間達。

こんな所で終わらせたくなかった。
だから私は、此処に残る事を選んだ。
飛空挺から飛び降りて、オメガの腕を斬り落として。
泣きながら名を呼ぶ仲間に、「必ず帰る」なんて、守れもしない約束を叫んで。

死は……とうの昔に覚悟していた事だった。
守れない約束は、彼らの心を縛り付けるかもしれない。
けれど、言葉は絶望を退ける。それがたとえ、偽りの光であろうとも……。
嘆きの闇に堕ちたとしても、彼らは必ず思い出す。

そしてこの約束を、光の導とするだろう


クリスタルが世界に戻れば、私はただの無力な人間に戻る。
魔物の巣窟である迷宮に残る者の末路など、考えるまでも無い。
再び陥れられた無間地獄に、怒り狂ったように向かってくるオメガ。
せめて仲間の姿が視界から消えるまでは…と。手に持つ剣を構えた私の胸に、熱い光が溢れた。
爺さんの意思か世界の意思か。
風・水・炎・土。四つのクリスタルは、反発し合う事なく混ざり合い、小さな結晶になった。
それが、私に戦う力を与えてくれた。

何度死にかけたか、数える余裕など無かった。
容赦ない攻撃を繰り返してくるオメガ。
血の臭いに誘われてやってくる魔物。
血を吐き、毒を受け、地に膝を着いても、私は戦い続けた。

感覚すら麻痺する血の海。
それはもはや、生き残る為の戦いではなく、獣同士の殺し合いだっただろう。

人生き残って得たものは、喜びや安堵ではなく、『絶対の孤独』だった。
此処には、共に勝利を喜び合う仲間は居ない傷を癒してくれる仲間が居ない。
肩を貸してくれる仲間が居ない。言葉を掛け合える仲間が居ない。

最期は静かに砂になったオメガ。
まるで、求めていた物を得たような光景が、自分の未来と重なった。

メビウスの輪のように、けれど不規則に繋がり続ける世界。
主の仇、同族の仇に、私の命を狙い続ける魔物。

自分がまだ生きているのだと確認出来るのは、魔物が襲い掛かってくる瞬間だけだった。
剣の腕は否応無しに磨かれていく。
だが、人間には許された限界というものがある。
だがある日、私は己の異変に気がついた。
人ならざる者の力。かつて己が対峙した者すら超える力の気配が己の中に存在するのを。

在る筈の無い現実に、気のせいだと言い聞かせても、剣を振るう度に己が人として超えてはならない壁を超えていくのがわかった。
望まずとも得てしまう力に、私は己への恐怖を覚えた。
いつかこの身が、異形の化物に変わってしまうのではないかと……。
一つの戦いが終わる度に水に姿を映し、まだ人の姿をしている己に、酷く安堵していた。

けれど、日にちを数えるためにつけていた壁の傷が、二〇年を超えていると知った時、年老いていない自分の姿に、全てを受け入れる覚悟をした。否、そうせざるを得なかった。
自分には時が流れていないないと誤魔化したかったのは事実だ。
だが、薄々感づいていた事が、現実だった。それだけの事だと、酷く冷静な自分が居た。



あれからどれだけの時が流れただろう。

夢に見るのは、光り輝く朧な世界。
雑音に紛れた懐かしい誰かの声。
薄れた夢は、遠い記憶の断片だったのだろうか。

目を覚ます度に感じる絶望は、美しい思い出を覆い隠し、段々と記憶を奪い取っていった。
もう、長かった旅の道程も、信頼し合っていた仲間の名も、呼んでくれた声も、自分の名前すら思い出せない。
死んだ爺さんに、何度化けて出て来いと祈っただろう。
何者かがこの命を奪い取ってくれないかと何度考えただろう。
挑み来る魔物は脆く、一瞬で地に伏して砂になっていく。
己を消してくれる存在を求めこの迷宮を彷徨い続ける以外、時を過ごす方法はわからなくなっていた。


町から離れれば、狭間に取り残された書棚の一角が、砂漠に埋もれるように残っている。
読み飽きた蔵書の内容は、皮肉にも次元の狭間についての本が多い。その中には、当然オメガについて記されている物もあった。

オメガ〜Omega〜
 次元の狭間に在り、幾千幾万の時を生きる悪魔。
 その力は巨大にして、人に倒す事は皆無に等しく、
 永久に生きながら、触れる者全てを滅ぼす存在。

何故、二度と読むことは無いと思っていた一文を探しているのか。
再びそれを読んだ時、私は自分を称する名が欲しかったのだと気がついた。

名を持ちながら、名を忘れ、誰と言えなくなった存在。
人間でありながら、それを越え、人間とは呼べなくなってしまった存在。
その私を、他にどう称する名があるだろう。
オメガを滅ぼした私が、第二のオメガになったのだ。


忘れ去った己の名を、思い出させてくれる者を求めていた。
思い出せないのなら、せめて新たな名を与えてくれる存在が欲しかった。
けど私は、こんな形で欲しかったんじゃない。

それでも、与えられた『オメガ』という名の存在を手放したくない私もいた。
認めれば、私は本当に人ではないと認めてしまう。
しかし否定すれば、自分は一体何者なのか。

二〇年の時を数えてしまった日から、刻み続けた岩壁の傷は何倍にもなっている。
一〇〇年か二〇〇年か。一体どれ程の時が経てば、この体は朽ちてくれるのだろう。
幾千年幾万年も、一人で居るのは耐えられなかった。
己の存在が何なのか分からない。仲間を死なせたくなかったから、守りたかったから、私はここに残った。
仲間との約束を守りたいから、再び共に笑い合いたいから。今も、ここで生きていて…………



でも、何百年も経った今じゃ、皆もう死んじゃった?



頬に感じた熱さに、目の前にあった書棚を焼いていた事に気がついた。
次元の狭間に関する本。オメガに関する本。無の力に関する本。
それらを焼く事で、全て消し去れる気がした。この狭間も、己の存在に対する恐怖も、此処にいる己さえも……。


でも私はそこに居た。
蜃気楼さえ作ってくれない砂漠の上に一人、燃え上がる炎を前に立ち尽くしている。


魔法で作り上げた炎の中に飛び込んでも、死ぬ事は出来ないだろう。
闇に口を開ける奈落身を投げても、いつも飛び降りた場所に戻っていた。
死にさえ見放され、誰も居ない場所で……在るとも知れない果てを一人待ち続けるしかないのだろうか。


霞んだ視界に、此処に来て初めて泣いている自分に気がついた。
燃え上がる炎は赤く、遠い祖国の情景が垣間見えるようだった。
ただ、いつも熱く、赤く……それ以外は思い出せないのに、瞳に映る赤の揺らめきが、酷く懐かしい。

やがて空に溶ける炎のように、自分も消えてしまえたらいいのに。
そんな事を思う私を、皆は怒ってくれるだろうか?笑って許してくれるだろうか?

どんどん霞んでゆく視界に、頬を伝う雫は増し、名を忘れた仲間を呼んだ。
詰まる息と震えていく唇に驚きながら、耳に響く空気の振動に自分の声さえ忘れていた事に気がついて。
風の音すら無い場所で、言葉にならない声を上げ、霞んで見えなくなった故郷を思い、此処には居ない仲間に名を呼んで欲しいと願った。


『何を泣いておる?お前さんが泣くなんぞ、明日は月でも降ってくるかのう?』


幻のように、燃え上がる炎の音に混ざりながら、懐かしい声が聞こえた。
霞が取れていく視界の中、記憶の彼方から蘇るように、志半ばに散った仲間の姿が映る。
灰になった本の上に燃え続ける炎の中、溶け込むように立つ老戦士。
けれど、未だ忘却の中にあるその名を言葉にする事は出来なかった。

「あ…うぁ…っ…あぁ…ぇっ…」
『ワシの名まで思い出せんようになってしまったか…遅くなってすまんかったのぅ』

そっと頬を拭った指は炎に象られていたが、温かく懐かしかった。
僅かな声を漏らすことすら出来ない中、ようやく自分にも終わりが来たのだと、砂に落ちる雫が増す。

『ほれ、行くんじゃろ?』

鍵のかかった記憶の箱が開いたように、差し伸べられた手に、初めて出会った日の事が思い出される。
皺だらけの掌は、瞼の裏に過ぎった情景とまるで変わらない。
泡影を掴むように手を取ると、老戦士は懐かしい微笑を浮かべて握り返す。
そっと手を引く彼に、ただ漠然と、その先に仲間が待っているのだと感じた。
固まった足を、まるで初めて歩く子供のように動かす。

砂から離れた足が新たな砂へ触れた途端、埋もれていくはずの感触は柔らかな草の感触に変わる。
すると、そこから生まれた白い光が辺りを包みこんだ。

『ワシの手を離すんじゃないぞ?ホレ、皆来とるようじゃ』

繋いだままの手と静かに響く声に、眩んだ目をそっと開く。
そこには、忘れかけていた新緑の世界があった。

踏みしめた花は甘く香り、大きく聳えた木々の木漏れ日が、辺りを優しく照らす。
頭上から聞こえた鳥の羽ばたきに見上げ、緑の匂いを纏った風が髪を揺らした時、後ろにいる懐かしい気配にそっと振り向いた。
驚き、こちらを見る四人の顔にまた一つ、忘れていた記憶が蘇る。

そうだ……私は彼らを知っている


『黙っとらんで、何か言ったらどうじゃ?』

静かに優しく言う老戦士を一度見上げ、皆を見たとき、自分が笑っている事に気がついた。

ああ、そうだ。これが笑顔というもの。
これが嬉しいという事。これが喜びという感情。
私は、皆に会えて嬉しい。

「私…帰って…きた…」

彼らにはどれだけの時間が流れたのか。
皆の記憶の中にある私と、今の私の姿は違っているかもしれない。
けれど、声だけは変わっていないから、どうか気づいてほしい。
何でもいいから、何か言ってほしかった。

「必ず帰る、と……約束……しただろう?」

ざわつき始めた風が、咲き乱れる花を散らしていく。
残された時間は、もう無い。
風に舞い上がる花弁が視界を覆ったら、私はここから消えてしまうだろう。
……それを、漠然とする意識の中で感じた。

「誓いを違える事は無い……。私は…………、私を…誰だと思ってる?」

どうか、私の名を。
忘却の果てにある名を呼んで、思い出させてほしい。
皆の名前を忘れてしまった私に、皆の名前を思い出させてほしい。
それとも、やっぱりもう私の事は全部忘れてしまっただろうか?
もう、私は、もう、いらなくなった……?

段々と彼らを隠していく花弁に、思い出したように涙が溢れる。
やはり私に名前は無い?
オメガと認める他無い?殺し合う獣と同じか?
嗚呼、でも…約束を守れたのなら、どちらでもいいかもしれない。
ならせめて、彼らと人であった自分に最後の別れを……。
 
そう口を開きかけたとき、草を踏み、駆け寄る足音と共に、懐かしい声が聞こえた。

!」

叫ばれた言葉に、それが自分の名だと思い出した瞬間、花弁の壁を掻き分けた旅人が手を伸ばす。
舞う花弁は止まず、辿りついた手は私の体をすり抜けた。

驚き目を見開く旅人に、段々と透けていく私の体を掴む事は出来ず、纏わり着く花弁が彼を引き離していく。
薄茶色の瞳から零れた彼の涙も、掬おうとした私の指をすり抜け、広がる景色も花弁のように散っていった。

口々に名を呼ぶ仲間の声を耳に刻みつけ、その顔を目に焼きつけ、段々と白く変わっていく世界を、私はただ見つめていた。


私は死に、皆は生き、物語は終る……。


『何を言うとるライラ。お前は死んどらんよ』

「……は?」


白に響いた爺さんの声に、眠りかけた思考が目を開く。瞬間、私の視界は黄と青に変わった。

足元で白い煙を上げる書棚の残骸の周りには、灰の混じった砂が風に泳ぎ、動く事無い太陽が碧空に浮かぶ。
空白に変わる思考の中、視界に映るのは、新緑とは程遠い景色だった。

何一つ変わる事無い見慣れた砂漠の上。
考える事も侭ならないまま、ただあれが一瞬の夢でしかなかったという事実に、私は立ち尽くし言葉にならない叫びを上げた。


何故に平等である筈の死が自分には与えられないのか。
死を得る事が、何故これ程に難しいのか。
一〇〇を超える年月を彷徨って、尚もこの空間は私を捕らえ続けるというのか。

優しくて残酷すぎる幻影を作り上げた砂を握り締め、枯れる涙を搾り出しても、遠くで吹く風の音だけが耳につく。
唯一残った己の名を忘れないよう、腰に下げた鞘に刻み付けると、私は砂漠を走り出した。

彼方に広がる砂の世界の先に、もしも果てという壁があったならそれを破壊したかった。
流砂に呑まれ、迷い込むならそれでいい。
水分補給を絶てば、体力は勝手に落ち、肉体は干からびるだろう。
飢えても死ぬ事が出来ない体でも、この先に魔物の一匹でも居てくれれば丁度いい。
進み続ければ、また夢をみられるかもしれない。
走り続ける限り、いつかここから出られる場所があるかもしれない。
そんな夢を見ていられる。

埋もれる古代の残骸も、行く手を阻む流砂も、射殺すような太陽も、目を眩ませる砂嵐も。
何に気を取られることも無く、私は荒涼とした砂漠を走り続けた。
この砂漠は思った以上に広い。
どんどん広がる果てに感じる喜びに、遂に自分は狂ったのだろうかと考えながら、それでも足を止めることは無かった。

疲れては歩き、歩いては走り、振動の中乱れる事無く動き続ける時計を見れば、既に数十時間が経っている。
太陽は、相変わらず傾かない。
作ったばかりの足跡も、何度目かの砂嵐に消えていく。
方向感覚が狂っただけで、先に進んではいないのだろうかと考えながら、未だ形を成さない希望に縋る為に、私は歩き続けた。




それからどれだけの間、砂にまかれていたのか。


踏みしめる砂の音はは、くぐもった細かな砂の音から、ざらざらと荒い砂が流れる音に変わっていた。
耳につくこの音は、魔物が好んで身を潜める。
何処かに生き残った魔物は居ないのかと気配を察しながら歩いていると、それは期待を裏切るように、大きく砂を揺らしながら近づいてきた。

身を隠す為に砂に潜るなら理解できる。だがそれは、、自分は此処に居ると誇示するように動き回っていた。
挑発なのか馬鹿なのかと、剣を取りながら考える。
私が歩く早さに合わせ、その周りを周り続ける魔物に、間違いなく後者だと溜息をついた途端、それは砂の中から姿を現した。

肉片であったと思わせる黒い塊が、白くむき出しになった骨にこびりついている。
竜のような形をしたアンデットは、口を広げ私に向かってきた。今まで見てきたモノのどれにも当てはまらない魔物だ。だが、強者なのかと期待しながら剣を鞘から抜き出した私は、次の瞬間落胆の息を吐きながら、魔物を二つに切り裂いた。

頭が悪い。攻撃に捻りが無い。何より速度が遅すぎる。
期待した分、気持ちは一気に落ちる。私は、左右に倒れたアンデットの間を進み、未だ見えない砂漠の果てに向かい歩き始めた。

それから、どれだけ同じような魔物が現れただろうか。
敵というにはあまりにも無力な魔物を切り捨てながら、私は歩き続けた。
久方ぶりの戦闘にしては、あまりにも味気無く、最も、魔物であれ命を奪う行為に楽しみを求めるのは不謹慎だとわかっているものの、次第に私は現れる敵に期待すらしなくなっていた。

現れては斬られ、斬られては現れ、そしてまた斬られていく。
足跡の変わりに、転々と残る残骸を振り返る事も無く、私はただ歩き続けた。


幾日も歩き続ける砂漠の先は未だ見えず、休む事すら面倒だと、休憩もしないままの意識はだんだんと揺れ動いていく。

眠るのが怖かったのかもしれない。

目が覚めた時、昨日と変わらない、傷だらけの壁に囲まれた場所にいるのが恐ろしかった。
これが現実なのか夢なのか、もはや区別も出来なくなった今、歩き進み続ける事だけが、それが現実であるという確信だった。

やがて意識は遠のき、けれど、動けと念じれば体はいくらでも前に進んでいく。
視界は白か黒か判別できない色に変わっていた。
それでも、襲い掛かる敵の気配と、拭うことも煩わしくなった返り血の感触が、自分がまだ歩き続けていられるのだと教えてくれる。

今ならば、少し力のある魔物が現れるだけで私を殺してくれるかもしれない。
でも、これほど歩き続けたならば、せめてこの砂漠の先を見ておきたい。
壊せるならば壊してしまおう。
その先に何も無く、虚無が広がるだけだとしても、時をおかず襲い来る彼らに死を与えてもらえばそれで良い。

踏み出す毎に、視界は白く発光し、緩やかに動けば闇に閉ざされる。
段々と、それが失明ではなく、脳からの疲労がきているだけだと理解できた。
既に何も見えなくなった状況でも、現れる魔物は一向にこの体を傷つけてはくれない。
服に染みる感触は、この身から流れたものではなく、この剣で流したもの。

どれだけ自分が汚れているのか。
機能しない目では確認する事も出来ない。
ベタベタとした感触にを不快に思いながら、次々と向かってくる敵を斬り捨ていった。

魔物は、数時間置きに活発に動いていた。
まるで夜と昼があるようだと考えながら、そんなものがあるはずはない世界を歩く。


そう、そんなものは無いと思っていたんだ。



歩き始めて十何日目かの日。
魔物が活発に動き出す頃、寒さがこの身を震わせている事に気がついた
遂にこの体も限界かと考えながら、少しでも果てに近づくために、私は歩く事すら困難になった足を踏み出した。

その時だ。

警戒してはいるが、すぐ側まで歩み寄ってきた人の気配と、微かな人の匂いを感じたのは。


「お前は…人…だな?」


耳に届いた声に、私は慌ててそちらを向こうとする。
だが、僅かに気が緩んだ一瞬のうちに、蓄積されていた疲労が体にのしかかり、踏み出せなかった足に体が傾いた。


「おい!」


また聞こえた。

幻聴ならば、そのまま死んでもかまわない。気のせいならそれでいい。
だが、もしこれが現実の人であったなら、この閉鎖された場所に自分以外に誰かがいてくれたのなら、まだ終わりたくない。

近くに人がいるかと、気配を感じようとする余裕は無かった。
ただ、今此処で死ぬ自分と同じように、目の前に居る人が狭間に囚われた孤独の身であったなら、それ以上一人にしたくなかった。

倒れこんだ体を受け止めた腕はとても温かく、こんな場所に居るのも頷けるほど鍛えられていると感じた。
遠のいていく意識の中、閉じていく見えない瞼をこじ開けたとき、何も映らないはずの視界に光が戻った。

月の光に透けるような長い銀の髪と、人外を思わせる程凄艶な顔立ち。
見た事の無い薄浅葱色の瞳の後ろに広がる、二度と見る事は無いと思っていた星空に驚く間も無く、私は無意識の中に引きずり込まれていった。




静かに目を伏せた彼女に、その身を腕に抱いた彼は後ろから覗き込む黒髪の青年を見る。
姿形で何とか人であると判別できるものの、赤黒い血で全身を染め上げ、性別どころか容姿すらわか無いほど汚れた生き物に、青年は自分より幾らか身の丈の大きい、銀髪の青年を見た。

「セ、セフィロス、それ人か?」
「…多分な。女だ」

セフィロスと呼ばれた銀髪の青年は、静かに彼女を抱きかかえると、数歩下がって見つめてい青年の前を歩いた。
セフィロスの口から出た「女だ」という言葉に驚き、どこか安心したのか隣についたザックスという名の青年は、彼の腕の中にいる酷く汚れた女性を見る。

動くたびにパラパラと体から落ちる血の粉は、服どころか長く伸びた髪にまでべっとりと張り付き、既に身に着けた衣服と同化しているようにさえ見えた。
色さえ解らない程血濡れた髪に隠れ、僅かに見えた顔も、衣服同様赤黒く染まり、容姿など解らない。
唯一、気を失っても握られている剣だけが、血に汚れる事無く銀色の刃に月の光を反射していた。

「…生きてるのか?」
「衰弱しているが…まだ息はしている」

口元に耳を近づけなければ解らない程、小さな呼吸をする彼女の手から剣を取ろうと、ザックスは垂れた腕を掴むが、解こうとした指は血で完全に柄に張り付いている。
無理に引き剥がせば、皮膚を傷つける可能性があると、彼は仕方なく剣を取る事を諦め、次の行動を考えた。


「じゃ、俺は先に医療班に言ってくるな」
「あぁ」


昼間が嘘のように冷えた砂漠の夜に、小さく身震いしながら走っていく戦友の後を、セフィロスは静かに歩き始めた。



2005.11.23 Rika  2009.09.18 修正
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